“AIの奴隷となった私の研究生活はさらに長い時が過ぎて、時代は21世紀、暦は2003年に入っていた。私はもうずいぶんおばあちゃんになってしまっていたが、そんな頃社内のある人物から私にコンタクトがあった。その名はナオミ・ハンター博士、社内のデータベースによれば彼女の専門は遺伝子工学、まだ若いけど相当に優秀な科学者だった。”
“研究者としてもう先のない私の後釜がこのナオミ博士なのだとその時悟った、でも用済みになった私はどうなるのだろう…… AIがどう判断しようと私には抗う術はなかったけど、いつか彼女が私と同じ轍を踏まないように、その前にせめて伝えられるだけのことを打ち明けておかなければならないと思った。普段の私は社内の誰ともほとんど会うことがなかった、今ではもはや経営陣ですら私の顔を知らない者の方が多いくらいだった。常日頃からそれだけ警戒していたにもかかわらず、その時の私は彼女からの面会の求めを了承してしまったのだった。”
“ナオミが私の研究室を訪れた時、入ってきたのは彼女一人ではなかった。驚きよりも懐かしさすら感じたその顔、彼もすっかり歳を取ってしまっていた。元・GRU山猫部隊のリーダー、オセロット少佐。彼もまた、かつては結社に集った同志の一人だった。”
元々はクラーク博士がこの島でパスのクローンを造るに至る経緯の手記だったはずなのに、いつの間にやら博士の半生記になってるんだよなぁ…… しかし、サイファーの創設メンバー自身による内部事情の暴露というつもりで読めば、世界中でもこの俺こそがもっともこの手記を必要とする読者であるかもしれなかった。
繰り返すが、この手記はクラーク博士のクッソ汚い悪筆をナオミが読解して清書したものである。そして、俺は引用せずに省略したが、そこに書かれた医学技術や専門用語については、ところどころにナオミ自身の見解や解説を赤ペンで注釈として書き加えられていた。
これは俺の感想にすぎないんだが、もしかしたらこのノートもナオミ自身にとってはあくまで草稿でしかなく、あとから自身の残した子供たちの診察記録とあわせてきれいにまとめ直すつもりだったのかもしれない。
ナオミがなんのためにそんなことをしたのかというと、それはこの記録がきっと先々あの子たちを支援する誰かの助けになるだろうと考えたからではないだろうか。しかし、作業が終わる前にナオミが元の世界に帰されてしまったために、ノートは未完成のまま地下深くの鍵のかかった引き出しの奥で塩漬けになっていたわけだが。
さて、クラーク博士の回想はナオミとオセロットが訪問するところまでで唐突に途切れ、次のページからは博士が番号を振ったクローン、ジェーン01〜05までの経過観察と、他には博士のバカンス生活についてのわりとどうでもいい記述が続いていた。しかし、内容が急に切り替わったところをよく見ると、ノートから一枚か二枚か、ページが破り取られた不審な痕跡が認められた。
破り取られた部分には、これまでの文脈から予想するに、おそらくはクラーク博士が死に至った事故の真相が書かれていたのではないかと思う。そして、そこにはナオミもなんらかの形で関与していたのではないか? ナオミはその記述を一度書き写しはしたが、万が一でも余人の、たとえば子供たちの目に触れることを恐れて破り取り処分したのではないだろうか。
ナオミ以外の誰かがノートに手を加えた可能性もなくはないが、俺より前にここにいたザ・ボスやストレンジラブはこのノートを見たのだろうか? 地下に入渠ドックのための給湯設備が造られたのは開発者であるストレンジラブが来てからのはずだが、おそらくあいつには引き出しの鍵を開けることはできなかっただろう。
それ以前にもザ・ボスが地下を調べていた可能性はあるが、正直ザ・ボスほどの人がわかりやすい痕跡を残していくわけがないし、それを俺などに簡単に見つけられるとも思えない。少なくとも、ノートに残された筆跡にはナオミらしき一人のものしか見当たらず、現状ではこの件についてそれ以上の追求は俺には無理だ。
破り取られた先の記述を読み進めてみると、妖精さんが設備を整えて、クラーク博士がパスのクローンを造りはじめてからだいたい四、五ヶ月くらいだろうか。その頃にはクローンはほぼ成長を終えていたようだ。俺が見た五人のパスの写真、それはその頃に撮られたものらしかった。
ただし、その五人の頭の中身は空っぽのままだ。複製元であったパスの記憶を引き継いでいるわけでもなく、カプセルの中で眠ったまま成長した生きている死体のようなものだった。
ハジメさんはその肉体を依代に駆逐艦の魂を降ろしたと言った。その時具体的にどのような出来事があったのか、その記述を最後に、クラーク博士の手記は途切れていた。
“妖精さんに頼まれたクローンの培養は、五体とも無事完成までこぎつけることに成功した。しかし、妖精さんたちはこの子たちをどうするつもりなのかしら…… 彼女たちは一見人間として十全の機能を備えているように見えても、脳の中身までオリジナルのジェーン0を複製できているわけではない。”
“このままカプセルから外に出したとしても、彼女たちは立って歩くことも、言葉を話すことも、いえ、それどころか目を覚ますことすらないでしょう。その肉体は一人前に活動することもなく、その脳は自らの生命活動を維持する機能すら備えてはいない。カプセルの生命維持装置から切り離されたらすぐにでも死んでしまうような、美しくも儚い模造品…… 私はただ請われるままになんてものを造ってしまったのだろうか、その罪深さに慄かされた。”
“『おせんちはそこまでにしておきなさい』背後からの小さな声に振り向くと、そこには妖精さんの大群が控えていた。『さるべーじかいし!』『のりこめー』号令とともに、妖精さんの群れが次々と五基のカプセルに飛びこんでいった。『さあ、はかせははなれてください。しあげはわたしたちが』妖精さんの大群は私にもまとわりつき、私はカプセルから引き離されてしまった。”
“ガラス窓をすり抜けて飛びこんだ妖精さんがすっかりカプセルに詰まりきると、バーナーを構えた妖精さんたちが進み出た。待ちなさい、それでなにをするつもり!? 制止するまもなくバーナーに点火し、カプセルは炎に包まれた。なんてこと! これじゃまるで『食人族』みたいじゃない、この島はグリーン・インフェルノだったの!?”
“『おちつきなさいはかせ。ほのおはすべてをやきほろぼすおそろしいものですが、またあらたないのちをふきこむそくめんをももつものです。さあよくごらんなさい、あなたのつくったくろーんに、われわれがいまたましいをふきこんだのです』私が顔を上げると、燃やされたはずのカプセルは焦げ跡一つなく正常に動作を続けていた。”
“『せいこうじゃー』『ばんざーい、ばんざーい』喜びに沸く妖精さんを掻き分け、私はカプセルに歩み寄って中を覗きこんだ。カプセルに詰まった妖精さんも、私が造った五人のジェーンも姿を消して、カプセルの中身は焼かれる前とはまったく異なる姿の五人の少女に変貌していた。”
“日本人らしき黒髪で芋…… いいえ、素朴な顔立ちの子、長い銀髪が目を惹くすごい美人の子、冗談みたいなピンクの髪をした子、晴れた日の海のように青い髪がきれいな子、ちょっと小柄な茶髪の子…… 妖精さんはいったい何をしたのか、ジェーンたちはもとの姿形からすっかり変わってしまった。でも、ただ変身しただけではなく、この子たちは今までのように覚めない昏睡を続けているわけではないと一目で確信できた。だって、茶髪ちゃんの手足が少し動いた。銀髪さんは眼球運動をしているのがわかる。夢を見ているのね…… どんな夢なのかしら? 黒髪ちゃんは歯ぎしりをしていた、カプセル越しなのにすごくよく聞こえた。青髪ちゃんが寝返りをうった。ピンク髪ちゃんは、お尻をボリボリ掻いていた。”
“妖精さんが言うには、明日の朝にでもあの子たちは目を覚ますだろうとのことだった。今夜はもうパーティーね! 思いっきり贅沢な食事やお酒を用意して、妖精さんたちと一緒にあの子たちの誕生をお祝いしよう。”
『ちなこのときばーなーをふるうえいよをいただいたうちのひとりががわたしです。えっへん』
ハジメさんは自慢げだった。オマエノシワザダタノカ。
『くらーくはかせはけんぞうのせいこうにたいへんかんげきしてくれましてね、みんながめをさましたらじぶんがこそだてをするってはりきっていたのですよ』
「でも、あの子たちを育てたのはナオミ先生だったんだよな?」
『はい。ぱーてぃーがおわったあと、さんざんのんでくってたかいびきのくらーくはかせにはそのままもとのせかいにおかえりいただきました。そのあとなおみせんせいをここへおまねきしたのです』
なんでまた? と尋ねてみると、ハジメさんは難しそうな顔でこう答えた。
『くらーくはかせにはわれわれのきたいいじょうのおはたらきをいただきました、われわれいちどうかんしゃにたえないのであります。ただ、くちくかんのみなさんにとっていくせいやくにふさわしいかたはほかにいらっしゃいましたので』
その適任者がナオミ、ザ・ボス、ストレンジラブ、そして俺ってことか。
「んで、本音は?」
俺が重ねて問うと、ハジメさんはちょっと驚いていた。なんというか、ハジメさんがクラーク博士について語るとき、俺はその言葉の端々に反感を、いやそこまで根深くないにしても、かすかな不満のようなしこりを感じたのだ。
『……くらーくはかせはかがくしゃとしてはゆうしゅうなかたでしたが、こどもたちのきょういくじょうこのましいじんぶつではないとおもわれました』
『はかせときたら、ぷろじぇくとのせいひのきーぱーそんであるたちばをいいことに、われわれにたかってまいにちまいにちぐうたらなぜいたくざんまいを…… かずさん、ものおきべやにあったがらくたのかずかずをみたでしょう? あれはほとんどがはかせのもとめにおうじてかきあつめたものだったのです』
裂けそうなほどにハンカチを噛み締めて悔しがるハジメさん。彼女をここまで怒らせるとは、いったいクラーク博士はどんな要求をしていたんだ? その時俺は先日の電とのことを思い出した。
「もしかしてあれか、先日電に焼かれたDVDの山もそうだったのか」
言ってしまってからうっかり口を滑らせたと思った。いつぞやの軍法会議で槍玉に挙がったのは麻雀賭博の件だけで、景品のえっちなDVDについては皆に伏せられていたし、あとでハジメさんに処分を頼んだのは大ハズレの熟女もの一枚だけだった。しかし、ハジメさんはそれくらいの事情はとうに承知済みだったようだ。
『あれはですね、はかせがえいがをみたいというからごよういしたのです。まいなーでいかがわしいえいががみたいと、だからくろうしてかきあつめたのに…… そういうほうこうせいじゃないんだとおこりだして、はかせはけっきょくいちまいもみずじまいでした』
独身女にエロDVD詰め合わせをプレゼントしたら怒られるのも無理もない気がするが、ハジメさんの話の続きによれば、博士はその後もマンガ、ゲーム、CD・DVD、おもちゃ、カメラ、家電、デジタルガジェットその他諸々を要求するなど、滞在中はしこたま妖精さんにたかり続けたそうだ。
ハジメさんが数年越しにぶちまけた憤懣は俺自身にも耳の痛い話だった。いずれ日本で活動を始めるときにも、妖精さんにたかって仕入れタダのハンバーガー屋をやるのはよしておこう。
さて、あの子供たちが無事誕生したあと、妖精さんはクラークを早々に送り返し、新たにナオミを子育て役として島に迎えた。
妖精さんの口から事情を知ったナオミは義憤にかられ、子供たちの情操教育上問題はなさそうだと思われたものだけを寄宿棟に残し、あとのガラクタは全部本棟の空き部屋にとにかく詰めこんだらしかった。博士の手記が途切れた続きには、そのあたりの経緯がナオミ自身の筆による注釈として綴られてノートは終わっていた。ノートの最後の1ページまで使い切り、その先も裏表紙の裏にまで書きこみかけて中断された最後の一文が妙に気にかかった。
“元の世界でまた会うことがあったら絶対ただではすまさない、よりにもよってこんな干物かサボテンみたいな女に私の兄さんが”
いくら引きこもり生活だったとはいえ、クラークはFOXHOUNDのメディカルチーフの地位にあった。だから、部隊にいたナオミの義兄フランク・イェーガーとなんらかの縁があったとしてもおかしくはないんだが、ナオミの最後の言葉はもはやほぼ罵倒も同然である。この三人にどんな因縁があったのだろうか? まあ、どうせ俺にも、この島の子供たちにも無関係のことだろう。それ以上深く考えはせず、俺は読み終えたノートを自分のデスクにしまいこんだ。そうそうハジメさん、悪いんだがこのデスクの鍵を用意してくれないか? 結局このノートも隠しておかないわけにはいかないようだし。
『それくらいはおやすいごようです』
ハジメさんはすぐさま簡単な鍵をさっと差し出してくれた。ナオミのノートとクラーク博士の写真を引き出しにしまって鍵をかけてみた、やはりヘアピンでこそ泥の真似事をするよりずっと楽だ。このノートはこれからはこっちで保管しよう。
『かずさん、ちかにおいたままのげんぼんはかいしゅうしなくてよろしいのですか』
すぐ確認できる俺の部屋にこうして隠し場所を確保できた以上、あっちのノートも地下から回収してかまわないかもしれない。それに、あっちにはナオミが自分のノートから破り取った部分の原文が書かれているはずだ。そこが気になるのはやまやまだが、あの悪筆を自分で解読するのは気が重いなぁ……
「解読はそのうちやるから、ハジメさんノートだけ先に回収しておいてくれないか?」
『へあぴんいっぽんでかぎをあけるようなきようなまねなんて、わたしにはとてもむりです』
「今みたいに鍵作ればいいじゃないか」
ハジメさんは横を向いて口笛を吹き始めた。あからさまにサボタージュなのだ!
「じゃあ、デスクごと解体して中身を取り出すとか」
『なかみののーともいっしょにぶんかいしちゃいますがよろしいか』
「ぐぬぬ……!」
日頃から物理を無視したものづくりをしている割に、意外なところで融通が利かないものなんだな。仕方ない、どうしても俺が自分で行かなきゃダメってことか。ハジメさんがなにを企んでいるのかは心当たりがある、だったらやってやろうじゃないか。俺は壁の掛け軸を一瞥すると、ふんすと気合を入れて立ち上がった。
「ようし、じゃあ地下に行くついでに、やってみるか避難訓練」
ハジメさんが目を細めて笑った。うーん、さすがに殴りたいこの笑顔。さっきも言ったとおり、この掛け軸の裏には地下壕直通の竪穴がある。危険はないとハジメさんは言ったが、底の見えない穴に飛びこむのは実際相当勇気が要る。
「本当に大丈夫なのかこれ……」
穴の底はやっぱり見えない。ただ、こんな穴なら風が通っててもおかしくないのに、そういう流れはまったく感じなかった。
『かぜがとおってかけじくがばたついたらかくしつうろのいみがないでしょう』
ハジメさんはこともなげに言ったがなにそのムダ技術。
「飛びこむにあたって、なにか留意点はあるか?」
『そうですね、てあしをばたばたしないこと、からだはまっすぐ、うではむねのまえにこうさ、つたんかーめんになったつもりであしからおちるとよいです』
「ツタンカーメンは穴に落ちないと思うなぁ……」
『つべこべいわない』
穴の淵に立った俺をハジメさんがゲシゲシ蹴ってきたが、そんなに急かされたって怖いものは怖いよ。羽根を備えて宙を舞う身には、地べたを這いずるヒトの気持ちなどわかるまい!?
『だからはねはかざりですってば。そんならこうです』
ハジメさんは俺の胸ポケットに潜りこんだ。
『さあ、これでもうわれらはいちれんたくしょう。おそれることなどなにもありません』
ハジメさんがポケットに入ってても安全保障にはならないんだよなぁ。ハイラル地方の妖精さんみたいに俺が力尽きる時に自動で回復させたりしてくれるんなら話は別だが。
『ほうほう、せけんにはそんなべんりなどうぞくがいるんですな、いずれさんこうにさせてもらいましょう。さあさあなこかいとぼかい、なこよかひっとべぃ』
ひっとべー♪ ひっとべー♪ などと懐かしいメロディに乗せてハジメさんは歌っていた、俺のポケットの中でモゾモゾ踊り回るのはやめてもらいたい。
「よぅし、俺も男だ、ヘリの墜落に巻きこまれても生き延びたんだ! いくぞッ!」
俺は意を決して竪穴に身を躍らせた。落下にかかった時間はほんの二、三秒足らずだったろうが、それでも俺には走馬灯が見えそうなくらい長い時間に感じた。
竪穴の先は薄明るい部屋に通じていて、俺は虚空に投げ出された。そこで急に落下速度にブレーキがかかり、気がつけば俺は大きな救助マットの上にふんわりと着地していた。なんだこのマット、あまりに大きくて全貌がよく見えないんだが、どうやらアニメ調の女の子のイラストが描かれているようだ。大丈夫ですとかなんとかいう文言も書かれている。なんだか知らんがすごい安心感だ。
『そのものやせんふくをまといてこんごうがたにおりたつべしー、ふるきいいつたえはまことであったー』
ハジメさんがポケットから顔を出して神妙な台詞を吐いていたが、なんだその実のなさそうな予言は。
「こんなマットを用意してたのなら、最初に教えておいてくれよ」
『そこがとうあとらくしょんのきもですので。やってみればたのしかったでしょう?』
まあ楽しいっちゃぁ楽しいな。ここからまた執務室まで昇る面倒さえ考えなければ、日課にしたっていいくらいだ。しかし、こんな娯楽性を付加する必要はあったのか? 妖精さんはこれで商売でもするつもりなのか、工業化も近代化も結構だが、あんまり俺たち人間の悪い癖に染まらないで欲しいものだ。
『いずれはこれをいべんとのめだまに……』
ハジメさんはまだ何事かつぶやいていたが、それにしても今のは妙な落ち方だったな。ビル火災の救助なんかに利用されるこういうマットは、最大でも地上15mくらいからの落下を想定している。だが、執務室からこの地下まで、おそらくはその倍以上の落差を落ちたはずだぞ? マットの衝撃吸収性には安全マージンをとってあるだろうが、普通ならマットか人間かどちらかが壊れてもおかしくない。
『なあに、それはかんたんなたねですよ。まっとにつくまえに、くうちゅうできゅうげんそくしたでしょう? あれはむらくもさんのみみのあれとおなじぎじゅつをおうようしてましてね、じゅうりょくせいぎょをおこなっています。じつはこのまっとすらなかったとしても、あんぜんにちゃくちできるしくみになっておるのですよ。まっとをごよういしたのは、あんぜんだけでなくあんしんをよういしなさいとおっしゃるなおみせんせいのごようぼうからです』
またムダに高度な技術を…… マットから降りた時、不意に俺はなにかを蹴飛ばした。拾い上げてみると、それは俺のいた時代では世界最大のシェアを誇る、北欧の某メーカー製の携帯電話だった。
『おや、それはみおぼえがあります、くらーくはかせのけいたいでんわですよ。こんなところでおとしてたんですな』
こいつは俺も知ってるぞ、たしか2002年の新製品だったっけな。見た目はただのストレート携帯だが、横から開くとQWERTYキーボードと大型の液晶ディスプレイが出てくるっていうマニアックなモデルだ。なんで俺がそこまで詳しく知ってたかというと、俺もこれが欲しかったけど、普通の携帯の倍くらい高価だったから諦めたんだ。俺の生活スタイルで使いこなせるものでもなかったしな。
でも残念なことに電源は入らないみたいだ。そういえば水没して壊れたってクラーク博士の手記にも書かれてたよな、もったいない。
『かずさん、それわたしがなおしましょうか?』
「できるのか」
『でーたのきゅうしゅつはできませんが、しょきかしてしんぴんどうようにもどすくらいなら』
クラーク博士の、ひいてはサイファーの中枢に迫る情報の一端が、もしかしたらこの携帯にまだ残されているのかもしれなかった。俺の個人的な復讐のためにも、あるいは逆に奴らの追求を免れるためにも、この携帯に残っている情報は役に立つかもしれない。ここはこのまま持っておいて、いずれ俺が元の世界に帰ってから解析するべきではないか?
「ハジメさん、それはちょっと待ってくれないか」
『えっ!?』
俺が少し考えこんでいた間に、勝手に修理は終わってしまっていた。いや修理どころじゃない、なんということでしょう。匠の手によって、ずんぐりしたプラスチックのボディは上質感あふれるアルミ合金のスタイリッシュな薄型ボディに。ディスプレイはタッチパネル化された上にボディサイズ一杯まで拡げられたし、キーボードの打鍵感も快適だ。
「新品どころか新製品になってるじゃないか、しかもかっこいいなぁ、これ…… さすがだよハジメさん、君は確実に恐るべき天才だよ
『おきにめされましたか、かんしゃのきわみ』
ズパッと音がしそうなくらいにハジメさんは恭しく頭を下げた。これどうしよう、サイファーの情報はとりあえず諦めるか……
マット部屋から出ると、隣は例のクローンカプセルや入渠ドック給湯設備のある大部屋だった。あれこれやっている間に吹雪はもう入渠から上がっていたようで、俺は再び階段を登り、無人の入渠ドックから工廠に出てそのまま本棟へ帰った。
ロビーに戻るともう机上演習の跡はすっかり片づけられていたが、子供たちやいくらかの妖精さんが集まって何事か意見しあっているところだった。
「みんな集まってどうした?」
「あっ、カズヒラさん」
「カズ様、これに見憶えあるんじゃないですか?」
漣が指差すテーブルの上に乗せられていたのは、この俺が見間違えるはずもない、俺愛用のとあるブランドのサングラスと一足のブーツだった。
「こいつは、先々月くらいに俺が海で失くしたやつじゃないか。こんなものをいったいどこから?」
『なんせいだいばのけんせつよていちのちかくに、いつのまにかおかれていたのです』
答えたのは設営隊妖精の頭、監督さんだった。
「漂流して打ち上げられたとかか?」
『いえ、それはありえないとおもわれます。これらはいそからすこしあがったところ、なみのかぶらないばしょをえらぶようにきちんとならべてありました』
「気味が悪いのです」
俺の意見は、監督さんにすぐ否定された。電の言うとおり、たしかにこれは気持ち悪いよ。このサングラスは、以前俺が島周辺の哨戒に同行したとき、ボートから投げ出されて海に落としたものだ。ブーツの方も、履いたままじゃ泳げないから脱ぎ捨てたんだった。どちらも海に浮くものじゃない、ここに流れ着くなんてまずありえない。誰かがこれを海底から拾って、わざわざ俺の所まで返しにきたんだ。しかも皆で行っている哨戒網を掻い潜り、妖精さんたちの目を避け切ってだ。ノーキルノーアラートの完全ステルス、ほぼSランク確定じゃないか。
「返しにきたって、いったい誰が……? いえ、考えるまでもないことね」
叢雲が眉を逆立てた。彼女も気づいたのだろう、これはあの怪物どもの仕業に違いあるまい。戦力を増強中の我々をあざ笑うかのように、きちんと俺たちを見張ってるぞ、いつでも潰しに行けるぞとわざわざプレッシャーをかけにきたわけだ。
「わしらも舐められたもんじゃのぉ」
忌々しげに呟いた漣に、皆が殺気立った面持ちで頷き返した。
「そうだな。だがその話をする前にまずは晩飯にしよう、飯が済んでから対策会議だな。片付けが済んでも皆ロビーに残ってくれ」
それにしても今日は色々あり過ぎた一日だった。おまけに、とどめのように起こったのが実に気味の悪い出来事だったのも確かだ。だが、ここにはそんなことで気後れしているやつは一人としていない。どこのどなた様の差し金か知らないが、一丁やってやろうじゃないか?
パラメディックさん私生活は絶対ダメ人間だと思うんですよ(強調)
桑島声艦娘求む!
2023/04/02追記
台場の建設がまだ始まってないのに建設現場とか矛盾したことを書いてしまったので該当箇所をちょっと書き直しました。