銀河英雄伝説外伝IF 辺塞寧日編 ヤン艦隊日誌   作:白詰草

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 それは、静かに、嵐の如く訪れる。


Tempest

「……提督、お役に立てませんでした」

 

 二時間にわたる説得は、何ら実りを齎さなかった。その事実をフレデリカ・グリーンヒルは、上官に報告した。二時間前に、あぶなくなったら、すぐ逃げてきなさいと言ってくれたその人に、自分の無力さを告げるのは遣りきれないものだったが。

 

「……うん、仕方ないね。御苦労さま。君にけががなくて何よりだった」

 

 掛けられた言葉は少ないが、そこには真情が篭っていた。この二時間でなんとか聞き出せたのは、イヴリン・ドールトン大尉が犯した罪の動機らしきものだけであった。

 

 当初、帰還兵輸送船団のハイネセン到着予定日は3月8日だった。それが延長するという正式な報告は、3月8日になるまでなかったのだ。輸送責任者はサックス少将、賓客(ひんきゃく)たるヤン・ウェンリーは大将。軍隊という階級社会で軍規の軽視も甚だしい。無論、大変な非礼でもある。たとえ、高位者が二十代、下位者が五十代であったとしても、許されざるものだ。

 

 見るからに物腰が柔らかく、自由闊達すぎる部下を大目に見ていたヤンにも多少の責任はあるかも知れない。年齢よりも若々しく、軍人に見えないほど線が細く、滅多に声を荒らげることもない。ここにいない敏腕軍官僚に言わせると『あいつは怒るのも面倒くさいのさ』ということだが、ガチガチの軍人には侮られてしまうのも否めない。

 

 サックス少将の弁明過多で冗長な説明にも、頷いて穏やかな返答を返すのみ。ヤンを知る者からすれば期待値の低さに過ぎないのだが、知らない者には組し易しと写る。サックス少将なりには、手を打ってはいたのだろう。そうだと思いたい。こちらに説明も何もないまま、無為に流れた二日間のうちに、実を結ばなかったとしても。

 

 事態が急変したのは10日。航路の抜き打ち調査で、このままの進路を維持すれば恒星マズダクに突入するということが判明した。また二日間がその善後策に費やされた。

 

 リンツ中佐とポプラン少佐が珍しく口を揃えて、責任者を危機対処能力の低いおっさん呼ばわりするのも当然だ。13日になり、ようやく犯人探しに着手したのである。遅きに失するとはこのことだ。ミスだろうが故意だろうが、真っ先に疑われるべき人間、それがドールトン大尉だった。航法主任士官であり、航路管制センターへの通信責任者であるのだから。

 

 犯人探しのプロセスも、これまたまずかった。有無を言わさず拘禁して尋問すべきところを、後手に回ったばかりに緊急管制室に立てこもられ、船団すべてのコントロールを奪われる始末だった。すでに、二百万人以上を道連れに無理心中を図った女性である。抜き打ち検査で未遂に終わったのは、僥倖(ぎょうこう)に過ぎない。船団が緊急停止したのは恒星から六千万キロ。光速にしてわずか二百秒の距離であった。

 

 正しい航路データが破棄されていたため、その後も立ち往生を続けていた。こうした中での立てこもりである。緊急管制室は、通常の管制室にトラブルがあった時に備え、独立したシステムになっている。各種ハードに対する優先度も高い。敵に管制を占拠されたときの最後の砦だからだ。

 

 これが完全に裏目に出た。今や船団の人間全ての生殺与奪が、一人の女性に握られている。なぜ、こんな常軌を逸した行為に出たのか。それは、帰還兵の一人にあった。妻ある身でドールトン大尉の恋情を裏切り、財産を騙し取り、彼女の糾弾よりも帝国への逃亡を選んだ男。フレデリカは愕然としてしまった。親しげに話しかけてくる年長の同室者の中の瞋恚(しんい)の強さに。

 

 両撃墜王の男女間の責任論争は、この際どうでもいい。結局当事者にしか分からないし、現在の危機を好転させるものでもない。ドールトン大尉の本来の同僚は、管制コントロールを取り戻すために必死で努力をしている。エル・ファシルの脱出行に匹敵する難事業であろう。中尉二人での分担作業だが。もっとも、成功しても賞揚されることはない。混じり気なしの汚点、身内殺し未遂だからだ。

 

 同室者のよしみで、フレデリカは説得役を買って出た。彼女自身、解決するとは思わなかった。フレデリカの言葉で立ち直ることが出来るくらいなら、最初からこんな真似をしないのだから。

 

 ドールトン大尉は、精神の均衡を失いつつあった。立てこもったドアの向こうの声は、激昂から暗鬱へ乱高下を繰り返す。豊かで潤いがあったアルトの声は、壊れた管楽器のような不協和音となっていた。

 

 なだめてすかして理由を聞き出し、その怒りも理解はできる。それでも二百万もの人を巻き添えにすべきではないと言葉を尽くしたものの、金切り声で叫ばれてしまった。

 

「あんたになんか、私の気持ちはわからない!」

 

 仰せとおり、わかるわけがない。フレデリカが好きな人は、誠実で、責任から逃げ出したりはしない。上官からの理不尽な命令にも、戦死した部下の家族からの非難にも。戦場では、奇策やペテンも使うし、敵軍からはいくらでも逃亡するが。

 

 だが、そんな相手に自分の人生を棒に振ってまで、なぜ復讐をしようとするのか。一顧だにしないことこそ、最大の罰であろうに。だが、気付いてしまった。厳密にはその男への復讐ではない。イヴリン・ドールトン自身の心への供物に過ぎない。その男も、二百万人の帰還兵も、イゼルローンの一行も。

 

 もしも改心したとしても、やったことは取り戻せない。いずれにしてももう遅い。職権を乱用し、二百万人以上の生命を危険に晒した。被害者には、同盟軍最高の智将も含まれる。

 

 軍法は、一般の刑法よりも厳しい。銃を持った軍人と、包丁をもった一般人では違う基準が当て()められる。事情聴取と軍法会議で、過去から現在までの事情と尊厳を丸裸にされて、未来に待つのは銃殺刑だ。情状酌量が認められても、せいぜい薬殺か電気椅子か、その程度の違いだった。

 

 いっそ、彼女の思いどおりにさせてやったらいいとポプラン少佐が(うそぶ)く。一人の犠牲で、全員が助かるなら止むを得ないと。口調は軽薄だが、一面の真実でもあった。出されたコーヒーで、乾いた口を潤し、フレデリカは反論した。 復讐を終わらせたら死ぬつもりだろうと。対するポプランは、そのようにさせてやればいいと突き放した答えを返した。ここは自由の国なのだから、生死の選択も本人に委ねて問題はないと。

 

 たしかに。彼女がこの船団の人々を道連れにしないというのなら、それでもいいのだろうけれど。フレデリカがそう指摘すると、ポプランは苦々しい顔で反語の賛同をした。

 

 その傍らで、ヤンはじっと考え込んでいた。安楽椅子の上、片膝を立てた胡坐姿で。リンツ中佐が表現しにくいとこぼした、遥か彼方を見ているような黒い瞳。いつもと何も変わらない。ここは戦場ではなく、ある意味でもっと悪い。頼れる味方はこの五人だけ、守るべきは二百万人以上。その命運を握るのは、狂いかけた女性一人。それでも、この司令官が行儀の悪い姿勢で座っているだけで、見た者に安心を与える。

 

 そのリンツ中佐が、自分が緊急管制室に突入すると申し出たが、ヤンは許可をしなかった。彼の能力を疑うわけではない。彼女が武器も携行しているのが問題なのだ。只の一射で、航行管制コンピューターに打撃を与えることができる。

 

 もっと問題なのは、ハイネセンへの正しい航行データが破棄されてしまっていることだ。制圧までの短時間で、ワープに突入されてしまったら? 恒星からわずか六千万キロ、大質量に近すぎる。事象の地平線を飛び越え、虚数の海にダイブしてしまうだろう。二度と還らぬ旅だ。

 

 これは正解だった。MPを突入させるために流し込んだ催涙ガスが逆流させられたからだ。なかなか勘の鋭い女性である。航法機器のみならず、艦内システムの操作にも精通している。本来は美点だが、敵対すると難点になる。

 

 こうして膠着状態のまま、13日は終了した。14日3時すぎに、亜麻色の髪の少年が船を漕ぎだす。

 

「提督、どうします。起こしますか?」

 

 空戦技の師の問いかけに、保護者は首を振った。

 

「いや、寝かしておいていいよ。こんな(ろく)でもない騒動は、子どもの教育によくない」

 

 全くだ。全員一致の感想である。痴話喧嘩にも作法というものがある。当事者同士、物陰でこっそりやるべきだ。他人を、それもお偉いさんを含めた二百万人以上を巻き込むものではない。

 

 フレデリカは、ユリアンに毛布を掛けてやった。幸い起こさずに済んだ。声を出して身じろぎしたので、一瞬起こしてしまったのかと思ったが。

 

「そして、これから子どもの教育に悪い話をする。正直に言うなら、彼女を排除するしかない。

 できるだけ被害を出さない方法でだ。当人以外の人的被害をね」

 

「閣下、やはり小官が突入します。どうか許可を」

 

 リンツの言葉に、ヤンは頷かなかった。

 

「今日の事態を見ただろう。無論、MPに制圧が出来るならそれに越したことはない。

 だがね、そろそろ限界だよ。彼女の精神だけではない。この艦の帰還兵三百人のことだ。

 彼らが暴動を起こしたら、いかに貴官が勇猛でも数で負ける。我々を守ってくれても、

 標的候補にはサックス少将も議員さんらもいるんだ」

 

「だから、シャトルをかっぱらって、おれの操縦でハイネセンを目指そうって言ったんですよ」

 

 緑の瞳の撃墜王(エース)の言葉に、ヤンは小さく笑った。

 

「残念ながら、千三百光年も航行できるシャトルはないよ。

 貴官の操縦は体験してみたくはあるがね。

 首都に到着する頃には、文明が滅んでいるかもしれないが」

 

「提督、小官も同意見です」

 

 上官と親友から駄目出しの十字砲火を貰って、ポプランは呻いた。

 

「うう、手厳しいなぁ。でも、どうするんですか」

 

「貴官が言っただろう。ドールトン大尉の思いどおりにさせて、生死の選択を本人に委ねると」

 

 淡々とした口調の告死の宣告であった。二人の少佐と一人の中佐は息を呑んだ。戦場でも決して平静さを失わない、天秤の量り手。最少の犠牲で、最大の生存を選択してきた名将の横顔だった。

 

「彼女の忍耐と判断力の限界まで粘る。そして、彼女に思いを遂げたと錯覚させる。

 そこで一瞬でも正気に戻ればいい。自ずと判断をするだろう」

 

 自分の過去を軍事法廷で曝け出すか。それを抱いて沈黙の内に沈むか。待つのは同じ結末だ。ドールトン大尉は、美しく有能で高いプライドの持ち主だった。彼女がどちらを選ぶか、フレデリカにはわかった。

 

「我ながら碌でもない。今のうちに、グリーンヒル大尉には謝っておかないといけないな。

 すまない。私は君に一番辛い役目を与えることになる」

 

 黒髪が軽く下げられた。

 

「君にドールトン大尉は、自分の気持ちがわからないと言ったんだね」

 

「はい、提督。でも……」 

 

 フレデリカはヤンに同意をしたが、次に否定形を重ねようとした。それを黒髪の上官は、視線ひとつで遮った。リンツが描写し、ポプランが表現したその目で。 

 

「君の説得には充分な成果があったんだ。他の人にだったら、きっとこう言っただろう。

 『あんたなんか、私のことを知らないくせに』とね。彼女は、君に事情を話した。

 そして一定の信用を置いている。私はそれにつけこむことになるだろう。

 起こった結果については、全て私の責任だ。だが、その時が来たら役割を果たしてくれ」

 

「はい。了解(イエス)ですわ、閣下」

 

 長くも短い夜を越え、MPの不手際を横目で見ながら、事態の推移を見守る。イゼルローンの三人の佐官が相談を始め、ヤンが頷いたのが15時ジャスト。その5分後、通常航行が開始された。進路は恒星マズダク。突入までは三時間半。艦内施設のエネルギー供給が停止し、光源は肉視窓からの恒星の光のみになる。刻一刻と大きくなっていく、その輝きに船内がパニック状態になった。

 

 17時。針路変更が不可となる直前、一隻のシャトルが輸送船から離脱した。それに、ドールトン大尉のかつての愛人が乗っているとフレデリカは告げた。閉ざされたドアを必死に叩きながら。そして得心した。ヤンが言ったのはこのことだった。ヤンの言うところの、一定の信用を持つフレデリカにしか出来ない役割。

 

 ドールトン大尉が憎い相手に復讐を遂げることを見越し、転針せざるを得ないようシャトルの発進方向を設定する。武器がビーム砲だけであることに着目して、同時に艦内エネルギーのリカバリーを図る。見事な魔術だった。

 

 17時5分に針路を転じた輸送船は、3分間ののエネルギー充填(じゅうてん)後にシャトルを砲撃し、これを撃沈。無論、シャトルは無人だった。

 

 間髪を入れずに緊急管制室のドアを爆破して、ポプランとコーネフが突入。ただ一人の住人は、既にこの世にはいなかった。自らのこめかみを銃で撃ち抜いていたのだった。

 

「ねえ、ドールトン大尉。どうしてこんなことをしたの?」

 

 フレデリカの問いかけに、応える者はいなかった。MPが収容し、検視を終えた彼女の遺体に、最期の装いを整えてやる。同室者ということで、彼女の衣服や化粧品を持ち出せたから。

 

 褐色の肌をしたドールトン大尉には、自分の化粧品は使えなかった。肌の色も、似合う口紅の色も違う。血で汚れた髪を(くしけず)り、濡れたタオルで可能な限り拭ってやる。替えのベレーを被せて形を整える。傷に貼られたゼリーパームが目立たぬようにだ。出来るかぎり、綺麗にしたつもりだ。明日には宇宙葬にするという。事件そのものもなかったことにされるのだろう。

 

「あなたを理解することはできなかった。まだしばらくの間は許すこともできないわ。

 でも、気の毒に思う。あなたにはもっとふさわしい人がいたでしょうにね」

 

 この結末が、あの人には見えていたのかと思う。ローエングラム候を冠絶した存在と讃える黒髪の青年は、どれほどの知力を秘めているのだろうか。そして孤独の深さは。人に見えぬものまでが見え、見たくもないものが見える。だが、彼は逃げないだろう。愚痴やぼやきをこぼしながら、能力の限りに立ち向かうのだろう。

 

 フレデリカが真に、幼い日の思い出に終止符を打ったのはこの時だった。少女の憧れに別れを告げ、女性として尊敬を抱く。恋から愛への変容の瞬間。彼について行こう。その航路が平穏なものでなくても。どこまでも、どこまでも。もう見返りは求めないから。

 




 少女の頃の憧れは、それほど長期間持続しない。どこかで、やっぱりこの人だ、という惚れ直しのプロセスが必要だろうと思う。尊敬と愛情は、感銘を反復しないと形成されない。
 このドールトン事件は、エル・ファシルの脱出行の反転になりうるモチーフ。被害者も帰還兵二百万+輸送人員も数万人規模にはなるはずで、人数もほぼ同数。ここだ、と筆者は思う次第です。
あの中尉さんの成長を、目の当たりにするわけです。大人になり、判断力が増し、同じ軍人として。
ユリアンの日記の空白にあったかもしれない出来事でした。

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