グラサン提督   作:カレー味

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幕間三 ジョニーが帰還するとき

 研究施設のシャットダウンをすませた翌朝、イヴァンからここを引き払う準備をするよう連絡を受けた。といっても、あわててまとめなければならないほど多くの荷物があるわけではない。昨日もらったばかりの現金入りの鞄の他には、わずかな着替えや手回り品の入ったスーツケースが一つだけだった。

 

 施設内には見張りの姿はまばらで、遠方へ向かう者はすでにここを発っていたそうだ。荷物を担いで地下から上がると、そこではイヴァンが私を待っていた。

 

「息子さんを迎えに行くんだろ? 送っていってやるよ」

「場所さえ教えてくれれば、自分で行くが?」

「車で二時間かかるが大丈夫か」

「……近いって言ってたじゃないか!?」

「たった二時間だぞ、近いじゃないか」

 

 こういうのは国土の広いロシア人ならではの感覚だろうか。自分で行くにしても車のあてがない私としては、おとなしく彼の助けを借りるしかなかった。

 

 この施設に移されて一年足らず、遡ってアフガンでの軟禁生活から数えれば、もう十年ぶりに私は自由な外界へ出られた。いや、あの南の島の暮らしでは、狭い島とはいえそれなりに外に出てはいたか? そういえば、私はそもそも日光にあたれない体質のはずだ。しかし、あの島の小さな泊地では、南国の強い陽射しを避けて暮らすのは難しい話だった。初めのうちこそ真っ赤に日焼けして子供たちを心配させたこともしばしばだったが、島を去る直前頃にはずいぶんと太陽など平気になっていた気がするな。それでも叢雲は私を気遣って日傘を差してくれていたものだったが、最後の日にカズとの組手大会の審判をしていたときは、私は日傘のことなどまるで忘れてしまっていた。あの環境での生活が、私の体質に影響を及ぼしたのだろうか……?

 

 あの五人の子供たちと別れてからももう一年近くなる。不慮の事故とはいえ、結果としてなにも告げずに出てきてしまった。あの島は、今私がいるこの世界のどこかにあるのだろうか。そして、彼女たちと私が再び出会えることはあるのだろうか? また会えたなら、きっとあの時のことを謝ろう、そして、別れてからお互いにどんな体験をしたのかたくさん話をしよう。そう心に決めた。

 

 そんなことを考えながら施設の玄関を出た時、私はかつてこの世界に戻って来た時のように、またもや眩暈のする思いをさせられた。今度は、まるで自分が四半世紀もの時を飛び越えて過去に戻ったようだった。ここは、若き日に私が学んだカルテク、カリフォルニア工科大学の構内じゃないか! 細かい所では記憶と相違するところもあったが、ほとんどは私が学生だった頃のままだ。私は、知らずしてこの一年ずっと自らのホームグラウンドで研究を続けていたのか…… スカルフェイスが私の移送先にこの地を選んだのは設備の都合もあっただろうが、おそらくはこれも奴なりの皮肉と悪意だ。しばらく聞いてなかった奴の笑い声が聞こえてくるような気がして、イヴァンが車を回してくるまでの間、私はスーツケースを椅子に座りこんでいた。

 

 イヴァンの車は平凡なセダン車で、知らないメーカーのエンブレムがついていた。聞くところによると日本の車だとか。ささやかな荷物をトランクに積みこみ、私たちは忌々しい研究施設と、懐かしき母校を後にした。

 

 

 しばらく走って車が郊外に出たあたりで、私はイヴァンに質問をしてみた。

 

「イヴァン、あなたはアメリカに縁者がいると言ったな。もしかしてロシア系移民なのか」

「おっと、これからは俺をイヴァンと呼ぶのはよしてくれ。俺の本当の名前はジョニーっていうんだ」

「ロシア人じゃなかったのか!?」

 

 サヘラントロプスの開発は表向きソ連の手で進められていた。だから、イヴァンら警備兵もアフガンではソ連の軍服を着ていた。スカルフェイスとソ連との間にどのような密約があったのかはわからないが、警備兵はソ陸軍からの出向であると私は思いこんでいたのだが。

 

「ロシア系には違いないが、俺は元々アメリカ人さ。ちゃんとした戸籍もあるんだぜ? 先に言った通り本名はジョニー、でもソ連でその名じゃあ通りが悪いから、表向きはロシア風にイヴァンと名乗ってたんだ」

 

 たしかにロシア語でいうイヴァンは英語圏じゃジョンに相当するが、なぜアメリカ人がソ連軍に?

 

「そうだなぁ、旅のお供にちょっと聞いてくれるかい? この俺がどんなふうに生きてきたのかをさ」

 

 そうして、ハンドルを握ったままジョニーはぽつりぽつりと自分の人生について打ち明け話を始めた。

 

 

 ジョニーはアメリカのロシア系移民の家系に生まれた。若く見えるが歳は私よりもいくらか上で、まだアメリカにいた頃に結婚していて、すでに子供もいたらしい。

 

「俺の家系は、長男には必ずジョニーって名付ける決まりがあるんだ。俺もジョニー、息子もジョニー、親父もじいさんもジョニーさ。会ったことはないがきっとその前もそうだったんだろうな」

「ジョニー一族か」

「昔、グロズニィグラードで会った男にも同じことを言われたよ。そいつのせいで酷い目にあったが、なんだろう、今思い返しても憎めない奴だったっけな」

 

 そう言ってジョニーは小さく笑った。グロズニィグラード? それは、ソ連領ツェリノヤルスクに築かれた大要塞、彼女の…… ザ・ボスの終焉の地だ。そこから程近いロコヴォイ・ビエレッグ、オオアマナの咲き乱れる水辺に、ザ・ボスの亡骸は眠っているのだとかつてスネークに聞いた。あの時、ジョニーもその近くにいたのか。世間は狭いものだ。

 

「そうか、あんたはビッグボス、そしてザ・ボスとは縁があるんだったっけな」

 

 まるで今思い出したかのように、あっけらかんとした声でジョニーは言った。私の人となりくらいあらかじめスカルフェイスから聞いていたろうに、全部忘れてたというのか?

 

「スネークイーター作戦、とか言ったっけか? その頃、俺はまさにそのグロズニィグラードで牢番をしてたんだ。そこへビッグボスを捕らえて連れてきたのがザ・ボスだった。もっとも、下っ端の俺が彼女と口を利く機会があったわけでもなく、ただ遠巻きに見てただけさ。あの屈強な男を苦もなく痛めつけて、おっかねぇおばちゃんだと震え上がったもんだよ」

 

 おっかねぇおばちゃん…… 私は絶句した。あのザ・ボスにそんな失敬な評価を加える奴を初めて見たからだ。

 

「ちょっと話を戻すが、アメリカに生まれ育った俺がソ連にいたのは、そもそもはロシアの親戚を訪ねていたからだ。だけど冷戦が厳しくなって俺は故郷に帰れなくなり、アメリカに残してきた家族を案じながらソ連で暮らしていくしかなくなった」

「そうして過ごすうちに俺は徴兵され、やがてなんの間違いかGRUに入れられてグロズニィグラードに配属された、そこへあの事件さ。俺はヘマをしてビッグボスに逃げられ、あとはもうメチャクチャだった。開発中だった新兵器シャゴホッドは破壊され、総司令官ヴォルギン大佐は戦死、御自慢のグロズニィグラード大要塞も瞬く間に灰燼と帰しちまった。 ……これ、もしかして俺のせいかなぁ?」

 

 ジョニーは首をひねったが、そんなことを私に訊かれても困る。ただ、あの事件の真相が、ザ・ボスの裏切りではなくすべては任務であったとするのならば、ジョニーがドジを踏まずとも、いずれは同じ結果になっていたはずだ。

 

「俺は、崩壊を生き延びた仲間たちと一緒に逃げることにした。ヴォルギン大佐が死んだからには、俺たちみたいな下っ端だってフルシチョフにどんな酷い目に遭わされるかわからないと思ったんだ。混乱に乗じてとにかく逃げてどこかで国境を越え、いずれはアメリカに帰るんだってね」

 

 スネークイーター作戦からもう二十年になる。この男は、二十年を耐え抜いてようやくアメリカに帰還を果たしたということか。

 

「グロズニィグラードを抜け出したところで、俺たちにはどこに行くあてもなかった。そんな時に出会ったのがあのスカルフェイス司令だった」

「あの時、司令は作戦のバックアップのため現地に潜入していたそうだ。初めて出くわした時はそりゃぁもう恐ろしかったな、言っちゃ悪いがあの御面相だろう、死神に捕まったって思ったもんだったよ」

 

 スカルフェイスたった一人を相手に、何人もの兵士たちがあっという間に、銃の一発も撃つ間もなく無力化されたのだという。その後、ジョニーたちはまとめてソ連軍の将校に引き渡された。逃亡兵として処刑か、それともシベリア送りかと戦々恐々としていたが、ジョニーはその後何事もなかったかのように別の部隊に転属され、ソ連軍人としての生活を続けることになった。

 

「後からわかったことだが、司令はその当時からすでにソ連軍内部にパイプを持っていた。俺たちはソ連各地の部隊に分散させられて、司令にソ連軍内部の動向を知らせる情報提供者(インフォーマント)として利用されることになったんだ」

 

 スパイ活動の報酬は、アメリカに残した家族への定期的な送金と手紙のやり取りだった。家族からの返事は、証拠を残さないためジョニーの手元に置いておくことはできなかったが、連絡員の前で手紙を一読できるだけでも、それだけがジョニーにとっては心の支えだったという。

 

 ジョニーのそんな生活が十数年続き、やがてソ連のアフガン侵攻が始まると、それを隠れ蓑にしたサヘラントロプスの開発が本格化した。私とヒューイはアフガンの研究施設に移され、ジョニーはソ連第40軍からアフガンに出征し、そこでスカルフェイスと合流して私たち家族を見張る任を受けたのだ。

 

「あんたと息子さんを送ったらさ、俺も家族のもとに帰れるんだよ。二十年ぶりだ、皆どうしているだろうな。息子は別れた時はほんの子供だったのに、今じゃもう一人前の男になっているだろう、なぁ……」

 

 急に声のトーンが下がったので振り返ると、ジョニーはハンドルを握る手を震わせて、青い顔で脂汗をかいていた。

 

「おい、急にどうしたんだジョニー、具合が悪いのか」

「なあ博士、教えてくれないか。二十年家族をほっぽらかしにした俺に、今さら家族の中に居場所があるんだろうか?」

「司令は本当に家族に送金を続けてくれたのか、見せてもらってた手紙は本当に本物なのか、ずっと不安だったんだ。もしかしたら二十年俺が信じてきた何もかもが偽物で、女房はとっくに別の男と所帯を持っているかもしれない。息子のジョニーは俺のことなんか忘れてしまったかもしれない、帰れなくなったマヌケな俺を恨んでいるのかもしれない」

 

 ジョニーの下腹部あたりから遠雷のような唸りが響くのが、走行中の車内であるにもかかわらずはっきりと聞こえた。

 

「うあぁ、は、腹が……」

「しっかりしろジョニー、運転中なんだぞ」

「お、俺は昔から胃腸が弱いんだ。極度に緊張したりするとストレスで腹下しを……」

 

 針路の先、街道のそばに小さなダイナーが見えた。あそこに入れば、トイレくらい借りられるだろう。

 

「もう少し頑張れ、すぐ先にダイナーがある。そこでトイレを借りよう」

 

 ジョニーは最後の理性を振りしぼって速度を落とし、駐車場へとハンドルを切る。段差を乗り越える衝撃に、あヒィと裏返った悲鳴が漏れた。なんとか車を停めて、運転席を飛び出したジョニーは全力疾走でダイナーに向かった、例えるならば内股ゾンビの運動会みたいな全力疾走だったが。

 

 ジョニーがダイナーに飛びこんだ直後、女の悲鳴が短く聞こえた。私は車に鍵をかけて、足早にジョニーを追った。

 

 

 扉をくぐると店内に客の姿はなく、カウンターの中には店主らしいアジア系の女が、ショットガンを抱いて茫然と立ちつくしていた。

 

「すまないな、連れが驚かせてしまったようだ。敵意はないから銃を下ろしてくれないか」

 

 私は両手を上げてカウンターに近づき、女の前の席に腰を下ろした。

 

「今の危ないおっさん、アンタの連れ?」

「ああ、運転中に急にひどい腹痛を起こしたらしくてな。この店があってくれて助かったよ」

「なんなのよあいつ!? 血相変えて駆けこんでくるなり、『トイレを出せ!!』なんて絶叫するのよ? 押しこみ強盗かと思ったじゃない!」

 

 店主が指差す方からかすかに、ジョニーの苦悶の声が聞こえてきた。ショットガンが火を吹く事態に至らなかったのはこの場の全員にとって僥倖であったが、どうやらここからが長い戦いになりそうだ。

 

「アールグレイをストレートで、あとなにか軽くつまめるものはあるかな」

「アンタ、マイペースが過ぎるってよく言われないかい? ……まあ、お客さんだったらそれでもいいわ。アールグレイはないけど、ウォルマートとサンドイッチでいいかしら」

 

(出るっ。 ……まだ出るぅ!!)

(おおぉ…… こんなものが……)

(流せるのか、これ!?)

 

 店主はつかつかとトイレに向かい、ドアを荒々しく蹴り続けながら怒鳴った。

 

「ちょっと! うちは飯屋なんだよ、トイレは静かに使いな!! 今度騒いだら××の穴を増やしてやるからね!?」

 

 ジョニーはそれきり静かになった。

 

 

 スッキリした顔のジョニーが出てくる頃には、紅茶のおかわりも三杯目になっていた。私が食べていたサンドイッチを羨ましがったジョニーは自分もなにか注文したそうだったが、私はメニューを取り上げると、ジョニーの襟首を引っ張って店を出た。迷惑をかけた店主には、勘定にチップを多めに弾んでおいた。

 

「お、おい、無理に引っ張らないでくれ。俺飯まだなんだよ」

「うるさい、おまえは当分消化管を空にしておけ。一時間以上はトイレを占拠してたんだぞ」

「そんなぁ……」

 

 

 渋るジョニーを運転席に押しこみ、再び車が走り出した。目的の街に着く頃には昼になっているだろう。不意に、ジョニーが先程の話の続きを始めた。

 

「ずっとトイレで考えてたんだけどさ」

「うん、なんだ?」

「二十年会えなかった家族と、まずは正面から向き合ってみるよ。もしも許されなかったら辛いけどさ、それでもまずは会ってみなきゃぁ」

 

 そうだろうな、結局そこが一番なんだ。私だってハルに会いたいが怖いことは怖い、それは同じだ。私はダメな母親だ、結局父親の暴走を止めることができなかった。私がヒューイに立ち向かう勇気があったなら、一時的にとはいえハルを手離すことはなかったのかもしれなかった。私はやり直すチャンスをもらえた、今度こそ私は間違えるわけにはいかない。




 今回までで幕間編は終わりと約束したな? あれは嘘だ。

 申しわけありません、幕間編最終回を書いているうちにどうしてもいつもの倍くらいの分量に伸びてしまったので、分割して全四回とします。

 MGS4のエンディング、その構想段階では、アキバことジョニー佐々木とメリルの結婚式に、MGS3で登場したGRU兵のジョニーがアキバの祖父として参列するという案があったとか。そんな素敵なネタをなんで没にしちゃったんだという思いが今回の話の元ネタです。

 あと、チョイ役で登場したダイナーの女店主は、脳内CV:朴璐美さんの声を当てて読んで頂ければ幸いです。『カズラジ。』のアマンダがゲストの回、私のお気に入りだったんです。



21.11.23追記

 途中で一段落抜けてるところがあったので書き足しました、長い軟禁生活を抜けると母校だった的な部分です。初稿を修正した時にうっかり消し過ぎてたみたいでした。
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