銀河英雄伝説外伝IF 辺塞寧日編 ヤン艦隊日誌   作:白詰草

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解語の花――言葉のわかる花。美人のたとえ


2.解語の花々

「それにしても帝国軍の将官は、ローエングラム候を筆頭に美男子揃いだね」

 

 穏やかな賞賛の声を上げたのは、イゼルローン要塞司令官兼駐留艦隊司令官の

ヤン・ウェンリー大将だった。

 帝国からの捕虜交換の申し入れを政府が了承し、式典に向けて帝国側の代表者についての

連絡を受けてのことである。

 要塞事務監アレックス・キャゼルヌ少将以下、それに関する手続きに奔走する事務部門を

よそに、最高責任者は暢気なものだった。

 

 捕虜交換式の帝国側代表となったのは、ローエングラム候の腹心、キルヒアイス上級大将。

190㎝の長身に、燃えるような赤い髪と深い青の瞳の、なんとも感じのよい好男子だ。

温和で誠実な為人(ひととなり)であろう、というのが顔立ちからも伝わってくる。

 

「閣下も素敵でいらっしゃいますわ」

 

 黒い髪と黒い目の、軍人というより学者といった風貌のヤンは、軽い笑い声をあげて副官のフレデリカ・グリーンヒルに応じた。

 

「ありがとう、グリーンヒル大尉。お世辞でも嬉しいね」

 

「そんな、お世辞では……」

 

 温和な笑みを向けられて、美貌の副官の白い頬が微かに赤らむ。

決裁の済んだ書類を携えて、彼女は退室した。

 

「閣下も罪なお人ですな」

 

 要塞防御指揮官が、呆れを含んだ声で小さく呟く。

 

「なにか言ったかい、シェーンコップ准将」

 

「いえ、何も。確かに閣下は、顔立ち自体は悪くありません。

 あの金髪の坊やは無理でしょうが、

 赤毛の坊やにはそう見劣りはいたしませんよ。

 気迫を今五つばかり増やすようになさればね」

 

 そう上官に告げた彼の方こそ、灰褐色の髪と目に彫りの深い端正な顔立ちの持ち主だった。長身と、同盟最強の白兵戦技の持ち主にふさわしい体格。ワルター・フォン・シェーンコップである。その姓が示すとおり、帝国からの亡命者の孫である。『もしも』があったら、ローエングラム候の麾下(きか)の一員であったかもしれない。

 

「そんなに慰めてくれなくてもいいさ。私だって毎朝鏡は見ているからね。

 それに貴官らのような、正真正銘の美男美女に言われても説得力がないな」

 

 合計400万人もの双方の捕虜と、彼らを迎えに来る船団と。それを受け入れるイゼルローン要塞の防御指揮官としては、いくらでも用事があるのだった。

 ヤンは、部下にもかなりの裁量権を持たせていたが(要は丸投げともいうが)、司令官の判断が必要なものが、後から後から生まれてくる。そういう事情もあって、司令部にシェーンコップ准将が足繁く出入りしている。

 

「本当に、美男子揃いですね。

 ローエングラム候は別格という感じがするけれど、

 ロイエンタール提督も頭一つ抜けている感じがします」

 

 従卒として、ヤンの元に紅茶を運んできたユリアン・ミンツも同意した。

彼もまた、亜麻色の髪に暗褐色の瞳の繊細な美貌の持ち主だった。

 

 ヤンとしては、なんだかなぁ、という思いがする。

相変わらず、素晴らしい芳香の湯気を顎にあてながら、

ローエングラム候と部下について気付いたことを呟く。

 

「そういえば、二人とも貴族号(フォン)がつくね。貴族出はもう一人いるが」

 

 右目が黒、左目が青の金銀妖瞳(ヘテロクロミア)に、王侯貴族そのままの風格を持つのがロイエンタール大将。冷たいほどに整った、男性的な美貌である。上官とどちらが女性にもてるかと問えば、彼に軍配が上がるだろう。

 

 オーベルシュタイン中将も、冷淡な表情で損をしているが、十分に端正で気品のある顔立ちである。

 

「権力の使い途は、古来より変わらないようですな」

 

「人間は進歩のない生き物だからね。

 だが、帝国貴族にとっては、古くからの知恵を生かした、

 問題回避の手段だったのかもしれないよ」

 

「提督、どういうことですか?」

 

 被保護者の質問に、彼はベレーを脱いで納まりの悪い髪をかき混ぜた。

 

「ユリアン、美人はどうして美人なんだと思う?」

 

「小官には聞いていただけないので?」

 

「君にはするまでもない質問だからね」

 

 シーツ上でも白兵戦の名手に、さらりとした返答を返す。

 

「やっぱり、目鼻立ちが整っていることでしょうか」

 

「うん、そのとおりだよ。目鼻を乗せている骨格から美人は美人なんだ。

 俗に皮一枚なんていうが、実際は違うんだからな。持たざるものには切ない話さ」

 

 頭蓋骨ならば、左右の均整と、立体的な造形の調和。

身体の方も長い四肢と、男女の性別に応じた、肩幅や胸囲、胴囲のコントラスト。

その発現を制御するのは遺伝子である。

 

「まだ遺伝子学が(ちょ)についたばかりの西暦21世紀初頭のことだ。

 様々な人種のDNAを調査したところ、容姿に恵まれた人は遺伝子の変異や

 欠損が標準より少ないという結果が出たんだ。

 あちらには劣悪遺伝子排除法があるだろう。マクシミリアン晴眼帝によって、

 一応は有名無実になったがね。古い権門ほど、大きな影響を受けていると思うよ」

 

「つまり、古式床しい方法での遺伝子の選抜だとおっしゃる?」

 

 片眉を上げた元帝国貴族の端正な顔に、黒髪の司令官は頷いた。

 

「最初の頃はね。それに有名無実化されても、

 出生前診断や遺伝子治療の実施までには至っていないはずだ。

 特に貴族にとっては切実な問題だろう」

 

「なるほど。実に説得力のある話ですな」

 

「ここまでは生物学的な美貌の話だが、社会学的な面もあるんだ」

 

 ユリアンは首を傾げた。

 

「美貌の社会学ですか?」

 

「そうだよ。美貌は富貴によっても造られるし、富貴な人々が美の基準にもなる。

 古来からの権力の使途は、密接な関係にあるんだ」

 

 豪奢な食生活による顔の骨格の変化。顎は細くなり、歯並びが整い、鼻筋が通ってくる。

栄養と清潔を保てるからこその、なめらかな肌と豊かで長い髪、炎症のない澄んだ瞳。

明眸皓歯(めいぼうこうし)とは、人類普遍の美の基準だ。

そして栄養状態は、身長にも影響を及ぼす。

地球北半球出身の人種に共通する、白い肌への賞賛も、過酷な労働に従事しなくてよいという富貴の証なのである。

 

 そして、支配階級の容貌が美の基準になっていく。

銀河帝国の門閥貴族たちは、まさにその典型であった。

 

「その結晶がローエングラム候と姉君なんでしょうか」

 

「どうだろうね。彼らはもともとは貧乏な帝国騎士(ライスヒリッター)の出のようだが」

 

「小官もそうですよ」

 

 抜け抜けと言い放つ不遜な色男を、半眼になった漆黒が横目に見やる。

 

「ああ、はいはい。まあ、それだけ貴族階級が狭いということだろうね。

 ユリアン、貴族階級はどの位いるんだったかな」

 

「はい、ええと、爵位を有する貴族が約五千人強、帝国騎士は……」

 

「そっちを数えるのは無駄だぞ、坊や。金で買える地位だし、

 爵位持ちでも次男三男は帝国騎士になったりするんでな。

 小官の本家も男爵家でしたから、血縁を辿り始めたらきりがありませんよ」

 

「なるほど。

 五千人とはいっても、皇帝と婚姻できるような家柄となると両手の指におさまるだろう。

 フリードリヒ四世の荒淫というのも、跡継ぎを得るための必死のものだったのかもしれないな」

 

 階級が固定化されると、身分格差のある者との婚姻は難しくなる。

権力と富を独占してきた人間は、新たな競争相手を排除するからだ。

かくて、血脈の糸は、いつしか檻の格子となる。

銀河帝国の帝室では、それが五百年近く続いてきた。

 

 フリードリヒ四世のように、低い身分の女性でも寵姫(ちょうき)として召すようにでもしなければ、新しい血を入れることはできないのかもしれない。遅きに失したようだが。

 

「生まれた子は一個小隊ほどもいるが、成人できたのは女性二人だけだそうだよ。

 皇位を継ぐのは男子、というルドルフの遺訓がいつまで守れるのかな。

 いまのところ、ローエングラム候の姉上には子どもがいないそうだから」

 

 ヤンは穏やかな声で続けながら、黒い眼がローエングラム候の輝かしいほどの姿を凝視していた。そして、もう一人。彼の影とも言える男の瞳も。

 

「提督、どうなさったんですか?」

 

「ああ、ユリアン、ルドルフの悪法で、本人と子孫が最大の不利益を被るというのが

 皮肉だと思ったのさ。同盟では遺伝子診断や治療に制限をしていないけれど、

 実は全く別のアプローチをしているんだよ。こいつも古くからの知恵なんだ」

 

 黒髪の司令官の言葉に、白兵戦技の師弟は揃って怪訝な顔をした。

 

「提督、どういう方法ですか?」

 

「小官にも教えていただきたいものですね」

 

「これも貴官には教えるまでもないだろうけれどなぁ」

 

 ヤンは、もう一度髪をかきまわした。

 

「異人種間の混血だよ。同盟の人間は大体がそうなんだ。

 雑種強勢というのは、人間にもあてはまる話だからね」

 

 つまりは、両親の人種の強健な面を兼ね備えるのだ。

混血の人間に、美貌の持ち主が多いのは古来より知られるところだが、実は遺伝子異常も減少する。

人種特有の遺伝的弱点も、相手から受け継ぐ染色体で継ぎ(パッチ)が当てられるためだ。

 

「その代わり、金髪碧眼の美男美女というのは現れにくくなるな。

 肌や髪、眼の色は、濃い色が優性遺伝するからね」

 

「言われてみますと、帝国では閣下のような漆黒の髪や目というのは珍しいのですよ。

 小官の幼いころの記憶ですがね。親戚や近所にはおりませんでした」

 

「そうなんですか、シェーンコップ准将」

 

「覚えている限りだがな。俺や坊やのような色が多いんだ。

 この金髪の坊やも珍しい部類だがね。

 小官が同盟に来た時に、一番驚いたのがいろいろな容貌の人間がいることでしたよ」

 

「民主主義の国らしくて私は好きだよ。

 みんな違ってみんないい、と昔の詩人がいったようにね」

 

 ルドルフは、ゲルマン系の人種のみを珍重し、劣悪遺伝子排除法によって、受けられる医療まで禁忌とした。その報いを、輝ける新たな星が下そうとしているのかもしれない。

 

 そして、いま一人。パウル・フォン・オーベルシュタイン。

彼の眼は生来から欠損し、光コンピューターによる義眼を使用しているという。

同盟であれば、出生前から治療を開始し、己の瞳で世界を見つめていただろうに。

冷厳な人工の視線に秘められた、それは怒り。

それが氷の剣の如く、黄金樹を切り裂くだろうという予感がした。

 

「たしかに、いずれが菖蒲(あやめ)杜若(かきつばた)といった風情ですからな」

 

 意味ありげに笑う年長の部下に、年少の上官は頼りない肩を竦めた。 

 

「確かに諺の使い方としては正しいが、そういう文化に染まるのもいかがなものかと思うな」

 

「提督、立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花、とは違うんですか?」

 

 と、これは被保護者からの質問だ。対照的な師弟に、ヤンは三度髪をかき回した。

 

「どちらも美女への褒め言葉だが、複数形と単数形の違いだよ。

 ユリアン、願わくばおまえはそのまま成長してほしいな。

 まあ、顔で戦争をやるわけじゃないのは救いだね。

 容貌と才能は必ずしも一致しないということも」

 

 やや強引に話題を変えるヤンに、シェーンコップは言った。

 

「それは、顔と中身が一致していたら、あの金髪の坊やには勝てないという敗北宣言ですかな?」

 

 意地の悪い部下の揶揄に気を悪くした様子もなく、ヤンは応じた。

 

「当然だろう。私は勝算のない戦いはしない主義だからね」

 

「さもなくば、才能と顔が一致するなら閣下はローエングラム候に匹敵する美貌になると?」

 

「残念ながらそうはならないよ」

 

 首を振った黒髪の青年は、優しいほど静かな笑みを浮かべた。いつもの茫洋とした印象が拭い去られ、意外なほど整った繊細な造作が現れる。

 

「さぞや醜い、卑しい顔になるのだろうさ。まともな人間なら正視を躊躇うような。

 私も、ローエングラム候も両方ともね。そうならずに済むのはありがたいことだ。

 私はどうってこともないが、彼までそうなったら宇宙的な損失だろう?」

 

 




 ヤン提督の知恵袋。文中に語られていることは、基本的に事実です。
なお、古来よりの権力の使途=女と金。さすがに、ユリアンに剥き出しでは言えないでしょう。
骨格の変化云々も、徳川家将軍の遺骨の例が有名であります。
 なお、タイトルは誰かが誰かを表現した言葉から。
さすがに、彼のご先祖様ということはなさそうですが……。

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