大観山駐車場を脱出(?)してしばらく、くねくねとした一般道の峠道を抜ける。
伊豆という地は中央が天城山など急峻な山々が連なる地形といった関係で、主要な街や交通は海沿いをぐるりと囲むように発展している。
その反面、伊豆の中央山間部を貫く道路は車どおりが少なく、高原や山間を縫うため楽しくなっちゃうようなワインディングが多い。多すぎるのだ。東京が隆起して伊豆のような地形になってくれたらいいのだが、地殻変動どころではない騒ぎになるだろう。
この先の第2目的である〈伊豆スカイハイライン〉も素晴らしい景観を楽しめる快走路。有料ではあるが信号もなく交通量も沿岸部よりうんと少ない。
だが鹿も多く生息する地域なので飛ばし過ぎには十分な注意が必要である。
少し森に囲まれた料金所を過ぎれば大きく右に弧を描いて上りに転ずる道路、まるで空に向かっていくかのごとき感覚に身を任せ、得も言われぬ高揚感が体を包んで心を浮き上がらせる。何度通っても、何度目にしたとしてもこの景色には慣れることはない。
もう一度、こんどは左コーナーを抜けた先で、森が終わり視界が開けた。高原の稜線に続く先の先まで空に昇っていくように続いた道が見える。
後ろからぐいっと体を押し付けるような感触が背中全体に広がる。何事かと思って後ろを見ると、この景色に興奮したウオッカがウネウネと体を動かして前を見たいと主張するから少し前傾して構え直した。後ろから「うおおー!!!」だの「スッゲー!!」だの感嘆詞が元気よく聞こえてきた。
すれ違うライダーたちにも上がったテンションそのままに手を振るウオッカ。こういった場所で走るライダーたちは皆手を振り返してくれる。
そのまましばらく走り、玄岳と呼ばれる駐車場に入った。ちなみにこれで〈くろたけ〉と読む。
ここは伊豆スカイハイラインでも屈指の眺望で、左の眼下には三島市の街と駿河湾の海岸線、右側には熱海市と相模湾という贅沢な景観の両方取り。その上、今日は澄んだ空気のおかげで富士山までが見渡せた。府中に居れば見ることのないあまりに雄大な景色。
ウオッカから少し離れ風下に立ってから煙草に火をつける。こういうところで吸う煙草は旨いんだこれが…
「…日本にこんなところあるんだな」
そうなんだよな。こういう景色を見てしまうとすげぇしか言えなくなるんだよ。だから俺は煙草を吸って言葉を濁す。もともと貧弱なボキャブラリをこれ以上なくすようなこともない。
「まぁ…なんというか、狭いと思ってた日本でもまだまだ知らない事、景色に溢れてると思わないか?」
「そうだ、な…」
「この景色を見てると自分の悩みがどうでもよくなってくるんだ。なにこんな小さいことに悩んでるんだってな…。お前の悩みが小さいことだと言ってるわけじゃないが」
「…」
「勝負の…走りの世界は絶対じゃないし、三冠確実といわれた奴だって負けることもある」
「それは…」
「……こんな俺でも一時期走りの世界に居たことはある。その時の知り合いの話さ」
その話をしているときのトレーナーは今まで見たことないような顔をしていた。口惜しさと悔しさを綯交ぜにしたような複雑な感情を内に秘めたような…そんな表情
「その…」
「そろそろ行くか」
——携帯灰皿に灰と煙草を押し付けて、内に収めるとわざと話を遮るように、XRZに火を入れるトレーナー。たぶんトレーナーはエスタ先輩だけじゃなくもっと過去になにか抱えるような事があったのだろうか。
でも今、それを話す気もないのだろう—。
*****
伊豆スカイハイラインを再び南下していくと、道はだんだんと標高を下げ初め森の中を走り抜けるような様相になってきた。
途中とんでもない速さのバイクにぶち抜かれたり、また対向のライダーたちと手を振り合ったりとしばらく走ると茅葺屋根の昔ながらの家屋が現れた。どうやらここが目的地である峠の茶屋らしい。
駐車場に入ると数台のバイクと車が止まっていて、隠れ家のような場所ながら訪れる人も多いようだ。
「水車が目印なんよ」
「昔の家って感じなんだな」
森に囲まれた自然豊かな立地に、水車の滑らかな音。マイナスイオンをたっぷり感じ、なんだかテンションも上がってきた。
「ここって何があるんだよ?」
「昼飯。とろろ蕎麦がうめーんだわこれが」
蕎麦ときた。多少朝食が遅めだったために消化の良いものを選んだのだが、彼女の尻尾を見るに苦手ではないらしい。
掘りごたつの作りをした席に通されると、隣がツーリング集団だったようで珍しくウマ娘もいる。注文を頼み終えるとそのウマ娘の方から話しかけられた。
「こんにちは!ここでウマ娘さんと会うなんて珍しいわぁ!」
「そうなんですか?」
「ほらここ、一応有料道路じゃない?だから歩行者は入れないのよ。だから走ってくるウマ娘も居ないの」
「車かバイクじゃないと入ってこられないってことですよね」
「そう!それでウマ娘だとバイクに乗ってること自体珍しいじゃない?」
「そうっスね。オレはまだ免許無いんでタンデムなんですけど…」
確かにウマ娘でバイクに乗っていることが稀だな。人間よりも速く走れるウマ娘にとって必要性を感じないものらしい。こうしてバイク好きなウマ娘に出会うと嬉しくなっちゃうんだろう。
同じバイクを街中で見ると「おっ」となっちゃうアレである。
「というか…もしかしてなんだけどGⅠウマ娘のウオッカちゃんだったりする?」
「はい。オレがウオッカです」
「わあ!こんなところで会えるなんて!」
GⅠレースというものの力は大きい。さっきも大観山で囲まれたが、ここでもウオッカの名は知れ渡っていた。今度のお姉さんは「応援してるわね」とさわやかなウインクをして先に店から出て行ったが、いやはやどこでファンと会うか分かったもんじゃないな。
「なあトレーナー」
「なんだ」
「もしかしてオレって結構応援されてんのかな」
「かもしれないな」
「そっか…」
蕎麦をすすりながら何気ない会話を重ねていく。窓の外を通っていくバイクにアレはなんだのあのカスタムは渋いだのと他愛のない会話だ。思えばこんな会話も久しぶりだったんじゃないかと思う。
*****
伊豆スカイハイラインはライダーであれば一度は聞いたことがあるであろう道路だが、その陰に隠れて存在するもう一つの名道、西伊豆スカイライン。
かつて有料道路だったが今は無料化され静岡県道となっている。高原の稜線を辿るようなアップダウン、ワインディングが続き、アクセスが多少しづらいためか交通量は伊豆スカイハイラインよりも少ない。
伊豆スカイハイラインから南下し下田をめぐってからここに着けば、この時期はちょうどよく夕陽の時間帯にこの道路に辿りつく。ここに来るまでにも車やバイクと全くすれ違わなかった事からここが街からかなり離れたところであることも分かる。
「すげーな…マジで今日スゲーしか言ってない気がするけど…」
「思い浮かばねえよな。俺もだョ」
ヘルメットを脱ぐと風が吹き抜け、夕陽に照らされて、見渡す限りの草原に、向こう側に見える海。トレーナーとオレだけしか居なくなったような世界
「よっしゃ、叫ぶか」
「は?」
トレーナーがスゥっと息を吸って駿河湾の先に沈んでいく夕陽に向かって吠えた。
「ちくしょぉぉおお!!俺の担当が負けたああああ!!」
突然のことに目を白黒させてこっちを見るウオッカ。ふっと微笑みかけ、その頭をグシグシをかき混ぜるように撫でる。
「ちょ…おまっいきなりなんだよ!悔しそうな素振り…見せてなかったじゃねーかよ…」
「見せてないだけで、悔しかったんだよ。俺も…。第一あんな嵌め方されて腹立たねーわけないだろ?勝負だから、走りだからって言っても悔しいもんは悔しい」
しっかりと目を見ながら言うとウオッカは驚いたように目を見開き、次第に恥ずかしそうな顔でそっぽを向けば手を叩かれてしまった。
「お前さんもやってみろよ」
「…」
今度はウオッカが大きく息を吸い込み、心の内をすべて吐き出すかのような勢いで叩きつけていく
「スカーレットに負けたぁぁあああ!!!届かなかった!!全然!!トレーナーは悔しそうにしねーし!!オレだけカラ回ってんのかと思ったじゃねーか!!!ふざけんな!!!!3人がかりとかヒキョーじゃねえか!!!一人ずつ来いよぶっちぎってやる!!!」
はぁはぁと肩で息をして思いの丈を全てぶちまけたウオッカが膝に手をつき下を向く。少し息を整えた後、身を揺らして笑い始めた。
「…クク、アハハッ!バカみてぇ!オレなんでこんなことに悩んでたんだよ!」
憑き物が落ちたかのように晴れやかな表情で、両手で顔をパシンと張る。ニヤリと不敵な表情を浮かべて垂れてた耳もピンと立ち、いつもの気合い十分な顔だ。それでこそ、それでこそお前だ。
「よっしゃあダービー!!勝つぞおおおお!!」
「ったりめえだ!!!!全員ぶっちぎってやるからなぁ!!!!!」
「さァ。肉食うぞ肉!静岡にしかないレストランいくぞ!」
「いいねぇ!死ぬほど食ってやるぜ!」
夕陽に向かって叫ぶなんて漫画じゃないんだから…。そう呆れたが、やってみればずっと心がすっきりしていて。桜花賞で負けた時から感じていた閉塞感のような、自分が何をやっても届かない空を切るような感覚が無くなっていて、不思議にも気が満ち満ちた、地に足がつく感覚。
…なんだか腹が減ってきた。覚悟しろよトレーナー!後悔させてやるほど食ってやるからな!