「じゃあまずはスカーレットと2400m左回りを併走してくれ」
「おうよっ!」
あれからやる気を盛り返したウオッカは、URAの記者会見において堂々と日本ダービー挑戦を宣言。ティアラ路線に進んでいたウマ娘の日本ダービー挑戦は実に11年ぶりで、勝利したならば前の記録を探すのが困るほどの記録となる。
それゆえに反響も大きく、オークスに臨むダイワスカーレットとの勝負を避けたと不名誉な書き方をする報道社もあったが、これはもともとウオッカが挑戦の意志を示していたと封殺し舞台は整った。
——そんな今日は、宮下から先にオークスに挑むダイワスカーレットの仕上げとして併走トレーニングを依頼され1本目を走ったのだが、どうも様子がおかしい。
トレーニングを軽めに調整し、明日をオフにして休養を取りオークスに臨むと聞いていたが先行であるはずのスカーレットが序盤でウオッカに抜き去られ、少し頑張ったものの失速してしまった。
それはウオッカも感じたようでゴール後すぐさま俺の方に寄ってきた。
「なぁ、スカーレットのヤツおかしくないか?」
「ふらついてるな…足はヤってないみたいだけど……」
走りもヨレていて、ゴールしたら内ラチにもたれかかり荒く息を吐いていた。
「おいスカーレット」
「…なによ」
まだ回復しきっていないスカーレットをこちらに向かせるとまず上気した顔が目に入る。少しふらついているのか首が安定しない。そして何より掴んだ腕が熱く、明確に熱発しているのが分かり耳も力なく垂れさがっていた。
「お前…!熱出てるじゃねーか」
「はぁっ!?」
「大丈夫よ…。オークスまでもうないんだから……今日はやるのよ」
よろよろとまたスタート地点に向かおうとするダイワスカーレットを無理やりに止め、ウオッカに目配せしたところ頷いてくれたので保健室に連絡してすぐさま羽交い絞めにして担がせた。
「んな状態で走らせられるか。ウオッカ!スカーレットを頼む!」
「もちろん!」
「ちょっと…下ろして…!」
力なく抵抗するダイワスカーレットをウオッカに任せ宮下にすぐに保健室に来いとメッセージを入れる。
これはちょっと困った状態になったな…。オークスはもう明後日で、このまま熱発が治まらなければ直前回避となってしまうだろう。
…俺ならば回避の判断をする。トリプルティアラを目標に頑張ってきたダイワスカーレットにとってそれは我慢ならないことだろうが病み上がりで取れるほどオークスは甘くないはずだ。
「スカーレット君!」
ベッドにダイワスカーレットを寝かせたところで、息を切らした宮下が保健室の扉を勢いよく開いて突っ込んできた。コラ保健室で騒ぐんじゃない。
どうどうと押さえてダイワスカーレットから距離を取り事態を告げる。
「すまないな。会議中に呼び出したりして」
「いえ…それよりもスカーレット君はどうしたんですか!?」
「落ち着いてくれ…怪我じゃない。トレーニング中に様子がおかしかったから連れてきたら熱発してたのさ」
「熱発…」
「このままじゃまともに走れるような状態じゃない。オークス出走取消も視野に入れるべきじゃないか…」
故障ではないと一安心したのか青ざめていた宮下の顔は多少マシになったものの、厳しいままだ。そりゃそうだろう…。ウオッカも俺も表情は晴れないし、この先の見通しはトレーナーである宮下に委ねるしかない。
「アタシは…走るわよ……!」
「おっ、おいおいスカーレット!?寝てろって!」
しまったな…。ウマ娘は人間よりよっぽど聴力がいい。静かにしゃべっていたつもりだったがダイワスカーレットには聞こえてしまったようだった。
「アタシはティアラを…このためにやってきたの……!それなのに…こんな熱なんかで…」
「……」
「スカーレット君…すみませんが…」
「イヤ!!!!」
「…!」
「負けてられないのよ…負けたくないのよ!自分に!」
声を荒げ頭を振りかざして普段見せることのないような涙を浮かべ、懇願するような表情でこちらを睨みつける。
「…分かりました」
「おい宮下…」
「私には彼女の夢を応援する義務があります。トレーナーとして、理解者として。スカーレット君がトリプルティアラを目指して頑張っていたことは、誰よりも近くで見ているつもりです」
「…」
「明日は幸いにもオフです…一日様子を見て熱が下がらないようであれば、オークスの出走を取り消します。ですのでスカーレット君は今日明日、安静にしてください」
「…それでいいわ」
「分かった…行くぞウオッカ」
「お、おう…」
静かに扉を閉めると失意のままに保健室を後にした。
ウオッカとよく併走トレーニングをするダイワスカーレットのトリプルティアラに対する思いは分かっていただけに、彼女の前で出走取消を提案したのはその決意を踏みにじるようなもので、軽率だったと言わざるを得ない。
ダイワスカーレットの状態をフジキセキに連絡し、再び会議に戻らねばならない宮下に代わり様子を見ていてくれるように依頼しながらも渦巻く念は止まらない。
「トレーナー…!まだ時間あるよな」
「おう。終わるにはまだ早いな」
「トレーニングさせてくれよ!」
「ちょっと待て!どうした!?」
「スカーレットが熱であんなになってるのに、アイツはオークスに出たいって…すげえヤツだなって思ってさ…!オレ、居ても立ってもいられねえよ!」
「そうか…」
なにかが琴線に触れたのか、目に燃えるような光を灯し掴みかかってくるような勢いで接近してくる彼女を軽く宥めるが耳はピンと立って尻尾もゆらゆらと力が漲ってしょうがないといった感じ。ダイワスカーレットのティアラに向ける並々ならぬ意志に当てられ、火がついたウオッカ。自分でも感情を持て余してるかような激しい突っ掛かり方だ。
代わりのトレーニングを考えながら、頭を巡らせど解決策なんか出て来やしない。
どうにかならないかとダイワスカーレットの回復を祈るしかなかった…。
*****
「40.8℃…」
寮の自室にてスカーレットの熱を測ってみたが、昨日から熱が下がってねぇ…
ウマ娘の体温は人間よりも多少平均体温が高い。37~38度前半辺りであるが、それを考えても平均から2℃ほど体温の高い状態が続いている。
服を着替えさせ汗を拭いてやったものの、明らかに上気した顔にかなりの寝汗。悪寒も感じているようで腕を抱いてベッドで布団に包まっている。食欲もないようで、オレが作ったおかゆを半分も食べていない。
「待てスカーレット、まだ寝るなって!おかゆ作ってきたんだからちゃんと食べろよ」
「…食べたくない……」
「食べなきゃ元気になんねーって!ふー…ほら」
「んむ…」
「ほらあーん」
「ん…大丈夫よ自分で食べるわ…」
「そういって半分も食ってないだろーが」
このところオークスにむけてトレーニングで追い込んで、帰りがオレよりも遅いときが多々あった。
優等生としての矜持があるのかクラスメイトや生徒会からのいろんな雑用や職務も断らず、年度初めの諸々も重なりかなり疲労が蓄積していたようだ。その無理が祟ったこともあって熱発してしまったという診断だった。
コイツが頑張ってたところは見てきただけに、なんでそんな一人でため込んじまったんだといろいろ言いたいことはあるけど…
「大丈夫よ…自分で食べるわよ。アンタ自分のトレーニングあるじゃない…行きなさいよ…」
「分かったよ…後でマヤノとマーベラスが来てくれるからそれまでに食べとけよな」
スカーレットも心配だが自分のトレーニングもあるし、トレーナーの師匠であるチームのプロキオンから先輩がトレーニングに付き合ってくれるというので遅れるわけにはいかない。
「じゃあ大人しくしとけよな」
「……分かってるわよ」
*****
「どうだ?スカーレットは」
「昨日から熱が下がってねえんだよ…さっき測っても40度8分だったぜ」
「そうですか…」
スカーレットの状態を報告するため宮下トレーナーにも来てもらったが、トレーナー室の空気が重苦しい…。そこへノックの音が響いてとりあえず思考を断ち切った。こればっかりはオレにはどうしようもない。あとはアイツと宮下トレーナーの判断になる。
「入っていいぞ」
「どもー。ありゃ…マズった感じ?」
トレーナーがノックに答えると入ってきたのは鹿毛の髪をポニーテールにして、勝気そうなツリ目を覗かせた、昨年の菊花賞バであるイクサトゥルース先輩だった。顔の造形に反して言動はだいぶユルめだ。
「アオバっさんから後輩指導を頼まれて迎えに来たんだけど」
「わりーな。そこにいるウオッカと併走してやってくれないか」
「お~去年のジュニア最優秀ウマ娘ちゃんじゃん?ウチ教えることある?」
「次が2400だからな。中距離といえど長いからステイヤーからの意見が聞きたい」
「なる~。まぁ参考になるかは分からんけどやろっか」
「はいっス!お願いします!」
「芝の4コース予約してあるから。後から行くわ」
「おいっす~」
トレーナー室を出て、芝グラウンドに向かう。不安が付きまとうが、わざわざ先輩に出張ってもらって併走するんだから今は集中しなければならない。
「ねーねートレーナー室めっちゃ暗かったじゃん。どしたのアレ?いつも眠そうだけど、ウチあんな思いつめてるサカキっちゃん初めて見たわ」
「あー、えっとスカーレット…今年の桜花賞バのダイワスカーレットは分かりますか?」
「あのツンデレっぽそうな子?」
「そうっス。オークスに出る予定だったんスけど昨日から熱出してて…」
「えっ!?オークスって明日じゃん!あ…もしかして出走取消になっちゃうのか」
「まだURAに連絡してないんですけどたぶん…」
「それでか~…」
トレーナー室の重苦しい空気に合点がいったという表情のイクサトゥルース先輩。付き合わせて申し訳ない気分になってしまう…。
「先輩!今日気になった所はなんでも指摘してください!」
「おお~気合い十分だね。じゃあ、スカーレットちゃんの分も走らなきゃね?」
「はいっ!」
オレはオレにできることをやるしかない。アイツが頑張ってたことの証明のために。
アイツよりも強いことの証明のために
アイツが速いってことの証明のために————
*****
「そっか…クソッ」
イクサトゥルース先輩と別れトレーニングから帰ってくると、トレーナーからスカーレットのオークス出走回避が決定したと告げられた。彼女の熱発は小康状態となってきたものの未だに微熱が残っている上、ここ3日はまともに走れていないため調整不足で厳しいと判断したためだ。
今は宮下トレーナーが関係各所への連絡や学園への報告などで奔走しており、トレーナーもそのための書類作成を手伝っている状態だった。
「ウオッカ、今日はもう上がってくれ。それでスカーレットを見てやってほしい」
「ん、分かったぜ…」
「あっ!おかえりウオッカ!」
「わりーなマヤノ。スカーレット看ててくれて」
「ううん!大変だったら言ってね?ウオッカもダービーが近いんだから」
「おう」
寮の自室に戻ってくるとマヤノトップガンが扉を開けて迎えてくれた。
今日一日マーベラスとマヤノ、同じクラスのロールスシーチャンがトレーニングを休みにしたり半休にしたりして代わるがわるスカーレットを看病してくれていた。オレ一人ではどうしようもなかった為に3人には感謝しきれない。聞けばフジキセキ先輩も様子を見に来てくれていたようで後でお礼言っとかなきゃな。
少し言葉を交わした後マヤノは自分の部屋に引き揚げていった。
ベッドで横になっているスカーレットを見てみれば、耳が少しだけこっちを追ってるから多分起きてるんだろう。
「なあスカーレット、起きてるんだろ?」
「…」
「まあ、その残念だと思うけどそう気を落とすな——」
「慰めなんていらないわよ」
「っ…」
「一生に一度なのよ!このクラシックのレースは!オークスは!それを!勝ち負けとかじゃなくて走れずにっうぅ…終わるのよっ…んん…そんなの我慢できないわよ……」
スカーレットが起き上がり凄まじい形相で叫ぶが、だんだんと言葉に力が無くなっていきその声には次第に嗚咽が混じり始める。彼女の赤い瞳から大粒の涙が零れ、強く布団を握った手を濡らしていった。
どうしてだろうか。自然と体がそうしていた。
泣きじゃくるスカーレットをそっと抱きしめて背中を優しくさする。いつまでそうしていただろうか。
掛ける言葉は見つからなくて。上手く思い浮かばなくて。
…そういえば桜花賞の後にオレがヘコんでた時はどうしてくれただろうか。この一番のライバルは。わざと厳しく、だけど優しくオレを元気づけようとしてくれていたんじゃないのか————
「なぁスカーレット。そのままでいいから聞いてくれ」
「…」
「オレ、ダービーで勝つ。絶対に。だから、だから」
「オレを倒せるのはスカーレットだけだって証明してくれよ」
スカーレットが顔を上げる。泣きはらして目元は真っ赤に腫れて、頬なんか泪の跡でぐちゃぐちゃだ。
————だけどその緋い瞳には確かに何かが宿ったのが分かった。
「覚悟しなさいよ…アンタがダービーウマ娘だろうがどうなろうが……アタシは絶対に負けない。アンタを抜かして1番になってやるわ…」
「おう。じゃなきゃ張り合いがねーぜ?」
「…日本ダービー、絶対勝ちなさいよ」