『かけまくもかしこきあまてらすおほかみおほみしまおほかみのみまえにかしこみかしこみもまをさく――
つねのためしのまにまにたてまつるひごとのみけをたいらけくやすらけくきこしめしてすめらみことのおおみよをときわにかきわにいはいまつりさきはへまつりたまひ――
こたびのたたかひにめされていゆきむかへるいくさぶねらがうへをなでたまひめぐみたまひてこころたけくみすこやかにもののふのみちながくひさしくまもりさきはへたまひておほきいさをしをたてしめたまひ――
またかずひらみうらがやぬちやすくおだひになりはひゆたけくうみのこのやそつづきにいかしやぐわへのごとくたちさかえしめたまへとかしこみかしこみもまをす――』
工廠の一部、ドックの脇に設えられた小さなお社の前で神主として祝詞を上げているのは鶴姫さまだ。俺や五人の子供たち、工廠に集まった手空きの妖精さんたちは、みな社の前に並んで頭を垂れ、つつしんで祝詞を拝聴していた。
思い返せば俺って産まれ育ちが日本なのに、この歳になるまで祝詞を聞く機会なんてなかったな。初めて聞いた正直な感想としては、祝詞というものは要は神様への陳情みたいなものなんだな、とそんな印象を受けた。文体は古いやまと言葉ばかりなので細かいところまで完全には意味がわからなかったが、何を言ってるのかなんとなく意味が通じるところだけ聞いてると、子供たちの武運長久やら俺の家内安全やら商売繁盛やらを祈ってくれていることくらいはわかる。
ただ俺の名字は三浦じゃないんだよ、でももはや訂正はできそうにない。名前が間違ってても神様の御利益は俺に届くんだろうか? 人間の郵便ですらちょっと名前が間違ってるくらいならちゃんと届くんだから大丈夫だと信じたい。この島の子供たちを無事日本へ送り出して、俺が元の時代に帰してもらえますように。もう一度娘のキャサリーに会えますように、どうかよろしくお願いします神様。
このお社は、工廠の引きこみ式ドックの脇に造られた甲標的基地に併設されている。人間である俺から見ると小さな祠のようなものだが、さほど広くないなかにも妖精さんサイズの鳥居、参道、社殿を備えた本格的なものだ。
社殿の裏手には甲標的を並べた棚があり、艇を上げ下ろしするクレーンが備えつけられている。基地の建屋は一部がドックの左右から外の海に突き出した突堤にまで続いていて、そこが彼女ら三島水軍の新しい棲家だ。
『みうらどの、こがいにりっぱなおやしろをたてていただけたなぁひとえにおぬしのおほねおりあってのことじゃ。ぐうじつる、みしますいぐんをだいひょうしてかんしゃいたしますぞ』
引きこみドックを挟んだ反対側とその突堤は水上機部隊の基地となっていて、お社がないことだけを除けばだいたい甲標的基地と似たような造りになっている。今日は俺たちが鶴姫さまと出会ってからもう一週間あまり、工事を任せた棟梁はかなり張り切ってやってくれたらしい。
『みうらどの、きいとるのか、みうらどの?』
なお、工事にかかった資源はなんとタダだった、おかげで電のやつは上機嫌だった。しかし、資源の代わりに工賃として請求されたのは、先日の机上演習で駒の代わりに使っていた謎のコインだった。支払いのためにロビーに置いてあった羊の貯金箱はほぼ空になったが、どういう意味があるんだろうあのコイン、子供たちに聞くところによれば遠征で入手した資源に時々混じっているそうだが……
「あぁー、これはダメですねぇ。カズ様って、しばしばこうやって自分の考え事にトリップしちゃう癖があるんですぞ」
『……わしのなみのひらをもて』
あんなコインは俺も見たことがなくて、それがいつかどこかの国の通貨だったのか、そもそも本物の金なのかそれすら判別がつかない。秤でもあれば比重を調べることくらいはできるんだが、換金できる機会もないこんな孤島では、たとえ本物の金だったとしてもどうしようもないかな?
『……』
いつか俺がこの島から元の世界に帰れる日が来たら、コイン何枚かくすねて行っちゃダメだろうか。なんせ帰ったところで俺の自宅はイーライどもに焼かれちゃったからな…… まあいくら家をなくしたといってもまったくの無一文というわけではないし、いざとなれば土下座してでもフロリダの女房のところに転がりこむという手もある。だが、いずれ日本に移住して新たな事業を興すことを思えば、先立つものはいくらあっても足りん。それでも俺はへこたれんぞ、娘のためにも何度だって裸一貫から成り上がってやるんだ……!
『せいっ』
「うひゃっ!?」
不意に左耳の中でショリッと鋭い音とともに冷たくすぐったい感覚がして俺は跳び上がった。なにが起こったのかわからないまま右耳にも同じことをされて、気がつけば鶴姫さまが懐紙で太刀を拭っていた。
『ちぃとはきこえがようなったかの』
俺から見たら爪楊枝サイズの小さな太刀だが、一瞬で耳毛を剃り落とされたのか……? 昔の床屋でそういうサービスあったよな、今じゃ法律変わったり技術を持った床屋さんがいなくなったりしたそうで見なくなったが。
『つぎははなげをそってしんぜようか? みうらどの、われはちぃとざつねんがおおすぎよ。ひとのはなしはちゃんとしゅうちゅうしてきくものじゃぞ』
「鼻は勘弁してくれ、小鼻でも切り落とされてはかなわん」
俺は鼻を押さえて恐縮するしかなかった。
『じゃがのー、ここなむすめっこどもはよいの。みなようしゅうちゅうできておる』
艤装を起動して出撃の準備を始めた子供たちを眺めながら、鶴姫さまは感心したような口振りでつぶやいた。
『とくにあのむらくもというむすめはじつによいの、なかなかにたかいれいりょくをそなえておる。わしのねぎにしてきたえればいずれはわしのあとめをつがせてもよいくらいじゃな』
ネギ? ああ禰宜さんか。一瞬その字面が思い浮かばなくて、槍の代わりにネギを振り回す叢雲の姿が脳裡をよぎり吹き出しかけたが、その隙にとうとう右の鼻毛を剃られてしまった。
『またぼんやりしとったのぅ? ほれ、はんたいのはなもだしんさい。かたほうだけではぐあいがわるかろうが』
右の鼻毛を剃られたら左の鼻も差し出せ、アメリカ時代の日曜礼拝でもそんなことは教わらなかった俺だがおとなしく言う通りにした。わあ鼻が通って息がしやすいぜ、でももう勘弁してマジで!?
「カズ、鶴姫。準備はできたわよ」
今作戦の旗艦を務める叢雲を先頭に、五人の駆逐艦がドックに整列した。これまでだって近海での訓練や防衛作戦などなら五人揃って出港することはあった。しかし、今回は本泊地でも初の試み、全員出撃をもって島から南方の海域に巣食う潜水艦を叩きに行くのだ。
全員が泊地を空けるにあたって、ここまで数々の準備を重ねてきた。防衛のために基地航空隊を立ち上げ、砲兵陣地を構築し、電探網を張り巡らせた。甲標的の潜水艦隊、三島水軍を戦力化して味方につけることもできた。水軍の協力により潜水艦対策の特訓も重ねてきた、現時点でやれることは全てやったと言える。
「今日この日に至るまで君たちは何年も、自分たちの暮らすこの島を守るために一方的な防戦を強いられてきた。だが、今日からは違う。妖精さんたちの協力を得て島の守りを堅め、やがては日本へ帰るために討って出る第一歩、今日こそがその記念すべき日だ。身につけた力を遺憾なく発揮して、まずは南の潜水艦どもに一泡吹かせてやろうじゃないか? 俺は君たちについていってやることはできないが、この泊地の司令室で君たちの戦いを常にモニターしている。もしも何か聞きたいことがあったらいつでも無線を入れてくれ、周波数は140.38だ」
周波数? と何人かが不思議そうな顔をしていたがあまり気にしないでくれ、そういう決まりみたいなものなんだ。
『そこもとらはわれらみしますいぐんにみごとうちかった、いってしまえばもはやそこいらののらせんすいかんなどてきではあるまい。じゃが、まんしんはならぬぞよ?』
鶴姫さまが皆の頭を撫でるように祓串を振りながらはらえたまえー、きよめたまえーと唱えている。あっこれ昔のアニメで見たやつだと思ったが、祓串を振るたびに皆の身の周りにキラキラした光が纏われたように見えた。俺の気のせいか? 眼をこすって見直したが今度はよくわからなかった、本当になにか祝福めいたサムシングが与えられたのだろうか……?
「それでは皆、気をつけて行ってくるんだぞ。君たちの勝利と無事を祈る」
ドックに並ぶ皆が揃って俺たちに敬礼した。俺も答礼を返すと、皆の顔をひとりひとり見渡した。顔がいい、いやそうじゃなくていい面構えをしている。
「ふふっ、いよいよ戦場ね。叢雲、出撃するわ! ついてらっしゃい!」
叢雲が号令をかけるとともに、五人はドックからゆっくり出航していった。俺は工廠の屋上に登り、遠ざかる皆の影を見送り続けた。艦隊が南に変針するとき、誰かがこちらに大きく手を振っていた。もう誰が誰だか肉眼じゃ判別しがたい距離だったが、位置からしてあれは吹雪かな、あるいは漣か? 俺は大きく手を振り返した。
『かずさん、それじゃあずいうんたいもでますからね、ねっ』
俺の袖を引っ張ったのは水上機隊の教官を務めた零夜偵コンビの片割れ、通称ゆらゆらさんだった。相棒の夜戦ちゃんは夜に備えて寝ているそうだ。なお、本作戦において瑞雲隊は随時出撃を繰り返しながら島南方の潜水艦海域の先行偵察、必要であれば艦隊の直掩を行うことになっている。
階下のドックから発進した瑞雲隊は、防波堤に囲まれた港内をしばらく滑走ののち危なげなく離水した。そのまま上空で編隊を組み、くるりと一度大きな円を描いてみせてから南の空へと飛んでいくのを、ゆらゆらさんは満足げな表情で頷きつつ見送っていた。
出撃していく部隊を見送って、俺は本棟二階の司令室に戻り、備えつけの無線機の前に座ってノートPCを開いた。カメラマン妖精さんからの映像は来ていない、俺はまず無線機から皆に通信を送った。
「こちらカズ、聞こえるかみんな」
「こちら旗艦叢雲、通信は良好よ」
「よし、今のうちにいくつか確認しておくぞ。まずこの無線機は、どうやら俺が元いた時代に米軍が採用したバースト通信を利用しているようだな。俺はその頃すでに退役済みだったから自分で利用したことはなかったんだが、昔の伝手で概要くらいは聞いていた」
「こちら吹雪です。大丈夫ですよカズさん、博士がいらした頃もこの通信は利用していました。だから私たちも一通りは教わっています」
「こちら電なのです。バースト通信は電たちの体内のナノマシンを介して通信を行い、電波妨害を受けにくく、また通信内容を暗号化してやりとりするので平文でかまわないとそういうお話だったのです」
その通りだな、ストレンジラブの教育が行き届いているようで何よりだよ。
「うむ、じゃあ今度は皆のカメラからの映像を送ってくれ。五月雨は俯瞰視能力を映像化したものも頼む」
「五月雨了解です、映像送ります。 ……どうですか?」
ノートPCで開いていたアプリのウィンドウに、各自の連れたカメラマン妖精さんからの映像が映し出された。映像はクリアーで異状はなさそうだな。ただ、漣のカメコさんからの映像にはピースサインを出した漣の顔が大写しになっていた、どうやらカメコさんを左手に持って自撮りをしているらしかった。
「よし、こちらも問題なしだ。叢雲、おまえにも全員分の映像が見えているな?」
「こちらもOKよ、漣がふざけているのもよく見えてるわ」
「よろしい。ただ回線をずっと開けっぱなしにしているのは負担だからな。今後は定時連絡のほか、なにか異状を発見したか、あるいは接敵するまでは通信を切っていていい。だが俺はいつでも無線機の前に待機しているからな、なにか気になることがあったらいつでも連絡をくれ。それと吹雪、漣を少し殴れ」
了解、と返事が聞こえるや否や、漣の悲鳴とともにカメコさんからの映像が一瞬揺れた。装備品で遊ぶとか絶対に許さんよ俺はな。
さて、接敵まではあとどれくらいあるか…… 通信も切れて一人きりになった静かな司令室で、俺は椅子に背中を預けて腕を組んだ。叢雲と五月雨の新戦術、上手くいくといいが……
『しんぱいしすぎはよくありませんよかずさん、あのこたちはつるひめさまのしれんをみごとくぐりぬけたのです。ぜんせんのことはみなさんにまかせて、われわれはさぽーとにぜんりょくをつくしましょう』
胸ポケットから顔を出したハジメさんが俺を励ましてくれた。そうだな、俺は俺の仕事を果たさなくてはならん。戦場へ行く皆を基地から支える、それは俺が昔からずっとやってきたことだ、手慣れたものさ。俺は自分自身のおさらいも兼ねて、今のうちにこの一週間の訓練を思い返すことにした。
鶴姫さまと出会った日の夕方近くにもなって、三島水軍の保有する甲標的は全艇無事再進水を果たすことができた。鶴姫さまをはじめとする水軍の面々は、皆楽しげに歓声を上げながらさっそく手馴らしの航行テストを続けていた。電から事情を聞いた皆は、工廠に降りてきてその様子を眺めていた。
「なるほど、仮想敵潜水艦隊としてあの子たちに私たちの相手をしてもらうというわけなんですね?」
そういう五月雨は期待を隠しきれないワクワクした顔で爆雷を握りしめていた、ちょっと待て今それ投げちゃダメだ。
「ひい、ふう、みぃ…… 全部で十隻ね、まとめてかかってこられたら骨が折れそうね。たしかにいい訓練相手になってくれそうだわ」
叢雲は早くも五月雨の俯瞰視を利用して敵戦力を勘定していた。試合開始前からスパイ行為はズルい気もするが、まあ情報収集は重要だからな、こういうのも訓練のうちか?
「あのハジメさん、ちょっと聞いてもいいです? 鶴姫ちゃんの甲標的、赤く塗ってツノ立ててるのはなんでなんです?」
『とくべつしようのたいちょうきはあかくぬってつのつけるのはとうぜんでしょう? めだついろはひめさまのごきぼうでもありましたし、あまりきにしなくてもいいのでは』
漣は怪訝そうな顔で指摘していたが、まあある種のわかる人にはわかるっていうロマンだよなこれは。それにしても色もそうだが、遠目に見ても鶴姫さまの艇だけちょっと形も違う。同じ甲標的でも型が違って、鶴姫さまのやつだけは丙型、他のみんなはより古い甲型なんだと吹雪が教えてくれた。
「でもなんでわざわざあんな目立つ色に塗っちゃったんでしょうね? 潜水艇の最大の武器、隠密性をわざわざ捨てていくなんて」
「鶴姫さまは『たいしょうはいくさばでこそこそかくれていてはならぬのじゃ』と言っていたのですが…… 戦国時代ならばいざ知らず、現代戦では意味がないと思うのです」
首を傾げる吹雪に、整備にも立ち会っていた電が鶴姫さまの言い分を教えた。通信技術が発達していない戦国時代なら、たしかに兵を動かす大将が隠れていては話にならない。兵が見える場所、兵から見える場所に出ていなくてはならないし、目立つために馬印も立てるし兜を派手に飾るのだって当然のことだったろう。
しかし前線部隊と司令部が無線で連絡を取り合える現代では、守られるべき司令部が目立ちすぎるのは百害あって一利なしだろう。いったいどういう思惑あってのことだろう……?
「あっ」
ふと自分の過去に思い当たって思わず妙な声を上げてしまった。皆が不思議そうな表情で俺を見ていたが、実際この場には関係ない話だったのでなんでもない、こっちの話だと言ってごまかした。
省みれば俺たちMSFって、総司令官のスネークがほぼ単独で先頭に立って敵地潜入するのが当たり前だったんだよなぁ…… あいつは隠密潜入にかけては第一人者だったから誰も気にしてなかったが、冷静に考えるともしかして俺たちMSFって世界一バカげたことやってた軍隊だったんじゃないか? フフフ残念だったな敵兵め、お前がおいまわしてるバカは実はただの我々の総大将だワハハハ。ちょっとなに言ってんのかわかんないです我ながら。
そうこうしているうちに両陣営ともに準備が終わって、ドックから出た湾内に両軍が勢揃いした。とは言っても子供たちが五人揃っているのに対して、三島水軍側は鶴姫さまの赤い丙型が一隻浮上しているだけだ。
『それでは、えんしゅうのるーるをせつめいするぞよ。これよりわしのていは、もぐらゆそうのためにこのしまより10kmほどにしにいちするこじまにむかう。みなもいちはしっておろうな?』
子供たちは無言でうなずいた。モグラ輸送というのは太平洋戦争中に日本の海軍が行った潜水艦を利用した物資輸送作戦のことだ。10km西の小島というのは普段から子供たちが遠征のために廻っていた島々の一つで、そこには少数の妖精さんたちが常駐して資源の採掘を行ってくれている。
『きちこうくうたいしょぞくのすいていがわしをみつけ、はくちにつうほうののちそこもとらがわしをおうのじゃ。わしがはくちとしまをおうふくするまでのあいだにそこもとらがわしをとらえ、しずめることができればそこもとらのかちとしよう』
「へいっ鶴ちゃま、質問いいっすか」
漣が勢いよく手を挙げた、鶴ちゃまっておまえ。
『ちょくげんをゆるす、なんなりときくがよいぞ』
「通報を待たずに小島に急行して待ち伏せとかありですか?」
鶴姫さまは顎をさすってニヤリと笑った。漣のやつめ、いきなり提示されたルールをひっくり返す作戦を出してきやがったか!
『おもしろいことをかんがえるやつじゃの? むろんありじゃ。ただの、こじままでのこうろにはとうぜんわしらのへいをふせておるぞ。そらのめのたすけなくしてしせんをくぐりおおせるじしんあらば、やってみよ』
漣が黙りこんだあと、続いて手を挙げたのは五月雨だった。
「小島に寄港している間に襲うのはありですか? 荷の積み下ろし作業を狙っての艦砲射撃とか」
ちょっと待て五月雨、いくら演習弾とはいってもその小島は俺たちの仲間なんですけどぉー!? 五月雨はケロッとした顔をしていたが、周りの皆はドン引きだった。この質問には鶴姫さまもさすがに考えこんだが、そこで電が口を挟んだ。
「今後の採掘作業に支障があっては困るのです。小島は中立地帯扱いとして、小島とその近海への攻撃は禁止としませんか?」
『じっせんならばそういうせんたくしもありうるかもしれんがのぅ、さすがにえんしゅうでしまのもんにめいわくはかけられぬ。しまへのこうげきはなしとしよう』
『それとの、わしらはわしひとりがおとされればまけじゃ。よって、そこもとらもきかんがおとされたところでまけとする。ようはしょうぎのようなものよ、いろんはあるまいの?』
「旗艦って、つまりは私よね……?」
叢雲が自分を指差して皆を見回した。本当なら旗艦は持ち回りにして皆に経験を積ませたいところだが、今回の作戦は叢雲の能力を軸にした戦術の実践という側面もある。当面は叢雲を旗艦に固定もやむなしだろう。
「つまり、旗艦さえ守れれば負けにはならないんですよね? 大丈夫、みんなで叢雲ちゃんを守るからね」
「叢雲ちゃんの能力を最大限に活かすには、さみちゃんの能力も重要であることを忘れてはなりませんぞ。もちろんさみちゃんもこの漣がお守りしますから、ハバクックに乗ったつもりでいてくれていいですぞ?」
「はぼくっく?」
「吹雪ちゃんは聞いたことなかったです? あの頃のエゲレスさん、氷山を利用した超巨大空母を作る構想があったらしいんです」
「端的に言って頭おかしいのです」
『みなのものしごはひかえよ。ではわしはもうゆくぞよ、まずはこうくうたいのやつらがわしをみつけられるかおてなみはいけんじゃの』
鶴姫さまは足元のハッチから艇内に飛びこむと、そのまま湾外に出て潜航し、赤い潜水艇はもう見えなくなってしまった。
「ちっ、さすがに湾外に出るところまで離れられると、もう五月雨の周辺視の範囲外のようね?」
舌打ちして叢雲がぼやいた。五月雨の能力は、あくまでも近接戦闘から彼女たちの砲戦程度までの範囲内までしか把握できない。巨大な戦闘艦であった前世ならばいざ知らず、人間サイズまで縮んでしまった今となっては彼女らの交戦距離は相当短くなっているのだ。
ところでこの泊地のドックは、島の西から北にかけて広範囲に広がる遠浅を利用して作られている。その遠浅に加え、ドックの出入り口付近は突堤や防波堤によって囲われているおかげで、たとえ海が荒れたとしてもドックが高波に襲われることはほぼないらしい。
この遠浅の範囲内では潜水艇の隠れられる余地はないが、底が深い外海に出ればその潜水能力を十分に活かすことができる。鶴姫さまが演習としてこういう形式を選んだのには、こういう地形の事情もあったのだろうな。遠浅の湾内で駆逐艦と潜水艦が撃ち合いをしても、ワンサイドゲームにしかならなかったはずだからな。
「さてどうするんです叢雲ちゃん、今すぐ追いかけます?」
「それもいずれは試してみたいけど、最初くらいは正攻法で行きましょ。ほら、零水偵が出ていくわよ」
今回の演習で駆逐艦チームを支援する水偵隊が飛び立って行った。水偵隊は他にも演習中に近づいてくるかもしれない外敵の警戒にあたってくれることになっている。
「んっ、水偵隊から入電ね。なにかしら」
『こちらみずすまし
「こちら叢雲、良好よ。どうしたの?」
『わたしももとがんかめらようせいです、ほんえんしゅうではみなさんのちょくえんをしがんいたしました。ていさつきからのえいぞうをおくります』
「あら、ありがと。 ……うん、いいじゃない? よろしく頼むわね」
偵察機から叢雲に映像を送ってくれたことで、俺のノートPCにも空撮映像のウィンドウが追加された。ハジメさんが言うには、みずすまし1の搭乗員は先日島の写真を撮ってきた元ガンカメラ妖精の飛行訓練生だったそうだ。無事一人前になれたようでなによりだ、ちょっと教官やってた頃の気持ちを思い出してしまうな。あの子には俺なんも教えてないけど。
「それでは叢雲ちゃん、そろそろ出ませんか? 脚の速い水偵が先行してくれるのなら、目標を追いかけながら続報に備えられるはずなのです」
「そうね、皆行くわよ!」
意気揚々と演習に出た五人であったが、とりあえず真西に向かったと見られる鶴姫さまを見つける前に、三隻一組の小隊から襲撃を受けた。甲標的は実際の敵潜水艦よりもずっと小さい艇体だからある意味仕方ないところはあるが、五月雨の周辺視能力でも相手が潜望鏡深度まで上がってこないとなかなか見つけるのは難しいようだった。
「ソナーでも見つけられないのか?」
「とにかく小さい相手ですので、反応を聴き分けるのが難しくて…… もしかしたら、ある意味では本物の敵潜より厄介な相手かもしれませんよ」
通信から聞こえる五月雨の声色は渋かった。演習相手である三島水軍は、甲標的をいくつかの小隊に分け、鶴姫さまを追う叢雲らに一撃離脱の波状攻撃をかけ続けていた。
『ふぶきさんみぎげんにひらい、ちゅうははんていでーす。しゅきのしゅつりょくていか、みぎのぎょらいはっしゃかんはしようきんし、しゅほうもはんぶんつかえなくなりまーす』
そうこうしているうちにとうとう吹雪が魚雷をくらったらしく、カメラからの映像では右脚を中心にオレンジの塗料でベッタリ染められているのが見て取れた。この演習では当然ながら実弾は使用せず、双方ペイントが詰まった模擬弾で撃ち合っている。皆の艤装に乗り組んでいる妖精さんが汚れ具合から想定される実際の被害の度合いを査定し、それに合わせて艤装の能力を一部制限するというわけだ。
「ごめん、やられちゃった!」
妖精さんの被害度アナウンスに続いて、吹雪の焦った声が聞こえてきた。とはいえ、皆だって三島水軍相手にいいようにやられてばかりだったというわけではなく、爆雷で応戦し甲標的二隻に撃沈判定を与えていた。姫さま艇を除けば相手はあと七隻か?
『こちらみずすまし1、もくひょうをほそくしました! もくひょうはきかんたいのなんぽうおよそ800メートルをしまにむかってこうこうちゅうであります、えいぞうおくります』
偵察機から送られてきた映像には、潜航中の赤い潜水艇がはっきりと映し出されていた。
「やっぱり目立ちすぎる色よね、なにを考えてのことなのかしら?」
「しかし叢雲ちゃん、見つけたからには追うべきですぞ」
「吹雪ちゃんの速力低下を勘定に入れても、今すぐ追えば目標が島に着く前に追いつけるはずなのです」
叢雲は鶴姫さまの真意を訝しんだが、漣と電は即座の追撃を主張した。
『みずすまし1よりかんたいへ、もくひょうがふじょうしました。そくどあげています!』
偵察機に捕捉されたことに気づいたのか、鶴姫さまが艇を浮上させた。潜水艇とはいえ、潜航を続けるよりは海上航行したほうが速力も上がる。隠れ続けて追いつかれるよりは、捕まる前に安全地帯へ逃げこむ魂胆か?
「急いで追うわよ! みずすまし1、触接を続けて!」
『おまかせください、どんがめがいくらいそごうともこうくうきからはにがしません!』
艦隊が赤い潜水艇を目視できるほどに追いついても、小島までにはまだ充分な距離が残っていた。もう爆雷を投げられるという距離に迫る直前、潜水艇のハッチが開いて鶴姫さまが姿を現した。
『つりのぶせ・はやくじころしま!』
姫さまがそう叫び太刀をバツ字に揮うのに合わせて、艦隊の前方に鶴翼の陣形を組んだ甲標的の群れが浮上した。間髪入れずに発射された魚雷は碁盤の目のような雷跡を描いて襲いかかり、オレンジ色の飛沫がなすすべもなく艦隊を飲みこんでいった。
『“ころしま”にあしをふみいれたがさいごにそうろう、じゃの』
飛沫が海風に流された跡には、叢雲一人どころか艦隊全員が全身オレンジ漬けになっていた。言うまでもなく、全艦即刻轟沈判定の大惨敗であった。
あとで電に聞いた話だが、釣り野伏というのは戦国時代の九州で考案されたと言われる戦術だそうだ。自軍兵力を三つに分けて本隊が敗走を装って後退し、追撃に誘いこんだ敵をあらかじめ伏せてあった二隊と本隊の反転逆襲をもって三面から包囲殲滅する。今回はその応用で、三面包囲のかわりに十字砲火のキルゾーンに引きこまれたわけだ。姫さまがころしまとか言っていたのは、多分殺し間とかそういう字を当てるんだろう。はやくじというのも、格子状の雷跡を早九字のまじないに見立てたものだと思う。
これがこの一週間続けてきた対潜特訓、その初日のありさまだった。整然と隊列を組んで凱旋した三島水軍が工廠妖精さん総出の歓呼の声をもって迎えられたのに比べ、オレンジまみれでトボトボと帰港した駆逐隊の姿はあまりにもみじめだった。
本文中で鶴姫さまが自分の佩刀を