グラサン提督   作:カレー味

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第二十話 Man in the Miller

 夢、夢を見ている。俺の名前は、相沢…… いや違う、祐一なんて奴は知らん! それは別のお仕事だ、悠一なら俺の戦友だが。いやそうじゃないよ、俺はカズ、カズヒラ・ミラーだ。なにもかもおかしい、もう一度やろう。

 

 

 

 夢、夢を見ている。夕焼けに染まるプラットフォーム。ここは1974年のカリブ海、今日は俺たち『国境なき軍隊』が初めて催した一大イベント『平和の日』だ。それは、たまには戦争のことを忘れよう、そんなアイデアから始まった。すべての隊員が一堂に集い、この日ばかりは仕事のことを忘れておおいに楽しもうというお祭り騒ぎだ。

 

 その平和の日のメインイベント。パスと、俺と、ガルベス教授。この三人でバンドを組んで、オリジナル曲を皆に披露しようという企画だった。作曲俺、作詞パス、不本意だが編曲ガルベス。ちくしょう教授の奴、俺の苦心の作をほぼ原型とどめないレベルまで書き換えちまいやがって…… お、俺の作曲理論が間違っていたというのか!?

 

 だが新しく書き直された曲はパスに好評だった。そこにパスが自ら歌詞をつけて、伴奏は俺のギターとガルベスのテルミンだ。三人でなるべく都合をつけては練習を重ねた、もちろんスネーク含めて皆にはナイショのショだ。マザーベーススタッフから口の堅い奴を選んでスタッフに任命し、当日に向けてステージ設営の準備も進めた。ビッグボスなどなにするものぞ、俺たちがビッグスターだ! 度肝を抜いてやるぞ……?

 

 夕陽が水平線に沈み、マザーベースが闇に包まれた。ここからがステージの始まりだ。手筈通り一斉に投光器が舞台を照らす、そこに俺たちは立っていた。プラットフォームで各自思い思いに酒食と談笑を楽しんでいた隊員たちが事態に気づき、目ざとい奴らは早くもかぶりつきを占拠すべく駆け寄り始めていた。我らMSFの誇る百戦錬磨の兵たちが歓声をあげながら押し寄せる、その様はさながら現代に蘇ったテルモピュライだ。

 

 センターに立っていたパスが俺に振り向いた、ライトに飛ばされてその表情はよく見えなかったが、きっと不安を感じているのだろう。無理もない、こんな大勢、ほぼ三百人の益荒男どもを前に歌うなんて、彼女にとっては産まれて初めての経験のはずだ。だが案ずるな、君にはこの俺がついてるんだ。今はただ、精一杯ステージを楽しんでほしい。俺は抱えたギターをポンポンと叩くと、力強くパスに頷き返してピースサインを送った。

 

 パスは再び前に向き直ると、マイクをONにして観衆に呼びかけ始めた。スピーカーから大音量で彼女の声が響く。

 

『みなさぁーーん、『平和の日』楽しんでますかぁぁーーーー!!!』

 

 地響きのような、鬨の声のようなどよめきが観客席から沸き上がった。

 

『今日はぁー! 私たちがぁーー!  みんなのために作った歌を、歌いまぁぁーーーす!! どうか聴いてくださぁぁぁーーーーぃ!!!』

 

 その言葉に返すようにどわぁーー、と大歓声があがった、すでに観客は総立ちだ。

 

『曲はぁ! 『恋の抑止力』でぇーーす、セイ・ピーーーース!!!』

 

 隊員たちが『ピース!』と叫び返す声がひとつになっていた。打ち合せたわけでもないのに、皆ピースサインを振り上げていた。俺は歓声が落ち着くタイミングを見計らって、手元のシンバルで拍子を取った。リズムに合わせてパスが歌い始めた、俺のギターとガルベスのテルミンもすかさずついていく。いきなり独唱から入る難しい構成だったが、その後ボーカルが一息ついてからは俺たちの伴奏が彼女をエスコートするんだ、一音たりともトチるわけにはいかない。さあ行こうぜパス、間奏が終わればそこからは君がヒロインだ……

 

 

 

「ふがっ」

 

 間抜けな声を出して俺は目を覚ました。目を開けると視界を占領していたのは、パスとは似ても似つかないピンクの髪とその分け目だった。なんだ漣か…… ここはどこだ、周囲を見回すとそこは昨夜みんなで歌い騒いだロビーで、どうやら俺はソファーに座ったまま眠ってしまっていたようだった。それにしても懐かしい夢を見たもんだ。もう三十年も昔の、決して実現することのなかった『平和の日』の祭典、決して叶うことのなかった俺の青春の幻か。でもいい夢だったな、これが現実だったならどんなにか素晴らしかったろうな。だけど、なにがパスか、なにがガルベス教授か。あいつらの正体はサイファーの工作員、パシフィカ・オーシャンと、KGBのスパイ、ザドルノフだ。現実の俺はそれを最初から知っていたのにな、夢の中の俺は二人を疑ってすらいなかった。この夢が今でも俺の深層心理の願望だったということなのか、三十年前のことをまだ引きずり続けてるってことか? 身体こそ若返ったが俺もうすぐ還暦なんだぞ、うわぁこっ恥ずかしい、まさか寝てるうちに変な寝言とか口走ってなかったろうな? 俺はおそるおそる周囲を見回してみた。

 

 あたりには、俺たちの他に誰の姿も見当たらない。俺は起き上がろうとしたのだが、膝の上には漣が座ったまま俺の胸に顔を埋めて寝息を立てていて、俺の手足は漣にガッチリホールドされていて身動きがとれん。喉が渇いた、あとトイレにも行きたい。

 

「おい、名雪…… じゃなぁーい、漣、起きろ!」

 

 俺はなんとか拘束から抜け出そうともがいたが、この子たちは見た目こそ少女であっても、その腕力は大の男顔負けだ。ここまでガチホされてしまったら、もう力ずくで外すのは不可能だった。今はまだロビーには誰もいないが、こんな所を電にでも見られた日にはソロモン、いやモノホンの悪夢だ。どんな目に遭わされるかわかったもんじゃないぞ!?

 

「うにゅぅ…… けろぴー、あばれちゃだめだお…… おやすみぃ〜」

 

 寝言であった。誰がけろぴーだ、おまえはいったいなんの夢を見ているんだ? マジで色々スレスレだから目を覚まして!? お願い、300円あげるからァァー! しかし懇願も空しく俺を拘束する力はますます強まるばかりだった。

 

「おはようございます、カズヒラさん。ゆうべは楽しかったですね!」

 

 そのときカートを押してロビーに現れたのは五月雨だった。カートには鍋と、食器と、あと漬物などの瓶がいくつか載せられていた。よく冷えてそうなマテ茶らしきピッチャーもある。鍋からは米の香りが漂ってきていた、台所で朝食を作ってくれていたのか。

 

「ゆうべはみんな飲みすぎちゃったみたいなので、今朝は胃に優しいお粥にしてみたんです。いいですよね?」

 

 いい。全面的にいい。なによりも、身動きできないこの状況でアッツアツのお粥をこぼさないでくれたのは最高だ、ほぼSランクだよ。

 

「おはよう五月雨、ところでみんなはどこに行ったんだ? あと、すまないが漣を引っぺがすのを手伝ってくれないか、身動きができないんだ……」

「電ちゃんは飲んでなかったから、吹雪ちゃんのお尻をひっぱたいて朝の哨戒に出かけました。吹雪ちゃんもちょっとお酒が残ってたみたいなんですけど、本来電ちゃんと組む順番だったはずの叢雲ちゃんがもっとひどい二日酔いで使い物になりませんでしたので」

 

 五月雨は散らかったテーブル周りを片付けながら答えた。それにしても、俺たち昨夜はそんなに飲んだっけか……? しかし、見る限りだけでもテーブルにはビールの空き缶が10本以上、さらには空のワイン瓶に、二割がた残っただけのウィスキー瓶まで認められた。これ、全部俺たちが飲んだっていうのか? 昨夜にここでなにがあったのか思い出そうとしてみたが、ダメだった。みんなで『Sing』を歌ったあとからの記憶がまったくない……!

 

「叢雲はどうしてるんだ、大丈夫そうなのか?」

「叢雲ちゃんなら表にいますよ、懲罰中ですけど」

 

 懲罰ゥ? 穏やかじゃないな、でも電そういうことには厳しいからなぁ…… まああとで様子を見に行ってやろう。とりあえず今は脱出が先決だ、脱出したらダッシュして排出だ。 ……おっ、今のはちょっとライムっぽかったぞメモっときたい。でも手が動かせなーい、漣つよい! 勝てない……!

 

「漣ちゃんには抱き癖があるみたいなんです。私たちも毎朝のように誰かしらしがみつかれてるんですよ」

 

 テーブルを片付け終えた五月雨は、カートを脇にどけて俺と漣のそばに立った。そして背後に右手を上げて身を低く構え、一歩踏み出しながら全身の関節のひねりを集束させた右掌打で漣のケツを引っ叩いた。ベチィッ、と普通ならとても人体が発するとは思えない異音がロビーに響く。

 

「あおおーっ!!」

 

 野獣の咆哮めいた絶叫とともに漣が飛び上がった。そのままドスンと俺の膝に着地して、驚愕に眼を見開いた漣と俺が暫時見つめ合う。

 

「おはよう漣、やっと起きたか」

「えっ、ちょ! やだ、()()()()

 

 自分がどんな寝相だったのか自覚したのか、一瞬で耳まで真っ赤に紅潮した漣が、俺を突き放すように立ち上がった。そのまま後ずさろうとしてテーブルにつまづいて転び、悲鳴をあげながら卓上で一回転して反対側のソファーに大股開きで転げ落ちた。ところで、今わたしとか言った? 普段からキャラ作ってる感のすごい漣であるが、素の性格は案外真っ当な女の子なのかもしれないな。

 

 漣の意外な一面を垣間見て(意外でもなんでもないイチゴ柄も垣間見て)しまったが今はそれどころじゃない、まずはトイレだトイレ。

 

 

 ふぅ…… 出すものを出してようやく人心地がついたぜ。もしも美少女たちの眼前で漏らしでもしたら人権をなくすところだった。セーフっ……!

 

 洗面台で鏡に向かってみたが、うわぁ俺今ひどい顔してんなぁ、男前台無しだよ。口を濯ぎ、顔を洗い、あっ無精髭伸びてる。朝飯の後でキチンと剃ろう。ヨレヨレのスカーフを直そうとしたら、なにこれなんかヌメヌメするぅ〜。なんだこれと思って鼻を近づけたらすっごい酒臭い、ああこれ多分漣のヨダレだな? ある意味とてもレアな気もするが、これをクンカクンカしたりするのは人としてアカン、ダメ絶対。とりあえずは水道の水でジャブジャブ濯いで絞り、次は髪を整えようと胸ポケットを探ると、櫛はあったがグラサンがまた行方不明だ。グラさん、グラさぁーーん!? いや呼んだって返事するわけないか、むしろ返事が帰ってきたら怖いぞ。

 

『はぁーぃ』

 

 それなのに、俺の他には誰もいないはずのトイレで小さな返事が聞こえた。ははーん、これは妖精さんの悪戯だなぁ? 誰だ、ハジメさんか? 棟梁か? それとも他の誰かかな? 声の主を探してキョロキョロ周囲を見回していると、続いて頭上から声をかけられた。

 

『SB2C-5、へるだいばーよ!』

 

 フライトキャップとグラサンめいた黒いレンズのゴーグルにフライトジャケット、その下に着こんだ黄色いライフジャケットが目を引く。足元がミニスカにアレンジされているのを除けば大戦当時の米軍飛行兵の服装によく似ている、俺にとっては初めて会う子だ。ヘルダイバーといえば大戦も後期の、米海軍最後の急降下爆撃機を名乗る妖精さんが、鏡の上の電灯から俺を見下ろしていた。

 

『いやん、のぞいたらだめよ? このいたずらこぞうめ♡』

 

 初対面の妖精さんはそう言い放つと、マリリン・モンローさながらにスカートを押さえて身をくねらせた。ええい、誰が妖精さんのパンツなどに欲情するものか、もちろん女子中学生のイチゴパンツにだって欲情などしない。しかし実のところ妻子と同居してた頃には、娘のキャサリーが飾ってたフィギュアのパンツを覗いてガチギレされたうえに、女房には「とうとう人間だけじゃ飽き足らなくなったのねぇ」と呆れられたことはある。でも確認するものだろう常識的に考えて。

 

『あなたがあどみらるなのね? すてきね、さぁ、いっしょにいきましょう? いいかな?』

 

 いきなり出てきてグイグイくるなこの子。いや、悪いけど俺って提督じゃないのよ。俺はあくまでも子供たちが日本にたどり着くまでの手助けをするだけ、決して彼女らの上官ではない。そもそも彼女らは軍人じゃないし、俺は司令官でも指揮官でもないアドバイザー的なサムシングだ。それでももう彼女らと寝食を共に…… いやこれは語弊があり杉田、じゃなくて食事はともかく寝室は別だが、とにかく共同生活を始めてから一月以上が過ぎた。短い間だが一緒に危機を乗り越えたこともあったし、色々と楽しい思い出もできた。ここまで親しくなっておきながら、日本に着いたらハイサヨウナラではちょっと薄情な気もする。

 

 そもそも、彼女らの目的は日本まで帰り着けばゴールというわけではなく、そこから世界の海を守るためにあの怪物どもと戦う力を世界に広めることだ。さしあたっては、彼女らの力と技術をまず日本政府に売りこんで彼らの理解と支援を得る必要がある。俺は元自衛官ではあったが、それはもう四十年も前の話だ。そっちのコネなんかはもう当てにはできない。しかし、五年前までは米軍にいたんだ、在日米軍になら知り合いがいないこともない。そっちの縁から迂回すれば、日本政府にまで話を通すことは不可能ではない、と期待したい。

 

『へい、みすたー? ぼうっとしちゃってどうしたの?』

 

 ヘルダイバーちゃんが心配そうに俺を見ていた。すまないな、どうにも俺はついつい自分の思考に没頭しちゃう癖が抜けないんだ。

 

「心配させてすまない、俺は大丈夫だよ。はじめましてだよな、俺はカズヒラ・ミラー。カズって呼んでくれ。ストレンジラブ博士に代わり、ここの子供たちの手助けをさせてもらってる。よろしくな」

『すとれんじらぶはかせ……? そーりぃ、しらないひとだわ』

 

 ストレンジラブを知らない? この子、もしかしてごく最近ここに現れたのか、あるいは長い間ここから離れでもしていたのか?

 

『わたし、もうにねんぶりくらいでやっとそとにでてこれたのよ。にねんまえにはしまにはざ・ぼすさんがいたわ。そのまえにいたなおみせんせいもしってる』

 

 詳しく聞いてみたところ、どうやらこの子は最近俺たちが漁っていた倉庫に紛れこんでいたらしい。彼女らは妖精サイズの航空機を操る能力を持った妖精さんなのだが、ここの少女たちはみんな駆逐艦なので、せっかくの航空戦力を使いこなすことができない。よって航空機妖精さんたちには仕事がなく、ある日暇潰しに倉庫の探検ごっこをしているうちに、奥まったところにハマりこんで出られなくなった。そのままなんと二年、最近俺たちが倉庫整理を始めたおかげで、ようやく外に出られるようになったんだそうだ。

 

『まったくひどいめにあったのよ? このままぶっだみたいにさとりをひらいちゃうんじゃないかとおもったわ』

「仏陀はどうか知らんが、達磨大師なら面壁九年だからな。あと七年我慢すれば本当に悟れたかもな」

『のーうぇい! じょうだんじゃないわ。ようせいはしんだりしないけど、せまいそうこのおくでごはんもおしごともないせいかつなんてもうたくさんよ。ねえかず、しゅっしょいわいになにかおいしいものおごってちょうだい?』

 

 お粥でよければ五月雨が用意してくれてるぞ、とりあえず飯を食いに戻ろうか?

 

 

 ロビーに戻ってくると、漣は不機嫌そうな顔でお粥を食べていた。

 

「……ずいぶんゆっくりしてましたね。朝っぱらからトイレに籠っていったいなにしてたんですか、ナニしてたんですか」

 

 何を考えてるのか知らんが、今朝の漣は妙にトゲが多い。トイレですることなんて排便排尿のコントロール以外にないだろう?

 

「嘘ですぞ。昨夜は漣にお酒を飲ませて泥酔前後、その後は一晩中抱き倒して寝ていただけでは飽き足らず、さっきは漣のパンツを覗いてまた欲情したのに決まってます……」

「酒飲ませて泥酔前後っておまえ、そもそも最初から自分で飲んでたじゃないか」

 

 泥酔前後とか抱き倒すとかいう妙な言葉がなんのことだかはだいたい想像がつくが、なんともひどい言われようだ。俺の女癖についてストレンジラブからなにをどう聞いていたのかは知らないが、俺は決して子供には手を出さないし、大人相手だって同意なしにそういう関係を強要したことは一度もない。ましてや酒や薬で酔わせているうちになんて論外だ。たとえ一夜限りの関係であっても、相手に愛されずしてなんの甲斐があるか。

 

 なおこの哲学をうっかり妻の前で口走ったところ、即座にCQCとナイフで過去の女遊びを覚えている限り全部白状させられたことがあった。妻はダイヤモンドドッグズ時代の部下ではあったが、兵士としては全盛期の俺よりもはるかに強いのだ。今俺の命が無事である理由は、幸か不幸かダイヤモンドドッグズ時代の俺は復讐のことでほぼ頭がいっぱいで、一切他所の女と遊んでなかった点につきる。そのとき吐かされた女遍歴も、もう昔の話ということで勘弁してもらったのだ、土下座して再発防止は誓わされたけどな。

 

 いやそれはどうでもいい、俺の気も知らんと漣のこの放言許しがたい。ここは一言はっきり言ってやろうじゃないか。

 

「あのなぁ漣……」

「カズ様がトイレに籠ったのだってアレです、そんな時男子がすることなんてただ一つでしょう? 漣の身体のやーらかい感触を反芻しながらシゴック先生に違いないです! いったい昨夜から何斉射してるんですか、カズ様のヘンタイ、おにちく、絶倫!」

「シゴック先生ってちょっとぉ!? 俺のことはどう言ってもいいがそれはシゴック先生に謝れ、このまちだいすきな先生に謝れ!?」

「シゴック先生って誰ですか?」

 

 俺と漣が口論を始めかけたところに五月雨が無邪気な質問をはさんだ。シゴック先生は日本の教育番組に登場するキャラクターだが、もちろん漣はその名を元の意味で使っているわけではない。じゃあどういう意味で使っているかと聞かれても、俺は五月雨に説明できないししたくない。俺も漣もすっかり心が汚れ切ってしまっているが、勝手ながら五月雨だけには清い心のままでいてもらいたいんだ。困惑して目をそらしたら漣と目が合った、いがみ合いを始めていたのになにか通じ合うものを感じた。俺と同じことを考えている目をしていた。

 

「なぁ漣、このへんでよさないか」

「奇遇ですな、漣も同じこと考えてました。ちと頭を冷やしましょうか」

 

 五月雨はまだシゴック先生について聞きたそうだったが、適当にごまかしておいた。ピッチャーから冷たいマテ茶を漣のグラスに注いでやり、俺も手酌で一杯飲んだ。爽やかな香ばしさがささくれ立った感情を癒してくれる気がした。

 

「漣が言ってた泥酔前後の件なんだがな、俺もほぼ昨夜の記憶がないからこう言って信じてもらえるかわからないんだが、さっきトイレで見た限りじゃ俺の身体には異状は見当たらなかったぞ。だからおそらくそういうことはなかった、はず…… だ。たぶん。疑うなら、おまえもトイレ行って自分で調べて来いよ」

「そうさせてもらいます。じゃあ、トイレが妙に長かったのは?」

「歳を取るとな、おっさんはトイレが長くなるもんなんだよ。だが今日の場合はな、たまたまトイレでこの子に出会って話をしてたからだ。聞けば最近俺たちが漁ってた倉庫の奥でここ二年近くずっと遭難してたそうなんだが、この子の顔に憶えはあるか」

『ろんたーい! さざなーみ、おひさしぶりねー』

 

 ポケットから飛び出したヘルダイバーちゃんが漣に手を振った。

 

「おぉっ、ずいぶん懐かしい顔ですな。憶えてますよ、アメさんの艦載機妖精さんじゃないっすか」

 

 いつの頃からか姿が見えなくなって、探しても見つからないからてっきりアメリカに帰ってしまったのかと思っていた、と漣は当時の事情を説明した。

 

 そのあと漣がトイレに立って、ヘルダイバーちゃんは俺の分のお粥を勝手に食べ始めた。そうだ、叢雲が表で懲罰中だとさっき聞いたな、飯の前に様子を見ておこう。

 

 ロビーのすぐそば、正面玄関から表に出ると、叢雲はコンクリートの三和土の上で正座をさせられていた。

 

「おはようカズ、いい朝ね」シュコーシュコー

 

 どこがいい朝だ? はたから見れば、少なくとも叢雲個人にとっては最悪の朝に思えるぞ。声だけは余裕たっぷりに朝の挨拶をしてくれた叢雲は、後ろ手に縛られて正座させられて膝の上にはご丁寧に鉄鋼のブロックまで乗せられていた。下に算盤が敷かれてないのがせめてもの情けか。挨拶のあとに変な呼吸音が聞こえたのは、頭に口を軽く絞った紙袋を被されているせいだ。『私は二日酔いで哨戒当番をサボったのです』と書かれた紙袋の脇に例の電探が一対フワフワ浮いているさまはなかなかシュールな絵であった。これで口先だけでも取り繕おうとする精神力がすごい。

 

「なんだこりゃ、電の仕業だな? いくら懲罰っつってもやり方ってもんがあるぞ」

 

 俺は紙袋を破いて叢雲の呼吸を自由にさせてやった。袋を被せる拷問というのはある、目的は視界を奪い不安を与え、なおかつ呼吸を制限して苦痛を与えることだ。俺はしたこともされたこともあるからよく知ってるよ。

 

「ちょっと、勝手なことするとあとで電に叱られるわよ?」

「いくら懲罰とはいえ、窒息の危険を伴う行為は看過できん。俺を叱るというならたっぷり30分は叱るといい、なぁに構うものか。クセになってんだ、電に叱られるの」

 

 だったら、いいけど…… と尻すぼみにつぶやいた叢雲の表情は完全にドン引きだった。あ、あれ? カッコいいこと言ってみたつもりだったんだが?

 

「それにしてもひでぇ面してるな、二日酔いの上に酸欠を起こしかけている。二日酔いにはとにかく水分補給だ、あとトイレに行きたければ縄も解いてやるが?」

「その心配はいらないわよ! ……でも、ありがと。お水だけもらえるかしら?」

 

 マテ茶のグラスを持ってきてやったが、あいにくストローは用意がなかった。だから、むせないように注意してゆっくり飲ませてやった。

 

「んっ…… んくっ、うくっ、うっ…… ぷはっ」

 

 叢雲は手を縛られたまま白い喉をこくこくと動かして素直にマテ茶を飲んだ、あとが怖いから言葉には出せんがそこはかとなくえっちだ。

 

「本当に縄を解かなくていいのか、そんな姿勢で大丈夫か?」

「大丈夫よ、問題ないわ。これでも私は懲罰を受けている身よ、気にしてくれるのはありがたいけど、これ以上は示しがつかないから捨て置いてちょうだい」

 

 叢雲が困った顔をするので、俺はそれ以上の世話はよした。かわりに、気になってたことを聞いてみることにした。

 

「なんとなく感じてたことなんだけどさ、おまえって電にだけは強く出られないところあるよな。どうしてなんだ?」

「……」

 

 始め叢雲は答えなかった。じっと見つめると目を逸らしたので、なにか隠していると確信した。だがこの俺を相手に黙秘などさせないぞ。叢雲は今逃げられない、くすぐりか? それともアツアツ白粥がいいか? 秘密を聞き出すためなら俺はやるぞ、電が帰ってこねぇうちに。どぉーもぉ叢雲さん、知ってるでしょう〜? カズヒラ・ミラーでございます、おい粥食わねぇか。

 

 いやそうじゃねぇって、それは北海道のローカル番組だ。お粥を取りに立ちかけた俺を呼び止めて、叢雲は打ち明け話をはじめた。

 

「わかったわよ、話す、話すから。なんなのよそのねばっこい絡みかたは」

「なんだ、あっさり口を割る気になったか」

「だって、私が黙ったってどうせ漣あたりに聞くんでしょう? あいつの口からあることないこと好き勝手に言われるくらいなら自分で言うわよ」

 

 先日は電も漣の不真面目な態度に苦言を呈していた。今はトイレに行ってるであろう漣、気づいてるかー? おまえ、こんなにも仲間たちからの信頼度が低いぞー? あいつだって、任務に対しては決して不真面目なやつじゃないのにな。日頃の言動からのイメージで損してるところはあると思う、俺自身もなんか身につまされる気がするけど。




 私事で恐縮ですがうちの浦波と磯波が改二になりました。艦これ運営さん漣にも改二はよ。
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