銀河英雄伝説外伝IF 辺塞寧日編 ヤン艦隊日誌   作:白詰草

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幹部会議の続き。部下を安心させるのも管理職の重要な役割。現実でも分かっている人は少ないような気がする。


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「遅くなってすまないね。もうそろそろ終わりごろかと思ったんだが」

 

「ほう。最高責任者の二ヶ月の不在を前に、そんなに簡単に会議が終了するとおっしゃいますか、

 ヤン司令官」

 

 薄茶色の眼に険を含んで、辛味の効いた問いかけをする先輩に、ヤンは肩を竦めた。それまでの話し合いの経緯を、ムライ参謀長が簡潔に説明する。黒髪の司令官は大きく頷くと、まずは副参謀長を労った。

 

「パトリチェフ准将がいい提案をしてくれたようだ。

 それに今しばらくは、帝国軍の襲来はないだろうから安心して欲しい」

 

「それはどうしてなのか、お尋ねしてもよろしいですかな」

 

 シェーンコップも、口調は慇懃だが態度の方は不遜であった。

歴戦の勇者の鋭い眼光も、黒髪の司令官は一見悠然と受け流した。

 

「ローエングラム候は、同盟の捕虜と引き替えに、帝国軍人を返してもらったばかりだ。

 今またイゼルローンを攻略すれば、新たに無駄飯食らいを抱えるだけだ。

 あちらだって、焦土作戦やアムリッツァからの回復時間は必要だよ。

 彼は戦略の天才だから、下手な()は打たない」

 

 そう。ヤンは胸中で呟く。打つならもっと上々の策だ。だからこそ、それを杞憂で終わらせるべく、この時期でもハイネセンに赴かなければならないのだ。部下たちの心配も、不安も痛いほどわかるが、超光速通信(FTL)ではできないことなのだ。

 

「私が留守中のことだが、それでも駐留艦隊と要塞防御の演習を進めて欲しい。

 詳細は戦術コンピュータに入力してもらってあるが、

 グリーンヒル大尉、レジュメを配ってくれ」

 

「はい」

 

 さきほどまでの分厚いマニュアルと違って、わずかに数ページ。

第一次から第六次までの同盟軍の進攻ルートと撃破された状況が、帝国領からの侵攻だった場合に置き換えられて図示されていた。

 

「これは、さきほどパトリチェフ准将がおっしゃった内容ですな」

 

「そのとおりだよ、フィッシャー提督。

 イゼルローン回廊の特性上、三個艦隊程度を展開できる宙点やルートはほぼ決まっている。

 これは帝国領方向から見てもそう変わりはない。

 一方、雷神の槌(トゥールハンマー)を始めとする要塞の兵器は、射程距離や範囲、可動角度が一定なんだ。

 要は、このポイントにいかに相手を誘い込むか、それが駐留艦隊の役割に尽きる。

 これは同盟軍の実例を、帝国領からの侵攻ルートにあてはめてみたものなんだ」

 

「ヤン司令官、たったのこれだけですか?」

 

 そばかすの後輩の言葉に、ヤンは頷いた。

 

「そうだ。これでバリエーションはほぼ全部だよ。

 ルートはそんなにないし、雷神の槌を避けるならおのずと位置取りも決まってくる。

 それに、要塞の防衛戦はもとから防御側が有利だ。

 こちらは食糧生産工場も完備しているからね。味とメニューを考慮に入れなければだが。

 要塞主砲の攻撃範囲を盾にして粘れば、相手は食えなくなって撤退するしかない。

 帝国側の補給基地はイゼルローンに頼っていた分、同盟よりもお粗末だし、

 アムリッツァの前にそこから物資を引き上げている。

 その後に戻したとしても、二個艦隊相当の帰還兵団に先に補給をしなくてはならない」

 

 この指摘に、補給と兵站の達人は速やかに算盤(そろばん)を弾いた。

 

「なるほど。その通過後新たに2個から3個艦隊への補給を可能にするには、二ヶ月では不足だな。

 そして補給基地から、イゼルローンまでの航行時間を計算すれば、司令官の不在中

 の来襲は、可能性は低いとみていい」

 

「それに、イゼルローンからの距離は、帝国首都(オーディン)の方が同盟首都(ハイネセン)より倍近く遠い。

 キルヒアイス上級大将はローエングラム候の股肱(ここう)の臣だというから、

 彼の身を危うくするようなことは望まない。友情もそうだが、人材としてもね」

 

「閣下、これでどうにか小官は安心ができそうですよ。

 軍事基地の防衛の経験はありますが、地上と宇宙では違いすぎるのですからな」

 

 要塞防御指揮官の言葉に、ヤンは苦笑いした。この兼任人事は、極論から極論に走った代物だが、ヤンの上位に立てる者も、ヤンの下位につける者も、どちらもいないのだ。二十代の大将と持て(はや)されたところで、なんのことはない。人材が払底しているのだ。アムリッツァで戦死した、ウランフ提督やボロディン提督が健在であったなら。

 

「そうでもない。基本は射程に入ったら撃つ。シンプルだろう、シェーンコップ准将。

 追い込み役の方が大変なんだ。よろしく頼むよ、フィッシャー提督、アッテンボロー提督。

 私からももう一度言うが、帝国がやってきたことさ。貴官たちになら問題なくできるよ」

 

「なるほど、このレジュメで見ますと、案外に単純に思えますなあ」

 

 副参謀長の朗らかな声に、一同に何となく安心感が生まれる。

 

「それにしても、いつの間に作成をなさっていたんです」

 

 ここ数日、いつもの給料泥棒ぶりを返上しての精勤である。これだけ整理された資料を作成する余裕はなさそうに見える。感心しかけたムライに、ヤンは軽く手を振った。

 

「過去の遺物の再利用だよ、参謀長。私は第六次攻略戦に参謀として参加していたからね。

 その時にはお蔵入りしたが、それを引っ張り出して、手直ししただけさ」

 

 ヤンの返答に一同は納得した。この分析があったからこそ、第七次攻略戦は成功を見たのだ。

そして、第六次が不首尾に終わったのは、これが日の目をみなかったのも一因だろう。

 

「簡潔な指示をいただいて感謝します。これに従って演習を実施します。

 で、こちらのマニュアルは、読まないといけませんかね、ヤン司令官」

 

 会議用机のそれぞれの席の前に置かれた、10センチ近い厚さのファイルを、そばかすの青年がうんざりした様子で持ち上げた。それに頷く若干名。活字が好きそうではない面々だ。

 

「ああ、それか。結構面白いよ。

 流石に参謀部の労作だけあって、章ごとの内容は簡略化されているしね。

 まあ、その章が35ばかりあるけれど。寝酒代わりにちょうどいいというか」

 

「お読みになったんですか」

 

 灰褐色の眼が、別次元の生物を見るような表情を浮かべた。

黒い頭がこくりと頷き、こともなげに返答する。

 

「そうしないと決裁して、配布できないからね」

 

「活字中毒者にはご褒美だからな。まあ、要塞事務監として言うが、読んでおくように。

 これはあくまで入門編であって、内容の拡充は各部門が当たるんだからな」

 

 と言うからには、こちらも読んでいるということだ。司令官よりも隅々まで。

援護を貰えなかった両者の後輩は、鉄灰色の髪をかき回した。

 

「了解しました。読んでおきます」

 

「当然だろう。そのために配布したんだ。紙やインクも無料(ただ)じゃないんだ、勿体ない。

 こんなもの、同盟軍の予算要求書と予算書決算書に比べれば、絵本並みの量だ。

 全部読んでから寝るんだな」

 

 つついた(やぶ)から大蛇を出した、若き提督にそこはかとない非難の視線が集中する。

要塞の影の実力者からのお達しだ。今後、このマニュアルを踏まえた内容でないかぎり、経費の要求は(まか)りならんという宣言でもあった。

 

「まあ、そんなに面倒がらずに読んでおいて損はないよ。とりあえず、私はこれで失礼するが」

 

 ヤンは立ちあがると、ベレーを脱いで髪をかき回した。うんざりとした様子である。

 

「執務室で、書類が私を待っている。これも給料を貰うためさ。

 数字の羅列に比べれば、文があるだけマニュアルの方が面白いよ。ではね」

 

 恐らく、部下たちを安心させるために中座してきたのだろう。決してサボりではない。多分。

 

「それも給料のうちですよ、ヤン司令官」

 

 先輩の揶揄(やゆ)に、恨みがましい黒い視線が向けられたが、言い返す時間も惜しいのだろう。

肩越しに小さく手を上げて、猫背ぎみの背が去っていく。

 




ローマは一日にしてならず。イゼルローン攻略も然りではないだろうか。

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