タンデムで見た海   作:印旛沼まで徒歩五分

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覚悟

 

 

 

「ッあ……!!」

 

───私と彼女の何が違うっていうの……!?

 

ぐんぐんと、そんな擬音で表すのも烏滸がましいぐらい前を走る背は遠ざかっていく。

 

ごうごうと耳を削る風を裂く音。息苦しい、息苦しい。口を開いて取り込んでも全身に回らない酸素。早鐘を打つ心臓。

 

それでも腕を振り、姿勢を下げて、それが私の持つ全力だった。

 

一体私と彼女の何が違うのか。前回とは仕掛け所も変えて、前を塞ぎそうな娘は躱して、内ラチをなぞって、経済コースを踏んだはずの私の大外からまるで意にも介さず撫で切っていく流星。

 

彼女は今、『絶景』とやらを目の当たりにしているんだろうか。

 

「ア゛ァ゛ア゛ア゛ァ゛ア゛!!!!!!!!」

 

出力?

ピッチ?

ストライド?

足の回転数?

歩幅?

体格?

体重?

仕掛けの差?

腕の振り?

芝の状態?

風避け?

 

 

違う。何もかも………。

 

 

───────才能だ

 

 

全て全て、才能だ。私と彼女の違い、明確な()

 

 

「ッゴール!!!!」

 

 

振り上げられた旗で1600mの選抜レースは幕を閉じた。

 

2着になった私の遙かに前……およそ5バ身差。圧倒的な差を見せつけてゴールした彼女は無邪気に笑い、尊敬する先輩だという人と抱き合っていた。私たち、一緒に走った者たちを影にして。

 

「お疲れ様」

「…………ありがとう、ローくん」

 

……何度目だ。もう、こうして、私たちが絶景を演出する影になったのは。一番の友人が渡してくれたタオルで顔を覆い、熱くなった目頭を必死に押さえた。

 

もう、止めよう。“絶景”を追うのは。

 

私と彼女は才能が違うんだ。

 

走るステージが違うんだ。そう思えば自分を納得させる事ができたから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『教えてもらおうか?お前さんたちの───走る理由を』

 

 

発せられた低い声は、私が──私たちが一瞬息を詰まらせるには十分だった。お姉様が契約を結んでいるトレーナーの、その鋭い目は私たちを射抜き返答を促す。

 

何と言ったらいいのだろう。なんと言えば正解なんだろう。ぐるぐる回る思考が止まらず、言葉は一向に口から出て来そうにない。

何を言っても、あの人には私が否定されそうで───。

 

「はあ……」

 

お姉様のトレーナールームから追い出されて……いや、尻尾を巻いて逃げだしてから数日。走る理由は見つけられないでいた。ただただ無為に過ぎる時間に言いようの無い焦燥感だけがつのっていく。

 

『ただ、ウオッカへの憧れだけでここへ来たなら───帰れ』

 

まただ。また、フラッシュバックする。耳と記憶にこびりついた言葉。

 

憧れることの何がいけないのか。あの時一言でも二言でも反論できていればまた別の未来があったのだろうか。そんなことを考えていれば、朝日が昇るまで間もなくという時間になってしまっていた。

 

そのくせ、あのトレーナールームに行って直談判する勇気もない。

 

……自分の中に答えが無いからだ。そんなの、あの場に行ったところで追い返されるのが目に見えている。

 

ここ最近、睡眠が浅い。数時間おきに目を覚ます事を繰り返してしまう。

すっかり寝不足となり、ローズキングダムはもちろんクラスメイトにまで心配されてしまうほどに、一目見て分かるほど顔色が悪いのだろう。

 

「……」

 

何となく、ベッドを出る。同室のウマ娘を起こさないように部屋も出て人気の少ない廊下へ。部屋着のままだが関係なかった。

 

逃げ出したくて。

 

また逃げるのか……あの目から。

 

靴を履き、寮を出た。今日はなんだか静かな朝だ。空のグラデーションはもうすぐ終わる。耳に入る音も少なくて、そこまで気温も高くない。走ったら気持ちの良い朝だろう……もっとも、そんな気分にならないのだが。

 

何となく歩き、何となく止まる。そうして、目の前には────三女神の像。

 

それぞれが『勇気』『愛情』『規律』を司り、魂を導くと言われているウマ娘の祖なる者達。トレセン学園のシンボルとも。この像の前で不思議なものを見たとか、体験したという噂には事欠かない学園七不思議の内の鉄板ネタだ。

 

曰く、それはウマ娘の運命を変えるほどのものだという。

 

「運命……」

 

自らの知識が及ばない世界なんてごまんとあるだろうが、この現代でそんなスピリチュアルでオカルトめいた話があるのも疑わしい。

 

「私には、()()があるのでしょうか」

 

走る理由さえ分からないウマ娘に三女神は微笑むだろうか。平々凡々なウマ娘は導く価値があるだろうか。

 

よくある話だ。“地元で無敗を誇り、神童と呼ばれるほどのウマ娘がトレセン学園に来て一度も勝ち上がれずに挫折した”と。彼女らだって何回もトライアンドエラーを繰り返し、藁にも縋る思いで出走し努力を重ねたのだろう。

 

そんな真剣になるほど、私は取り組んでいたか?

 

否……何となく、だったと思う。自分の走りも仕掛けも“何となく”という漠然としたものでたまたま勝ててただけ。

 

分析とか反省とか、その場しのぎの姿勢だけして。チームにも、友達が行こうと言ったから一緒に所属した。

 

その過程でたまたま知り合えたウオッカお姉様という“憧れの人と同じチームになりたいから”と押しかけ、友達すらも巻き込んで……。

 

ともすれば、それは愚弄しているように見えるだろう。

 

トラブルを起こしチームを辞めてしまった手前、トレーナーと契約するか、チームに所属し直さなければトゥインクルシリーズには出走できなくなる。

 

それは、トレセン学園からの“追放”を意味する。笑顔で送り出してくれた両親に顔向けできないどころの話ではない。裏切りもいいところだ。

 

三女神像の前にあるベンチへ腰を下ろすと、大きく息を吐いて空を仰ぐ。

 

 

「───イアちゃん?」

 

 

思考の沼にハマりかけていたところに柔らかい声が入り込んで来て、思わず視線を戻した。その先にはウマ娘がひとり。

 

「ナビ……」

「もしかして、また眠れてないの……?」

 

大きな瞳は心配の色を滲ませたかと思うと、すぐに私の前へしゃがんで覗き込んできた。放り投げていた手に手を重ねられ、ぼんやりとした温かさが指先へ伝ってくる。

 

「優等生さんがどうしてここに?まだ寮を出ていい時間じゃないはずでしょ?」

「それはイアちゃんも一緒だと思うな?」

「……そっか」

 

私の目を覗き込んでくる瞳。前髪に一房ある流星。“絶景”の名を冠するにふさわしいその容貌。そういえば、一緒に走った選抜レースは全部彼女の1着で終わってたな。

 

「もしかして、寮長さんに探してって言われた?」

「……そうだよ」

 

そういうウマ娘だったね。あなたは。悪いところなんて無いし、心の底から善良で、人の為に動けるウマ娘。

 

「見つけてくれなんて、頼んでないのに」

「……うん、ごめんね」

 

彼女が悪いわけでもないのに、私は鬱陶しく感じて思わず言葉が強くなってしまった。

 

「こっちこそごめん」

「ううん、気にしないで。最近何か悩んでるようだったから……私でよければ力になるよ?」

 

何に謝ったのかも分からずに、私は謝罪を口にする。わざわざ私を捜しに来てくれた事にだろうか。強い言葉をぶつけてしまった事だろうか。それとも……不甲斐ない自分を見せてしまった事だろうか。

 

「ナビはさ、何のために走るの?」

「……何のために?」

 

私の問いにキョトンと小首を傾げ当たり前のように、彼女は……ブエナビスタは即答した。

 

 

「───そんなの、“絶景”を見たいから」

 

 

示された確固たる意思。運命を映す瞳。揺るがぬその在り方はたまらなく眩しく見えた。順当にいけばクラシックで彼女と走ることになる。ぶつかる事になる。

 

……これこそが私に無い“走る理由”

 

その時に、私は同じターフの上に立ってるだろうか。

 

「そういえば、ナビには一回も勝てなかったね」

「うぅん。みんなとっても強かったよ?クビ差もアタマ差あったし危なかったよぉ」

 

───ブエナビスタというウマ娘は、強い。

 

選抜レースを勝ち抜き、メジロマックイーンやトウカイテイオー、スペシャルウィーク等を輩出した強豪チームスピカに所属する明るい一等星みたいな子。性格も他人を思いやれる優しい心の持ち主。皆からの信頼も篤い優等生。

 

走りだってピカイチで、選抜レースを何ともないように勝ち上がって行った才能の塊。

 

その全てで私というウマ娘は嫌というほど分からされた。試せば試すほど、挑めば挑むほど、その着差は開いていった。どんな研究者だって、トライアンドエラーで3回ダメなら前提から考え直すだろう。素材、方法、手段、時間……複合的なものを。

 

しかし、そんなに何回も試せるほど、選抜レースにキャパシティはない。全てを無駄にしたのなら見切りをつけ次に進むこともまた必要。

 

要は、諦めたんだ。ブエナビスタ(絶景)に追いつくことを。

 

次第に朝日が夜を焼いていく。月は太陽に。夜は朝に。紺は朱に。全て全て焼かれていく。言葉少なく黙る私に、彼女は何かを言おうとしては口を噤んだ。たぶん、慰めにもならない事を理解しているから。

 

「いい景色だね」

「……そうだ、ね」

 

あぁ、何なんだ。何なのだろう。このどうしようもない程の衝動は。ハッと気づいた。

 

ウオッカお姉様がそんな事で諦めたりするだろうか。同じ階級に並み居る強豪。そして、走る距離も同じダイワスカーレット先輩(世代の頂点)

 

すでに何度も衝突し、勝敗を分けても挑み続けるその姿勢は、私が失くそうとしていたものだった。だからあのトレーナーにはそれを見透かされたんだ。

 

 

 

 

『教えてもらおうか?お前さんたちの───走る理由を』

 

 

 

 

───私も絶景を見たい

 

彼女が“絶景”を見るということは、他は()()()()()()()()()()()と彼女は言っているのだ。そんな、そんな傲慢な物言いを許せるか。

 

───私の名前はレッドディザイア

 

諦めたはずなのに。心はどうしても叫びたがっている。私の内から湧き上がる嫉妬のような赤い情熱は波紋を広げて反響する。

 

「いつか、アナタを超えるよ。ブエナビスタ」

 

何度でも立ち上がろう。立ち塞がろう。その為に私は、私のクラシックを賭ける。

 

『勝ちたい人がいる』

 

それで、良いじゃないか。

 

 

 

 

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