銀河英雄伝説外伝IF 辺塞寧日編 ヤン艦隊日誌   作:白詰草

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6.Time to Say Goodbye
運命の女神


 時はわずかに遡る。クブルスリー統合作戦本部長が、アンドリュー・フォーク予備役准将に襲撃され、重傷を負った。

 

 その代行となったのが、三人の次長の最年長、ドーソン大将である。この人事は、同盟軍全体を少なからずうんざりさせた。ドーソン大将は、後方畑を歩んできた人物である。しかし、あまりに瑣末(さまつ)なことにこだわり、また、才能ある他者に嫉妬深い男であった。

 

 彼が後方参謀として関わった部署、後方作戦本部、教官として赴いた士官学校のすべてで(あまね)く嫌われていた。統合作戦本部の次長という職にあったのも、シドニー・シトレ退役元帥、クブルスリー大将という見識ある上官の下で、更に同職者が二人もいればコントロールがつくだろうという、消去法による昇進と配属だったのだ。

 

 本来なら、こんな非常時に起用すべき人材ではないのである。当初、代行を打診されたのは宇宙艦隊司令長官のビュコック大将だったが、彼は文民統制の原則から兼任を断った。これは、極めて真っ当なのだが、実績と人望を備えた老将を除いてしまうと、一気に人的資源が劣化するのは深刻だ。上層部にも次世代が育っていないのである。

 

 遥かに年齢が下がるのがヤン大将。ついに三十歳になってしまったと親しい人にこぼす彼だったが、功績、兵士からの人望ともに申し分ない。熱心さにはやや難があるが、若くとも見識が高く、人物の起用にも定評がある。和平派であるため、国防族の政治家に受けが悪いが、国民の人気で捩じ伏せてしまえる。

 

 ヤンを宇宙艦隊司令長官に任じ、ビュコックを統合作戦本部長に昇進させる。それができれば一番よかっただろう。前線と後方のトップの意思疎通という点でも最良である。ただ、彼はイゼルローン要塞司令官兼駐留艦隊司令官という、国防の最前線を担う名将だ。彼に代わりうる者こそいないのであった。

 

 大将はヤン以外にもう一人いる。査閲部長のドワイト・グリーンヒル大将だ。この人は理性的な良識派と声望が高く、将来の統合作戦本部長と目されていた。ただし、アムリッツァの大敗の際に参謀長として、ロボス退役元帥の補佐が不十分であったということにより引責中であった。人事的常識として彼の起用はできない。

 

 かくして、またもや消去法で軍のツートップの一方に彼が抜擢されたのである。恐らく、同盟軍史上で最も人望のない統合作戦本部長代行であろう。これを聞いた時、ビュコックでさえ兼任したほうがよかったかもしれないと本気で後悔した。その他多くの将兵は、陰口を叩くか、声高に悪口をいいあった。

 

 士官学生時代にドーソン教官にいびられたイゼルローン駐留艦隊分艦隊司令官など、罪もない夜食のポテトグラタンに、フォークを滅多(めった)刺しにして鬱憤(うっぷん)を晴らした。その剣幕は、いつも冷静なコーネフ少佐が首を捻るほどだった。

 

 分艦隊の主任参謀で、いつの間にかアッテンボローの副官的なポジションになってしまったラオ大佐は、そばかすの提督をなだめた。

 

「まあまあ提督、そう悪いことばかりではありませんよ」

 

「ふん、あのじゃがいも士官が統合本部長代行だと! これ以上悪いことがあるものか」

 

「あくまで代行じゃありませんか。

 それに、クブルスリー大将が復帰されるまでは、少なくとも彼の異動はありません」

 

「それが問題だろうが」

 

 鉄灰色の眉をきりきりと吊り上げ、青灰色の瞳はしんから不機嫌な色を見せている。

ラオは重々しく上官に告げた。

 

「でも、当面はイゼルローンに異動はありません。最悪よりはましな人事ですとも」

 

 部下の悟りきった様子に、食堂の椅子からずり落ちそうになるアッテンボローだった。

 

「貴官、そこまで嫌な目にあったのか……」

 

「小官が、ドーソン後方主任参謀の案内係を務めたんですよ。……厨房にね」

 

 陰鬱(いんうつ)な笑みを浮かべるラオに、アッテンボローは濁音混じりのうめき声で同情を示した。

 

「普通、厨房に案内しろと言われれば、衛生管理状況の確認だと思いますよね。

 いきなりダストシュートを開けて、中身を確認し始めた時、一同唖然としましたよ。

 それで、(はかり)を出せと言い出すんです。無論、厨房長は断りました。

 衛生上大問題ですからね。そうしたら、医務室の体重計まで小官が運ばされました。

 芽が出て緑色のやつを。食中毒の恐れがあるから捨てたんですよ。

 二万人分、全部手作業で皮剥きしたり、機械で剥いたもののチェックなんて無理でしょう。

 その後はもう、上から現場から非難の十字砲火です。いたたまれないったらなかったですよ」

 

 そこまで一気に言い切ると、上官の夜食にちらりと目を向けた。

 

「以来、じゃがいもは進んで食べたいとは思いませんね。

 具として入っているものを残すほどではないですが」

 

「その、俺が悪かったよ……」

 

「ですからね、細かいことにこだわるあまり、突拍子もないことをしでかす人です」

 

 アッテンボローは髪をかき回した。元々もつれた毛糸のような癖があるため、黒髪の先輩よりもひどい有様になった。なかなかハンサムな容貌が台無しである。せっかく、メディアが評する『同盟軍結婚したい男第二位』なのに。

 

「そこまで詳しい経緯を聞くのは初めてだが、噂よりも悪いじゃないか!」

 

「ですから、ここに来なかっただけありがたいですよ。

 キャゼルヌ事務監とのソリだって最悪なんです。提督もご存じでしょう」

 

 アッテンボローは、目を泳がせて頷いた。頭の上がらぬ8歳上の先輩は、相当な毒舌家だ。だが、彼が慇懃な態度をとるほうがずっと肝が冷える。

 

「『終わりなき吹雪(エンドレスブリザード)』が襲来したらどうするんですか。

 最悪よりはましと考えましょう、提督。小官はそう思います」

 

「だが、同盟軍全体にとっちゃ最悪かも知れんぞ」

 

「小官の目の前にいなければ、知ったことではありません」

 

 普段の毒舌家と常識論者の、攻守ところを変えた論争であった。

 

 そして、もう一人不機嫌な人物がいた。そばかすの提督の先輩の先輩である。

 

「ヤン司令官を式典に招待し、予算案作成を前倒しさせたあげく、往路で事件が発生した。

 主任航法士官の痴情の(もつれ)れから二百万人以上との無理心中未遂が発生し、

 それをヤン司令官以下の面々が解決したとおっしゃるわけですか。

 ヤン司令官からの第一報との違いが、小官には分かりませんな。随分と簡潔なご説明だ。

 これだけの時間を掛けて、さぞや綿密な調査をなさっているのではと思っておりましたよ。

 貴官らの精勤ぶり、小官の想像の及ぶところではありません」

 

 超光速通信ごしに、慇懃で痛烈な毒舌をかつての所属に投げかける。先日のドールトン事件で、異変があったことだけは感知しても、その状況は全く蚊帳の外であった。3月16日、ハイネセンから迎えに来た巡洋艦に移乗したヤンから、ようやく連絡が来るまでサックス少将からの一報さえなかったのである。

 

 食っちゃ寝して、多少は体型が戻っているだろうと思っていた黒髪の司令官が、相変わらず線の細い顔を白っぽくして、目の下に濃い隈をこしらえて、概略をキャゼルヌとムライ参謀長に伝えた。

 

 疲れ切った笑顔で、もう終わったから大丈夫だと言われて、はいそうですかと治まるわけがない。シェーンコップが妄想した動機が正しいかは定かでないが、アッテンボローが否定した以上に荒唐無稽な非常事態が発生したのだ。航法士官の配置を始めとする危機管理体制の低さ、状況把握の遅さ等々、抗議して調査を求めるのは当然だった

 

 それでも当初の予定どおり、駐留艦隊の演習は粛々と実施された。ヤンの帰還を見越してのものだ。更にブリーフィングを重ねて結束を深め、雷神の槌の連射や要塞砲の併用を含めた複雑な艦隊演習を行った。最終フェーズの終了は、3月29日。

 

 ようやくフィッシャーの仮免許を授与され、司令官代理、要塞防御指揮官、分艦隊司令官は簡単に祝杯を上げた。その翌日、クブルスリー大将襲撃事件が飛び込んできた。そして、続々と後を追う凶報。

 

 イゼルローンの将官たちは、クブルスリー大将の襲撃以降の事件が一本の糸でつながっていることを察知した。各地の武力叛乱がイゼルローンやその周辺に飛び火してくる可能性もある。上層部が浮足立つわけにはいかない。すでにヤンらは帰途についていて、この混乱には巻き込まれずに済んだ。だが、帰りの艦は新造駆逐艦とはいえ、ただ一隻である。続けて入ってくる各所の武力叛乱の報に、イゼルローンの幹部らはまたしても焦燥に駆られることになった。

 

 ここで今さら、ドールトン事件を糾弾しても本来は仕方がない。これは、緊急の追加配当を呑ませるための脅しである。今後、同盟各所に叛乱が発生すれば、イゼルローンに物資が届くかが懸念される。民間業者は値上げを敢行するだろうし、軍需物資は当初入札額で納入されるか、保証の限りではない。下手をすると取りに来てくれということになりかねない。そして、もっと恐ろしいのは金融機関が封鎖されて、給与の支払いが滞ることだ。

 

 とにかく、手元に金をもらっておく必要がある。敏腕軍官僚として歩んできたキャゼルヌの経験が警告する。あの小人が、有形無形のいやがらせをする前に、先立つものを押さえておくべきだと。そのためにはなんだって利用する。これだって立派な折衝(せっしょう)のテクニックだ。恐らく、今日明日までは新統合本部長代行は、引き継ぎで周囲の人間をうんざりさせているだろう。彼の居ぬ間に、後方作戦本部から金銭(かね)(むし)り取る。キャゼルヌはそう決意していた。

 

 食えず、給料が支払われなくなった軍隊は、最悪の暴力集団に成り下がる。難攻においては不落の、イゼルローンに拠る同盟最精鋭のヤン艦隊がそうなったら。キャゼルヌの示唆に、後方作戦本部長は断を下した。彼の決裁専決額の上限まで、人件費や設備費といった予算の細節項目すべてに追加の配当を行ったのだ。実に百項目以上、総計は十億ディナールに及んだ。細節間の流用を認めるという但し書きをつけて。

 

 後方本部長の英断はこれにとどまらなかった。叛乱の起きた惑星の軍事費を封鎖し、更に叛乱惑星を鎮定する場合に、前線となりうる管区にも予備費を配当し、本部の手元金を分散させたのだ。この見えないファインプレーが、後に大きな役割を果たすのだが、それはまだ先の話。

 

 シェーンコップ准将率いる要塞防御部門の薔薇の騎士(ローゼンリッター)連隊は、クブルスリー大将襲撃の報で、要塞の司令部、管制部、宙港部への警備体制を強化した。亡命者ということで、白眼視されてきた彼らは、排他的な一面がある。逆を言うならば、異分子のつけ入る隙がない。これほどテロリストが入り込みにくい集団はないだろう。軍選科学校から厳しい訓練を経て、激戦から生還してきたのだ。部隊への帰属意識は高く、彼らを信用すると断言した魔術師への忠誠心は篤い。さながら、主君に仕える騎士のごとく、少々ヤンが困惑してしまうほどに。

 

「だから、そんな大袈裟な……私はそこまで大層なご身分じゃないんだが……」

 

「寝言は寝てからおっしゃることです。この要塞では閣下が最重要人物だ」

 

「そうだとも。とにかく、頭と右手が動く状態でいてもらうからな。これはヤン司令官の義務だ」

 

 護衛嫌いのヤンの言葉を、シェーンコップが一蹴し、キャゼルヌが賛同。表現に歯に衣着せぬ毒舌コンビに、ムライの眉間に皺が寄りかけ、大らかな大男が朗らかに取りなす。

 

「それは言いすぎですよ、キャゼルヌ事務監。

 しかしですな、閣下の出張の間みんな心配しましたから、

 ちょっとはその解消にお付き合いください」

 

 うまいものだ。フィッシャーは感心しながら頷き、同意を示す。

 

「まあ、副参謀長がそう言うなら、仕方がないね」

 

 人徳の差であろうか、ヤンがしぶしぶながら同意した。すかさず、強面の勇者たちが警護につき従う。キャゼルヌ夫人のブイヤベースを味わっている間も、フラットの外で一ダースの薔薇の騎士が巡回している。そこから、ヤン家の自宅フラットへの送り迎え、司令官執務室前の護衛と、ハートの撃墜王(エース)が文句の一つも言いそうな面々による警戒が続いていた。そのうち古代の儀仗兵(ぎじょうへい)よろしく、炭素クリスタルの戦斧を携えて扉の左右に立ち始めそうだ。

 

 その方が、ヤン先輩には受けるかもなぁ、と益体もないことを考えながらアッテンボローは司令官執務室のドアを叩いた。だがこれ、明らかにキャゼルヌ先輩の差し金だ。山と積まれた決裁文書からの逃亡防止策だよな。なにしろヤンが到着してからの五日間、軍務と行政の事務書類に追われていた。ようやく参謀長から、そろそろ演習報告の時間が取れそうだというお達しがあったのだ。

 

 律儀にボディチェックを受けてから入室すると、普段はグリーンヒル大尉とユリアンの二人が常駐している広い部屋に、やはり二人の護衛がいる。一人はライナー・ブルームハルト少佐で、もう一人は不良な方の准将である。

 

「シェーンコップ准将、なんで貴官が護衛をしてるんだ」

 

「貴官と同様ですよ。閣下の留守中の演習結果報告です。

 目をとおしていただいている間に、小官は他の仕事をしているわけです」

 

 アッテンボローは、困った顔をした純朴そうな少佐に目をやった。濃褐色の髪と目のブルームハルトの様子から察するに、この護衛のせいで他の仕事をほっぽり出しているに違いない。

 

 黒髪の司令官は、分厚いファイルの頁をぱらぱらと繰っている。ほんの流し読みするだけでも、かなり時間がかかるだろう。ヤンは文章を読むのは早いが、興味のある部分を反復して熟読する癖があるのだ。アッテンボローの演習報告書と突き合わせながら読み出すと、二、三日はかかるに違いない。

 

「シェーンコップ准将、目を通すまで待つ気なのか? 二、三日はかかると思うがなぁ。

 ヤン司令官。分艦隊司令官アッテンボローです。演習の報告書の提出に伺いました」

 

 ファイルの上から、黒い頭がひょこりと上がり、黒い目が何度か瞬きをしてから後輩を捉える。いつもの穏やかな笑みと声で、報告者たちを労う。

 

「ああ、ご苦労さま。アッテンボロー少将もシェーンコップ准将も、大変よくやってくれた。

 参謀長や副司令官から概略は聞いているが、目覚ましい成果だ。貴官らに感謝するよ」

 

「なんだ。では、大体は御存じなんですね」

 

「いや、やはり当事者の精密な記録は重要だ。要塞と分艦隊の連携を双方から検証したいからね」

 

 アッテンボローは分厚さでは負けないファイルを、ヤンの手に手渡して敬礼した。

 

「では、司令官閣下、確かにお渡ししました。ぜひ、ゆっくり隅々まで読んでください」

 

「ああ、そうさせてもらおう。そういう訳だから、シェーンコップ准将も持ち場に戻ってくれ。

 これに目を通すには、集中しても二日はかかるんだが、おや、なんだろうね」

 

 インターコムから響く声は、キャゼルヌ事務監からのものだった。ドーソン統合作戦本部長代行からの超光速通信(FTL)が入っていると。ヤンはおさまりの悪い髪をかき混ぜて、億劫そうに立ち上がった。アッテンボローとシェーンコップは顔を見合わせる。どうして、今ここに通信をする必要があるのだろうと。

 

 それはほどなくして分かった。ヤンが幕僚を集めて、ドーソン大将からの命令を伝えたからだ。

それは、叛乱の起こった惑星――ネプティス、カッファー、パルメレンド、シャンプール――の四ヵ所全てをヤン艦隊にて鎮定せよ、というものであった。

 

 幕僚一同、咄嗟に二の句が継げなかった。アッテンボローは、主任参謀の評を痛感した。見事に当たっている。いや、やはり大問題だ。ハイネセン行きの時から、ヤンへの冷遇が露呈し始めていたがこれはひどい。シェーンコップ准将の言葉どおり、(そね)まれているとしか思えない。

 

 ヤンも一応は抗弁した。四ヵ所全てを鎮定するとなると、無論ヤン艦隊が出動することになる。では、ヤン艦隊とは何か? イゼルローン要塞駐留艦隊である。相当期間、要塞を空けることになるがそれでいいのかと。イゼルローン要塞の雷神の槌(トゥールハンマー)は脅威だが、射程範囲外を航行すれば何ほどのものではない。そうはさせないがための艦隊だ。イゼルローン要塞のみでは六回の攻略戦で、大量の戦死者を出すことにはならないのである。

 

 ドーソン大将からの回答は、ヤンが呆気にとられるものだった。銀河帝国で大規模な内乱が発生しているから、イゼルローン方面に兵力の出動はないだろう。だから、心置きなく叛乱の鎮定を行うべしと。

 

 『それ』の為に『この』状況を作り出したのはローエングラム候だ。主客転倒と言えるのだが、ミクロ視点からだとそういう判断になるのか。これはこれで、宇宙艦隊の主力と第一艦隊が、首都星に残留することになる。案外、ローエングラム候の思惑を斜め上に突き抜けて外すことになるのかもなと、思い直したのだ。

 

 また留守番のキャゼルヌ先輩に、頭が上がらなくなるだろう。袖の下を3本くらいに負けてもらえないだろうか。ユリアンに酒代を指摘されて、ポケットマネーから捻出しているのだが、輸送費が割高になっているのは生活必需品のみではない。ヤンの心の必須栄養素、書籍も同様である。歴史の古書は次に見つかるかが定かではなく、一期一会でお買い上げとなると、こちらだって懐に切ない。

 

 そんな甘い見通しが悪かったのか、はたまた小遣いの算段に気を取られたのが気に入らなかったのか。運命は、スカーフにコーヒーの染みを付けた通信士官の姿で扉を叩いた。

 

 首都ハイネセンで軍事クーデターの発生。救国軍事会議を名乗るその首謀者たちの、中心人物を見たとき。ヤンは、運命の女神を胸中で罵った。傍らで、金褐色の髪とヘイゼルの瞳をした副官が低い声を上げた。超光速通信のこちらと向こう側の、同じ姓をもつ男女。年齢は親子ほど違う。関係は実際にそのとおりだ。フレデリカ・グリーンヒル大尉の父、ドワイト・グリーンヒル。

 

 完全に予想外だった。私はカサンドラなどではない。ヤンは苦く思った。カサンドラは全てを予言し、全てが正しい。しかし、その言葉を誰も信じぬ呪いが掛かっている。私は違う。未回答や誤答ばかりだ。おまけに他人どころか、自分だって信じられないのだから。

 

 ぐるぐると思考は螺旋を描き、足どりもそれに従って室内を巡る。まるで檻の中の熊のように、虎だったらそろそろホットケーキの材料になる頃に、ようやくヤンの心は一つの方向に舵を切ろうとしていた。

 

 心配そうに見詰めるユリアンのダークブラウンの瞳に、自分はどんな顔をして写っているのだろう。少年の質問に、自分の意志を伝えて、彼女を呼んできてくれるように頼む。9年前、ただ一人の味方だったという、かつての少女を。

 

 少年が、伝令神(ヘルメス)の眷属さながらの軽捷な足取りで駆け出していく。遠くぼんやりとした面影に詫びる。鮮やかな輝きに上書きされて、思い出すのも難しくなったあの子に。

 

「ごめん、フレデリカ。きっとまた辛い思いをさせる」

 

 また選択を突きつけることになる。彼女がどちらを選ぶのか、それはわからないし、強制はできない。でも、今度は私の番だ。あの少女への恩返しではなく、今の君という女性に対して味方でいよう。

 


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