あの日より青雲の言葉が似合う日を、私はまだ知らない   作:だいだらぼっち

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湿度、上げてきましょう


梅雨入り(心模様がね)

 とうとう私のトレーナーが正式に決まった。今日からトレーニングが始まり、メイクデビューを目指していく事になる。

彼はどんな事を教えてくれるのだろうか。私はどれくらい速く走れるのだろうか。私の、私だけのトレーナーさん。いつか皆にも自慢してみたいものである。キングとか、どんな反応するのかな。想像するだけで面白そうだ。そんな事を考えながら、私は机の上に寝そべる。今は授業と帰りのホームルームの隙間の時間。基本的に暇だが、何かをできるような纏まった時間というわけではない。早くトレーナー室に行きたいな、等と考えながらする事もなくボーっとしていると廊下がいつもより騒がしい。

 

「ねえ、あの人凄くかっこよくない!?」

「私もそう思った! スラっとしててイケメンって感じ! トレーナーさんなのかな?」

「いいなぁ。私もあんな人にトレーニングして貰いたいな。絶対頑張れるよ!」

 

同級生の黄色い歓声が耳に入ってくる。いくらウマ娘といえど、年頃の少女である事には変わりはなく、かっこいい男性がいたらしっかり騒ぐし、ドラマに出てくる俳優の話をする子も多い。そんな私も例外ではなく歓声の先にいる男性を自然と目で追う。するとそこにいたのは――

 

「なっ……トレーナーさん?」

 

昨日契約を結んだトレーナーさんが教室を覗いている。服装はこの前と同じ黒のウィンドブレーカー。あの服装でも様になっているから大したものである。それでこの教室に何の用だろうか。放課後にトレーナ室に行くとは確かに伝えてあるはずなのだが。そんな事を考えていると彼が私の机に向かってくる。

 

「あ、いたいた。探したよ、スカイ」

 

彼はなんの躊躇いもなく私に話しかけてくる。当然のように周囲がどよめく。大方、私にトレーナーがいたのか、といった所だろう。うん、私だって恥ずかしい。確かに皆に自慢してみたいとは言ったがこんな形で巡って来るとは思わなかった。来るとしても、心の準備ができてからとか、もっと何かあるでしょうが。

無視するわけにもいかず、できるだけいつもの感じで応対する。

 

「トレーナーさんじゃないですか。どうしたんですか? もしかしてセイちゃんに会いたくなってついつい来ちゃったんですか~?」

「ふふ、かもしれないね。おやすみのところ申し訳ないんだけど、この書類を担任の先生に渡しといてくれないかな?」

「ほいほい。了解で~す。確かに承りましたよっと」

 

トレーナーさんは私の冗談を軽く流しつつ書類を渡してくる。昨日自分が押した印鑑がチラッと見えたため中身はトレーナーさんとの契約書とかだろう。

 

「ありがとう。よろしく頼むよ。あ、今日の集合は僕のトレーナ室ね。行き方は大丈夫?」

「あ~。ちょっと微妙かもです。軽く教えて貰えませんかね?」

「いや、そういう事なら廊下で待ってるよ、その方が確実だろ?」

「そうですね~。素晴らしい気遣い、セイちゃんの好感度が一上がりましたよ。それじゃあ、よろしくお願いします」

 

するとトレーナーさんは教室から出て廊下の壁にもたれかかる。わざわざ待つのなら書類も自分で渡した方がよいのでは、とは一瞬思ったがそれは置いておこう。待たせて申し訳ないなと思いつつも私の為に待ってくれているという事実が嬉しくて頬が緩んでしまう。

そしていつも以上にふわふわした気分で帰りの会を終えると急いでトレーナーさんの所へ駆け寄る。

 

「お待たせしました~。では参りましょう」

「うん、じゃあ行こうか」

 

トレーナ室までの道のりを雑談しながら進む。黒塗りの履歴書について聞こうと思ったが、直接聞いたらはぐらかされるような気がしたので適当な話題を織り交ぜながら質問する。その中で分かったことをまとめると、彼はトレーナー専門学校出身ではなく一般大学出身である事、ここに勤めて三年目であること、私のトレーナーになる一年前から教官をしている事、くらいだ。更に核心に迫った質問をすべきかを考えているうちにトレーナー室に到着する。

初日は軽めのオリエンテーションとこれからのトレーニングの方針を決めるための体力測定という事で私はまずソファーに座らされていた。

 

「じゃあ本格的に始動ということで。改めてよろしくね、スカイ。差し当たってなんだけど……スカイになんか目標とかってある?」

 「目標……ですか?」

 「うん。何でもいいよ。とあるレースの連覇を目指すみたいな具体的なのでも、自分を変えるみたいなぼんやりしたものでもいい」

 「そうですね~、誰かに覚えてもらえるようなレースをしたい、とは思ってるんですけどこれって目標に入りますか?」

「誰かに覚えてもらえるようなレースをする、ね。いいと思うよ。一緒に頑張っていこう。それと……これから君の担当をするうえで、絶対に守って欲しいルールがあるんだけどいいかな?」

「はい、何なりと」

 

トレーナーさんが改まって顔で私に質問してくる。お願い? 一体なんだろうか。変なものではないといいのだがと思わず身構える。

 

「ふふ、そんな縮こまらなくても大丈夫だよ。ルールはね、ケガをしないように気をつける、これだけさ」

「え?」

 

思わず聞き返す。勿論聞こえてはいる。問題はお願いの中身の方だ。ケガをしないように気をつけるって……そんなわざわざ言われることだろうか。

 

「ああ、要するに無茶しないでねって事。もし破ったら……」

「破ったら?」

「怒るよ」

 

トレーナーさんが笑いながら忠告してくる。場を和ませるための冗談だったのだろうか、まあ、いずれにせよ問題はないか。

 

「安心して下さい、トレーナーさん。セイちゃんは休むことに関しては一流中の一流ですから。無茶なんて絶対にしません」

「ふふ、期待してるよ。じゃあトレーニング場に移動しよう。先に行ってるから用意ができたらスカイも来てね」

 

 

 

 

 

「お疲れさま」

身体測定が全て終わる頃にはもう日も沈みかけていた。トレーニング場の近くで休憩をとっていた私の所にトレーナーさんが駆けよよって来る。

 

 「今日はこれでおしまいかな。違和感がある部分とかない?」

 「はい。特には無いです」

 

トレーナーさんはタオルとペットボトルを私に渡すと隣に座って各種のデータを眺める。

データの中には自分の体重とかも乗ってたりするので近くで見られるのはなんだか恥ずかしい。

 そんな私の視線に気づいたのかトレーナーさんはデータが書かれた冊子を閉じる。

 

「ここで見るのもあれだしトレーナー室で確認するよ。それより本当に足に異常は無い?

スカイが嫌じゃなかったら触診したいんだけど」

「え?」

 

思わず聞き返してしまう。触診、身体を触られるという事だろう。思えば父親がいないせいなのか男性に身体を触られると経験が全くなく、どこか恥ずかしくて目線を逸らしてしまう。

 

「ああ! 別にやましい事をしようってわけじゃないよ! 本人が気づかず故障なんてことも多いからさ」

 

トレーナーさんが焦ったような口調で弁解する。別にセクハラって思って顔を逸らしたわけではないんだけどね。

 

「いえ……そう言う事じゃないです。トレーナーさんの事はちゃんと信頼してますから。セイちゃんは乙女なのでちょっと恥ずかしかっただけですよ。じゃあ……お願いします」

「あっ、はい。分かりました」

「ふふ、なんで敬語なんですか」

「スカイにつられてこっちも恥ずかしくなったんだよ」

 

トレーナーさんの指が私の脚に触れる。さっきまでペットボトルをもっていたからなのかひんやりとして気持ちいい。ふくらはぎをゆっくりと押される。妙に慣れているのか普通に気持ちいい。

 

「んっ」

 

思わず声がでる。自分でもわかるような甘い声だ。

 

 「ごめん。痛かった?」

 「いえ、大丈夫です。続けてください」

 

そう言うと彼は無言で触診という名のマッサージを再開する。次は変な声を出さないように腕で口を抑える。トレーナーさんの指は私が思っていたよりも大きくて何故か安心させられる。しかし――

 

「ちょっ! もう無理です!」

「うわっ」

 

トレーナーさんの顔を尻尾で隠す。これ以上されると絶対に変な声で出てしまう。しかも周囲のウマ娘からの視線が痛い。ただでさえ私のトレーナーさんは視線を集めるというのに、こんな事をしたらもっと目立つのは当たり前だろう。

 

「はあ、乙女のセイちゃんにはまだ早すぎるみたいです」

「そっか。ごめんね、何か役に立てたら良いなって思ってたんだけど……」

 

トレーナーさんは明らかに落ち込んだ口調で呟く。あれ? なんか私が悪いみたいな感じになってない?

 

「ああもうっ! 気持ちよすぎたんですよう。……今度疲れた時お願いしますから、お手柔らかにお願いしますね」

「ああ! 是非とも任せてくれ」

 

私達は同時に立ち上がってトレーナー室に戻ろうとする。この時の歩幅は、何故か自然と合っていた。

 

 

 

 

「こんにちは~」

「お疲れ。机の上にあるドーナツはスカイのだから食べていいよ」

「いいですね~。セイちゃんの好感度が一上がりましたよ。この調子でどんどん上げてって下さいね」

 

身体測定の翌日、今日からいよいよ本格的なトレーニングが始まる。どんなトレーニングをするのだろうか。セイちゃんのやる気は満タンに近いですよ。しかし――

 

「おっと。それ以上は立ち入り禁止ね」

 

トレーナーさんは近づこうとする私を腕で制する。

 

「え? 何ですか?」

「えーと、昨日徹夜でスカイの練習メニュー考えててさ。自分の家に戻ってないんだよ」

 

ふむ。確かに言われてみれば服装は昨日と変わらないままだ。机の上にもエナジードリンクの缶が置かれている。同級生の「トレーナーが私の為に徹夜で練習メニュー考えてくれた」マウントを死ぬほど取られているため驚きは小さい。トレーナーというものは徹夜が大好きな生き物なのだろうか。

 

「それがどうしたんですか?」

「風呂に入ってないって事だよ。その……臭くない? ウマ娘の五感は人間より鋭いらしいし嫌かなって」

「あっ、すいません」

「シャワー浴びてくるから待ってて下さいって事です。待たせて申し訳ない」

 

 

なるほど、要件はわかった。やや肩すかしを食らった状態ではあるが大人しく待つことにする。それに自分の為に徹夜をしてくれたという事実も嬉しい。確かに誰かに自慢したくなるものである。ドーナツもあるしゆっくり待つことにしよう。

 

「ふふ、トレーナーさん。このセイちゃんが背中流してあげましょうか?」

「うーん、十八歳になったら出直しておいで。どんなトレーニングをするかはそこの紙に書いてるから軽く目を通しておいてくれないかな」

 

そう言ってトレーナーさんはシャワーを浴びにいってしまう。折角からかっても全て上手く躱されてしまう。何ともからかい甲斐のない人だなあと思いつつ書類に目を通していく。

書類の中身はどんな風にトレーニングを進めていくかの流れだった。私にもわかるように所々に説明が加えられていてありがたい。枚数もそれなりにあるため一日でこれを仕上げるのは相当大変だっただろうに。ふむ……また好感度が上がってしまいそうだ。

 

「スカイ。おーい、聞こえてる?」

 

トレーナーさんが私の肩を叩く。いけない、かなり集中して読んでいたらしい。時計の針もいつの間にかに十分が経過している。

 

 「結構集中して読んでたみたいですね。無視しちゃってごめんなさいです」

 「いや、声かけない方が良かったかもだね。申し訳ない」

 

トレーナーさんはタオルを首にかけて如何にも風呂上りといった様子で私の前に現れる。髪はまだ濡れていて妙な色気が出ている様な気がする。

 トレーナーさんはそんな事は気にせずにペンを持ってホワイトボードの前に立つ。

 

「じゃあ、今後の方針を軽く説明するね。まずは身体のバランスを整えよう。勿論トレーニングはするつもりだけど成長を待つって感じでもあるね。後は単純なスピード強化かな。この二つをメインに進めていくよ。そのためには――

 

――大体こんな感じかな」

「うう~」

 

ようやく話が終わる。私は大きく伸びをする。うん、普通に疲れた。トレーナーさんの説明はとてもわかりやすくて理解できない部分はない。だからこそ一度にとても多くの情報が流れ込んできて脳が処理に追いついていないのである。

 

「お疲れ。質問とかある?」

「ありますあります。私のデビューっていつになりそうですか?」

「うーん、結構引っ張るんじゃないかなあ。焦ってもいい事ないしね。早めがいい?」

「いんや、ただ気になっただけです。委細承知、セイちゃんにお任せあれです。頑張ります~」

「よし、じゃあ本格始動って事で。期待してますよ、セイちゃん」

「なっ……!」

「どうかしましたか? セイちゃん」

 

トレーナーさんが明らかにからかう様な口調で私の名前を呼ぶ。今まではスカイ呼びだったのに。こんな簡単な事で調子が狂ってしまう。

 

「もう! ……さっさとトレーニング場に移動しましょう。置いてきますよ、トレーナーさん」

「うーん、用意するから先に行っててくれ。直ぐに追いつくから」

「却下します」

「え?」

「セイちゃんは今トレーナーさんと一緒に移動したい気分なので待つって言ってるんです。わかったなら早く用意してください」

 

思わず早口になる。勿論目線は逸らして顔を見られないように気を付ける。私こんな事言うキャラじゃないのに。

しかし折角勇気を出して言ったのに彼からの返答はない。待って、沈黙が一番恥ずかしいんですけど。

 

「………」

「あ、あの~。なんとか言ってくれませんかね? トレーナーさん」

「いや……猛烈に可愛いなと思って」

 

どうやらクリティカルヒットらしい。トレーナーさんのセイちゃんに対する好感度が上がりましたとさ。

 

 

 

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