紫煙の抱擁   作:大葉景華

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五本目

疲れた体を引き釣り、自宅のドアを開ける。 リュックには大量の仕事の資料が残っており背中に食い込んでいる。 手には夕食兼晩酌の用意をコンビニで買った者が入っている。 少し前は自炊をしていたのだが、仕事がきつくなるにつれてだんだん自炊の回数が減っていき、スーパーが開いている時間なら閉店間際のしなびた総菜を。 それ以降ならコンビニで買っていた。

就職して数年。 最初の数年は初めての仕事を必死にこなすとそれ相応以上に貰える給料に狂気して遊び続けた。 しかし、数年も経つと、仕事の量は膨れ上がり、後輩を持つようになると、教育係として自分だけでなく、後輩の仕事の管理もしなければならないようになった。

段々と遅くなっていく帰宅時間にも慣れ、深夜と呼ぶにふさわしい時間に部屋の電気を灯す。 リュックをベッドに投げ、洗面台に向かう。 手を洗い、顔を冷水で洗う。 凍えるような水のおかげで残業の火照った頭を冷やす。

家に帰り、晩酌を終えても気分が晴れない。 頭の中には仕事の事でいっぱいになってしまう。

先輩から出来ると言われ託された雑務。 後輩への指導。 自分の勉強もおろそかにするわけにはいかない。 軽く缶ビールを飲み干したら、パソコンを起動する。 仕事中では終わらなかった、こっそり持ち帰ったパソコンで明日の資料を眺めながらパソコンに打ち込んでいく。

毎日残業し、サビ残を続け、肉体に鞭を打ち続けながら労働し、その先には何があるのだろう?今後数十年生き続けてどんな人生を送るのだろう?

そんな事を思いながら仕事を続け、ふと煙草に火を付けると 、その煙が形になり、人の形を取っていく。 段々輪郭を帯びてゆくそれは見慣れた人の形を成していく。

 

「はぁい。 ご主人様♪ 今夜はどんなご用件でおよびしたんですか?」

 

 

現れたのはピース。 俺の愛煙している煙草であり、煙たい事に俺が煙草を吸うと出てくる迷惑極まりない存在の煙草の擬人化。 いつののらりくらりと漂いながら俺にもたれかかる。 煙のくせに肩にかかる重みは自分以外の誰かの存在を証明しているようで少し嬉しい。

 

「今日は特に呼ぶつもりは無かったんだよ。 忙しいからちょっと吸おうと思ってたんだよ」

 

今日は疲れすぎていたせいでせっかく出てきてくれたピース相手でも話す気が起こらない。 申し訳ないとは思っているけどついキツイ言い方をしてしまった。 ヒヤリとしたがピースは気にすることもなくより一層しなだれてくる。

 

「えー! そんなひどい事言わないでくださいよ! 最近私を呼んでくれなかったし! ちょっとくらいならエッチなおさわりしてくれても良いですからー!」

 

煙草の擬人化と言っても大して実態は煙だ。 軽く触るくらいは出来るけど激しく動いたり、力任せに彼女を動かそうとすると体が崩れてしまう。 彼女と出会ってすぐの時に押し倒したがその先をすることが出来なかった。 流石にその時は彼女に怒られたが彼女ら煙草の擬人化(どうやらピースだけでなく他の煙草も正しい手順を踏めば擬人化して出てくるらしい。 俺はピースが拗ねるからあまり他の煙草を吸わない)は基本的にそのタバコを吸っている人間への好感度は高いらしい。 多少邪険にしても彼女らは機嫌を損ねない。

 

「エッチな事ってどこまで?」

 

本気でする気は無かったが戯れ程度に会話に乗る。 俺が会話に乗るとは思っていなったピースはぎょっとした様に身を引く。

 

「えぇ!? ご主人本気にしたんですか!? 流石童貞! エッチ!」

 

「やかましいわ。 あと童貞でも無いわ」

 

己の最低限の教示を保つべくそこはしっかりと宣言しておいてピースに手を伸ばす。 ピースは嬉しそうに俺の手を取りながら隣に座る。 俺の肩に頭を置いたまま幸せそうな顔をする。

 

「そういえば、何でお前ら煙草は吸った人間をご主人呼ばわりして懐いてるんだ? 襲った俺が言うのもなんだけど……」

 

「それはですね、私たち煙草はご主人様達に吸ってもらわないと顕現できません。 しかもただ吸うだけではだめでそのタバコを愛していなければならないんですよ。 だから私たちは私を愛してくれている人の前にしか現れません」

 

逆なんですよ。 とピースは続ける。

 

「私が好きじゃ無くてご主人様が私を好きだから私も好きってのが正しい順番ですね」

 

正面切ってからそんな露骨に好意を向けられたのは初めてかもしれない。 自分の顔が熱くなるのを感じながら煙草の煙を肺に落とす。 紫煙を魂と共に吐き出すと片手で俺にもたれているピースの頭を抱き寄せて撫でる。 ピースも抵抗せずになすがままになっている。

 

「にへへへへへ」

 

「気持ち悪い声を出すな。 たばこ消すぞ」

 

「えー! もうちょっと居させてくださいよ! せっかく久しぶりに外に出られたのにもう消すんですか!? ご主人ももっと私としゃべりたいでしょー!」

 

喋りたいのはやまやまだが、今日は元々ピースを呼ぶ出す気は無かったのだから眠いのだ。 段々と煙草を咥えながらも意識を手放しかけている。

 

「ピース……ごめん、今日はほんとにもう眠い……」

 

瞼が半分以上閉じる。 煙草を持つ手も力が入らなくなる所で、ピースが俺の手から煙草を手に取り、灰皿に押しつける。

 

「ピース……? 良いのか?」

 

ピースが俺の頭を撫でる。 その感触を感じながら残り半分の瞼も閉じてゆく。

 

「ピース……また……明日……」

 

「……! はい! はい! また明日! 絶対ですよ!」

 

その言葉を最後に意識を手放す。 また明日。 その言葉だけが耳に残っている。

また明日、煙草に火を付けようと思いながら俺は眠りに落ちた。

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