シェーンコップは肩を竦めて両手を挙げた。
映画俳優のような美男だけに、嫌味なほどに決まっている。
「いやはや、さすが将来の後方本部長との噂も高い方だけのことはありますな。
貴官のようなお人と、ヤン司令官やアッテンボロー提督が、先輩後輩関係になるというのが、
正直信じられませんがね」
「なんだ、貴官もヤンに言われたのか」
「ということは、事務監もですか」
異なる褐色の視線が交錯し、すぐに離れた。なんとも微妙な表情で。
「大変失礼ながら、それは無理です」
「奇遇だな、シェーンコップ准将。俺もだ」
「お三方の年齢的に、学校の先輩後輩ではないのでしょう」
シェーンコップの指摘に、キャゼルヌは頷いた。
「そうだ。俺が事務局次官として士官学校に赴任した時、
ヤンが3年でアッテンボローが1年だった。
まあ、俺自身4年前までは在学していたし、職員の顔ぶれもそう変わっていなかったから、
それでだろう。ヤンはよく鍵を借りに来るんで、自然と口をきくようになった。
アッテンボローは、ヤンに門限破りを見逃してもらって、懐いたんだそうだ。
あっちは、口八丁手八丁な姉貴が3人もいて、ああいう大人しくて聞き上手な兄貴が欲しかった
というところだな」
「それにしても、わずか24歳で士官学校の事務局次官とは、俊英でいらっしゃる」
生徒は約二万人、教職員も二千人近い。それ自体一つの街なのだ。学生寮の衣食住、学校の物品や軍事教材のその他諸々、1個師団を抱えるに等しい。弱冠24歳でその事務方のナンバー2に抜擢されたのだから、能力の高さは言うまでもない。千ページを超えるマニュアルを、絵本と言い切るだけのことはある。
「でもないさ。女性事務員に一からしごかれた。凄いもんだぞ、現場の知恵は。
紙やトイレットペーパーは、天気も考えて納入予定を組めときた」
「ははぁ、確かに。濡れると困るうえ、待ったが効かないですからな」
「まあ、そいつはどうだっていいが、あいつは戦史研究科廃止の反対運動の罰則中だったんだ。
シトレ校長も、本の虫に随分と粋な罰を与えたのさ。戦史研究科の資料庫の目録作りというな。
終業と同時に飛び込んできて、下校時刻ぎりぎりに鍵を返却に来る。
嬉しそうににこにこしながらだ。
随分変わった奴だと思ったもんだ。あの頃は、あいつにもまだ可愛げがあったんでな」
「なるほど、謎が解けました。
ご本人が曰く、成績は中ぐらいで、目立つ存在じゃないとおっしゃっていたのでね」
シェーンコップは顎をさすった。
この男は口も人も悪いが、ヤン・ウェンリーにとってはよき先輩なのだろう。
畏敬すべき事務と策略の達人も、司令官が出会った頃にはもう少し歯の立つ甘さがあったのか。
現在では、煮ても焼いても食えそうにないが。
「目立たないが、教職員の気にかかる存在ではあったな。
ああいうタイプは、諸々の暴力のはけ口になりやすい。
今でも童顔だが、当時は体格も小さい方だったから余計にな。
戦史研究科から戦略研究科に転科になったのも、
十年に一度の秀才を戦術シミュレーションで破ったからだ。
そっちの成績は、元から戦略科だった連中よりもよかったんだよな」
「ほう。
「さあな。成績の偏りが極端なんだ。
体格も災いして格闘、戦闘系の実技はさっぱりで、工学系もぎりぎりの低空飛行。
なのに、くそ難しい戦史や戦術系教科はトップクラス。
当時、戦史には名物教師がいてな。偏屈な爺さまだった。
俺も学生の頃に習ったが、定期考査に殺意を覚えるようなくそ難しい問題を出すんだよ。
80点以上とれる奴はほとんどいなかった。そいつで98点をとるんだぞ。
ああ、こりゃ手を抜いてる、と教師は思うよな」
この切れ者が、二回も繰り返す難易度というならば相当なものだろう。
教師の予想に対しては頷かざるを得ない。
「本物の劣等生は、努力しても及第点を取れませんからな」
「ああ、落第者も毎年2、3パーセントは出る。だが、あいつは志望理由が志望理由だ。
ガリガリ勉強する気にもなれなかったんだろう。
で、お望みどおりの閑職に配属されたんだが、
1年後の異動でエル・ファシルの英雄になっちまってな。
それからは出世に継ぐ出世、ついに六歳下の後輩が、俺より二階級も上ときた。
たったの1年で三階級も昇進されてみろ。軍の人事管理部も大変なもんだ」
シェーンコップは、腕を組み、右手で尖り気味の顎をさすりながら
「こうして改めて聞きますと、異常ですな」
キャゼルヌの反論は明晰であった。
「簡単さ。ヤンの上位になるべき人間がいなくなったんだよ。
本当なら、要塞司令官に大将
軍本部だってできるものならそうしたかった。
だが、現在の宇宙艦隊司令部は、ビュコックの爺さんしか大将がいない。
クブルスリー大将は統合本部長だし、グリーンヒル大将はアムリッツァの
となると、あとはあのドーソン大将だ。
貴官、ジャガイモの廃棄率に目くじらを立てる人間を、司令官と仰いで戦えるか?」
シェーンコップは無言で
「悪いが俺にも無理だね。経費の削減自体は悪いことじゃないが、
要するに前線に出してはいけないお人なのさ。士気に関わる」
「そこまでおっしゃいますか。随分と辛辣だ」
「俺も彼の部下だったことがあるからな。
誰かの下で、細かい仕事をするにはいいが、トップには向かない。
とかく瑣末なことにこだわりすぎる。うちの司令官とは逆にな。
それに比べりゃ、ヤンはましな部類だよ。
物資の調達には、金も時間もかかるってことを知ってる。
で、食い物がなく、給料をきちんと払えない軍隊は崩壊するということもな。
優等生とは言えんが、及第点はやれる事務能力もある」
シェーンコップはもう一度頭を振った。
「キャゼルヌ事務監の及第点ですか。
さっきおっしゃった戦史の名物教師のような基準でしょうに」
「その爺さん、真面目にやれば65点はとれるような配点にしてあったんだよ。
抜きん出るには、猛烈な歴史好きでないと無理だったがな。
それに比べれば俺なんて優しいもんだ。辞書の持込を許可してるんだからな」
同盟憲章を全文記憶しているという噂の、美しき副官のことか。
シェーンコップは片頬に笑みを浮かべた。
「これはまた、麗しい辞書もあったものだ。小官にも配備していただきたいですよ」
女性なら賞賛しただろう美丈夫のニヒルな表情も、キャゼルヌには何の有難味もない。
「貴官なら、自力でよりどりみどりだろうが。
さて、貴官のほうも、ヤン司令官に随分入れ込んでいるようじゃないか。
どうしてなのか聞かせては貰えんか?」
「事務監には、イゼルローン攻略の際、
閣下の御指名をお膳立てしていただいた恩がありますからな。
こんな場所でなく、一杯飲みながらお話いたしましょう。
小官が付いておりますから、どんな店でも心配はありません。いかがですか」
シェーンコップの言葉に、キャゼルヌはうず高く積み上げられた書類に目をやった。
「よし、そういうことにしようか。とりあえず、これをやっつけてからになるが。
ヤン司令官が出立した後になるが、いいかね」
「結構ですな。では、他の予算案もよろしくお願いしますよ」
「善処しよう」
シェーンコップは、しれっと答える三歳上の上官を、なんともいえない目で見詰めた。
「政治家の最高評議会答弁並みに誠意のあるお答えですが、大丈夫なんでしょうな?」
「安心しろ。あの場では脅かしてやったが、世間には補正予算というものがあってな。
足りなきゃ後からぶんどればいいのさ。俺が女性事務員に教えてもらった奥の手だ。
時に不便や恐怖を味あわせて、人と金と物の大切さを調教しろというのはな」
「誰に対してなのか、お伺いしてよろしいかな」
薄茶色の眼に浮かんだ怜悧な光は、絶対に敵に回してはいけない種類のものだった。
「貴官らには、書類は期日までに所定の手続きをして提出せよということだ」
「我々だけにではないでしょう」
「貴官は察しがいいな。
ハイネセンのお偉方には、イゼルローン要塞という前例のない部署に、
新兵中心の兵員補充をしたからには、相応の演習費を覚悟しろということだよ。
前例のないことに手を付けると、必ず見込み違いが出てくるからな。帝国領進攻のように」
ローエングラム候のとった帝国の焦土作戦で、とにもかくにも物資を工面し、帝国の民間人に大きな被害を出さずにすんだのは、キャゼルヌの手腕によるものであった。だが、同盟軍の将兵の疲弊までは防ぐことができず、結果としてアムリッツァの大敗を招く。いち早くその危険を見切ったから、ヤン率いる第13艦隊は七割を超える帰還率を誇った。
だが、それでもなお未帰還者は30万人超。それが全体の約70分の1に過ぎないという状況を、政府の首脳部は真に理解しているのか。
「あの時に失った人命のつけを、前線ばかりに押し付けることは許されない。
血を流さないのなら、血税で報いてもらう。それが俺の役目だ。
貴官らが戦斧を振るうのとは違うが、これだって戦いだ」
シェーンコップは、今度こそ実際に頭上に両手を上げた。
「全面降伏いたしますよ。その戦いに小官の出る幕などありません」
役どころと役者が違うということで。カードの強さはハイ&ローを参照のこと。