あの日より青雲の言葉が似合う日を、私はまだ知らない   作:だいだらぼっち

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天気は晴れで、心は曇り

彼女と出会ったのは気持ちが良い晴れの日だった。

雲一つない快晴という訳では無いが、透き通るような青空に浮かぶ雲は返って趣を感じさせる。外に出たくなるような天気というのはこういうものを指すのだろう。それ故に、誰も居ない筈の倉庫で、泣きじゃくる葦毛のウマ娘を見た時は随分驚いたものである。

 

 

今思えば運命だったのかもしれない。

当時の自分は、ウマ娘を導くトレーナーという身分であるにも関わらず、努めて彼女達と二人きりになることを避けていた。そんな時に現れた一人の少女。偶然とはいえ、興味を禁じえなかったと言えば嘘になる。

「君の名前は?」

僕はなんとなく、彼女の名前を聞いてみる。すると彼女は顔を手で押さえながら――

 

「スカイ……セイウンスカイ」

 

そう小さく呟いた。

窓から綺麗な青空が見える。青雲、という言葉があの日より似合う時を、僕はまだ知らない。

 

 

 

 

 

私は他人が嫌いだ。裏を返せば、誰かに構って欲しいのかもしれない。

産まれてから直ぐに父親が蒸発、また母親は散々私を虐待した挙句、他の男を作って出て行った。そんな私は他人からの愛情が絶望的に不足していたのは自覚していた。故に、大勢の人からの歓声が得られ、衣食住に困らない、尚且つ地元では比較的足が速かった私が、トレセン学園を選ぶ事は別に不思議な事では無いだろう。

 

 

入学こそできたものの、そこには致命的な誤算があった。そう、私の足は遅かったのである。勿論、自分が一番速いと思って入学してきた訳では無い。上には上がいるであろう事は承知していた。それでも、足の速さだけが取り柄の年頃の少女を泣かせる位の破壊力を持つイベントである事は理解しておいて欲しい。

 

 

そんな時に現れた私のトレーナーさん。ううん、私だけのトレーナーさんか。

彼は私に名前を聞いてきた。正直、なんて答えたかは覚えていない。しかし、返答がきたという事は変な事は言っていないのだろう。彼は、その時私が最も欲しかった言葉を丁寧に優しくかけてくれた。

 

「良い走りだったよ、スカイ」

 

瞬間、私は上を向く。窓から見える景色には青空が広がっていた。私と彼の出会いの日。

 私はこの時程、私の名前に似合う日をまだ知らない。

 

 

 

 

 

 「セイウンスカイさん、担当してくれるトレーナーはもう決まりましたか?」

 「いえ~、全然ダメダメですね~」

私がトレセン学園に入学して一か月が経った。今日は担任の先生との面談。内容は私のトレーナーについての事だった。

 

 

トレセン学園では、各ウマ娘達に応じて個別のトレーニングを行うトレーナーというものが存在する。彼らは、私達の身体の構造について熟知しており、レースに勝つために必要な物を教えてくれるとても重要な存在だ。レースへのエントリーも彼らが行っているため、基本的に彼等なしでは私達はレースにすら出走できないし、仮にできたとしてもプロに訓練されたウマ娘に勝てるはずもないだろう。

 

 

その担当が決まらない。無論、トレセン学園ではトレーナーの数に対して生徒の数が圧倒的に多い為、専属のトレーナーがいるウマ娘というのは中々いない。つまりは一人のトレーナーが複数のウマ娘を担当する、もしくはチーム単位でウマ娘を指導するのが通常で、これによって全ての生徒が一応はトレーナーの指導を受けられるという事である。

 

 

私の様にまだ担当トレーナーが決まっていない子はいるにはいる。しかし大部分が担当トレーナーを持っており、既にメイクデビューを済ませている子もいるらしい。まあ、そんな才能のある子と違い、私は担当トレーナーすら決まっていない為、こうして担任の先生と面談をして空いているトレーナーを探してもらっている訳なのだが。

 

 

私にだって焦りはある。しかし、私にできる事と言えば、選抜レースで結果を出してトレーナー側からのオファーを待つくらいなので割とどうしようもない状況なのである。

 

 

 「そうですか…… こちらも手の空いているトレーナーの方が中々いない状況でして…… 引き続き探してみるためスカイさんも選抜レース頑張って下さいね」

 「はい、ありがとうございます~。では私は練習するのでこれで~」

担当の先生に挨拶をして部屋を出る。今週末にはまた選抜レースがある。のんびりしている暇はない。結局、自分の道は自分で切り開けという事なのだろう。できれば日の当たる場所で昼寝でもしたいところなのだが、今回はそうもいかないらしい。そんなことを考えているうちに、トレーニング場に到着する。私は深呼吸をした後に、トレーニングを開始する。

 

 

 

 

 

 それから数日が経った。今日はいよいよ選抜レースの日。仕上がりは悪くなく、気力も十分だ。既に速いウマ娘達はとっくにスカウトされていて、今残っている子達は私と同じように誰からも選ばれなかった人達、どんぐりの背比べかもしれないが、十分一位を狙える立場だろう。

 

 

 大丈夫、作戦は考えてきてある。私の脚はトレセン学園の中だと遅い部類に入る。精々、中の中に入るかなといった所だろう。才能のあるウマ娘は存在する、ただそれが自分ではなかったという事だけ。

 

 

入学初期はそれを受け入れる事が出来なかったが、そこで立ち止まっていては仕方が無い。そんな私ができる事と言えば、頭を使う事だけだ。胸に秘めた闘志は誰にも見せず、綿密な準備、十分すぎる程の仕込みする。

 

 

周囲からの私の評価はおっとりとした気分屋、大方そんなところだろうか。別に否定はしない。時間がある時にぐっすり眠るのは最上の幸せだと思うし、朝早くに起きて自主練をしたいかと言えばそれはノーだ。しかしレースには勝ちたい。誰にも負けたくない。

 

 

心に大きな矛盾を抱えていることは自覚しているが、つまりは何が言いたいかというと、表層に見える私が、本当の私ではないという事である。

だからこそ、今から始まるレースは必ず勝って、何としてもトレーナーからのオファーを手に入れる。

 

 

 

 

 

ゲートに入った後、ゆっくりと目を瞑り全身に意識を漲らせる。身体の調子は今までで一番良い。枠番はちょうど真ん中。勝っても負けても言い訳はできそうにない。もっともやるべきことは変わらないし、言い訳をするつもりは毛頭ない。

 

 

全員がゲートに入った事が確認されると、三十秒も経たないうちにスタートが切られる。その瞬間、私はギアを一気に上げて先頭に立つ。後ろの状況を見てみると、出遅れている人は見当たらず、皆良いスタートを切ったと言えるだろう。私はギアを更に上げて他のウマ娘を引き離しにかかる。すると他の子も負けじとペースを上げて全体的にややハイペースのまま中盤に差し掛かる。

 

 

ここでもう一度後ろの状況を確かめる。私のペースに合わせついてきている子もいれば、自分のペースを信じ、後方で脚を溜めている子もいる。全体的にやや間延びしたレースと言っていいだろう。ここまでは計画通りである。

 

 

ある程度リードを作れた私はここでペースをあからさまに落としていく。終盤に向けて脚を溜めるという意味合いもあるが、他のウマ娘が一気に減速した私をスタミナが切れたと判断して前掛かりさせペースを乱すのは目的だ。徐々に後続のウマ娘との差が縮まっていく。しかし彼女達の呼吸はかなり乱れており、ここまで距離を詰めるのに相当の無理をしたであろうことが伺える。いける、全て計画通りだ。

 

 

終盤の最後の直線に入った瞬間、私は一気にペースを上げ、再び後続を突き放しにかかる。後からくるウマ娘も負けじと一気にスパートをかけてくる。中盤までの僅かな貯金と溜めていた末脚のおかげで後続との差は徐々に開いていく。残り三百メートル。二番手との差は三バ身はあるだろう。このままいけば勝てる!

 

 

しかしその瞬間、私の脚元が大きくグラつく。

「なっ……!」

何ということはない、単純にバランスを崩したのだ。自分のバ体のバランスが悪い事は知っていたが、まさかこの瞬間にそれが露呈してしまうとは。いくらなんでもタイミングが悪すぎではないだろうか。

転倒するのだけは避けたい。いくら人間とは骨格が頑丈にできてるとはいえ、これ程のスピードで何処かにぶつかったら骨折は免れないだろう。あばらや腕の骨を折るくらいならまだいい。しかし骨折したのが脚であるのなら私達にとっては致命傷になりかねない。

私は何とか体勢を立て直す。しかし減速は免れず、そのまま他のウマ娘達にどんどん抜かされていく。抜き返そうにもスピードが上がらずそのままゴールイン。私は徐々にスピードを落として、近くにあった柵にもたれこむ。

 

 

結果は四着。また負けてしまった。折角今まで一番良いレースメイクができたのに。完璧にハマったと思った。しかし結果はこのザマだ。

いや、ケガをしなくて良かったのかもしれない。バランスを崩して他の子の進路を妨害して、斜行不良で最下位という可能性も十分にあった。そんな状況で四位、喜んでもいいのかもしれない。

そんな言葉で自分を慰めようとしても、心の中は惨めな気持ちでいっぱいになる。一位になった子の周りには、沢山のトレーナーが群がり彼女に声をかけている。本当なら私があの場所にいるはずだったのに。

 

 

どうしようもない脱力感と虚無感に苛まれながら私はレース場を後にする。足元は随分覚束なく、視界もいやにぼやけて見える。それを周囲に知られたくないと思い、誰もいないはずであろう倉庫に転がり込む。鍵を閉めて、倉庫の真ん中にへたりこむ。そして――

 

「うぅ…… あぁ……!」

 

感情が堰を切ったかのように溢れ出す。大粒の涙をぽろぽろ零しながら、誰かがいるわけでもないのに顔を抑えてそれを隠す。

 今日は勝てると思ったのに。ガラにもなく沢山練習したんだよ? 今日の為に色々考えて、上手にできたと思ったのに。それが今はこんな誰もいない部屋で泣き崩れている。ただただ情けない。感情を上手く処理する事が出来ない。私ってこんなに脆かったっけ?

 

 

暫く泣きじゃくっていると、鍵が開く音と同時に一人の男性が倉庫に入ってくる。年齢は二十五歳の手前くらいだろうか。長身瘦躯という言葉がよく似合う彼は、黒いウィンドブレーカーを身に纏い困った顔でこちらを見ている。倉庫の鍵を持っているという事はトレセン学園の関係者なのは間違いない。トレーナーバッジが見当たらないが、大方新人トレーナーといった所だろう。しかしここまで分かったのは良いものの、先程のレースの敗北をまだ引きずっている私は彼にどう接したらいいのか分からない。暫く沈黙が続いた後に――

 

 

「君の名前は?」

 

 

彼が優しい声で私の名前を聞いてくる。唐突だが、私には父がいない。つまりは年上の男性と話す機会が圧倒的に欠乏しており「父性」と表現するのが正しいのだろうか、私は彼の話し声に一抹の安心感を覚えてしまっていた。

 「スカイ……セイウンスカイ」

 私は小さな声でそう呟く。何かを期待していたのかもしれない。どんな些細な労いの言葉でもいい。私は、出会って一分も経ってない青年からの言葉に執着するほど自己承認というものが欠乏していた。しかし、その返答は思いのよらないものだった。

 

 「良い走りだったね、スカイ」

 「え?」

 

私は顔を上げて彼の方を見る。彼は倉庫の備品を見繕った後、私の隣に座って言葉を更に続ける。

 

 「落ち着いたらでいい。話くらいなら……聞いてあげられるから」

 

彼は手に持っていたお茶を私に差し出す。飲め、という事なのだろう。丁度喉が渇いていたのもあるし、私はそれを受け取って、ちびちびと飲んでいく。

 

 

 「どう? 少しは落ち着いた?」

 「……うん」

 

 

 落ち着きを取り戻すと、今度は一気に恥ずかしさがこみあげてくる。彼が私を知っているかは別として、人前ではあんなにのんびりとした態度でいるくせに、いざ一人になると泣き喚いて、知らない人に迷惑をかけている。同期が今の私を見たら一体何を思うのだろうか。

 

 「それで貴方は何者ですか? 見た感じトレーナーっぽいけど…… っまさか! セイちゃんを暗い倉庫に閉じ込めて良く無い事をしようって思う悪い人ですか!?」

 「それだけの冗談を言えるならメンタルはもう大丈夫みたいだね。うん、見ての通り僕はここの職員だよ。今は上位学年の教官として働いている」

 

 教官――担当ウマ娘を持たずに、クラス単位で座学やレースの基礎的な部分を教える人の事。上位学年の教官と言うのは、主にベテランに差し掛かった人が担当するはずの物なのだが彼は随分若い。

 それから彼は少しだけ話をしてくれた。まとめると、こうだ。次の授業の準備をするために倉庫に向かっていたら、丁度選抜レースが行われていた。結果を見届けた後、誰もいないはずの倉庫の中の開けてみると、先程のレースに参加していた葦毛のウマ娘が泣きじゃくっていて軽く心臓が止まりかけた、という事らしい。

 

 

 「そっか~。 じゃあ、かっこ悪いとこ見せちゃったかな~。迷惑かけてごめんね~」

 

 私は自嘲気味に笑う。精一杯虚勢を張ったつもりだが、確実に面倒くさいウマ娘だと思われただろう。

 

 「僕はそうは思わなかったけどね。まだ新入生なのにしっかりとレースメイクが出来ていたし、途中までのタイムは全然悪くなかった。正直、走っていた子の中だと君が一番可能性を感じさせたよ」

 「えっ…… ありがとう……ございます」

 

 彼は淡々と言葉を並べる。私は思わぬところでベタ褒めを食らい、なんて返せばいいかわからなくなる。不覚にも胸がドキドキする。どうしよう、普通に嬉しい。

 

 「うん。だからこそ最後は惜しかったね。見た感じだと体幹があんまり良くないみたいだ。これからはバランス力を上げれるようなトレーニングを中心に行っていくといいよ。そしてよく食べてよく寝る事。めげずに続ければ結果は必ずついてくるよ。頑張ってね」

 

 一瞬鳥肌が立つ。トレーナーというものに全く無知である私でも、この人は凄い、というのが明らかにわかる。ほんの少し私を見ただけでレースの敗因、何が足りないかを正確に見抜いてアドバイスをくれる。そして私が欲しかった言葉を正確にかけてくれる。確かに上級生の教官を務めるだけのことはある。

 

 「じゃあ僕は用事も終わったしこの辺で……」

 

 彼は倉庫の備品をいくつか持ってその場から立ち去ろうとする。その瞬間、私は彼の袖を掴む。気付けば身体が勝手に動いていたのである。私ってこんな事するタイプのキャラだったっけ?

 

 「……スカイ?」

 「えっと……私のトレーナーさんになってくれませんか?」

 

 思っていた事が口から出る。確かに、この人が私のトレーナーになってくれるのならこれ以上の幸運は無い。しかし私と彼ではつり合いが取れてなさすぎる。片方は上級生の指導教官を務める程の敏腕トレーナー、もう片方は選抜レースでも勝ちきれないどん底ウマ娘。どのような返答が返って来るかなんてわかりきっているというのに。

 

 「僕が君のトレーナーに? ……僕も君のトレーナーになれたらとても嬉しいよ」

 「っじゃあ!」

 

 期待に胸が膨らむ。こんな思わぬ形でトレーナーが見つかるとは思わなかった。人生何があるかわからないものである。

 

 「でも……それはできない」

 

 彼は僅かに顔をひきつらせた後に先程までの口調に戻る。迷惑な事をしてしまっただろうか。だとしたら、今すぐこの場から逃げ出したい。

 

 「そう……ですよね。こんな脚の遅いウマ娘の担当なんてなりたくないですよね」

 「違う」

 

 一瞬、空気が凍り付く。

そして彼は今まで自分が犯した罪を懺悔するかのような口調でこう続ける

 

「僕は、君達の担当トレーナーになれるような人間じゃない。……安心して。トレーナーの目が節穴でもない限りは、近いうちにスカウトが来るはずだから」

 

彼はそれだけ言うと倉庫から出て行ってしまう。残された私は、閉じられたドアの先をただただ見つめる事しかできなかった。

 

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