あの日より青雲の言葉が似合う日を、私はまだ知らない 作:だいだらぼっち
「セイちゃ~ん! 今日の授業寝てなかったね! どうしたの?」
「いや~。ちょっとね~。乙女なセイちゃんには色んな悩み事があるですよ~」
放課後にスぺちゃんが物珍しそうに話しかけてくる。北海道から来た彼女は既に一番初めの選抜レースでトレーナーを決めており、メイクデビューに向けての準備も順調らしい。
件のトレーナーと出会った次の日。私は消化しきれない思いを抱えながら授業を受けていた。
果たして、あのトレーナーは何者なのだろうか。長身瘦躯という言葉がよく似合う黒い服を着たトレーナー。凄腕であることは確かだろう。そんなトレーナーに私は逆オファーを出した結果振られた。それ自体は珍しい話では無い。しかし最後の言葉がどうにも引っかかる。君達の担当トレーナーになれるような人間じゃない、とはどういうことなのだろうか。別段変わったところは見えなかったし、教官という立場である以上、資格的な問題で担当トレーナーになれないという訳では無い。しかも私の担当になれたら嬉しいとまで言っていた。
「まあ、うだうだ考えててもしょうがないかな」
私は鞄を持って立ち上がる。
「あれ? セイちゃんどこ行くの?」
「ん~。ちょっと図書室にね~。気になることがあってさ~」
「そっか! またね」
スぺちゃんが手を振って私を見送る。本当に良い子だなぁって心から思う。きっと彼女から見た世界は何もかもが煌めいていて、毎日が楽しいのだろう。聞いたところによると、彼女は産まれて間もなく母親と死別しており、人間が育ての親を肩代わりしてくれたらしい。私と似ているが異なる境遇。今の感情を一言で表すのなら、嫉妬だ。羨ましい。私の母親は私を愛してくれなかった。何故私だけこんな扱いを受けないといけないのだろうか。
ウマ娘の世界には血統というものがある。人間の世界にもそれはあるのかもしれないが、私達の世界では更にそれが顕著だ。産まれたその時から、周囲から期待されて英才教育を施される者もいれば、母親からの虐待で人前で片耳を堂々と晒せない者もいる。昔読んだ本から一つ言葉を借りるとすれば、不平等な現実のみが平等に与えられているという事なのだろう。ふざけるのも大概にして欲しい。まあ、この現実を壊してやる!という強い意志が私に無かった結果、選抜レースに負けて、謎のトレーナーについて調べている訳なのだが。
「あったあった」
私は広辞苑ほどの太さがありそうな冊子を本棚から取り出す。それは酷く埃を被っており、暫くは誰も使っていないことが伺える。中身はトレセン学園に勤めるトレーナーの履歴書、分かりやすく言えばトレーナー辞典だ。トレセン学園ではあらゆるトレーナーの情報はウマ娘に開示される。勿論、逆もまた然りだ。個人情報保護の観点からは大丈夫なのかと心配になるが、学内関係者しか入れない図書館にそれを置いてあるのがせめてもの抵抗だろう。
私はページを一枚ずつめくっていく。ひどく骨が折れる作業ではあるが、大まかな分類分けはされていたので案外早く彼を見つける事が出来た。しかし――
「なに……これ……」
折角見つけた彼のページは肝心な場所のほぼ全てが黒く塗りつぶされており、分かる事といったら出身地、高校までの略歴、そして趣味くらいだ。他のトレーナーの履歴書には黒塗りの部分なんてないのに。
結局、何もわからないという結果のみを手にして図書室を後にする。いや、あのトレーナーが明らかにおかしいという事だけがわかっただけまだマシか。
開示されるべき情報が開示されていない。これは私達にとって由々しき事態だ、そう生徒会長や理事長に直談判したらどうにかはなるだろう。しかし、それが本当に正しい行いなのだろうか。誰にでも、触れられたくない過去は存在する。私だって、自分の産まれや育ちを誰かに言った事は一度もない。彼のそれがあの黒塗りなのだとしたら、これ以上の詮索は無粋というものだ。
そんな事をあれやこれやと考えながらトレーニング場に向かっていると――
「セイウンスカイ、であってるよな?」
「はい……そうですけど」
胸に堂々とバッジを付けた見知らぬ男性に話しかけられる。ここ最近はお呼ばれされるような事はしていないはずなのだがと首を傾げていると――
「俺の担当ウマ娘にならないか?」
「えっ」
彼の予想通り、突如は私はスカウトを受けた。
「このセイちゃんをスカウトですか~? 失礼ですが、他の誰かと間違えてたりはしませんでしょうか?」
「いいや、俺がスカウトしにきたのは間違いなくセイウンスカイだ。君の選抜レースを見させて貰った。最後にバランスを崩さなければ、一位は君の物だっただろう。それを踏まえて、僕にトレーナーをさせて欲しい」
トレーナーが熱意を込めた目でこちらを見る。なんだ、案外周りは気付いてくれるではないか。彼が一番初めだったというだけで、この学園に勤めるトレーナーならば気づくのは時間の問題だったのだろう。だとしたら、ここでの決断は自ずと決まってくる。彼が良い理由なら沢山あるが、彼でなければならない理由はないのだから。
「わかりました~。これからよろしくお願いしますね」
「ありがとう。正式な手続きは一週間後にここで行おう。印鑑を忘れずにな」
「了解です~」
今ではないのか、という質問は私の頭の中に軽く浮かんだが、特段気にもせずに私はトレーナーとの約束を了承する。心の中は安堵でいっぱいでそれ以外は何も考えられない。とりあえずこれでデビューはできる。祝う相手などはいないが、明日くらいは川辺でうたた寝をした後に釣りをしても良さそうだ。私はそんな事を考えながらトレーナーの元を後にした。
そして約束の一週間後。私は彼に指定された場所で待機する。勿論、印鑑を片手に持って、だ。ふふ、セイちゃんがそんなミスをするわけなかろう? 予定より少し早くついてしまったが、まぁ問題あるまい! 自分でも浮かれているのがわかる、暫くの間私の頭を悩ませていた問題が今日解決するのだから当然と言えば当然だろう。
約束の時間になる。トレーナーはまだ見当たらない。雲行きが怪しいから、早く来てくれるとありがたいのだが。乙女なセイちゃんを待たせるとは随分罪な人である。
一時間が経った。まだトレーナーは来ない。時間を間違えたのだろうか。それとも日付? 遅刻というレベルを超えているのは知っている。幸いまだ雨は降っていない。私のミスかもしれないのでもう少し待ってみよう。
二時間が経った。周囲は段々暗くなってきている。雨が靴下や下着をぐっしょり濡らして単純に気持ち悪い。そして寒い。このままでは確実に風邪をひくだろう。いや、逆に雨で良かったかもしれない。大粒の涙が頬から零れる。こんな酷い顔も雨のせいにしちゃえるのだから。
「なんで私ばっかり……」
負け犬がよく言いそうな捨て台詞。でも、そう思わずにはいられなかった。捨てられた、否、乗り換えられたと言うべきだろう。もしかしたら初めから保険だったのかも。一週間の間が取られた事に違和感を持つべきだったのかもしれない。乗り換えはタブーとされる行為だが、口約束だけでは追及することは難しい。
こんなの、いくらなんでも不平等だよ。なんの為に今まで頑張ってきたのかわからない。こんな所に来ても、私はまた捨てられる。誰も私を必要としてない世界。案外、間違ってないのかもしれない。いっそこのまま何処かに行ってしまおうか。覚束ない夜を一人で過ごして、誰もいない場所で目を覚ます。そんな時でも、きっと誰かが迎えに来てくれる事を私は期待しているんだろうな。そんな時、思わず私の口から出た言葉は――
「みんな……捨てないで……」
「大丈夫、捨てないよ、スカイ」
被せる様に誰かが言う。とても優しい声。私の周囲だけ雨が止む。後ろを振り向くと、一つしかない傘を私に預けた長身の青年と目が合った。
「おやおや、いつぞやのトレーナーさんじゃないですか。その節はありがとうございました。こんな天気の時に外出とは、トレーナーさんも物好きですね~」
泣いている事を悟らせまいと、おちゃらけた口調で必死に取り繕う。声もブレブレだし、彼はきっと気付いてるだろうけど。
「その理論だと、雨の中で傘も差さずに座り込む君はもっと物好きという事になるけど」
「えぇ、セイちゃんはとっても物好きですよ~。釣りと猫が大好きなウマ娘なんて、探しても中々いないでしょうね~」
「……ここだと風邪をひく。着替えと温かい飲み物くらいは用意できるからひとまずは僕の部屋に――」
彼が私の手を取ろうとする。その瞬間――
「っ触らないで!」
自分が思ったよりも大きな声が出る。溢れ出る感情を全て彼にぶつけるように、私は激しい口調でこう続ける。
「私は人を待ってるの! 今日はこんな私を拾ってくれたトレーナーとの待ち合わせ日なの! 分かったならこれ以上私に関わらないで! 私を捨てた貴方は早くとどっかに行ってよ!」
泣きながら言い終えると思考が通常に戻る。あぁ、私はなんて事を。思い切り八つ当たりをしてしまった。しかも、こんな雨の中にわざわざ私に心配をかけてくれるような優しい人に。罪悪感で胸が締め付けられる。殴られても文句は言えないだろう。しかし――
「落ち着いて、スカイ」
彼はそう言うと、優しく私を抱きしめる。
「初めに言ったはずだよ、僕は君を捨てたりなんてしないと。この約束だけは絶対に守る。だから……僕達の部屋に帰ろう。このままじゃ、風邪をひいてしまう」
彼の優しく私の頭を撫でる。彼の温もりが伝わってくる。こんな時でも、性格の悪い疑問が口についてしまう
「資格がないんじゃなかったの?」
「個人の勝手な理由で、その資格が更新されたんだ。たった今ね」
「……なんで私に……そこまでしてくれるの?」
「……ほっとけなくなったからじゃダメ……かな」
「……私かなりめんどくさくて手が掛かるウマ娘かもしれないけどいいの?」
「構わない」
「信じて……いいの?」
「うん、神に誓って」
彼が私の瞳を見つめる。
神様、どうか一度だけ私にチャンスを下さい。この人にだけは捨てられたくない。これ以上は望まないから、どうかこの願いだけは叶えて。
「……じゃあ、行く」
「うん、行こう」
そして私は彼についていこうとする、が
「っ……!」
「どうしたの? スカイ」
「ごめん……足が攣っちゃって。長い間座ってたからさ」
「そう、じゃあ暫く待ってるよ」
「……」
「スカイ?」
「も~、そこは違うでしょ? 私のトレーナーさんなら愛バの一人くらいエスコートしてみせてよ。セイちゃんはそのあたり、割と気にしますよ?」
「ふふ、スカイは手厳しいね。では、お嬢様のご命令通りにさせていただきますね」
彼は少し困ったような顔をしながら、私を背負って立ち上がった。
私は彼のトレーナー室に通されると、まずはシャワーを浴びろということになりバスタオルと替えのジャージ一式を渡される。部屋の真ん中には大きなソファーが堂々と鎮座しており、これは昼寝をする時には使えそうだ。机の上は散らかってはいるものの、作業ができる程度には片づけられており、部屋全体としては私が仕事をする男性に対して持つイメージと寸分違わぬものだった。
いや、唯一イメージと異なる物をあげるとするならば本の多さだろうか。四面ある壁の一つが全て本棚で覆われており、本が一部の隙も許さぬといった格好で敷き詰められている。内容は生理学、医学から心理学や倫理学まであげれば枚挙に暇がない。
「少しはさっぱりしたでしょ。体調は大丈夫?」
「はい」
シャワーを浴び終えると、彼がパソコンをいじりながら私に話しかけてくる。しかしそれ以上の会話は続かない。部屋の中に沈黙が生まれる。散々喚き散らした挙句、おんぶでここまで運んでもらったツケが回ってきたと今になって回ってきた。普通に恥ずかしく、そして気まずい。だが、私がすべき事に関しては別段迷いはない。そう、彼に謝らなければいけない。
「あの……さっきはすみませんでした」
「いや、気にしなくていいよ。僕も逆の立場だったら、どうなってたかわからないし」
キッチンに移動しながら彼は優しい口調で返事をする。しかし、その優しさをどのように返せばいいかわからず口を噤んでしまう。
「……」
「……約束してたトレーナーに逃げられたんだろう?」
「……はい」
「災難だったね。気にするな、とは言わないよ。相手の顔と――」
「気にしてなんかいません」
私はやや強い口調で彼の言葉を遮る。別に怒っている訳では無い。ただこの人にまで、猫を被って生きていくのが嫌なだけだ。
「顔と名前も覚えてません。ええ、必要ないですとも。セイちゃんはこれからレースに勝ちまくってセイちゃんを捨てた人達に後悔させてやるつもりですから。向こうから私の所に来るんです。だから、名前と顔なんて不要でしょう?」
ひとしきり言い終えて彼の方を見てみると、彼は少し驚いた顔をした後にニヤッと笑う。
「ふふ、いいね。とても応援したくなる心持ちだよ。この仕事を初めてまだ数年しか経ってないけど、これがトレーナー冥利に尽きるというものかな。でも……僕なんかがトレーナーでほんとに良かったの?」
「僕なんか……とは?」
「言葉の通りだよ。見ての通り、僕はかなりの若輩者でね。経験があるかと言われたら、胸を張ってうんとは言えない。それどころか……自分に専属トレーナーが向いてるのかどうかすらわからない」
「上級生の教官ともあろうお方が何を仰るんですか。雨に濡れたセイちゃんを抱きしめといて、今更ビビったとは言わせませんよ?」
「……そう言われるとどうも弱いね」
「それに……最後の不安に関しては問題ありませんよ。セイちゃんがこれからレースに沢山勝って、トレーナーさんは凄いんだぞって皆に教えてやるつもりですから。貴方がトレーナーに向いてないなんて、私が絶対言わせません」
彼は目を見開く。返事は返ってこない。かっこつけたセリフを言った自覚はあるが、固まる程の事なのだろうか。すると若干の沈黙の後、彼はこちらを見ながら――
「ああ。頼りにしてるよ、スカイ」
見たこともないような満面の笑みでそう言った。
お湯が沸騰したのを見て、彼はコンロの火を消す。そしてマグカップを二つ持って、私の方を見る。
「コーヒーと必要な書類の手続き、どっちが先がいい?」
「書類の方からで。私猫舌なんですよね」