[Battler or Manager?]
深い深いため息。それが食卓で珍しく、普段出ない人物から出たら、周囲の視線は一点に集中する。
声優事務所AiRBLUE、所属チームBardのメンバー兼アパレル企業の社長、九条柚葉からである。
普段の彼女は天真爛漫な性格で、常に笑顔を絶やさず、何があっても挫けず楽しいことを日々見付け、その為なら苦労も勉強も楽しむ少女である。
現在は同期の後輩、恵庭あいりと共に私立星漣女子学院に通う高校2年生。
そんな彼女の溜息に、真っ先に同じく同期で後輩のチームリーダーである天童悠希が首を傾げる。
「どうしたの、柚葉? ご飯時まで溜息なんて、珍しいね?」
「ん? なんのこと?」
「自覚無いのか……」
「柚葉ちゃん、何か悩み事があるなら、相談に乗るよ?」
首を傾げる柚葉に、隣に座るあいりが心配そうな眼差しで見つめる。
そこで漸く自分の顔に「悩んでます」と言った表情が出ていたのだと気付くと、直ぐに笑顔に切り替わる。
この表情の切り替えの早さは彼女の長所だ。しかも、無理して笑顔を作っている訳でも無いのだから、これは彼女の強みだろう。
「ソーリー。何でもないわ」
「何でも無いなら、食事時に溜息をつかないで」
「別に悩みって訳じゃ無いし、皆には難しい問題だから」
「まさか、また何処かの王様に婚約を求められているんじゃないでしょうね?」
「ううん、一先ずは声優の仕事を優先したいし、パパもこの間の様な事が起こらないように、目を光らせているわ」
Bard最年長の赤川千紗が、食事のマナーについて窘める。
けれども、悩んでいる内容に「この間のようなこと」と言う言葉を聞いて3人が一気に表情を曇らせる。
柚葉と結婚したい異国の王子が柚葉を攫って、3人で柚葉を取り戻すという非日常な出来事だ。
その再来を一瞬恐れたが、どうやら今回は杞憂らしい。
「じゃぁ、何を悩んでるのよ?」
「ちょっと経営の方でね。少し方針を変えようかと思って」
「ファッションの会社だっけ?」
「アパレルの会社よ」
「それってどう違うの?」
「アパレルは大勢の人に似合う服を販売するわ。ファッションはそれより広くて、服装だけじゃなくて、例えばアクセサリーやお化粧もこっちに分類されるの」
「へぇ、そうなんだ」
千紗の問いに答える柚葉。その返答に、悠希が首を傾げる。
確かに良く聞く言葉だが、厳密にアパレルとファッションの違いについて考えたことは無かっただろう。
特に悠希は服について、センスは良くても無頓着なところがある。
そんな違いが分かった所で、それが最も良く分かっている柚葉を悩ませている件については最適解を即座に出すのは難しい。
「それにこれは私が考えなきゃいけない問題だから」
「そう? 柚葉ちゃんがそう言うなら。だけど、もし何かあったら、あいり、いつでも相談に乗るからね?」
「あたしも!」
そんな4人の食卓での出来事があった翌日。
千紗が各部屋の掃除に回って柚葉の部屋に入った時だった。
柚葉が難しい顔で、けれども時々笑って、何かのノートを読んでいる様だった。
「柚葉、何を読んでるの?」
「チサ。どーしんに帰って勉強しようと思って」
「どーしん? あぁ、童心ね。ちなみにその用語で帰るなら、童心じゃなくて初心よ」
「そうそれ。初心に帰ろうと思って、久々に引っ張り出して来たの」
そう言って見せて来たのはやけに古そうなノートだった。
それが机の上には10冊近くある。
タイトルはジャンル別で、後は番号が振られているだけの簡易的なもの。
少し見えただけでも経営の方針についてのノート、服のデザインのノート、売り上げ推移のノート、流行とその傾向のノートと多岐に渡り、これだけで今まで柚葉が「簡単な経営奉仕と出資だけ」と言う簡単な言葉以上に努力と研究、勉強を重ねているのが見て取れた。
「この業界って長いの? お父さんから受けた出資金を全部返したって聞いたけど」
「そこそこね。興味ある?」
「ちょっとね」
「良いわ、話してあげる。むかーしむかし、ある所に……」
「何でそんな昔話風なのよ……」
そうして柚葉の口から語られる、AiRBLUE所属よりも前の、これは彼女が声優を目指す更に前、今から丁度5年前の中学に入学した頃の話である。
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中学の入学式を終えた彼女は丁度思春期の真っただ中であり、この頃の柚葉はどちらかと言えば、我儘な性格になっていた。
それは、いつも仕事で忙しく、娘に構ってあげられない両親に代わりに、欲しいと言えば何でも買ってしまう環境が彼女をそうさせてしまっていた。
そんな柚葉は欲しいものを全て手に入れてしまったがゆえに、満ち足りて、新しく欲しい物が何も無くなってしまったのである。
その結果、柚葉は今まで両親に構って貰えない時間を我慢するためのものが無くなってしまい、結婚相手を強要しようとする両親との溝も深まってしまっていた。
その上、小学校でボーイフレンドを作れば遊園地に居た従業員も観客も全てがエキストラと言う事態で、そんな父親に嫌気がさして家出をしたこともあった。
結果はまるで指名手配犯も顔が真っ青になるほどの捜査網が引かれており、あの柚葉が見付かって両親の前に連れ戻された時には、普段の彼女らしからぬ、声を荒げて自分の意見を言ったのである。
――私はお人形じゃない。私が自分で手に入れた物が欲しい。
欲しいものは何も無い、ただ一緒に居てさえくれていれば。
そんな幼かった彼女の積もり積もった我慢も限界を超えて、そんな憤りを口にした。
絶対に怒られる、そう柚葉は覚悟した。
けれどもそれに反して、返って来た言葉は意外なものだった。
――やってみなさい。
それが彼女、九条柚葉が初めてアパレル業界に従業員として生まれた瞬間である。
柚葉のお父さんの趣味で一件持っているお店があり、名義はそのままに柚葉に与えると言うのだ。
背伸びをしたいお年頃の柚葉にとっては、それでも十分だった。
経営方針を適当にして、最悪店が潰れても酷い損害にはならない。
従業員からは顰蹙(ひんしゅく)を買うが、退職金を大金で渡せばそう不満も上がらないし十分再起も出来るだろうと踏んだのだ。
飽きるまで名ばかりではあるが、日本支社の関東支部長を任せれば良いだろう。
それから結婚相手を決めて、普通に何不自由なく過ごして貰えれば良い。そう結論付けたのだった。
家でアニメを見るばかりよりは、人と関わり合いを持つこと、社会を経験することの方が良いだろう。
それは親心であるが、後にその考えが甘かったと思い知らされることになる。
§
学校にも慣れた5月のゴールデンウィーク。クラスの人気者だった柚葉は、ウキウキとした表情で学校を出る。
明日から学校は休みに入り、代わりに柚葉の新たな生活が始まるのだ。
気分が高揚していても仕方ない。
「Hi! Are you Yuzuha Kujo? (ハイ! 貴女が九条柚葉ちゃん?)」
しかし、彼女の晴れやかな表情は帽子で出来た影と共に一瞬にして潜める。
普段乗っている黒塗りの高級車の中から、女性が出て来る。その顔はパーティーで何度か見た事がある。
話す口調は英語だが、アメリカ人と言う訳でも無さそうだ。
イントネーションが若干独特……と言うところで彼女が誰か、何処出身かが柚葉は即座に理解する。
彼女はケイ・シャロン。当時九条グループに於いてスーパーバイザーを務める人物である。
なお現在は柚葉の誕生祭にも来て、AiRBLUEマネージャーの紹介も見ていたシンガポールのブティックオーナーを務めている。
そう、彼女はシンガポール出身なのだ。
シンガポールと言えば公用語はマレー語と英語、標準中国語、タミール語と多岐に渡るが、ビジネスとしてよく使われる英語よりもマレー語や中国語の影響を受けたシングリッシュという独特の英語が使われる。
まだ小学校を卒業し、中学に入ったばかりの彼女に緊張しないようにとの配慮だったのかも知れない。
「Yeah. Are you a teacher? (えぇ、そうよ。貴女が先生?)」
「That's right. Nice to meet you. (そうよ。よろしく)」
「Nice to meet you too. Please concentrate on your main business.(よろしく。貴女は是非本業に専念して頂戴)」
「This is also my job (これも私の仕事よ)」
「You're making a lot of money. When are you coming back? (随分儲けてるのね。いつ帰るの?)」
「If the purpose does not change to sightseeing, I will stay for a while(目的が観光に変わらなければ、暫く居る積もり)」
日本では馴染みのない言葉の応酬が続く。
柚葉の思春期は我儘な性格の形成だけではなく、随分とアメリカンな言い回しにも変えてしまっていた。
上記の内容では言ってしまえばこんな皮肉のやり取りである。
「よろしく、貴女は是非自分に与えられた仕事を見て回り、私と言うお守りについて考えないで下さい」
「貴方のお守りも仕事の内です」
「中学生のお守りも仕事になるとは、余程お金に余裕があるのですね。それで、観光はいつまでですか?」
「お守りから観光に目的が切り替わらなければ暫くいるが、貴女のやる気次第で直ぐに観光に切り替えて帰ります」
と言った具合である。
柚葉は踵を返すとそのまま車に背を向けて歩き始める。どうしても彼女の力を借りたく無いからだ。
今の柚葉では何も力が無い、その状態で彼女の力を借りればそれは彼女の力そのものになってしまい、そこに柚葉が介在する余地は何処にも無くなってしまう。
そうなってしまっては、結局今までと何も変わらないのである。
ただ与えられるだけの存在、そう思って飛び出した世界なのに、結局彼女にとっては井の中の蛙でしかない。
そんなのは耐えられないことだ。いや、既に耐えられていなかったのに、意識の違いで同じ轍を踏まされたくはない。
この時の柚葉は大人の力を借りる事を拒み、それが大人になることだと信じて疑ってはいなかった。
結局喧嘩別れのような挨拶となってしまっていたが、明日従業員には口出しをしても自分には特に何も言ってこないだろうと柚葉は自信を持っていた。
釘を刺せば子供のやることに一々口など出さないだろう。なんならそのまま観光して帰ってくれればもっと良いと願いに近い思いを向けていた。
ある種、大人はみんな敵。子供だからと言う理由で何もかもを制限される、そんなのは窮屈だ。
もっと自由でいたい。自由でいれば、もっと楽しい事に出会えるから。
翌朝、身支度を整えた柚葉は気持ちを切り替えて父に言われた店へと足を運ぶ。
開店前で店には未だネットが掛けられているお店から、30代半ばの女性が顔を出す。
「九条柚葉お嬢様でいらっしゃいますね?」
「えぇ、そうよ。貴女がここのマネージャー?」
「店長の藤沢と申します。こちらで立ち話もなんですから、どうぞ事務所の方へ」
「それは後で良いわ」
「え?」
「私の相手はいつでも出来るけど、朝の準備は朝にしか見れないもの。右も左も分からないなら、先ずは見て覚えるべきじゃないかしら?」
「左様で御座いますか、かしこまりました。準備が滞れば営業に差し支えてしまいますので、恐れ入りますが従業員の声掛けは出来る限りお控え下さいますようお願いします」
「分かったわ。まぁ、気になったことは後で終わってから指摘すればそう時間が掛からないでしょう」
そう言って柚葉は朝の準備を少し離れた場所から見守っていた。
本当に何も手も口も出さないのだと分かった店長藤沢は一度事務所に下がり、少ししてから代わりに見たくない人物が出て来る。
「You met again!(また会ったわね、柚葉!)」
「そろそろ猫を被らなくても良いわよ。貴女、本当は日本語喋れるでしょう?」
「あら、何で分かったの?」
「お店を見たら分かるわ。海外の業界はスーパーの様に届いたものを並べるだけだけど、日本の場合はdesignやbrandも重視するもの。値札を少し見ただけでも、此処が日本系だって分かるわ。ほら、販売元:九条コーポレーションと書いてるでしょ?」
「そんな中で外資系の人間が居る訳が無いと言う事ね」
「That’s light(そう言う事)」
「悪くは無い発想だけど、それだけじゃ弱いわね」
「そう? 私の勘は当たるのよ?」
これが鎌掛けで、まんまとそれに嵌まった形となった訳である(元々避ける気もケイには無かったが)。
そんな状態でケイと柚葉はお店の開店準備を見守っている。
柚葉と言う珍しい客は居るけれども、やることは決して変わらない。たとえスーパーバイザーたるケイが居たとしてもだ。
「何か面白いものでも見付かった?」
「この配置って貴女の指示?」
「なぜ?」
「先生だったら、こんな配置はしないと思ったの。あぁ、貴女だったらするかも知れないけど」
「奇遇ね。確かに先生ならこんな配置はしないわ。私だったらするかも知れないけど」
「つまり貴女の指示と言う事ね。しかもわざと」
「勿論。私はまだ貴女の先生じゃ無いもの。今はしがない観光客よ」
「あら、ありがとう。(まだと言うことは)認めてくれてるのかしら?」
「着眼点だけはね」
とは言え、この時点でケイにとって柚葉への評価は大幅な上方修正となっていた。
この後も特に大幅な口出しなどせず、店長とケイとの会話で振られた時にだけ自身の意見を言う状況が続いていた。
それは計らずとも既に柚葉とケイの関係を師弟関係として出来上がっていた。
そんな関係が続いて3カ月が過ぎた頃、時期は丁度夏休み。
ここ最近毎日やり取りをしているケイから電話が入る。
「ハロー、ケイ?」
『ハイ、ユズハ。パターン2と3の書類、何処行ったか知らない?』
「ケイ、私は貴方のバトラー(執事)じゃないのよ。自分で管理して頂戴」
『バトラー! 良いわね。私の執事になって欲しいわ。ユズハ、しっかりしてるもの』
「褒めたって何も出ないわよ。あぁ、そう言えば、車でカバンに入れて無かった?」
『Oh! そうだわ、忘れてた。……有った! 流石私のユズハね!』
「ふふん、そうでしょ」
『ユズハ。3カ月しか見て無いけど、貴女になら任せても良いと太鼓判を押せるわ』
突如なんの脈絡も無くストレートに褒めるケイに、柚葉は電話越しで首を傾げる。
『私、国に戻るから。あぁ、見送りは別に良いわよ』
「何言ってるの!? まだ3カ月じゃないの!?」
『そう、3カ月。本当はね、最初から何があっても3カ月って決まりがあったのよ。貴女と初めてあったその時から』
「何で今その話をするの!? 待って、帰るっていつなの!? 明日!? 一週間後!?」
『Just Now. もう飛行機の時間だから。それじゃぁねユズハ』
「ケイ! 私一人じゃまだ全然何も出来ないわよ! 教えてよ、ケイ……!!」
『そう言うと思ったわ。だから、貴女の元にも飛行機のチケットを贈ったわ。でも、まずは日本でやるべきこと、なすべきことを成してから私の元へ来なさい』
「……分かったわ。次に会った時は見返すんだから」
『楽しみにしてる、貴女のお店で』
「えぇ、私のお店で」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「そうして暫くは日本の店長と二人羽織でやって来たわ」
「二人羽織って……まぁ間違ってないのかしらね?」
「で、その後半年程でまた私も海外に行って勉強してきたってわけ」
「へぇ、そうなの」
「当時は頑張って背伸びしてたし、この間の誕生日に履いたヒールだって当時は産まれたての小鹿のようにして頑張って居たわね」
「そう言えば、そのケイって人に誕生日パーティーにも会ったの?」
「えぇ、勿論よ」
そう言ってこの間の誕生日パーティーで撮った写真を千紗に見せる。
スーツに身を包んだブロンズヘアーの長身の女性。
けれどもその表情は何処となく柚葉にも似ている。
「そう言えば、ケイ、最後よく分からないことを言ってたわね」
「よく分からない事?」
「『私のバトラーにはならないのに、素敵なバトラーは見付けたのね』って」
「バトラー? 執事ってこと?」
「マネージャーなんだけどね。ケイの話をしたら、久々にケイに電話したくなっちゃった。今の時間なら、未だ起きてるかしら?」
「楽しそうで良かったわ。けど、今は部屋の掃除をしちゃうから、後にしてちょうだい」
「はーい!」
End
悪霊の遊佐さんに書いていただきました!