「それにしても帝国軍の将官は、ローエングラム候を筆頭に美男子揃いだね」
穏やかな賞賛の声を上げたのは、イゼルローン要塞司令官兼駐留艦隊司令官の
ヤン・ウェンリー大将だった。
帝国からの捕虜交換の申し入れを政府が了承し、式典に向けて帝国側の代表者についての
連絡を受けてのことである。
要塞事務監アレックス・キャゼルヌ少将以下、それに関する手続きに奔走する事務部門を
よそに、最高責任者は暢気なものだった。
捕虜交換式の帝国側代表となったのは、ローエングラム候の腹心、キルヒアイス上級大将。
190㎝の長身に、燃えるような赤い髪と深い青の瞳の、なんとも感じのよい好男子だ。
温和で誠実な
「閣下も素敵でいらっしゃいますわ」
黒い髪と黒い目の、軍人というより学者といった風貌のヤンは、軽い笑い声をあげて副官のフレデリカ・グリーンヒルに応じた。
「ありがとう、グリーンヒル大尉。お世辞でも嬉しいね」
「そんな、お世辞では……」
温和な笑みを向けられて、美貌の副官の白い頬が微かに赤らむ。
決裁の済んだ書類を携えて、彼女は退室した。
「閣下も罪なお人ですな」
要塞防御指揮官が、呆れを含んだ声で小さく呟く。
「なにか言ったかい、シェーンコップ准将」
「いえ、何も。確かに閣下は、顔立ち自体は悪くありません。
あの金髪の坊やは無理でしょうが、
赤毛の坊やにはそう見劣りはいたしませんよ。
気迫を今五つばかり増やすようになさればね」
そう上官に告げた彼の方こそ、灰褐色の髪と目に彫りの深い端正な顔立ちの持ち主だった。長身と、同盟最強の白兵戦技の持ち主にふさわしい体格。ワルター・フォン・シェーンコップである。その姓が示すとおり、帝国からの亡命者の孫である。『もしも』があったら、ローエングラム候の
「そんなに慰めてくれなくてもいいさ。私だって毎朝鏡は見ているからね。
それに貴官らのような、正真正銘の美男美女に言われても説得力がないな」
合計400万人もの双方の捕虜と、彼らを迎えに来る船団と。それを受け入れるイゼルローン要塞の防御指揮官としては、いくらでも用事があるのだった。
ヤンは、部下にもかなりの裁量権を持たせていたが(要は丸投げともいうが)、司令官の判断が必要なものが、後から後から生まれてくる。そういう事情もあって、司令部にシェーンコップ准将が足繁く出入りしている。
「本当に、美男子揃いですね。
ローエングラム候は別格という感じがするけれど、
ロイエンタール提督も頭一つ抜けている感じがします」
従卒として、ヤンの元に紅茶を運んできたユリアン・ミンツも同意した。
彼もまた、亜麻色の髪に暗褐色の瞳の繊細な美貌の持ち主だった。
ヤンとしては、なんだかなぁ、という思いがする。
相変わらず、素晴らしい芳香の湯気を顎にあてながら、
ローエングラム候と部下について気付いたことを呟く。
「そういえば、二人とも
右目が黒、左目が青の
オーベルシュタイン中将も、冷淡な表情で損をしているが、十分に端正で気品のある顔立ちである。
「権力の使い途は、古来より変わらないようですな」
「人間は進歩のない生き物だからね。
だが、帝国貴族にとっては、古くからの知恵を生かした、
問題回避の手段だったのかもしれないよ」
「提督、どういうことですか?」
被保護者の質問に、彼はベレーを脱いで納まりの悪い髪をかき混ぜた。
「ユリアン、美人はどうして美人なんだと思う?」
「小官には聞いていただけないので?」
「君にはするまでもない質問だからね」
シーツ上でも白兵戦の名手に、さらりとした返答を返す。
「やっぱり、目鼻立ちが整っていることでしょうか」
「うん、そのとおりだよ。目鼻を乗せている骨格から美人は美人なんだ。
俗に皮一枚なんていうが、実際は違うんだからな。持たざるものには切ない話さ」
頭蓋骨ならば、左右の均整と、立体的な造形の調和。
身体の方も長い四肢と、男女の性別に応じた、肩幅や胸囲、胴囲のコントラスト。
その発現を制御するのは遺伝子である。
「まだ遺伝子学が
様々な人種のDNAを調査したところ、容姿に恵まれた人は遺伝子の変異や
欠損が標準より少ないという結果が出たんだ。
あちらには劣悪遺伝子排除法があるだろう。マクシミリアン晴眼帝によって、
一応は有名無実になったがね。古い権門ほど、大きな影響を受けていると思うよ」
「つまり、古式床しい方法での遺伝子の選抜だとおっしゃる?」
片眉を上げた元帝国貴族の端正な顔に、黒髪の司令官は頷いた。
「最初の頃はね。それに有名無実化されても、
出生前診断や遺伝子治療の実施までには至っていないはずだ。
特に貴族にとっては切実な問題だろう」
「なるほど。実に説得力のある話ですな」
「ここまでは生物学的な美貌の話だが、社会学的な面もあるんだ」
ユリアンは首を傾げた。
「美貌の社会学ですか?」
「そうだよ。美貌は富貴によっても造られるし、富貴な人々が美の基準にもなる。
古来からの権力の使途は、密接な関係にあるんだ」
豪奢な食生活による顔の骨格の変化。顎は細くなり、歯並びが整い、鼻筋が通ってくる。
栄養と清潔を保てるからこその、なめらかな肌と豊かで長い髪、炎症のない澄んだ瞳。
そして栄養状態は、身長にも影響を及ぼす。
地球北半球出身の人種に共通する、白い肌への賞賛も、過酷な労働に従事しなくてよいという富貴の証なのである。
そして、支配階級の容貌が美の基準になっていく。
銀河帝国の門閥貴族たちは、まさにその典型であった。
「その結晶がローエングラム候と姉君なんでしょうか」
「どうだろうね。彼らはもともとは貧乏な
「小官もそうですよ」
抜け抜けと言い放つ不遜な色男を、半眼になった漆黒が横目に見やる。
「ああ、はいはい。まあ、それだけ貴族階級が狭いということだろうね。
ユリアン、貴族階級はどの位いるんだったかな」
「はい、ええと、爵位を有する貴族が約五千人強、帝国騎士は……」
「そっちを数えるのは無駄だぞ、坊や。金で買える地位だし、
爵位持ちでも次男三男は帝国騎士になったりするんでな。
小官の本家も男爵家でしたから、血縁を辿り始めたらきりがありませんよ」
「なるほど。
五千人とはいっても、皇帝と婚姻できるような家柄となると両手の指におさまるだろう。
フリードリヒ四世の荒淫というのも、跡継ぎを得るための必死のものだったのかもしれないな」
階級が固定化されると、身分格差のある者との婚姻は難しくなる。
権力と富を独占してきた人間は、新たな競争相手を排除するからだ。
かくて、血脈の糸は、いつしか檻の格子となる。
銀河帝国の帝室では、それが五百年近く続いてきた。
フリードリヒ四世のように、低い身分の女性でも
「生まれた子は一個小隊ほどもいるが、成人できたのは女性二人だけだそうだよ。
皇位を継ぐのは男子、というルドルフの遺訓がいつまで守れるのかな。
いまのところ、ローエングラム候の姉上には子どもがいないそうだから」
ヤンは穏やかな声で続けながら、黒い眼がローエングラム候の輝かしいほどの姿を凝視していた。そして、もう一人。彼の影とも言える男の瞳も。
「提督、どうなさったんですか?」
「ああ、ユリアン、ルドルフの悪法で、本人と子孫が最大の不利益を被るというのが
皮肉だと思ったのさ。同盟では遺伝子診断や治療に制限をしていないけれど、
実は全く別のアプローチをしているんだよ。こいつも古くからの知恵なんだ」
黒髪の司令官の言葉に、白兵戦技の師弟は揃って怪訝な顔をした。
「提督、どういう方法ですか?」
「小官にも教えていただきたいものですね」
「これも貴官には教えるまでもないだろうけれどなぁ」
ヤンは、もう一度髪をかきまわした。
「異人種間の混血だよ。同盟の人間は大体がそうなんだ。
雑種強勢というのは、人間にもあてはまる話だからね」
つまりは、両親の人種の強健な面を兼ね備えるのだ。
混血の人間に、美貌の持ち主が多いのは古来より知られるところだが、実は遺伝子異常も減少する。
人種特有の遺伝的弱点も、相手から受け継ぐ染色体で
「その代わり、金髪碧眼の美男美女というのは現れにくくなるな。
肌や髪、眼の色は、濃い色が優性遺伝するからね」
「言われてみますと、帝国では閣下のような漆黒の髪や目というのは珍しいのですよ。
小官の幼いころの記憶ですがね。親戚や近所にはおりませんでした」
「そうなんですか、シェーンコップ准将」
「覚えている限りだがな。俺や坊やのような色が多いんだ。
この金髪の坊やも珍しい部類だがね。
小官が同盟に来た時に、一番驚いたのがいろいろな容貌の人間がいることでしたよ」
「民主主義の国らしくて私は好きだよ。
みんな違ってみんないい、と昔の詩人がいったようにね」
ルドルフは、ゲルマン系の人種のみを珍重し、劣悪遺伝子排除法によって、受けられる医療まで禁忌とした。その報いを、輝ける新たな星が下そうとしているのかもしれない。
そして、いま一人。パウル・フォン・オーベルシュタイン。
彼の眼は生来から欠損し、光コンピューターによる義眼を使用しているという。
同盟であれば、出生前から治療を開始し、己の瞳で世界を見つめていただろうに。
冷厳な人工の視線に秘められた、それは怒り。
それが氷の剣の如く、黄金樹を切り裂くだろうという予感がした。
「たしかに、いずれが
意味ありげに笑う年長の部下に、年少の上官は頼りない肩を竦めた。
「確かに諺の使い方としては正しいが、そういう文化に染まるのもいかがなものかと思うな」
「提督、立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花、とは違うんですか?」
と、これは被保護者からの質問だ。対照的な師弟に、ヤンは三度髪をかき回した。
「どちらも美女への褒め言葉だが、複数形と単数形の違いだよ。
ユリアン、願わくばおまえはそのまま成長してほしいな。
まあ、顔で戦争をやるわけじゃないのは救いだね。
容貌と才能は必ずしも一致しないということも」
やや強引に話題を変えるヤンに、シェーンコップは言った。
「それは、顔と中身が一致していたら、あの金髪の坊やには勝てないという敗北宣言ですかな?」
意地の悪い部下の揶揄に気を悪くした様子もなく、ヤンは応じた。
「当然だろう。私は勝算のない戦いはしない主義だからね」
「さもなくば、才能と顔が一致するなら閣下はローエングラム候に匹敵する美貌になると?」
「残念ながらそうはならないよ」
首を振った黒髪の青年は、優しいほど静かな笑みを浮かべた。いつもの茫洋とした印象が拭い去られ、意外なほど整った繊細な造作が現れる。
「さぞや醜い、卑しい顔になるのだろうさ。まともな人間なら正視を躊躇うような。
私も、ローエングラム候も両方ともね。そうならずに済むのはありがたいことだ。
私はどうってこともないが、彼までそうなったら宇宙的な損失だろう?」
ヤン提督の知恵袋。文中に語られていることは、基本的に事実です。
なお、古来よりの権力の使途=女と金。さすがに、ユリアンに剥き出しでは言えないでしょう。
骨格の変化云々も、徳川家将軍の遺骨の例が有名であります。
なお、タイトルは誰かが誰かを表現した言葉から。
さすがに、彼のご先祖様ということはなさそうですが……。