銀河英雄伝説外伝IF 辺塞寧日編 ヤン艦隊日誌   作:白詰草

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星天の霹靂

 そして、イゼルローン要塞の主管制室の二人もまた。

 

 事務監のキャゼルヌは、これまで戦場に赴いたことはない。戦闘の為の補給と兵站も、半ばは数字と書類で占められる。分艦隊五百隻なりといえど、そこには6万人が搭乗している。艦隊とは人の集団なのだ。

 

 白兵戦の雄、シェーンコップは、第七次攻略の際に雷神の槌(トゥールハンマー)の威力を目の当たりにした。その暴虐的な力を熟知するが故に、艦隊との合同演習には背中に緊張の汗が滲む。どちらか、もしくは双方のタイミングがずれたら。この五百隻の艦艇と6万の人命は、一撃で消し飛ぶ。

 

 無論、この場には副司令官、正副参謀長も同席しているが、直接の運用責任者はこの二人である。責任も緊張も度合が違う。

 

 要塞と旗艦、双方の回線が開き、通信を開始する。

 

「こちら、要塞防御指揮官、フォン・シェーンコップ。分艦隊、通信状況を報告せよ」

 

「こちら、分艦隊司令官、アッテンボロー。受信良好。送信は良好か?」

 

「分艦隊へ、送信の良好を確認する。雷神の槌発射までの手順を通知する。

 仰角俯角0度、中央正面にてカウント開始の600秒後に発射。

 540秒までは、各分三十秒単位での通知とする。

 通信オペレーター、時計を銀河標準時に合わせろ。十秒でだ。

 ――それではカウントを開始する。スタート!」

 

 アラームが鳴り響き、一気に管制室に緊張が走り抜けた。モニターのアッテンボロー分艦隊を凝視する者。雷神の槌のエネルギーチェック、角度の最終確認に追われる者。オペレーターのカウントの声が、静まり返った管制室に響く。

 

「7分経過」

 

 旗艦の艦橋で、アッテンボローは指示を出した。

 

「よし、後退を開始する。右翼は8時方向、左翼は4時方向だ。

 要塞砲台の射程距離外に停泊せよ。当艦は右翼に参入する。

 移動開始、ただし砲撃は続行だ。誤射に気をつけろよ!」

 

 イゼルローンも、という言外の声に、シェーンコップは片眉を上げた。双方向通信の場での発言だ。先輩の薫陶(くんとう)なのか本人の資質か定かではないが、こちらもいい性格をしているではないか。あえて返答はしない。雷神の槌を撃つというのは、数万人を一瞬で屠るということだ。頼まれたって、誤射なんぞしない。そっちこそきっちりと動くがいい。

 

 砲撃オペレーターから、砲撃準備の完了が告げられる。

刻々と減っていくカウント。

策敵オペレーターが、艦艇全てが射程外に逃れたことを確認。

 

「発射準備」

 

「カウント10、9、8、7」

 

 シェーンコップは右手を上げた。

 

「……3、2、1、0」

 

撃て(ファイア)!」

 

 号令と同時に右手を振りおろす。

 

 刹那。入光調整をしてあるにも関わらず、スクリーンが漂白された。永遠の夜を貫いて(はし)る、造られた人工の雷神の鉄槌。美しくも壮絶な、破壊の光だった。何度見ても、慣れることはないだろう。キャゼルヌは薄茶色の眼を(すが)めた。

 

「目標宙点のデコイ、すべての喪失を確認」

 

「モニター上、分艦隊の被害はゼロです」

 

 すかさず策敵オペレーターの報告が読み上げられる。灰褐色の髪と目の美丈夫は一つ頷くと、アッテンボローに通信を入れる。

 

「こちらイゼルローン、フォン・シェーンコップ。

 分艦隊旗艦応答せよ。目標と貴艦隊の被害状況の報告を求む」

 

 管制室が更に静まる一瞬。張りのある若々しい声が返ってきた。張り詰めていた事務監の肩の線が緩む。

 

「分艦隊司令官アッテンボローより回答、報告する。

 目標はすべて消滅、当艦隊の被害はゼロ。的確な攻撃を感謝する」

 

「了解した。そちらの正確な艦隊運動の賜物だ。無事を心から祝福しよう」

 

「小官からもだ。二人とも、大役御苦労だった」

 

 ここで声を発したのは、司令官代理である。本人が自称する非力な事務屋には、かなり衝撃的な場面であろうが、それを微塵も現していない。大したものである。

 

「ありがとうございます、キャゼルヌ司令官代理。

 雷神の槌の連続発射の演習を続行しますか」

 

 そう言う鉄灰色の髪の後輩に、ムライ参謀長が回答した。

 

「いや、今日はここまでにすべきです。貴分艦隊は新兵が多くの割合を占める。

 一度に過大なストレスを与えてはいけない。当初案のとおり、帰投した方がいい」

 

 これに賛同したのは副参謀長だ。 

 

「アッテンボロー提督、正直いいまして、こちらの神経も保たんのですよ。

 事故を起こさないよう、余力のあるうちにお開きにいたしましょう。

 新兵のメンタルケアの時間も、必要となるでしょうからなあ。

 シェーンコップ准将はいかがです」

 

「そうですな……」

 

 シェーンコップは、尖り気味の顎をさすった。ヤンの方針で、訓練は一つのフェーズを反復し、習得するまで次に進めない。最初は甘いのかと思ったがそうではない。人間、同時にそんなに色々詰め込めるものじゃない、という判断によるものだった。ヤン艦隊の前身、第13艦隊結成時の教訓であろう。

 

 そして、最前線の閉鎖空間という状況。ストレスから麻薬に手を出す者、周囲へ暴力を振るう者、これらを速やかに摘まみ出してしまう。これもまた、軍隊の統一性を保つためだ。無論、民間人や部下という、圧倒的多数の弱者を守ることでもある。

 

 どうしてどうして、甘く優しいばかりの人物ではないのだ。人間の限界を冷静に見切っている。その辺が面白いし、どこまでやれるかお手並み拝見という気にもなるのだが。

 

「たしかにその方がよいでしょう。攻略戦の資料によれば、連射自体が少数例です。

 砲撃単独の演習で、もっとデータを蓄積しないと危険でしょうな」

 

「俺も貴官らに賛成だ。アッテンボロー少将、聞いてのとおりだ。

 当初の予定どおり帰投せよ。明日の午後にこの結果のブリーフィングを行う。

 関係部署はまとめておくように。ただし簡潔にだぞ。司令官代理からは以上だ」

 

「了解しました。アッテンボロー分艦隊、帰還します」

 

 モニターの中で、光点が宙港入り口に移動していく。きちんと要塞砲台の射程外を通過して。

 

「若いとは呑みこみが早いものですな。もうイゼルローンの宙域に馴染んでいる。

 小官よりも、副司令官に向いていると思うのですが」

 

 フィッシャーの先日の留守番幹部会の発言は、相当に本気だったらしい。キャゼルヌは、軽く眉間を揉んだ。

 

「艦隊指揮官としての才能は、彼の方がずっと上ですからな。

 艦隊運用と、攻撃のセンスは違うのです。日毎に良くなっていく」

 

「そうでなければこちらも困りますよ。まったく、何世帯分のエネルギーかと考えるとね。

 あとどれほど演習は必要でしょうか、フィッシャー提督」

 

 キャゼルヌの問いに、フィッシャーは左手を顎に当てて考え込んだ。右手で、手元の戦術コンピュータのログを確認しながら。

 

「演習は永続的に必要なのですが、本日の演習成果は上々です。

 ブリーフィングで、最終フェーズへの移行を検討してはいかがかと。

 最終フェーズが終了すれば、もう少し回数を落とせると思いますが、

 そろそろ艦隊本隊の実働演習にも着手したいものですね」

 

「やれやれ、こんな代理は正直荷が重いですよ。早く、司令官に戻ってきてほしいものだ。

 今日がハイネセンへの到着予定日ですから、まだ当分は先でしょうがね」

 

 キャゼルヌの意見には、シェーンコップも同感である。やはり、こんな攻撃は性に合わない。

同じ軍人でも、対人の戦闘をする者と、対艦隊の戦闘をする者は、持つスケールの目盛りが違う。

一対一で相手を斬り伏せるのと、主砲の一射で数百人を殺すのと。

ましてや雷神の槌は、一撃で数百の艦艇と数万の人命を、宇宙の藻屑にできるのだ。

 

「ああ、今日でしたか」

 

「正直、もう少し早く着くと思っていたんだが。人間、予定より早い方が嬉しいだろう。

 後方担当はそれも計算して、旅程は上積みしておくんだ。

 受け入れ宿舎も、同様に準備をするもんだがね。そうだ、定時連絡ではなんと言っていた」

 

 キャゼルヌの問いに、通信オペレーターは答えた。

 

「本日はまだです」

 

「まだって、もう16時だぞ。あれは毎日正午に行っているはずだろう」

 

「バーラト星系の通信途絶域に入られたのでしょうかな」

 

 パトリチェフが、鷹揚に疑問を投げかけた。フィッシャーが首を振る。

ムライの眉間に一瞬皺が寄ったが、堅苦しい参謀長を注視するオペレーターはいない。

それをいいことに、彼は小声で囁いた。

 

「場所を変えたほうがよさそうですな。アッテンボロー提督には?」

 

 更に小声でキャゼルヌは応じた。

 

「加えた方がいいだろう。彼の父親はジャーナリストだ。

 到着の報道が入らなければ、遅かれ早かれ騒ぎ出す。

 すまんが、司令部会議室に移動してくれ。貴官らも頼む」

 

 パトリチェフとシェーンコップは顔を見合わせた。巨漢のパトリチェフとほぼ水平に目が会うのは、将官ではシェーンコップだけだが、互いの顔を見つめあうなど、双方初めての経験である。何かが起こっている。それは予感だった。

 

 司令部会議室に、将官一同が移動した。アッテンボローには帰還次第、こちらにくるように伝言してある。一同が着席し、珍しくフィッシャーが口火を切った。

 

「バーラト星系に通信途絶域はありません。あそこの通信網整備は銀河一でしょう。

 こんな時間にまでワープをしているというなら、なおのこと連絡すべきなのです。

 定時まで待つのではなく、ワープインの際に」

 

「そうなんですか、フィッシャー提督?」

 

「そうです、副参謀長。今日到着予定ならば、正午には通常航行していないとおかしい。

 ハイネセンへの降下中であるなら、やはりその前に連絡をする。

 こんな基本ルールを、航法士官が知らないはずはない。

 輸送船団の主任航法士官を誰かご存知でしょうか」

 

 フィッシャーは、艦隊運用の名手である。それは艦隊運動だけに留まらない。どんな遠征でも、船団を(あやま)たず目的地へと導く。一隻の脱落もなく、通常よりも短い期間で。航法のことは熟知している。ヤン曰く、『生きている航路図』なのだ。

 

「この名簿によりますと、ドールトン大尉とありますな」

 

 ムライの返答に、フィッシャーとキャゼルヌは顔を見合わせた。

 

「参謀長、大佐の間違いではないでしょうか」

 

「いや、大尉です。残念ながら」

 

 士官学校出だとすると、大尉は二十代半ばから後半で通過する。そして艦隊の航法などという特殊なものは、士官学校でしか教育されることはない。

 

 キャゼルヌが一際苦い顔になった。普段は歯切れの良い声が、地の底から響くような低音で絞り出される。

 

「……この輸送計画の後方本部責任者は誰だ。

 そこまでアムリッツァで人材が払底したわけではないだろう。

 いくらなんでも、この規模の輸送の主任にするには若すぎる。

 ほかにチェックする者はいないのか」

 

「もっと若手が乗っているんでしょうな、恐らく」

 

 シェーンコップの予想は、ムライの証言で裏付けられた。副主任はなんと中尉。薄茶色の目が、ハイネセンの計画担当者まで突き刺さりそうな光を浮かべた。

 

「まったく、だから自前の艦を出すべきだと進言したんだ。

 挙句に帰還兵まで乗せるなんぞ、開いた口が塞がらんよ」

 

「小官も閣下に、女性が初デートで相手の車に乗るぐらい無謀なことですよと

 申し上げたのですがね」

 

 不謹慎な喩えに、ムライは咳ばらいをし、二女の父はさっきを凌ぐ視線の槍を突き刺した。

合流してきたそばかすの提督も、白眼視を隠そうともしない。

とりなせるのは、やはり副参謀長しかいなかった。

 

「なるほど、なかなか的を射た表現になりかけておるのでしょうかね?

 願わくば、的外れであって欲しいものですなぁ。

 ヤン司令官にとっては、この遠征の足にするより、

 演習への参加をお望みになったわけですから」

 

「超光速通信による立ち会いじゃ駄目だったんですか。

 ヤン司令官は、ああいう虚飾に満ちた式典なんて、大嫌いだったでしょうが」

 

 ストレートすぎるアッテンボローにも、参謀長の警告の咳ばらいがとぶ。一瞬肩を竦めたものの、リベラル系硬派論客の息子は食い下がった。

 

「いっそ、旗艦(ヒューベリオン)で航行すればよかったんですよ。

 ヤン司令官不在では、十全に動かせない艦なんですから」

 

「小官も同意いたしますね。

 その中に、薔薇の騎士連隊の精鋭の一個中隊も同乗させるべきでした。

 ご自分の価値を軽視するのも、大概になさっていただきたいものだ。

 そして、軍上層部も閣下の寛容をいいことに冷遇が過ぎます。

 あんな扱いに甘んじる必要などないはずだ」

 

 思わぬ援護射撃は、却下された護衛志望者からのものだった。

 

「もっと、リンツ中佐から閣下に強く進言させるべきでした。小官も忸怩(じくじ)たる思いですよ。

 一日遅れで出発しても、今日には到着していたでしょう」

 

 と、これはフィッシャーに対する問いかけだ。フィッシャーの銀の頭が頷く。普段物静かな初老の提督は、キャゼルヌに訴えかけた。

 

「騒ぎすぎなのかもしれませんが、どうも気になるのです。

 急ごしらえの粗雑な計画というのはあるにしろ、補給物資の関係もありますし、

 予定が延長するような航行はしないものです。

 巨大な宇宙乱流や、流星群の発生のニュースもありません。

 キャゼルヌ司令官代理に、ハイネセンに問い合わせていただいた方がよいと思うのです」

 

 キャゼルヌは頷いた。将来の後方本部長と言われ、敏腕で同僚や部下の信望篤かった彼は、同盟軍中枢に伝手も目も耳も持っていた。

 

「ああ、そうするとしよう。案外、晩のニュースで流れるかもしれんがね」

 

「そうだとよいのですが」

 

 ムライがぽつりと言った。

 

「キャゼルヌ事務監が、後方主任でしたらこんな事にはなりません。

 軍全体の能力が低下していることは否めない。

 その中で、派閥に属さぬヤン司令官を冷遇するかのような有様です。

 小官には、軍だけでなく同盟全体が茹で蛙になりつつあるように思えてなりません」

 

 蛙の入っている水を火にかけると、徐々に温度が上がっているのに気付かぬうちに、茹であがって死に至る。

 

「参謀長、そう悲観をなさることはありませんよ。

 ヤン司令官は当然ながら、統合作戦本部長も、宇宙艦隊司令長官も、

 査閲本部長もみな識見の高い方ばかりです。大丈夫ですとも」

 

 もう一人大将はいるのだが、『長』ではないためスマートに無視されていた。パトリチェフの『過不足なく表現する能力』で省略されたのだろう。人の良いだけの大らかなおっさんじゃないな、とアッテンボローは彼を見直した。

 

「じゃあ、小官もニュースに留意をしておきましょう」

 

「他言は無用だぞ。ここにいる者も全員だ。よろしく頼む」

 

「了解しました」

 

 惚れ惚れするほど完璧な敬礼をするシェーンコップ。ほかの将官たちも本人なりの敬礼で応え、その日は散会となった。

 


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