今日は柚葉がレギュラーキャラを演じる新作テレビアニメの初収録という事でマネージャーは収録スタジオに同行していた。
担当している声優が十六人もいて営業や企画などの仕事もあるため、本来なら収録現場に同行する暇など無いが何かトラブルが起こった時に対応もしなければならないため同行出来る時は何とか同行したいと彼は考えている。
「美島女史、彼女は女流音響監督の中じゃ五本指に入るほど演技指導が厳しいからなァ」
今回の新作アニメで主演を務める声優のマネージャー、多沼健吾がそう語っている。
「美島蘭さん、でしたっけ。確か元々前線で活躍していた声優さんで、今は専ら音響監督として映像制作に携わっていると」
「そう、劇団上がりの体育会系で声優の面白さにハマり込んで声優になったと。でもストイック過ぎて身体を壊して今じゃ音響監督として鬼軍曹のように怖がられる」
彼は役者のマネジメントを三十年近く続けており、かなりの業界通だ。
マネージャーはまだ声優マネジメントを始めて1年かそこらの新人であり、単純計算で三十倍ものキャリア差がある。
以前現場で知り合ってから意気投合して、マネージャーと多沼は連絡先を交換しあってたまに酒を飲むような仲になった。
「柚葉、大丈夫かな」
「まぁ、厳しいは厳しいが責任感あっての厳しさだからな。子供を預かる立場上シゴきはあってもイジメはしないさ」
多沼は静かにコーヒーを啜りながら、マネージャーの肩を軽く叩く。
二人の会話が盛り上がりを見せてもある程度は声量が抑える、万が一にでもアフレコブースに雑音が入ったら洒落にならないからだ。
アフレコにかかる時間は概ね三~四時間程度、まだ終わらないのかとマネージャーは柚葉を待つ、が。
「……長引いてンな」
「そうですね」
「美島女史の悪い癖が出ちゃったかなァ」
「悪い癖、とは?」
「彼女、完璧主義者なのよ。納得出来るまで何度も何度もリテイクを出す、ヒントだけ出して敢えて答えを提示しない。役者の演技は役者が完成させるものっていうのが彼女のモットーらしくてね」
「うわぁ」
「悪い子じゃないんだがねぇ、終わったらアイツに飴玉でもやるか」
◆◆◆◆◆◆◆
それからしばらくして「今日は他にスケジュールなどありませんか?」と美島蘭がマネージャーと多沼に確認を取り、それからしばらくして監督が二人に頭を下げにきた。
休憩を挟み、柚葉はヘロヘロになってマネージャーの元に姿を見せた。
「ミス……ミセス?ミシマがサージェントっていう話は本当だったわ」
「サージェント? ああ、鬼軍曹って事か」
「あまりのオニグンソーっぷりに驚いて、彼女をキャプテンって呼んだらすっごい怒られたの!」
「お、おう……」
「でも結果的に許可してくれたわ。そういうのを嫌がる人もいるから、距離の詰め方は慎重にしろっていう意味で怒ったみたい!それから、場の空気を明るくしてくれてありがとうって感謝されたの‼」
「おお……」
どうやらこの柚葉の距離の詰め方というか、底抜けのポジティブさが度重なるリテイクで疲弊した収録現場をいい方向にシフトさせていったらしい。
「人に感謝されるのってやっぱり気持ち良いわ!」
「柚葉、偉いぞ」
咄嗟に柚葉の頭を撫でるマネージャー。
鬼軍曹などという異名を持つ美島蘭の演技指導で疲弊した現場を前向きにさせ、その現場が疲弊しつつあった美島蘭に詰め寄ってニックネームをつけるなどという暴挙に出た新人声優など九条柚葉くらいのもの。
誰にもできない事をやってのけた柚葉は嫌でも監督の印象に残るだろう、つまりは今後の仕事に繋がるという事だ。
「わっ!?わっ……うふふ」
突然頭を撫でられた柚葉驚いたようだが、何か幸せそうな表情をしている。
「九条さん、収録再開まで後五分程度なのでアフレコブースに戻ってください」
柚葉の頭を撫でていたところで突然話しかけられたので、マネージャーは思わず飛び上がりそうになる。
その声の主は美島蘭のものであった。
「Wow!それじゃあまた後でね、マネージャー!」
柚葉は急足でアフレコブースへと戻っていく。
マネージャーは軽く溜息をついたが、その場に留まり続けている美島蘭にギョッとした。
「エールブルーのマネージャーさん、九条さんと随分親しいのですね」
「え、ええ。普段は頭を撫でるなんて事しないんですけど、現場の空気を変えるなんて並大抵の役者に出来る事じゃない……と、教わったので」
「教わった、とは?」
「由良桐香という方です、以前ウチの事務所でレッスンのコーチをしていました」
「ユラキリカ……なるほど、ユリの弟子って事ですね」
美島蘭は何か納得したような様子で口元を緩ませる。
「エールブルーのマネージャーさん、今後ともよろしくお願いします」
「は、はい!よろしくお願いします‼」
マネージャーが咄嗟に頭を下げると、美島蘭は優しく微笑んだ。
◆◆◆◆◆◆◆
柚葉を車に乗せ、寮に向けて車を発進させる。
普段はマイナスの感情とは無縁に見える彼女だが、流石に新規アニメの一話目ともなると緊張したのか大きく息を吐いた。
「午前中からの収録だったのに、すっかり日が暮れちゃったな」
ついさっきまで青空だったのに、空はもうすっかり真っ暗だ。
都会は運転が大変だからあまり夜間は運転したくないが、そうも言っていられない、
「ねぇ、マネージャー」
「うん?」
「さっき、私の頭撫でたわよね?」
「ああ、うん」
「あれはどうして?」
勢いのあまり柚葉の頭を撫でたけど、マネージャーはその説明を一切していない。
マネージャーは考えた、相手は思春期の女の子なんだから迂闊にボディタッチなどするものではない。
以前、酔っ払ったりおにスリーパーホールドをかけられた事があったが女性から男性にボディタッチ(?)されるのと男性から女性にボディタッチをするのではまるで違ってくる。
「あれは柚葉が思わぬファインプレーをしたからだよ」
「思わぬFine Play?私がどんなFine Playをしたの?」
「柚葉が距離を問わずに美島さんにニックネームをつけたり、いつまでも終わらない収録で声優さん達が疲れきってる中みんなを元気づけたりしたって聞いた。それは紛れもないファインプレーだよ」
「それは、いつもやってる事だわ?」
それは柚葉にとって至極当たり前の行動であり、いつも仲間達にやっている事だ。
だから柚葉は褒められてもイマイチピンと来ていない。
「自分も柚葉にはいつも助けられてる。書類仕事が終わらなくて徹夜した日にお茶を淹れてくれたり、レトルトばかり食べてるって話をしたら悠希と千紗の山盛り弁当を事務所に持ってきてくれたり。助けられているのは柚葉だけに、じゃないな」
「それだって当たり前のことだわ」
「柚葉にとっては当たり前でも、自分たちにとっては当たり前じゃないんだよ。それが凄くありがたいんだ」
赤信号になったため、エンジンブレーキで車をゆっくりと止める。
マネージャーが柚葉を一瞥すると、柚葉は照れたような驚いたような顔でモジモジとしている。
「それなら、私のお願いを一つ聞いてくれるかしら」
「例えば?」
柚葉の事だから無茶な事でも言ってくるのだろう、マネージャーは半分笑いながらそう彼女に問う。
「私、マネージャーとデートしたいわ!」
「デート!?」
「そう、デートしたい‼」
「何でまた、二人きりで出かけるのはいつもの事じゃないか?」
「そんな事無いわ、お買い物に付き合ってもらったりこうして送り迎えをするとかお仕事が絡む時だけだもの」
「仕事関係なしにしょっちゅう遊ぶのも問題ありだけど、たまには良いか。それで、どこに行きたい?」
信号も丁度変わったので、ゆっくりとアクセルを踏み始める。
「カラオケに行って、マネージャーの好きな歌を聞いたり、マネージャーがいつも食べてるご飯を食べて、マネージャーが好きなところに連れて行ってもらうの!」
「なんだよそれ」
柚葉からデートに誘ってきたのに、全部マネージャーを中心に遊ぶらしい。
女子高生だから少し歳の離れた男性が好奇心の対象だから、だろうか?
「デートはともかく、声のプロの前で歌を歌うのはちょっと嫌だよ」
「あら、練習すれば良いのよ!コーチから教えてもらった方法なら1週間もあれば上達するわ」
「練習しろって?」
「of course! 練習にも付き合うわ‼」
どうやら逃げ場は無いらしい、担当声優のお願いなのだからマネージャーをやっている人間にそれを断れるはずがない。
「これでマネージャーの事が少しは分かるわ!」
「そんなに自分語りしてないっけ」
「そうよ、もう出会ってから1年以上経つのに全然教えてくれないもの」
「そうか……」
寮まであと少しという交差点で再び信号に当たってしまう。
「だからこれからはマネージャーを教えてもらうの!あ、みんなともデートするようにすればもっと良いかしら?独り占めは良くないもの」
「あのさ、柚葉。一つ、自分の情報として伝えておきたい事があるんだけど」
「あら、何かしら?」
「柚葉のそうやってみんなの幸せや笑顔のことを考えてあれこれ行動出来るところ、自分は好きだよ」
先ほどから表情をコロコロ変えたりしていた柚葉は固まり、静かになる。
「あっ……えぇっと、マネージャーは凄く恥ずかしくなる事を平気で言うのね?勉強になったわ」
「恥ずかしくなる?これは告白とかじゃなくて——」
「告白とかじゃなくても恥ずかしいの‼そういうの、他の女の子には言わない方がいいわよ。きっと、勘違いしちゃうから」
柚葉は頬を膨らませてムスッとする。でもすぐにいつもの笑顔を見せて柚葉はマネージャーに言った。
「デートの日、楽しみにしてるわ。マネージャー!」
一ノ瀬永遠さんに書いていただきました!