私こと、ストレンジラブがこの島に送られてからそろそろ一年になろうとしていた今日、私がこの島を訪れて以来初めての外来者が現れた。
ことの発端は吹雪からの報告だった。空から回転翼機の音が近づいている、というのだ。いまだに地球上のどこに位置するのかすらわかっていないこの島は、周囲を謎の敵性生物によって囲まれていて、通常の船舶ではここまで辿り着くのはおそらく不可能であるはずだった。かといって、空なら安全かというとそうでもない。周囲の敵性生物のなかには、小さな航空機を多数飛ばす能力を持っている空母のような奴が存在する。高高度を超音速で飛んでいくならまだしも、低高度を低速で飛ぶヘリの類では、奴らから逃れることは難しいはずだった。
漣を連れて本棟の屋上に上がると、そこでは吹雪と叢雲がすでに対空機銃を構えて周囲を警戒していた。
「どうだ二人とも、なにか見えたか?」
「音は向こうから聞こえてくるんですけど…… 機影が確認できません。おかしいなぁ」
「吹雪の眼でも見えないなんて変ね? 私にも音だけは同じ方から聞こえるんだけど」
吹雪と叢雲はそろって同じ方角を指差している。私もそちらの空に目を凝らしてみたが、常人の私には航空機の姿どころか、彼女らには聴こえるという回転翼の音すら聞こえない。
「はいはい博士、これで気が済んだなら早く防空壕に戻ってくださいね? この島に近づいてる回転翼機が奴らのものじゃないって保証はどこにもないんですぞ?」
こら漣、梯子を降りようとしている人間の頭をグイグイ押さえつけるんじゃない、逆に危ないだろう。
その時、私の耳にもヘリのローター音が聞こえた。しかし、ヘリはまったく姿を見せないまま、音だけが雲ひとつない島の上空を通り過ぎて、やがて逆方向へと遠ざかっていった。
「なんぞこれ…… まるで幽霊みたいですぞ?」
「やめてよ漣ちゃん。……あっ、みんなあれ見て!」
青い顔で肩を抱きながら震える漣をたしなめていた吹雪が不意に叫声を上げると、私以外の三人が、音が近づいてきた方角の空を凝視していた。
「……落下傘ね?」
「なんでしょう、箱がぶら下がってますね」
そう言われても、私の目にはごくごく小さな影にしか見えない。漣が渡してくれた双眼鏡を覗きこんでみたが、今ひとつ視野が暗くてよく見えない。
「博士、サングラスは取りなさいよ」
言われてみればその通りだ。サングラスを外してもう一度双眼鏡を覗くと、私が馬鹿をやってる間にパラシュートはずいぶんこちらに近づいてきていて、今なら私の眼にもパラシュートにぶら下がっている箱がよく見えた。
「MSFの支援ダンボール……?」
意外にも、謎の物体は私にも見憶えのあるものだった。MSF、私が‘70年代半ばにほんの一時期だけ籍を置いていた、傭兵派遣を生業とする私設軍隊だった。彼らは戦場に派遣した兵士に、任務遂行の助けとなる支援物資を直接届けることがあり、その梱包に利用されるのがあのダンボール箱だった。
「あの落下傘、放っておけばここの玄関あたりに落ちそうね」
「どうする、撃ち落としちゃう?」
叢雲と吹雪が再び機銃を構えた。
「吹雪、叢雲、対空射撃用意。中身がわからないから、合図するまで撃つな。だが、照準も外すなよ」
きちんと計算したわけではないが、タイミングを見計らって傘を撃てば、箱だけうまく砂浜に落とせそうだ。中身を調べるのはそれからでもいい。
「漣、五月雨と電はどうしている?」
「指図通りドックでスタンバってますぞ、いつでも出られます」
「よし、吹雪に叢雲。いいか、箱には当てるな。パラシュートを狙え」
「あの博士、ぱらしゅーとって」
「落下傘のことよ!? そんなこと今はどうでもいいから機銃を構えなさい!」
「叢雲も少し落ち着け。吹雪はちょっと語彙が残念なだけなんだ」
「ひどい言われようです!?」
そろそろ猶予がなくなってきたので、吹雪の反駁は黙殺することにした。
「二人ともあまり撃ちこみすぎるな、傘をズタズタに千切らなくてもいい。ちょっと穴を開けて、ゆっくり軟着陸させるくらいを狙うんだ。3、2、1…… 撃て」
聞こえた銃声はほんの数発だけで、穴の開いたパラシュートが大きく軌道を下げ、砂浜にゆっくり落ちていくのを確認した。大当たりー、と漣が歓声を上げた。弾は当てなかったが、ダンボール箱は落下の衝撃で壊れ、中身は砂浜に散らばったようだ。
不意に、吹雪と叢雲が砂浜に背を向けた。二人とも目をかたく閉じて、顔は耳まで紅潮していた。
「なんだ、二人ともどうした。まだ警戒を怠るんじゃない」
二人の返事はなかった。叢雲は眉間に皺を寄せて震えていたし、吹雪に至っては両手で眼を覆ってかぶりを振るばかりだった。
「漣、なにか見えるか?」
「おおぅ、これは…… 男日照りのこの島に、とんだサービスですぞ」
なんのことかと訝しんで、私は再び双眼鏡を構えた。
「パツキンのグッドルッキンガイを、全裸で空輸…… どこのどなたか存じませんが、これはイキなお計らい」
双眼鏡のピントが合ったとき、視界に見えたのはよりにもよって全裸で砂浜に転がる若い男の姿だった。しかも、遠くてよくわからなかったが、ものすごく見憶えのある顔のような気がした。
「……あっ、主砲が! うーん、あの単装高角砲、口径はいかほどですかなぁ」
まだ実況を続けていた漣の脳天に、吹雪と叢雲、そして私の三連装チョップが落ちた。
結果として、砂浜に落ちてきた男は、やはり私の知る人物で間違いはなかった。カズヒラ・ミラー、件のMSFでは副司令の地位にあった男だ。兵士としてもそれなりに優秀ではあるらしかったが、どちらかというとその商才から組織の運営や金勘定を得意とする印象があった。そして、その才ゆえに油断のならない男だとも思っていた。こいつは、組織の利益のためなら仲間すら欺ける男だ。部隊のトップ、伝説のビッグボスにすら隠れてコソコソ暗躍していたらしきふしもあった。
そしてなにより看過できかねるのは、こいつは極めつきのど助平のヤリ××クズ野郎だってことだ。MSF時代には、部隊の女性兵士を幾人もつまみ食いしていたのを私は知っている。正直言って、いくら妖精さんの導きとはいえ、こんな奴を島に迎えるのはためらわれた。なぜさっき中身ごと箱もパラシュートも対空射撃で海の藻屑に変えなかったのか、中身を見る前ならば誤射で済んだかもと思うと、今さらながら少し後悔しているくらいだ。しかし、銃なんか使えない私の代わりにこの子たちに人殺しをさせるわけにはいかないし、こいつだっていくらなんでも子供にまで手を出す奴ではないだろうとは思うが、もしもの事があった時には私も覚悟を決めなければならない。とりあえず、奴が子供たちの寝室に忍んでいけないよう、妖精さんに頼んで施設内のあちこちにガンカメラを配置してもらった。
叢雲を伴って砂浜に転がる奴の様子を見に行ったとき、辺りに散らばる物のなかに見憶えのあるカードキーを見つけた。これは私がピースウォーカーの開発に携わっていた頃、研究室のセキュリティに利用していたものと同じだった。そして、同じ規格の扉がここの工廠の、今は私が研究室として利用している部屋にもある。今日に至るまで一度も開いたことはないという、子供たちが開かずの扉と呼ぶその中にはいったい何が隠されているのか、日頃から疑問に思っていたものだ。
事情聴取の末、結局奴はこの島の仲間入りすることになった。まあ、下半身のだらしなささえなんとかすれば、奴の能力は子供たちの助けになることは間違いない、そこは私も認める。だが念のため昼食後に五月雨に声をかけて、みんなでCQCの稽古をつけてもらえとけしかけておいた。この子たちがただ者でないとわかれば、奴だって不埒なことを企む気も失せるだろう。
しかし、CQC模擬戦で奴は意外な粘りを見せた。まさか四人目まで勝ち抜くとは思わなかったが、まあ五月雨にまで勝てるわけがないな。ことCQCに限ってはあの子だけ次元が違うらしいからな、あの子がいれば子供たちのことは安心だろう。万が一にも、頼りの五月雨が口先三寸で籠絡されたりしないよう気をつければきっと大丈夫だ。
子供たちが風呂に行っている間、奴の話からハルの消息を知ることができたのは僥倖だった。ついでにヒューイの末路についても聞けたのだが、あのバカ宿六…… いや、よそう。不肖の母である私としては、せめてハルが無事育ってくれただけでも御の字としなければなるまい。
カズが風呂に行ったので、私はさっきのカードキーを試してみることにした。もちろん普通に考えればそうホイホイ鍵が合うような代物ではないのだが、こいつはカズと一緒にこの島にもたらされた、つまりは妖精さんの作為によるものであり、鍵が合う可能性は高いと思われた。さて、この中には何が隠されているのか? カードを通すと、耳慣れた電子音とともに扉が開いた。
扉の中の薄暗がりには、眼鏡をかけた細身の男が立っていた。馬鹿な、こんな所に人が? 丸いレンズに差しこんだ明かりが反射する。私が誰何するより早く、二発の破裂音とともになにかが飛んできた。銃弾? いや、不意をつかれてひるんでしまったが、それはあくまで無害なパーティークラッカーで、男は私に笑顔を向けていた。
「ヒューイ?」
その顔を認識して、思わず別れた夫の名が口をついて出た。だが、元夫とその男はたしかによく似てはいるがどことなく顔立ちが違い、目の前の青年はいくらか細面に見えた。
――君に似てくれたほうが、いいと思うんだけど。
急に古い記憶が甦ってきた。あれは、まだハルが私のお腹の中にいた頃、産まれてくる子がどちらに似るだろうかという話になって、ヒューイがぽつりと漏らした言葉だった。ヒューイは不安がっていた、自分の障害が子供にも遺伝してしまうのではないかと。私もまた同じことを考えていた。私と同じく、陽の下を歩けない体質に産まれてしまうのではないかと…… 結局、産まれた子は私の体質を受け継ぐことはなく、成長するにつれて正常に這い回り、やがてはつかまり立ちをするようになった。ハルが初めて立った時などは、ヒューイは涙声で何事かぐちゃぐちゃと呟きながらハルを抱きしめて泣き続け、その父子の姿に私も目頭が熱くなるのを感じたものだった。アフガンの研究室で籠の鳥の身の上ではあったが、あの時ばかりは私たち三人は幸せな家族だったのだ。研究が思うままに進まないプレッシャーが、少しずつヒューイを狂わせていくまでは。
話が逸れてしまった。このヒューイによく似た青年が誰なのか、私はさっきカズに聞いたばかりの話を思い出した、ハルはアメリカで無事に成長したのだと。なぜこんなところで出会えたのかはわからないが、この青年こそが私の一人息子の成長した姿に違いないと感じた。
「いや、ハル?」
私が気の逸るままに足を進め扉をくぐると、背後で扉が閉まり、視界が闇に包まれた。その時サングラスとカードキーを外に落としてきたのに思い当たったが、もう遅かった。暗闇の中で、私は不意に平衡感覚を失い、今自分が立っているのか倒れているのか、動いているのか止まっているのかもわからなくなった。体が重い、足がふらつくようだ、ただ思考だけははっきりしていた。私の脳の奥底から、私の何十年かの人生の記憶と、その中で出会った人々の姿が次々と湧きあがっては流れ去っていくのを感じた。両親、家族、チューリング博士、カルテクの恩師や同窓…… ああ、NASAで出会った朋輩の中に、忘れがたい姿を見つけた。懐かしい人々の顔が過ぎていくのに、闇の中で彼女だけがそばにいてくれるような、そんな気がした。
人々はなおも流れ続けた。コールドマン、ヒューイ、ビッグボス。そして、MSFで出会った人々…… パスやセシールもそこにいた。
二度とは見たくない顔もいた。スカルフェイス、こいつが私たち家族を壊した。だが、奴もまた他の人々と同じく流れ去った。ふと私は気付いた、ハルがいない…… その恐ろしさに心臓は早鐘を打ち、頭がガンガンと痛み始めた。私は頭を抱えてうずくまる、苦しい、痛い。ザ・ボス、願わくば、私のことはいいからどうかハルを守ってください……
頭痛とともにガンガンと耳鳴りがして、私は覚醒した。私はどこか、狭い筒の中に入れられていた。あちこちで小さなランプが明滅している。そうだ、ここはレプタイルポッドの中だった。ハルの怪我のことでヒューイと口論になり、激昂した彼が工具を振り上げた。狼狽した私は逃げようとしてポッドの中に入り、そして出られなくなったんだった。息が苦しい、酸素が不足している。馬鹿なことをしたものだ、部屋の出入口をかためている見張りの兵にでも助けを求めればよかったんだ。
耳鳴りはますます強くなってきたが、その向こうからかすかに、ポッドの外で何者かが言い争っているのが聞こえた。
「エメリッヒ博士、早くこのハッチを開けろ! 中にいるのはあんたの女房だろう、このままじゃ窒息しちまうぞ!」
誰かが重くて硬いなにかでハッチを叩き続けていた。私の耳鳴りだと思っていたのはこの音か。
「乱暴な真似をしないでくれ! これは精密機械なんだ。もし壊したりでもしたら、君たちだってあの恐ろしいスカルフェイスにどんな目に遭わされるかわからないんだぞ!?」
ヒューイの叫び声が聞こえて、一時ハッチを叩く音が止んだ。おそらく、室内の異状に気付いた見張りの誰かがハッチを壊そうとしているのを止めようとしているのだろう。
「彼女はその中になんかいない! きっと見張りの隙をついて逃げ出したんだ、早く探しに行ってくれ!」
私は、息が詰まりそうなのを堪えながら、死力を尽くして内側からハッチを叩いた。
「聞こえたか、やっぱり中に誰かいるぞ。このウラナリ野郎、チャチな嘘八百ばかり並べやがって!」
ヒューイの言葉にならない悲鳴の後に、なにかをひっくり返すような音がした。
「このバカを連れて行け、鎮静剤でも打って倉庫に押しこめろ!」
ありったけの罵詈雑言を吐き散らすヒューイの声が遠ざかっていった。さっき怒鳴っていたのとは別の兵士が、一番デカいバールを探してきました、と大声をあげた。程なくして、兵士たちの掛け声と、ハッチが軋む音が聞こえはじめた。やめろ、このハッチはロケット弾の直撃にもある程度は耐えられる設計になっているんだ。バールなんかではとてもこじ開けることはできない。呼吸が苦しい、もう間に合わない…… 息も絶え絶えに絞り出した言葉はあの人の名前だった。
「たすけて、ボス……」
前触れもなく、薄暗かったポッドの内部で数々のランプが脈動を始めた。換気口が開き、ファンが唸りを上げて外気を取り入れ始め、それとともにあの人を模した電子音声が歌いだした。これは、ニカラグア湖でピースウォーカーが歌った『Sing』か。
歌声の響くなか、ハッチが開いた。バールが転がる音と、兵士たちの悲鳴とも歓声ともつかない声が聞こえた。出口から太い腕が突っこまれて、私の襟首をつかんで外に引きずり出した。
ポッドから外に出て最初に見たのは、「J」の字のアップリケだった。私を引っ張り出した兵士の被っている目出し帽の額に縫い付けられていた。たしか、この男はここを見張っている兵士たちの分隊長だったはずだ。眼しか見えないが、私が助かったのを喜んでくれているようだった。
私の全身が外に出たとき、もうレプタイルポッドの歌は止まって、内部の灯りもほとんど消えていたようだった。だけど、最後にポッドの中からあの人の声が聞こえた。
『……亡命ではない、自分に忠を尽くした。お前はどうだ? 国に忠を尽くすか? それとも私に忠を尽くすか? 国か恩師か? 任務か思想か? 組織への誓いか? 人への情か? ……おまえにはまだわかるまい。だがいずれは選択を迫られる……』
その言葉は、かつてザ・ボスがスネークに問うた言葉のはずだった。レプタイルポッドのAIは、それを忠実に繰り返しただけに過ぎない。しかし、私は担架で運ばれながらも、その言葉が私に向けられたことの意味を考えていた。
21夏イベは乙乙丙で攻略を完了いたしました。しかし、ミトチャンが掘れていない……