ある少年の忘れることのできない体験だ。
小学校の時にキャンプ体験ツアーに行った時のことだった。少年は家族と一緒にバスに乗りながら、外の景色を堪能していた。都会から段々と自然が多くなっていくことに、キャンプはまだかまだかと待ち遠しくなってくる。
「おお~キャンプ地に近づいているな~。段々自然が多くなってきているじゃないか。なあ?」
少年の父親は、自分も楽しみらしく、やけに張りきっている。
「皆さん、もうすぐキャンプ地に到着します」
バスガイドさんの連絡が入る。連絡の後も無事につくことが出来た。キャンプ場に駐車し、バスから降りた後、各自荷物を運び出した。
「いいな~この空気。都会じゃ味わえないからな!」
「そうね~」
少年の母親はあまり乗り気ではないらしく、つまらなそうに返事をする。父親はよっぽど空気が良いと思ったのか、存分に吸ったり吐いたりしている。
「しっかりこの空気を味わっとくんだぞ!?」
少年の頭を強めに撫でながら言った。少年もうれしかったのか、笑顔がこぼれている。
キャンプ場は、かなりの山奥に存在している。周りを見渡すと高い木々に囲まれており、個々の空間だけ別の世界みたいだ。空には輝かしい太陽が出ており、絶好のキャンプびよりである。事前にコテージか、テントかで別れないといけなかったが、そこは母親の虫嫌いによって強制的にコテージとなってしまった。
コテージの外観はとても綺麗で、最近作られたものに思える。中に入ると、とても開放的だった。天井は高くて透明なので、天気が良いと満天の星空を拝むことが出来るだろう。しかし、今は昼頃なので太陽の光がまぶしい。
「ポチッと」
母親がボタンを押すと、光を遮るように屋根が付いた。
「すごいわね、これ」
テンションが上がってきたらしい。さっきまでの不機嫌はどこへ行ったのか。
父親もその様子を見て、さらに笑顔になる。
「よし、それじゃあ行くか」
これからは、参加者たちと合同でお昼を作るというオリエンテーションのようなものに参加が義務付けられている。おそらく、子供たちのコミュニケーション能力の向上というのが目的なのだろう。パンフレットにも、積極的に知らない子へ話しかけてみよう、などのことが書かれていた。
「ほら、あっちの子とか、そっちの女の子とか、話しかけてきなさいよ」
母親は女の子を勧めるときだけ、冷やかしモードに入り、ニヤニヤしながら少年に耳打ちする。少年は恥ずかしいのか、なかなか話しかけに行こうとはしない。すると、一人の女の子が少年に話しかけてきた。
「ねぇ、一緒に野菜の皮むきしない?」
作る料理はカレーライスというキャンプでは定番の料理で、それに入れるための皮むきだろう。
「ほら、行ってきなさい!」
小さくガッツポーズしながら、母親は耳打ちする。
少年の顔は少し赤くなっており、小さく頷いた後、女の子と一緒に皮むきをすることとなった。
全ての野菜を洗った。女の子側のジャージャーと水を出しっぱなしになっているので蛇口をひねって止める。女の子は意外と抜けているところがあるらしい。
「ねぇ、どこから来たの?」
女の子は質問してくる。
「東京から」
声は小さかったものの、女の子は聞き取れたようだ。
「そうなんだね!私は愛知県から来たんだよ」
―――「よーし、終わった~」
女の子は、背筋を伸ばして大きく息を吐く。
「よし、じゃあ切ってもらおっか……ねぇ、あ、あれ何?」
指をさした先には、森しかない。すると、ガサッと低木の葉が揺れた。現れたのは人間のようなフォルムをしたオオスズメバチだった。体は黄色と黒色が交互になっている。しかし、毒針は見当たらない。
カチ!カチ!カチ!カチ!
大きな顎をカチカチと鳴らし、威嚇をしている。何故威嚇してきているのかは分からない。縄張りに入られたからなのか、それとも人間に攻撃されたのだろうか。そもそも、このような見たこともない生物に攻撃を仕掛けるバカはいないだろう。
すると、少年と女の子の目の前から消える。
後ろからゴトンッといった音がした。後ろに振り向くと、そこにはバスガイドさんの頭が落ちており、首の切断面からはものすごい勢いで血が噴き出している。
「うわ~!!なんだよこれ」
キャンプ場は混乱の渦に飲まれた。
その直後、凄まじく大きい羽音がたてられた。
まるで、耳元に蚊やハエが近づいてきたような感じで不快感に苦しめられる。
両親は、急いで少年のところへ行き抱きかかえて自分のコテージへと入り鍵を閉める。抱きかかえられている時間、後ろから阿鼻叫喚の嵐が吹き荒れていた。
「智尋、ここに隠れておきなさい」
少年の父親は息子を抱っこして、コテージにある床下収納のスペースに息子を入れた。恐怖がはっきりと伝わってくる表情で、何とか息子を助けようと考え出した答えなのだろう。
「智尋、私たちは後から戻ってくるからね」
母親は少年の頭を撫でながら、必死に取り繕った笑顔で息子に接している。
「お父さん、お母さん、一緒に隠れようよ!」
少年は両親と一緒に隠れたいと意思表示するが、それはかなわない。
「ごめんね。寂しいかもしれないけど頑張って。ここには私たちは入れないから」
「そうだ、お前は強い子だ!この中で静かに待っているんだ。羽音が無くなる時まで」
それから両親は床下収納の鍵を閉め、少年を閉じ込めた。少年はというと、言われた通り静かに息をひそめていた。それから両親の声は微かにだが、聞こえる状態だった。
「あんな生物見たことないぞ。何だってんだあの化け物」
「私だって見たことないわよ。それより今のうちに逃げましょう」
両親が準備していると、羽音がだんだん大きくなってきた。化け物が近づいてきているのだろう。
「不味い……」
扉が壊れるくらいに叩かれる。みしみしと扉は鳴っていて、限界だということを知らせてくれる。
扉が壊される音が聞こえた。それとほとんど同時に、窓ガラスが割れる音がした。
「きゃ~~!!やめて!放してよ!」
女の叫び声が聞こえてくる。必死の抵抗を試みているようだったが、やがてブチブチと音が鳴り、女の叫び声は聞こえなくなった。
化け物は鳴き声を発した。羽音とは比較にならない爆音が発生し、瞬時に羽音は遠ざかるのが分かった。おそらく、父親を捜しに行ったに違いない。すると、今度は男の叫び声が聞こえてくる。少年は絶対に聞くまいと体を震えさせながら床下で耳を塞いでいた。
羽音は近くなったり、遠ざかったりと、何往復もしている。残りの人間がいないか探しているのだろうが、幸い少年の居場所は見つかることなく、完全に羽音が消えるまでやり過ごすことが出来た。
少年は恐怖に支配されたせいか、体が動かない。ブルブルと震えるだけだった。無理もないだろう。少年は小学校に通っていて、年齢はまだ10歳なのだから。