今でも、たまに夢を見る
あの年、あの時、あの鈴香
アイツなら躱せたはずだ
あの時、俺が横に居なければ
ある男の三連覇がかかっていた。俺はそれを阻むチャレンジャーの立場
しかし目の前から男は消えてしまった。二度と会うこともない所へ
追い抜きたかった。なんとしても———
*****
近ごろはスカーレットと併走したり坂路でやり合って転げ落ちたり、マヤノと水泳でタッチアンドゴーをヘバるまで繰り返したり、マーベラスに学習面でサポートしてもらったりと次レースの阪神ジュベナイルフィリーズに向けてトレーニングする日々を過ごしていた。
今日は授業もなく一日がトレーニングに使える日だ。だがトレーナーからはヘルメットとグローブ、ジャージを持って裏門で待ってろと連絡が来た。時刻は早朝、11月も半ばを過ぎ陽も登り切らないうちから何をする気なのか。
そう一人で思案に耽っていると彼方から響いてくるエキゾースト。そして角で二回吹かしながらネイビーのXRZが姿を現す。
「待たせたな」
「朝早くからどこ行く気なんだよぉ」
欠伸を一つ。持ってきた荷物をバックパックに押し込んでからヘルメットとグローブを装着し後座に座る。トレーナーが一言だけトレーニングと答えると、スロットルを捻って発進させた。
府中インターから中央道に乗り八王子方面へ進む。まさかの高速かよ。
滑るように加速していくマシンに体を任せ、街を抜けて陽の当たり始めた山間を駆け抜けていく。
「どこまで行くつもりなんだ?なにか目的があるんだよな」
「目的地は山梨だな。もちろんやりたいことがある」
「やりたい事?」
「前を塞がれたときのラインどりを徹底的にやりたいと思ってな。前回の黄菊賞でも一瞬被せられて鈍ったわけだしな」
「んぐっ…」
「というわけで、カートをやることにした」
「カートぉ?」
人間はウマ娘の速度で走ることはできない。ということで人間とウマ娘で同じ土俵に立てるものが何かと頭をひねった結果カートの出番だ。特に資格も必要なくヘルメットとグローブがあればレンタルカートで走ることができる。そしてウオッカの課題でもある前を塞がれた際の位置取りを訓練したい。
ブロックが上手いウマ娘に頼めばいいかもしれないが、近ごろトレーニング続きで足を休ませたかったこともあるので少しリフレッシュも兼ねている。
「カートってやつは速度のわりに旋回Gが凄くてな。体幹をつかさどる筋肉を使う。で、踏ん張りはするが足には負担が少ない。」
「そんなクるもんなのか?」
「パワステなんて無いからな。俺も初めてやった時は筋肉痛になった」
「ほーお」
「結構難しいんだぞ?カートで速く走るのって」
適切なアクセル操作をしなければ加速せず、アクセルを踏み過ぎればズルリと滑り、ブレーキを強く踏み過ぎれば不安定になりハンドル操作を誤れば即スピン。簡単そうに見えて実は奥が深いのだ。
長いトンネルを抜け勝沼インターで高速を降りた。
ぶどう畑や桃畑が点在する住宅街を抜け、さらにフルーツ畑で埋め尽くされたちょっとした山を登り始める。道の名前がフルーツラインで途中にある公園もフルーツ公園というこれまた果物尽くしな街だ。
街を見下ろせるぐらいまで登ったところに小規模なサーキットが現れた。
「けっこうしっかりしてるのな」
「ここはレイアウトも楽しいからよく来てたのよね。この上に温泉があるから汗かいた後に風呂も入れるし」
「だからジャージ持ってこさせたわけ?」
「正解」
受付を済ませて着替え準備をする。今日は他に2組ほどいるがローテーションしながら目いっぱい走りに使うつもりらしい。1枠15分で休憩を挟みつつ6枠やるそうだ。
「俺が先に出てお前さんが後ろに付く。で、前でブロックしまくるから内からでも外からでも抜けそうなときに抜いてみろ」
「それだけかよ?」
「抜けるもんならやってみな」
「やってやろうじゃんよ」
走り始めてから数分程たった。カートの挙動に慣れるためにはしゃぎながら苦労していたウオッカだったが、慣れてきたのかだんだんと俺の後ろに付けるようになり始めた。
ずいぶんと飲み込みの早い奴だ。だからこそ今回のトレーニングが成り立つ。
「これ抜けんのか…?」
カートの挙動に慣れ始めてきて3枠ほど走り、現在は他の組が走っているため休憩中だ。トレーナーはコーナーが上手いこともあるが、後ろに目があんのか聞きたくなるほど抜けそうで追い抜けない絶妙なブロックをしてくる。おしいところまでは何度か行ったがそれすら読まれてそうだ。
あんちくしょうのトレーナーを抜かすためにはどうすればいい?とぼんやりと走っている組を眺めているとちょうど追い抜きを掛けるところのようだ。
トレーナーと同じように前の人がブロックしていて、後ろの人が抜きに掛かる。マシンをアウト側に寄せるとブロックする側もアウトへ。その一瞬を突き後ろ側の人が一挙にマシンをインにねじ込みコーナーで順位が入れ替わった。
スイッチがかちりと入ったような、何かがハマった感覚。
今日はあと2枠の予定だが、さっきの休憩で前の組の走りを見ていたウオッカがなにかヒントを得たのか積極的にマシンを振ってくるようになった。おそらくフェイントモーションからのクロスラインを狙っている。
どうやらきっかけを掴んでくれたらしい。
5枠目もそろそろ終わるだろう時間、イン側を開けてやると面白いようにウオッカが突っ込んでくる。
「そりゃあ頑張りすぎだな」
いささかスピードが出過ぎている。ブレーキを一発踏んでステアを切るも後輪が限界を迎えてクルリとスピンしてしまった。
「だあぁぁ!行けたと思ったのによぉ!」
「まぁ惜しかったわ~」
「ぜんぜん思ってねぇだろそれ!!」
ぎゃんぎゃんと一人頭を抱えてうおぉと悔し気に唸るウオッカ。ほんとに表情豊かで飽きないヤツだ。
「フェイント掛けてインに飛び込むところまでは良かったが、そのあとに適切な減速と加速ができるかがキモだな。お前さんたちはレース中はコーナーやら直線で曲がりながらこれをやらなきゃいけないんだから」
「そうだけどよお」
「コーナーだけがレースじゃない…直線でぶち抜いたって勝ちは勝ちなんだぜ」
「直線でか…」
「コーナーで後ろについて、立ち上がりをミスった相手の隙を突く。そこを見極めればもっとレース運びが楽になるしよ。差しで加速力のあるお前さんの走りはどうしても躱す技術がいるからな。GⅡGⅠとグレードが上がればもっと小細工の上手いやつだっているんだ」
「黄菊賞みたいにヨレたりするやつもいるかもしれないってことか」
「ワザと当ててくるような、妨害が取られない程度には荒っぽいことやってくるヤツもいるってもんさ」
6枠目。これが最後だが、ウオッカはかなり積極的に内を突いたり外からかぶせてくるようになった。後ろで気配を消して控えていたと思えば、直線でスッと横に顔を出してコーナーでアウトからでも並んできたりとアグレッシブに攻めてくる。
非常にいい傾向だ。わざと被せるようにしてみても、すっと鼻を引っ込めてカウンターを取るようになってきた。
「そこまでできれば上々だよっと…」
ふと気を抜いたのかトレーナーはやらかしてしまった。コーナーで立ち上がりでアクセルをミスり、少しマシンが振られブレる。こうなると直線の加速が鈍る。
そう思ったのも束の間、上手く加速した後ろのウオッカが身を躱して並んでくる。次のコーナーはウオッカ側がインになるし、ここまで横に並ばれたら被せようもない。
完敗だ。まるであの時の———
チェッカーフラッグが降られ、このやり取りも終わりを告げる
*****
カートを終えて先ほどのサーキットから、さらに山を登った温泉に来ていた。
ツーリング誌やドライブ誌などで度々取り上げられ、漫画やアニメにも登場した〈ほっぽりだし温泉〉である。はっちの湯とぽっちの湯という二つの温泉があり、山の上から甲府盆地を見下ろしながら湯に浸かれるという贅沢な温泉だ。
休日ともなればライダーやドライブしに来た家族連れなどで賑わう。まだ夕方というには少し早い時間ではあるが、なかなかの盛況ぶりだ。ライダースジャケットを着た人たちも結構いる。
「じゃあ1時間後にそこのベンチ集合な」
「おっけー。ったく、ずっとトレーナーが走らせるから汗かいちまったぜ」
「悪かったな。しっかり温まってきてくれな」
ひらひらと手を振りながら男湯に入っていくトレーナー。自分もさっさと温泉を堪能することにしよう。
「くぁぁ…」
温泉に浸かって体を伸ばすと気の抜けた声が勝手に漏れた。自分の想像以上にカートで体力を使ったのだろう、腹回りと背中の筋肉にけっこうなハリがある。あとで念入りにストレッチしなきゃな。
「お隣良いですか?」
鈴を転がすような紗なりとした声がかけられる。
「ど、どうぞ…」
「ありがとうございます。じゃあおじゃましまぁ~す」
デカい…。説明不要。何がデカいってスカーレットに匹敵するどころかそれ以上の破壊力がありそうだ。
何とは言わないが、何とは言わないが…。包容力が凄そう…
「ウマ娘の方ってあまり見かけないので珍しくて話しかけちゃいましたぁ」
「ああ確かに少ないっスよね」
そんな彼女の頭頂にも毛を蓄えた耳が一対。黒鹿毛のような深い色の毛並みで、その表情は柔らかな笑みを浮かべている。
「学生さんですか?」
「まあそうっスね。この辺の学校じゃあないんですけど」
「体が締まってるからひょっとしてトレセン学園の生徒さんかしら」
「え??そういうの分かるもんなんですか?」
「ふふ、私も居たことあるから」
居たことがある、過去形だ。激しい競争率であるトレセン学園だが、入学してからもレースに勝つことができず無力感や才能の壁を突き付けられ去っていくウマ娘も少なくない。入学できたといってもOP戦で終わるものがほとんどで、重賞を勝つことができるのは一握り、GⅠに出場するだけでもさらにその上澄みだ。
「あぁ暗い顔しないで。責めたいわけじゃないのよぉ?」
「すみません…」
「そうだ!フジキセキって子をご存知かしら?」
「フジキセキ先輩…?はい、今は栗東の寮長をやってます」
まさかフジキセキ先輩の名前が出てくるとは…。少し残ってた警戒感が溶けていくような感じがした。この人の柔らかい雰囲気も相まっている。
「んふふ…。今は栗東の寮長なんてやってるんだね。フジキセキは同じクラスだったの。今もリギル所属?」
「はい、リギルに入っているみたいですよ。走ってるところ見たことはないんですけど」
「あの子も速いのよ?デビューから4戦4勝してるし、クラシック三冠もいけるんじゃないかって言われてたの」
フジキセキ先輩ってそんな速かったのか。だがリギルの練習でトレーニングしている姿は見たことあれど、レースで走っている姿は見かけたことが無かったな…。
「あの子はね。屈腱炎になっちゃってるのが分かってね…。その時はかなり落ち込んだりしてたの。」
「そう、だったんですか…」
「うん…。でもリギルのトレーナーさんは優しい人なのよ?退学じゃなく療養中ということにしてリギルに置いてくれてるの」
「あの鉄の女って言われてるリギルのトレーナーさんがですか…」
「そうそう。見かけよりもずっとウマ娘の事考えてくれてる人で、そういうの見極めてあのメニュー組んでるのよ?」
とんでもない信頼の裏返しだ。あのギリギリを敷き詰めたようなリギルのトレーニングもそういったものを考えてやっているものなのか…
「それに引き換え私のトレーナーさんは新人さんだったから、意味あるのかなってトレーニングも結構やらされたりしたな」
クスクスと微笑みながらも優しい目つきで、過去の思い出を懐かしんでいるのだろう。
サブトレーナーを経験して、正式トレーナーになれるのだが初めてのものが上手くいくかといわれればそう言えない。
「アタシのトレーナーさんはリギルのトレーナーさんと違って目つき悪くてね?猫背だしタバコ吸ってるし、結構ボロ出ちゃうんだけどGⅠまで連れて行ってくれたの」
手の指を組みイジイジと顔の前で揺らしながら話す彼女。だが彼女の表情は呆れながらもほっとけないというような、そんなとても優しいものだった。
しかしなんだか、とても聞いたことあるような外見の特徴だ…
「奇遇っスね。オレのトレーナーもそんな感じでいっつもバイクの革ジャケ着てるんです」
「バイク…?」
目を見開いて驚いた表情をする彼女。もしやまずいこと言ったのだろうか?ひと悶着あったとか?
あのトレーナーだと自信をもって否定できない
「もしかして今日はトレーナーさんと来てるの?」
「んえっ?そうっスけど…」
「そうなんだ!お姉さんそろそろ上がろっかな。結構長い時間お話してたからのぼせてきちゃった」
そう言われて壁掛けの時計を見ると、集合の時間を少し過ぎてしまっていた
「ゲッ!集合時間過ぎてる!?」
「あらあら、じゃあアタシも一緒に行って謝るわぁ」
そう言って湯船から上がった彼女の右足には、大きな傷跡と生々しい手術痕が残っていた。
*****
風呂上がりのコーヒー牛乳って最高だよな。
女が長風呂ってのは仕方ないな。うん。準備とかいろいろあるっぽいし。メイクとか髪が乾きづらいとか。うん。
山の上から見下ろす街は西日が差して幻想的な景色を浮かび上がらせていた。
「わりぃ!遅れちまった」
「おー待ったぞ。のぼせてても回収できんからな?」
「ごめんなさいね。私が話に付き合わせてたの」
「そうなん…は?」
「お久しぶりですね?トレーナーさん♪」
「エ…スタ……?」
表情が抜け落ちたようなトレーナーに微笑みかける女性改め、エスタビオレ。トレーナーの一人目の専属契約にして、皐月賞で故障し走れなくなってしまい、競走バ引退という道をたどった悲運のウマ娘だ。
「名前聞いてなかったわね?アタシはエスタビオレっていうの。サカキトレーナーの一人目のウマ娘」
「えと…ウオッカです」
「うん!速くなりそうなお名前ね!」
手をふわりと握って優しい表情を浮かべるエスタビオレ。なんというか相変わらず母性が強いというかナチュラルに包んでくるというかそういうウマ娘だ。
「ところでお前さんはどうしてここに?」
「お友達と来たんですけど、みんなはっちの湯に入りたいって言うのでアタシはぽっちの湯でゆっくりしようかなって」
「そうかよ」
「相変わらずその革ジャケットなんですね」
「着やすくていいんだよ」
トレーナーが買ってきた揚げ温玉を二人に渡す。ほっぽりだし温泉に来たら揚げ温玉は義務なんだよ。なんて変なことを言いながら手渡してきた。どういうこっちゃ。
「これおいしいわねぇ♪」
「美味いッス!もう一つぐらい食べたいですね!な、トレーナー?」
「意外ともたれるから1つでいいと思うぞ」
「シケてんなぁ…」
いや、意外と腹に溜まるんだよ揚げ温玉。それに飽きないためにもこの一つで我慢するんだ。
揚げ温玉を食べながら、エスタビオレはウオッカに向き直る。
「ウオッカちゃんは出たいレースとかあるの?」
「オレ、ダービーに出て勝ちたいっス」
「ダービーかぁ!アタシは出られなかったけど応援するからね!」
「まあなんだ…。お前さんの」
「そのお話は厳禁ですよぉ~?今は見てる子がいるんですから、その子に集中してあげなきゃ♪それにトレーナーに困ったときも相談してくれていいからねウオッカちゃん!ウマホの連絡先交換しとこ?」
「ゼヒ!よろしくお願いします!」
なんだか逃げ道がどんどん塞がれて行っている気がする。こういう時の女子の結託のスピードって何なんですかね…
「そうだ!ウオッカちゃん、この前ミサンガ作りすぎちゃって、余ってるから1本もらってくれないかしら?」
「いいんすか?」
「うん!お守り代わりにね!アタシも一緒に走ってるよって応援♪」
言葉以上の力がこもったミサンガが、ウオッカの右足首に巻かれた。青を基調として黄と白で構成されたそれはエスタビオレが言った通り、お守り代わりという怪我で引退せざるを得なくなってしまった彼女だからこその祈りが込められているのだろう。
エスタビオレと別れ、帰り支度をしているとふとウオッカが話しかけてきた。
「なあトレーナー?」
「あん」
「走れなくなるって、どうなるんだろうな」
「ウマ娘としてだけじゃなく、多くのものを失うってことだろうな…そうさせないためにも、俺たちトレーナーが居るんだ」
「そうか…これからも、よろしく頼むぜトレーナー?」
そう言って優しく微笑む彼女の横顔は、西日に照らされてとても眩しく思えた。