①勝利、凱旋。
②カードマジックの一種。カードの中から観客が1枚を選び、カードを記憶する。
それをカード束の中に戻し、表裏がバラバラになるようにシャッフルする。
マジシャンの合図で全てが裏向きに揃い、最初に選んだカードのみ表を向く
1.オープンデック
「ポプラン少佐、スパルタニアンの新運用はものになりそうかい」
イゼルローン駐留艦隊、第一空戦隊隊長に問いかけたのは、彼の上官の最高位にあたる
司令官のヤン・ウェンリー大将だった。
少佐であるオリビエ・ポプランにとっては、本来は雲の上の高官である。
しかし、彼の被保護者であるユリアン・ミンツ軍属が、ポプランの空戦技の弟子であるのが
まず一点。
次に、第一空戦隊最大の任務は、ヤン司令官の旗艦『ヒューベリオン』の護衛であることが
もう一点。
そして、スパルタニアンの新運用の考案者兼責任者ということで、ポプランが会話をする機会を得ているのだ。
ヤンは、まだ二十代の大将である。
現在の同盟軍では唯一、というより同盟軍史上でもたぶん最速記録だ。
にもかかわらず、温和で階級に囚われない、もしくは軍律に甘い人柄のせいか、かなり気さくに会話をしてくれる。
「ヤン提督には感謝していますよ。
三機一隊での編隊戦術のために、様々に手配をしていただいて。
ただ、しかしですねぇ……」
明るい褐色の髪を黒髪の上官のようにかき回す。
いつも陽気な伊達男の逡巡に、ヤンは軽く首を傾げた。
「第一空戦隊に、新兵の多くを引き受けてもらったが、やはり訓練が大変だったかな。
今からでも、第二にも引き受けてもらったほうがいいだろうか」
「いや、新兵はいつもこんなもんなんで覚悟してますよ。
それに、新戦法を叩き込むんなら、まだ白紙の状態のほうがいいかと思うんで。
むしろ、俺、いや小官を始めとした教官側が手を焼いているんです」
「
執務机の上に肘をつき、組んだ両手の上に顎を乗せるという行儀の悪い態度だが、
ポプランはその仕草が嫌いではない。
シルクハットの代わりに、黒いベレーを被った魔術師がこの姿勢を取るときは、だいたい何かを思いついているからだ。
「スパルタニアンの操縦は、個人技能がものをいうね。
貴官やコーネフ少佐のようなパイロットには、なかなかなれるものじゃない。
編隊を組むにあたっては、それが泣き所になっているのかな、ひょっとして」
ポプランは両手を上げて、司令官の名推理に降参の意を示した。
「ご明察です、ヤン提督。
小官らの相手は、ワルキューレやミサイルで、基本は一対一です。
戦艦の周辺を飛び回っては敵を叩き落すわけなんで、
自分よりでかいもの以外は敵と割り切ったほうが楽なんですよ。
そこに仲間がくっついてくるようになると、反射的に撃墜しちまいそうになるんです」
「攻撃ではなく、撃墜なのは貴官がすごいんだろうが、こいつは笑えないね。
シミュレーションの友軍誤射率がはかばかしくない、という理解でいいのかな」
「はい、せっかく予算も通してもらって、シミュレーターまで新規構築していただいたのに。
このままじゃ、キャゼルヌ事務監から
部下の言葉に苦笑して、ヤンは黒い髪をかき回した。
「先輩は、締り屋だが
遺族年金の受給者を増やすことになるほうが、ずっと怒りを買うことになるよ」
相変わらず優しい口調で、さらりと毒舌を吐くお人だ。ポプランは軽く肩を竦めた。
漆黒の眼が、明るい緑の眼を上目遣いに凝視する。それを見て、彼は
「ところで、あのシミュレーターは貴官らが中心になって考案したんだったね。
ここはその道の名手の知恵を借りたらどうだろう」
「へ、その道の名手っておっしゃいますと」
本気で首をひねるポプランに、ヤンは穏やかに笑いかけた。
「フィッシャー少将だよ。艦艇とスパルタニアンでは随分大きさは違うが、
友軍機に対して適正なフォーメーションを維持する、という基本は共通するとは思わないか。
ひょっとしたら、いい知恵を貸してくれるかもしれないよ。
貴官らとは交流が少ない人だから、私から頼んでおこう。
予算が無駄になるのも勿体ない。なんとかできるならそれに越したことはないだろう」
思いがけない人の名が出たが、ポプランは膝を打つ思いだった。
「そうですね、ヤン提督。ありがとうございます」
表情に生気を戻したポプランとは裏腹に、ベレーを脱いだヤンは溜息をついた。
「まあ、やれるだけのことはやらないと。もしも駄目だったら、私と貴官は連帯責任だからね。
一緒にキャゼルヌ事務監のお小言を食らうのさ。せいぜい足掻こうじゃないか、お互いに」
要塞の最高責任者でキャゼルヌの後輩である、ヤンに向けられる舌鋒はさぞや鋭い物になるだろう。ポプランは大きく肩を竦めた。
「は、誠心誠意、取り組ませていただきますよ」
「よろしく頼むよ。なによりも、まだ若い兵士が一人でも多く生還できるのなら、
それに勝るものはないからね。フィッシャー少将の予定と調整が必要だから、
貴官の都合のよい日時を、グリーンヒル大尉に連絡しておくように」
そう続けると、また髪をかき混ぜてベレーを被りなおす。
ポプランは、退出しかけてふと気付いたことをヤンに告げた。
「こんなに早く、助言をいただけるんならもっと早くに相談させてもらったのに。
ひょっとして、この問題点をお分かりになっていたんですか? お人の悪い」
撃墜王の言葉に、ヤンは苦笑を浮かべた。
元々、若く見える人ではあったが、この時の彼は学生のように見えた。
まるで定期考査の結果に一喜一憂するような顔に。
「私は学生時代に、スパルタニアンの操縦演習がそりゃあ苦手でね。
いつも、落第ぎりぎりのひどい点数だったんだ」
「ああ、ユリアンからも聞かせてもらいましたよ。
アッテンボロー提督もたしかそんなことを言っていましたがね」
ヤンの学生時代の成績の極端な偏りぶりは、周知の事実であった。
怒りもせずに、黒い髪が頷きを返す。
「私は元劣等生として思っただけだ。
あんなに目まぐるしい操作を要求されてる時に、
編隊を維持しろとと言われてもできないとね。
君がさっき言った問題は、
というのが真なのだろう?」
再びの名推理に、全面降伏するポプランだった。
「仰せのとおりですよ。
だが、俺たちの指導力が不足しているのも間違いないことですから」
その悔しげな語調に、ヤンは冷静に告げる。
「それは仕方がないことだ。
経験のないことに取り組むのは誰しも難しい。
例え、君のような
全てを一人で担えるような人間なんて、滅多にいないのだから。
貴官はまず、問題点を整理して考えなくてはならないよ」
それはポプランの知る、ユリアンにやや過保護な師父の顔ではなかった。
エル・ファシルの、アスターテの、イゼルローンの英雄。同盟軍史上最高の智将。
その精髄の一端に初めて触れたのである。
「まず、スパルタニアンというハードウェア。これは変更や向上は見込めない。
少なくとも直ちにはね」
「ええ、そうです」
「次に、搭乗員の新兵。こちらは向上が見込める。無論、訓練次第だが」
「はい、そうなんですが……」
「この訓練と戦闘の方法がソフトウェア。この改善に着手しているのが現状だね。
現在、A案からB案への移行計画中と。ここまでの流れは合っているかい?」
「全く異議はありません、ハイ」
門外漢と自称していたのに、切れの良い分析なのだから溜息が出てきそうだ。
しかも、非常に分かりやすい。亜麻色の髪の少年が、傾倒するはずである。
「さて、このB案は、こちらの3機編隊で敵1機を迎撃する。
これは戦術的には非常に正しい。だが、正しいのは3機対1機の構図だよ。
スパルタニアンの編隊フォーメーションB案、それ自体ではない」
まるで数学者が、不変の定理を述べるように淡々とした声音だった。
ポプランは、目を瞠って自分とあまり歳の変わらぬ大将を凝視した。
「B案に手を入れて、B+程度の改善でものになるかもしれない。
現案を破棄してC案に行ったり、場合によってはZ案ほどにかけ離れた正解が
あるかもしれない。まずは考えて、実現可能な最善案を構築するんだ。
確たるプランがないのに、努力をしたって意味はない。
ゆで卵をいくら温めたって、ひよこは
温和でものぐさで、昼寝の好きな善良な青年。
ユリアン・ミンツが口にするのは、ヤン・ウェンリーという人間の一面でしかない。
彼の中には、確かに宇宙屈指の名将がいるのだ。
彼の機略は魔法の水晶を所持しているかのようにさえ見える。
しかし、考案して孵ることのなかった幾つもの卵を、ダストシュートに捨ててきたのだろう。
きっと、ドーソン大将が真っ赤になって報告書に書き立てるほどの量を。
「ひょっとして、ヤン提督がよく言う、努力しても無理なものは無理って、
そういうことだったんですか」
「これはその半分だ。もう半分はないものねだりの負け惜しみだよ。
私が努力したところで、君のような撃墜王には決してなれない」
そう告げた声は、もういつもの穏やかな調子に戻っていた。
「そいつは小官にしても全く同様なんですがねぇ」
「でも、君が私になる必要も、メリットも全くないじゃないか。
色男で、格好いいエースパイロットなんだから。
そんなにもてるのに勿体ないだろう」
小さく笑う司令官に、心からの敬礼を送ってポプランは執務室を退出した。
その後、グリーンヒル大尉に自分の予定を連絡し、彼女の予定を聞いてみたりもしたが、
すげなく断られてしまったのは余談である。
金褐色の髪とヘイゼルの瞳の麗人が、心を寄せる先はあまりにも明白なので、
これは礼儀なんだからと自分を慰めるポプランだった。