銀河英雄伝説外伝IF 辺塞寧日編 ヤン艦隊日誌   作:白詰草

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 才能の多寡はあれど、生みの苦しみは同じこと。素人画家の苦労も、若手の交流につながっていくのです。


画帖の美女と野獣ども

「とは言ったもののなぁ」

 

 あの後、ヤンに随行している面々にも許可を貰ってスケッチをさせて貰った。ユリアン、グリーンヒル大尉、ポプラン、コーネフの両少佐。正直、この連中はかなり似顔絵を描きやすい部類だ。美男美女というのは、顔の部品と配置が整っている。

 

 困ったのは、最も階級が高い相手の顔である。ハンサムに描いてくれ、といった若き大将は、画家の眼からすると充分に美男の部類だ。部品も配置もかなり整っているし、骨格も均整が取れている。それを描写すると、途端に別人に見えるのはどうしてなのだろう。これ誰なんだ、と描いた本人が自問してしまう。本来の造作から、何かが一枚か二枚ベールを掛けている、そんな容貌なのだ。

 

「やっぱり、眼だな」

 

 何枚か描いてはみたが、どうにも似ていない。肖像の一枚の目元を黒く塗りつぶし、サングラスを掛けさせる。おや不思議、なかなか似ているではないか。各種メディアが大きく載せる写真そのものだ。リンツは唸った。

 

 それを聞きつけたグリーンヒル大尉が、怪訝な顔で近付いてくる。スケッチした中で、最も描きやすかった美女だ。顔のパーツが、ほぼ黄金律に近い配置をしている。こんな武骨な軍服ではなく、それこそ絹のドレスでモデルになって欲しい。彼の前任者なら、ドレスを着させるなんて勿体ないと言ったであろうが。

 

「どうかなさいましたか、リンツ中佐」

 

「いや、失礼。ちょっとね」

 

「あら、閣下の絵ですね。お上手だわ」

 

 ヘイゼルの瞳が紙面の想い人を認めて、輝きを増す。眩しくも美しい、恋する者特有の(きら)めきだ。男と生まれた者なら、絶対に気がつく。己に脈などないことも。ユリアンも気付いているだろうが、ままならないのが初恋だ。

 

「いやいや、ヤン提督はなかなか難しい題材でね。

 上手く描けないから、苦手な部分を隠したんだ。

 完成はしたが、失敗作の部類だね」

 

「よく似ていらっしゃると思いますけれど……。リンツ中佐が苦手、というと閣下の眼ですか」

 

「ああ、眼を描くとこういう感じになるんだよ」

 

 前のページを開く。文字どおりの柳眉が寄せられた。

 

「別人ですわね……。いえ、確かに閣下の顔ではありますが」

 

 首を傾げる金褐色と、首を振る麦藁色と。

 

「そうなんだよ。流行の顔ではないが、なかなか美男子なんだ。

 でも、これは美化のしすぎと笑われるぜ。あのちょっとぼんやりした眼が表現できなくてな。

 俺の才能なんて大したもんじゃないが、こりゃあ個展を開いても出展できないよな」

 

「お、何やってるんだ」

 

 気安く声を掛けてきたお調子者の名を、挙げる必要があるだろうか。緑の瞳に、好奇心を浮かべて二人の手元を覗き込む。

 

「なあ、これ誰だ。こんな奴いたっけか」

 

 明るい褐色が頭を捻る。それを後ろから覗き込んだ淡い色の髪の主も、物静かに考え込んだ。

 

「ほら、やっぱり失敗だろう。本人と分からないんじゃ肖像画にならない」

 

 リンツがお手上げのゼスチャーをした時だった。二人の少佐が異口同音に正解を口にした。

ヤン提督、と。素人画家の方が逆に驚いた。

 

「描いた本人がいうのもなんだが、よく分かったなぁ」

 

「おいおい、もっと似せろよな。でも、確かにこういう目なんだよ。

 普段の顔だと分からんが、じっと見詰められるとさ、あ、結構ハンサムじゃん、て」

 

 やっぱり分かる者には分かるのか。嬉しさ半分、焦りも半分なのはフレデリカの内心である。

事務部門の友人も、そんなことを言っていた。写真撮影が趣味の女性だ。

あと半歩押し出しが足りない、もったいないと。

 

「コーネフ少佐はどうしてお分かりになりましたの」

 

 フレデリカの質問に、冷静な方の少佐は、スケッチブックの一点を示した。

 

「階級章」

 

 分かったのはそれでか。リンツは逆に消沈した。

 

「後は髪型だな」

 

 ポプランは、親友をしみじみ眺めた。

 

「おまえって、そういう奴だよな。

 あ、待てよ。リンツ中佐。貴官、おれもモデルにしたよな。

 ちょっと見せてくれ。これじゃ、おれの美貌がきちんと描けているか疑わしい」

 

「ポプランの顔云々はどうでもいいが、確かに他の作品を見せて欲しいな」

 

 撃墜王(エース)ふたりににじり寄られ、リンツはしぶしぶスケッチブックを差し出した。

 

「分かったよ。だが、司令部のお歴々はヤン提督以外無許可だからな。

 黙っててくれよ。その、グリーンヒル大尉もよろしくお願いする」

 

「ええリンツ中佐、了解しましたわ。小官にも見せていただけますか?」

 

 麗しい笑みを浮かべた美女に返す言葉は諾のみだ。だが。

 

「ああ、どうぞ。だがお手柔らかに頼む。貴官らもな」

 

 ヤンとユリアンが、何回目かの政治家からの呼び出しにげんなりしている頃、若手士官たちは、絵画鑑賞会を開き始めたのだった。

 

「あ、あれ……思ったより上手いな」

 

「リンツ中佐、こいつが失礼なことを言って申し訳ない。

 だが、思った以上に上手だな。みんなよく似ている」

 

 揃って結構失礼な発言をする、空戦隊隊長二人。その理由は司令官の絵のせいだろう。似顔絵を描くコツは、特徴をデフォルメすることなのだが、かの青年提督の容貌には尖った部分もへこんだ部分もないのだ。彩色という最終手段をとるにも黒髪黒目。このスケッチと変わらない。なかなか素人画家泣かせの素材だ。

 

 いま少し年配であったら、皺などの特徴が出てくるのだろうが、二十代半ばにしか見えない若々しい皮膚には、まだその兆しはない。

 

「ヤン提督以外はな。あれはちょっと美化しすぎじゃないか」

 

 そんな論評をしながら、頁をめくっていたポプランの手が止まり、なんとも奇妙な音が口から飛び出した。同じ絵を見たフレデリカは、艶やかな唇を上品に手で押さえ、視線を逸らせて肩を震わせる。冷静なのはコーネフ一人だった。

 

「リンツ中佐、大したものだな。顔が描いていなくても一目で誰か分かる。

 風刺画家にでもなればよかったのに」

 

「そりゃ嬉しい評価だな。金銭(かね)があったらそうしていたんだが」

 

「いずこも同じだな。それにつけても金の欲しさよ、か」

 

 目鼻のかわりに『規律』と描きこまれた肖像である。だが、顔の輪郭や謹直に伸びた首や背筋、きっちりとした角度の敬礼の手から、誰を描いたものか一目瞭然であった。その後に、司令部の他の面々が続き、最初の方のページは薔薇の騎士(ローゼンリッター)連隊のメンバーで埋められている。

 

「確かに似てるよ。だけどむっさいなぁ。

 筋肉ばっかりで、潤いってものがちょっとしかないじゃないか。

 もっと頑張って美人モデルを探してくれよ」

 

 この絵に対する女尊男卑主義者の言い分に、リンツは反論した。

 

「無理を言うな。

 俺たち薔薇の騎士を、こんなに信任して内勤にさせてくれた上官なんて、ヤン提督が最初だぞ。

 前線基地に花もなにもあるものか」

 

 極一部に例外はいるが。それをすかさず指摘する、その道のライバル。

 

「でも、あのおっさん、よろしく」

 

 ポプランの口から再び奇妙な音が飛び出す。妙齢の女性に不適切な言葉を継ぐ前に、コーネフが脇腹を小突いたからだ。実にさりげなく。咳き込む親友(?)を放っておいて、コーネフは目を瞠っている明るい髪の男女と会話を続けた。

 

「いや失敬、リンツ中佐、グリーンヒル大尉。

 だが、この輸送船団には結構女性兵がいるのも確かだ。誰かに頼んでみたらどうかな。

 グリーンヒル大尉の同室の女性は、なかなか美人だと思うんだが」

 

「おお、褐色の美女のドールトン嬢、いいね。

 もうちょっと唇が薄けりゃ完璧なんだが、あれはあれで色っぽい」

 

 この提案に、リンツは首を振る。

 

「折角だが、それは案外難しいんだ。

 かなり気心知れた相手でないと、女性はOKしてくれない。

 その点でも、グリーンヒル大尉には感謝するよ」

 

「グリーンヒル大尉に仲介してもらうのは?」

 

 顔を顰め、脇腹をさすりながら食い下がる緑の瞳の色男。ここまで来るといっそ天晴れだが、同僚のヘイゼルの瞳には何ともいえない色があった。どう見てもマイナス方向にひかれている。残りの男二人は呆れた。

 

 まあ、分からなくはない。脈のない相手に拘泥しないからこその色事師である。勢い込む外野を白っぽい目つきで見た画家は、きっぱりと言った。

 

「グリーンヒル大尉に、そんな迷惑はかけられないな。

 相手だって断るにも気が重いだろうし、

 OKしてもらっても無理強いしたように思えるじゃないか。

 モデル料も出せないし」

 

「そこで食事でもって、持っていくんだよ。なんのための趣味なんだ」

 

「阿呆か。そういう目的の趣味じゃない。食事ったって輸送船の士官食堂だ。

 雰囲気もなにもないだろう」

 

「そっちこそあほだろ。なんで輸送中にお礼をするんだよ。

 ハイネセンに到着してからでいいじゃないか。その後にだな……」

 

 今度はハートの撃墜王の口は、奇妙な音を発することはなかった。クラブの撃墜王が食らわせた、正確無比な肘打ちのせいで声もなく悶絶したからだ。スケッチブックを囲んだ椅子の上で、座り心地が悪そうな紅一点への配慮のようだったが、あまり効果的とも思えなかった。

 

「あの、それは無理だと思いますわ。私は……」

 

 苦笑を浮かべたフレデリカが、同室になった褐色の肌の美女について言及しようとした時だった。ユリアンの入室の挨拶が掛けられ、亜麻色の髪の少年と、その保護者がイゼルローン組のエリアに戻ってきた。

 

「やれやれ、行ってきたよ。おや、みんなお揃いだね。ところで、ポプラン少佐はどうしたんだ」

 

「持病の(しゃく)です」

 

 平然と回答する加害者に、黒髪の司令官は首を傾げた。

 

「そうか。なかなか古風な持病だね……まあ、お大事に。

 盛り上がっているところに済まないが、良くないニュースだ。

 ハイネセン到着がすこし遅れるらしいよ。政治家の皆さんには、そういう説明のようだ」

 

 溜息を吐きながら、ベレーを脱いで髪を掻き回す。かなり精神的に疲れているようだ。保護者の様子に、ユリアンは給湯室の方へ歩き出した。ブランデー入り紅茶か、あるいはその逆が必要と判断したのだろう。その背が消えるのを待って、ヤンは口を開いた。

 

「これっぽっちの情報を手に入れるのに、こんなに時間も気もつかうんじゃ、

 私には情報参謀の素質はなさそうだ。サックス少将には避けられていてね。

 議員達と会談中です、と言われてまで横槍を入れるのもなんだから」

 

 リンツはうんざりした。あんなに大見得を切り、ヤンの性格をいいことに邪険な扱いをしておいて、いざ不都合になると避けて回っているのか。随分と肝の小さい男だ。

 帰還兵二百万人と、同盟軍屈指の名将を輸送する、その重要性をやはり上層部は理解していないようだ。この頼りない若手士官のような黒髪の提督は、帝国に対する最後の砦にも等しいのだが。

 

「仕方がないんでユリアンにも足労を願ったんだ。

 議員の中に、トラバース法成立に尽力したのを売りにしている人がいてね。

 私にしたら、同盟憲章違反すれすれのあれをどうして誇れるのかと思うがね。

 ユリアンを出汁にしたのは悪かったが、あの子の顔を見たあちらさんが教えてくれてね。

 まったく、さっぱり、はかばかしい答えではないが、我々にはどうしようもない」

 

 ヤンはベレーを握りしめたまま、困ったを連呼しながら私室に入ってしまった。

 

「かなり来ているな、ヤン提督は」

 

 コーネフがぽつりと呟き、フレデリカの美しい眉が、気遣わしげに寄せられる。旗艦(ヒューベリオン)の艦橋では、どんな戦況にあっても冷静さを失わないヤンのこの態度。呑気なぼやきのようにも聞こえるが、その実かなり深刻だ。

 

 それを理解しているのは、恐らく自分だけだ。ここにいる男性士官は、皆とても頼りになる。しかし、彼らには違う戦場がある。艦隊を指揮する名将としてのヤン・ウェンリーを知らない。あの灼熱と光芒の錯綜するアムリッツァで、戦闘そのものには一言の弱音も吐かずに退却戦を成し遂げた彼を。

 

 役に立ってしまったシロン葉のティーバッグに、嬉しくなるどころか気が重い。

 

 気が重いと言えばもう一つ。ポプラン少佐が評する褐色の美女、同室者のドールトン大尉だ。親しくはしてくれる。だが、言葉の端々から微かな冷気を感じる。

 

 女性士官がヤンの事を聞きたがるのはよくあることなので、普段はあまり気にならない。黒髪の青年提督は、俗っぽいメディアで『同盟軍一結婚したい男』の座を長らく独占しているのだ。ファン一号として、フレデリカも随分その手の報道をチェックしていたので、そう悪しざまにも言えないが。副官としては、相手の様子を見ながら、よもやま話と守秘義務をミックスしてやり過ごす。

 

 普通はこれで納得してくれるものだ。お互い仕事をしていれば、その線引きは理解ができるから。だが、ドールトン大尉はどこか違う。一度会話を終わらせても、次の雑談で手を変え品を変え、何度も聞いてくる。なのに、好意や恋情からというには、その表情や口調は温かさに欠ける。

 

 彼女はどこか不自然だ。自分やヤンに怒りを感じているのではないか。個人的には全く身に覚えがない。ヤンもそうだろう。だが、ヤンの元に届いた投書のように、アスターテやアムリッツァの会戦の犠牲者の遺族ということは考えられる。その程度の身辺調査は、本来この任務に就く前に実施すべきことなのだ。同盟軍上層部に、その認識が欠けているのではないか。

 

 キャゼルヌが更迭されずに後方主任参謀の座に健在なら、水も漏らさぬ計画が立てられ、時々刻々と予定どおりに進行しただろう。かわりにイゼルローンが混乱の坩堝になっただろうが。

 

 フレデリカとしては、非日常より日常を愛する。キャゼルヌがいない輸送団より、彼のいるイゼルローンを選ぶ。しかし、現状は不明、説明は不十分、同室者は不穏と不の三重奏だ。

 

 一介の大尉にはどうしようもないが、そろそろ上官と父、二人の虎の威を借りることを検討すべきか。ここの際、雌狐と言われても仕方がないだろう。確かにそういう髪と目の色なのだし。

 

 きっとヤンは嫌がるだろうが、明日の状況いかんによっては札を切るべきかもしれない。彼女は密やかに決意した。彼の代わりに泥を被るのも副官の役目だ。




 この一行のメンバー、薔薇の騎士のリンツの融和を考えた人選でもあるような気がする。年齢、階級も近く、腕に覚えありという価値観の撃墜王達。ジャンルは違えど、相手の技量は認めるだろうし、若い分だけ偏見も薄そうに思える。
 集団に溶け込むためには、声の大きい者を味方にするのがもっとも手っ取り早い。リンツもポプランと共通項のある上官がいたわけなので、その辺に嫉妬を抱きにくいと思う。フラットに、ああはいはい、と流すのではないだろうか。

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