[Autumn of reading or autumn of appetite]
「秋初月(あきはづき)」、「七夜月(ななよづき)」、稲の穂が実る頃という意味の「穂含月(ほふみづき)」が転じて「文月」とも呼ばれる7月。
まるで世界が蜃気楼に覆われたかの様に錯覚する程の熱気が立ち込め、合わせるように大地が揺らめき、人が揺らめく。
すっかり夏らしい暑さに周囲の気力と体力が取られた中でも、金曜日と言う休みの前日に学生たちは吹っ切れた雰囲気で学校を出ては、炎天下でまたゾンビの様に頭(こうべ)が落ちる。
「アイリ!」
その中に混じって、まるで暑さを感じさせない爽やかで涼しげで透き通る様な少女の声が響き渡った。
もしもアニメが好きな生徒が居たなら、何かのキャラクターを髣髴(ほうふつ)とさせていたかも知れない。
海外での生活が長く、まだ暑い内に入れていない彼女の声は、まるでこの熱気が丁度良いかの様に明るく元気で溌剌としている。
その声に幾人も振り返り、その容姿と笑顔に暑さも忘れて見惚れてしまう女子生徒たち。
中には暑さの為か頬を染める生徒まで居た。
その中で声を掛けた目的の相手、同じく海外に旅行に行くことが多い関係で暑さに負けることを知らない少女が振り返り様に控え目に笑みを浮かべていた。
「柚葉ちゃん、どうしたの?」
「アイリの姿を見掛けたから、一緒に帰ろうと思って。今日はレッスンも収録も無いでしょう?」
「うん。でも、あいり、今日借りてた本を返しに図書館に行くから、寮とは反対になっちゃうよ?」
「図書館! サトリがいつも行ってる所ね! 私もついて行って良いかしら?」
「うん! 一緒に行こう!」
そう言って二人は普段帰る道とは真逆の方向へと足を運んだ。
§
図書館に着くと、自動ドアの開き具合に比例して涼しい風が外へと流れだす。
中に入るとほどよい空調が館内を満たしており、感覚的にも室温的にも空気が変わる。
「柚葉ちゃん、あいり、本を返して来るから」
「私も適当に見てるわ。それにしても図書館なんて久々ね」
そう言って館内を見渡す。日本の図書館は館内の全てが本で埋まっており大きいが、海外の図書館程ではない。
そこは土地の広さの差だとしか言いようが無いが、海外の場合だと電子書籍の貸し出しもしているし、PCを置いているブースもあるため大きくても冊数まで多いかは分からない。
しかし、ここの図書館については洋書も取り揃えて居る為大きい部類に入る事は間違いない。
柚葉は洋書コーナーへ足を運び、昔読んでいた本を見付けては懐かしそうに手を伸ばす。
「The Little Prince…懐かしいなぁ」
The Little Prince。日本語では「星の王子様」と呼ばれる、フランス人の飛行士・小説家であるアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの小説、柚葉が手に取って居たのはその原本だった。
子供の頃に呼んだ本だったため、内容は薄っすらとしか覚えていないが、好きだったという気持ちだけは変わらず残っていた。
その他にも映画になった本の原本や、エッセイ、物語を手にとっては目を通して行く。
高校生になるまでの間、お店のことで忙しかった関係もあって本を読む機会が減ってしまったと振り返る。
「お嬢ちゃん、こんな難しそうな本が読めるのねぇ?」
「別に難しくなんてないわ。日本語訳にもなってるもの」
柚葉の本を読む姿を見て、おばあちゃんが声を掛けて来る。
難しそうな本とは英語がびっしり書かれている本のことをさしていたが、柚葉は中身が難しいのだと認識した。
「柚葉ちゃん! あ、こんにちは」
「こんにちは。さて、じゃぁ私は行くね。可愛いお嬢さん達」
「ばいば~い!」
「ゆ、柚葉ちゃん、こ、声大きいよ!」
二人はおばあちゃんを見送ると、改めて洋書の棚を見る。
それからその場所を離れると、声優の本、クレープの本、漫画の本、全く今までかかわったことが無いような本まで手に取って読む。
気付けば閉館のお知らせのメロディーが流れだし、二人は最後に手に取った本を、そのまま借りに行った。
§
「柚葉、お帰り! ん? 本なんて、珍しいね。何借りて来たの?」
「美味しいクレープの焼き方、美味しいクレープの食べ方、美味しいクレープのお店100選って本よ!」
「Oh…ぶれないなー」
帰って早々に悠希が顔を出して二人の手元を見るが、同じ袋にも関わらず興味を示したのは柚葉の方だった。
本を借りて読むというのは珍しいと思ったが、その中身を聞けば、なるほど柚葉らしいと直ぐに納得する。
とは言え、柚葉も全く本を読まない訳ではない(覚えたての言葉を使いたがるのは此処が影響しているのかも知れないが)。
「この本を読んでいると、お腹が空いて来るのよね……」
「ダメよ柚葉、もうご飯の時間なんだから」
「チサ~」
「そんな本読んでたら、そうなることは分かってるじゃない。ほら、本は部屋に置いて、早く来なさい」
ピシャリとした態度の千紗に、柚葉は渋々部屋へ本を置きに行く。
その目はまるで、長きに渡る戦友を見送る様な目をしていた。
食卓を囲み、夕食を食べている中で悠希がフッとあいりを見る。
その視線にあいりが気付くと、箸をくわえたまま小首を傾げた。
その姿は愛らしさがあるが、見慣れた光景からか悠希は特段目を奪われることは無い。
「本を読んでる人って、皆頭良い人が多い気がするよね」
「まぁ、語彙力は増えるんじゃないかしらね?」
「あいりは全然だけど、WindのみんなやMoonの皆は頼りになるよね」
「あら、アイリだって、私は頼りにしてるわよ?」
「柚葉ちゃん……」
「But… it's a good idea to learn from books」
「え、なに?」
「アイリ、明日も図書館行きましょう!」
「あいり、あの本を明日までに読めないよ……」
「別に返しに行かなくても良いんじゃないの? え? そう言う話じゃないの?」
「ユウキの言う通り。私も本を読んでキョーヨー?ゴイリョク?を身に着けてみたいわ!」
そのキラキラとした視線が今度は悠希に向けられ、悠希も満面の笑みで頷く。
その後視線を千紗へ向けたが、千紗については頭を抱えていた。
「千紗どしたの、頭抱えて?」
「柚葉が乗り気になってくれるのは凄い良いことで嬉しいんだけど、そのやる気を削ぐかの如く、明日から3日間レッスンあすし、その次の日、確か柚葉オーディションがあったんじゃなかったかしら?」
「そうだわ……。そのあと2,3日お店の会議もあるし・・・」
「その後もまた3日間レッスンだよね? そうなると1週間くらいはかかりそうだね……」
「Oh, My God !!」
「なんか、アメリカ人っぽいことを叫んでるわね、シンガポール産まれなのに」
「シンガポールって仏教? キリスト教? イスラム教?」
「仏教が最多で約33%、次いでキリスト教18%、イスラム教15%、中国に起源を持つ道教11%、ヒンズー教5%らしいわ」
「詳しいな……。ってことは、柚葉も仏教?」
「えぇ、純粋な仏教人よ」
(((似合わない……)))
思わず異口同音に心を揃えた3人であると露知らず、しかし根本の問題が解決していないことに頭を悩ませている。
勿論千紗も折角柚葉がやる気を見せてくれたのだから、との思いはある。
「仕方ない、相談してみるか……」
そう言って千紗は頭の片隅で一人の人物を思い浮かべていた。
§
千紗は一通りの家事を終えると、時計を確認して常識外れな時間ではないことを確認してとある部屋を訪れる。
短いノック音に対して「どうぞ」と短い返事。
部屋に入るとその部屋の圧倒差に思わず言葉を失う。
「赤川さん? こんな時間に珍しいわね」
「ごめん、読書の邪魔した?」
部屋の主、宇津木聡里の手には一冊の文庫本。
机の上にはこれから読むのか、或いは読み終わったのか、何冊もの本が積み重なっていた。
大人の人が読みそうな難しいタイトルの間に、ラノベが混じってるのには異色で違和感を禁じ得ない。
「大丈夫、丁度キリが良い所だったから。それで、何か用事? 赤川さんから私の部屋に来るのって珍しいけど」
「あぁ、それなんだけど、実はね――」
「成程ね。確かに、ここには読み終わった本も沢山あるから、好きなのを持って行くといいわ」
「ありがとう。……それにしても、あの子ってどんな本を読むのかしら?」
「え、知らないの?」
「本を読んでる所って、あまり見た事なくて」
「九条さんが読みそうな本……読みそうな本ね……」
「………」
「………」
((……何も思い付かない))
普段からそう接点の多くない聡里は元より、千紗の頭の中にもクレープ以外の本を手に取って居るところのイメージがついていない。
そうなれば、本人に聞くほかないだろう。
そう話をまとめて明日の朝にでも柚葉に伝えようと決めていた。
翌朝、皆が降りて来て朝食を全員で採って居るところ。
千紗は昨日聡里と話していた内容について柚葉に伝えると、柚葉は首を横に振った。
「その件については解決したから別に良いわ」
「いや、解決したって、本はちゃんと読まないとダメよ」
「ふふん、チサは遅れてるわね。まぁ日本では余り見ないから、知らない方が普通だけど」
「え? なんのはなし?」
「海外では『電子書籍のレンタル』は普通なの。基本的にはその場所に住んで無いと使えないんだけど、一応日本にも電子書籍のレンタル出来る場所あって、昔私もそこで図書カード作った事あったから問題ないってわけ!」
「へぇ~、電子書籍のレンタルなんてあるんだねー」
「見てなさいユウキ、本を沢山読んで、ユウキよりゴイリョク?を増やすんだから!」
「お、楽しみにしてるよ、柚葉!」
無事に問題が解決して良かった。
そう思った千紗の耳に、柚葉から信じられない言葉が返って来る。
「世界のクレープ100選、クレープの歴史、異世界クレープ……楽しみだわ~」
「好い加減クレープから離れなさい!!」
End
悪霊の遊佐さんに書いていただきました!