タンデムで見た海   作:印旛沼まで徒歩五分

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日本ダービー

 

 

「獲ってくるぜ」

「おう。カマしてこい」

 

 

 

拳と拳を軽く打ち付け合う。

 

そっと一瞥してみれば、銅色のその瞳は闘志に燃えて残光を揺蕩わせ、口許は緩い弧を描く。誰もが竦むような大舞台でも、不敵に微笑んで、その凛とした立ち姿を崩すことはない。

 

控室を出て通路を進み、地下バ道まで送り出す。パドックでのお披露目は終わった。相手に関するミーティングも済ませた。後は彼女の舞台。

 

レザーグローブに指を通すと、彼女は振り返らずにひらひらと裏手を振って光に飲まれていった。

 

 

なんだよ…

 

——最高に格好いいじゃんか、お前

 

 

 

 

GⅠといわれる日本の中央ウマ娘協会開催の重賞レースの中でも特に格式高く、その歴史は連綿と受け継がれ数多くの優駿たちがその名を刻みつけてきた。

 

クラシック三冠と呼ばれる頂のうち、二冠目がこのレースである。しかしもともとティアラ路線を進み、桜花賞で敗けてしまった俺たちに冠はもはや関係ない。

 

このレースに勝てばそれだけで「ダービーウマ娘」という称号が貰えるから。

 

———その戦いに勝てれば、辞めてもいいというウマ娘がいる。

 

———その戦いに勝ったことで、燃え尽きてしまったウマ娘もいる。

 

 

10万を超える人々が巻き起こす身を焼くような熱狂。誰もかれもが自分の応援するウマ娘にその2分半に夢を見て、祈りを声に乗せてこちらの身を押しつぶすような歓声を上げる。それもまたウマ娘たちを燃え上がらせる燃料となっていく。

 

 

果たしてアイツはどうなるだろうか?

 

いや、無いな。アイツはこんなところで燃え尽きるような目の色はしていない。

 

 

——日本ダービー 東京優駿

 

 

 

*****

 

 

 

「よぉ、お二人さん。わりーな場所取り手伝ってもらって」

「遅かったじゃない」

「いやー緊張してトイレ行きたくなっちゃてョ」

 

そう答えるとダイワスカーレットは呆れかえったジト目を向けてきて、そのトレーナーの宮下はタハハ…と頬を搔きながら苦笑いしていた。

実際はちょっくら煙草を吸いたくなって人混みに揉まれに揉まれ、なぜか居たひっつき虫たちに絡まれて戻ってくるまでに時間がかかってしまったのだが…

 

 

「やあ。お隣良いかな?ポニーちゃん」

 

俺の後ろから顔を出したひっつき虫その1、フジキセキがどこか芝居がかった動作で仰々しく胸に手を当て軽く一礼すると、驚いたダイワスカーレットが飛びのいてスペースを空ける。

 

「え!?フジ先輩!??リギルの方で見られないんですか?」

「今年は来賓が居てね?エスコートも兼ねてるのさ。ね?」

「こんにちはぁ」

 

ひっつき虫その2、エスタビオレ。胸の前で手を合わせる彼女のいつものしぐさ。人懐っこそうな微笑みを浮かべ少し腰を折る、柔らかな雰囲気を醸し出す黒鹿毛のウマ娘。なんというか、もともとおっとりした雰囲気がさらに柔らかく人を包むようにパワーアップしている。いい意味で。

 

ダイワスカーレットが頭の上に「?」を浮かべている。そういやあなたたちは会った事ありませんでしたね。

 

「あーあれだ。今はトレセン辞めて一般にいるがな」

「初めまして!エスタビオレって言います。サカキトレーナーの初めてなの!」

「言い方ァ!」

「? なにか変だった?」

「プッ…クク…相変わらずマイペースだね」

 

あのさぁ…

フジキセキが小刻みに肩を震わせ、ダイワスカーレットと宮下はいったい何のこっちゃと困惑の表情。エスタビオレは可愛らしく小首をかしげてニッコニコしたまま。これで計算とかではなく素なのでまあ怖い性格していらっしゃる…。

 

「まぁ…俺の一番最初に担当したウマ娘だよ」

「へえ…色々お聞きしたいことができましたね」

 

こちらもにっこりと微笑みながら、人のよさそうに見える表情でナチュラルに他人の弱みを握りに来る宮下が…

 

「いえ、初めての担当でどういったところに重きを置いてコミュニケーションを取ったのか後学のためですよ」

「自然に心の中読むのやめてくれません?」

「サカキさんは分かりやすいですからねぇ?」

「キミはちったぁ元トレーナーをフォローしてくれてもいいんだよ?」

 

 

やいのやいのやりながら待っていれば、発走時間の15:40となりついにファンファーレが演奏され始める。周りの観客たちも声援や手拍子で応援の声を飛ばして否が応でも気分が盛り上がっていく。

 

来賓の中には皇太子殿下が行啓されており、更には総理大臣も観覧される台覧競走となっていて今日はURAスタッフたちが慌てふためいているのがよくわかる。そのため理事長とたづなさん、生徒会長のシンボリルドルフはガッチガチの正装で付きっ切りだ。出走者にもその情報は伝わっており表情からも緊張が見て取れた。

 

 

「アイツ…ちょっとは緊張してると思ったけど大丈夫そうね」

「もともと大舞台にはめっぽう強そうだからな。おかげでトレーナーの仕事は何もねえよ」

「ふぅん…今日はどうやり合うつもりなの?」

「まあそれは見てのお楽しみってことで。まぁ退屈はさせないさ」

 

ここまでクラシック戦線を戦ってきた17人にティアラ路線から上がってきたウオッカがただ一人挑む形だ。ウマッターでは無謀だの、ダイワスカーレットがオークスを回避したのだから出走していれば勝てたんじゃないか等、様々なありがたい意見をいただいている。挙句には新聞や雑誌の評論家様にもガヤガヤ言われてしまっている始末だ。

 

 

黙っていろ。刮目しろ。

 

外野がぶったまげるのが楽しみで仕方ない。それぐらいに今のアイツの状態はいい。

 

 

 

「ウオッカちゃ~ん!!」

 

エスタが手をぶんぶん振って呼びかける。ついでに尻尾もぶんぶん振り回してるので太腿に当たってかなり痛い。こちらも負けじと檄を飛ばすダイワスカーレットに少し控えめに手を振るフジキセキ。

こちらに気づいたらしいウオッカはサムズアップだけしてゲートに収まっていった。

 

 

*****

 

 

 

『皆様長らくお待たせ致しました。本日晴天の東京レース場、注目のメインレース第10Rは日本ダービー東京優駿であります。芝は良、左回り2400m。今年のクラシック二冠目、果たして2400mの先で微笑むのは誰なのか?』

 

 

『ダントツの一番人気はアサイチタイオー!前走の皐月賞では惜しくも3着でしたが、足を余らしてしまっていたため400m長いこの日本ダービーでは敵うウマ娘はいるのか大注目です!』

 

『皐月賞バのジークは二番人気!少し脚質に迷いがあるようですが、並々ならぬ能力を秘めたウマ娘ですね』

 

『果敢な戦いを挑むのはティアラ路線から殴り込みをかけてきたウオッカ!この挑戦は無謀とみるか勇敢とみるか!三番人気に推されています!』

 

『その三番人気ウオッカを桜花賞で下したダイワスカーレットとやり合って先着しているのがこのアラバスタサーガ!弥生賞で1着を取っており素質は十分です。本日は四番人気となっています』

 

 

父ちゃんに連れられて初めて見たレース、日本ダービー。走っているウマ娘たちはその声援を一身に受け輝いてた。カッコよかったんだ。オレもああなりてえって思った。

 

———あの時の、あの舞台にオレは立ってんだ…!

 

体の内が燃えている。どいつもこいつも周りを睨みつけて威圧している。緊張してる顔つきの奴も瞑想して集中してるヤツも居る。この舞台に出てくるんだから生半可なヤツなんて居ない。

 

だけど、だけど——

 

 

「勝つのはオレだ…!」

 

 

『今、ハンチャップリンが収まります。そしてアラバスタサーガ、カラクサカエサル、最後にゆっくりと18番に留学生のシガレットアップルが向かいます…。さあプライドを賭けての2400mが始まる!』

 

 

——目の前が開く。

 

『日本ダービースタートが切られました!正面スタンドからの大歓声!さあ注目の先頭争いですが12番ハンチャップリンが上がっていこうという中、カラクサカエサルが行く!アサイチタイオーもつけている!そして17番のジークがなんと中団より後ろ!後ろから2人めというスタートとなりました!』

 

『しかしじわじわと今ドリームウォーカーの横をすり抜けて上がっていきましたピンクの外套ジークです!ややどよめいている!どよめいている2コーナーに向かっていく中各バのポジションといったところでアラバスタサーガの横をジークが通り過ぎていく!』

 

 

2400mという中距離レースとしては最長のレース。さんざん併せをやってもらったイクサトゥルース先輩からは「とにかく前を風よけに使って、掛かったウマ娘に引っ張られず差すための自分のペースを保つこと」と教えられた。スタートは9番手でジークが上がっていったため10人が前に居る。

 

 

———勝負するなら溜めに溜めた足の開放、4コーナーから最終直線。ここだろトレーナー?

 

 

『向こう正面の直線コースに入っていきました!アサイチタイオーは先団を見るような形でレースを進めて行っています!先手を取ったのは16番カラクサカエサルその後ろのハンチャップリン2番手です!3番手葦毛のキリカナード!そして先行この位置上がってきたジークにアサイチタイオーはここにつけた!13番バロンセフィーロと14番アラバスタサーガは虎視眈々!1番タンジェントポルテ中団挟んで11年ぶりティアラからのチャレンジャーウオッカがいます!』

 

 

バ場は良い。前を走っていたヤツの身長も高いからだいぶ楽をさせてもらった。逃げているカラクサカエサルがリードを築こうと早めのスパートを掛け始め、だんだんと先団が間延びし始めた。

 

違う…。まだ、まだここじゃない…!

大ケヤキを超え後ろが迫ってきているのを感じながらもまだスパートには入らない。

 

足はある、呼吸を乱すな!

 

内ラチ側は開けてくれないはずだ…!行くなら外!

 

 

『大ケヤキを超えてさあ16番のカラクサカエサルがレースを引っ張る!変わらずハンチャップリン2番手、前3人までが単独でキリカナード!その後ろにジークとアサイチタイオーが付ける!最後の直線コースに入ってまいります!!』

 

 

 

(——いいかウオッカ、3コーナーから4コーナーに入ってカーブのRが変わる。その途中にある600m看板からみんな仕掛け始めるだろう。そのほんの少し前のリズムが変わった直後…ここから外に持ち出せ。あとはお前さんの瞬発力と溜めた足の開放に賭ける)

 

———3コーナーを回って4コーナーに入った。Rがキツくなりリズムが変わって先団が逃げを捉えに行く…まだ……600m看板…の手前!!一気に体を外目に持ち出してスパートを仕掛ける!!

 

「ここだ!」

「なにっ…!?」

「ここで!??」

 

600m看板を狙っていた先団のジークとアサイチタイオーに並びながら最終直線に向いた。足はある!息も入ってくる!大きく吸い込んで一気にストライドを広げてぶっちぎる!

 

少しリズムを狂わされたものの立て直した先団も上がってきた。並びながら、前から垂れて下がってきたキリカナードを躱してターフにめり込むぐらい踏み込む。オレの前は視界良好!誰もいねぇ!

 

「よっしゃあ!抜けたァ!」

 

 

『カラクサカエサル先頭だ!ハンチャップリン二番手詰めてくる!皐月賞二着バのジークも追い上げてくる!そしてその外目からウオッカ!!黒いジャケットウオッカがスーッと上がってくる!ジークは伸びないか!?大外からアサイチタイオー!アラバスタサーガも上がってきているが、しかし!先頭はウオッカだ!』

 

 

最終直線、最後の上り坂。一気に苦しくなった呼吸に少しぼやける視界。先頭は捉えたか…?耳にビンビン響く歓声のなかで一際通った声が聞こえてきた。

 

「最後まで気抜くんじゃないわよー!!」

 

はっ、スカーレットが手ぶん回してら…フジ先輩にエスタ先輩もなんか言ってるが歓声にかき消されて分からねえ…。トレーナーはもともと叫ぶようなヤツじゃないが、なんとなく言ってることは分かった。

 

(——かっこいいぜ)

 

 

 

『夢かなう!ウオッカ先頭!ウオッカやったー!これは恐れ入りました!2着は粘ったカラクサカエサル、アラバスタサーガ3着…』

 

 

上がった呼吸を整えながらスタンドを向けば大歓声に包まれる。

…今日は12万人を超えたんだったか。ははっすげえや…。俺が父ちゃんと見に来た日本ダービーの勝者もこの景色を見たんだろうな…。

 

勝ったのか…?勝ったのかオレ…!

 

右手の拳を振り上げてみれば割れんばかりの歓声と拍手が降り注いだ。まだ実感が湧いてこない。

 

 

『快挙達成ですウオッカ!これは歴史的光景を見ています!念願のダービーウマ娘の仲間入りです!何度もガッツポーズで答えるウオッカ!勝ちタイム2:24.5上がり3ハロン最速の33.0!勝ったウマ娘にだけ許されるターフの上を戻ってくるウオッカ!』

 

 

来賓席に向かって、胸に手を当て最敬礼で頭を下げる。

いつまでも収まらない歓声に、浮いたままの心。体が熱くて仕方ない。地下バ道に戻ってくればトレーナーとスカーレットやエスタ先輩がみんなで出迎えてくれた。

 

トレーナーと拳を突き合わせいつもの儀式を終えると頭をガシガシと撫でられた。

 

「だぁぁ!なにすんだよ!髪が跳ねんじゃねえかよ!」

「最高だよお前さん」

「へへっ、オレはやるって言ったらやるんだぜ?」

 

「やったねぇ!ウオッカちゃん!」

「アンタなら負けないって思ってたわよ!アタシとやるまで負けんじゃないわよ!?」

 

もみくちゃだ。思いっきり抱き着かれたり、肩を掴まれてぐわんぐわんと揺らされたりもうちょっと勝者をいたわってもいいんじゃなかろうか。オレ、今2400m走り切った後なんだぞ?

 

「はぁぁ…なんかみんな喜んでて気抜けちまったぜ…」

「アンタこの後ウイニングライブじゃない!主役がヘナっててどうすんのよ!」

 

スカーレットに嚙みつかれるが、今アレだよ、終わってホッとした感情がようやく上ってきたんだよ…

 

 

「すみませんウオッカさんとトレーナーさん!記者インタビューと表彰式なので早めに準備してください!」

 

うげぇ…記者会見長いんだよな…

 

「もうひと頑張りだぞウオッカ。これ落ち着いたらどっか連れて行ってやるから」

「お?言ったな?忘れんなよその言葉!…楽しみにしといてやるからよ!」

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

「見つけたよ、サカキ」

 

 

その画面の向こうでは、日本ダービーというレースに勝ったウマ娘がインタビューを受けていた。笑顔で嬉しそうに。

 

その後ろに立つ男。トレーナーといわれているが間違いない。

 

 

あの時、ある男の三冠を阻んだ鈴香の悪夢。その夢を阻んだ君が、貴様がなぜそんなところに居る?

 

あれから自分は片時も忘れたことが無かった。そのリベンジを果たすために。だが次の年に貴様の姿はなく、ハマサキに残ったライダーはアマチュアのような腑抜けだけ。

 

このアイデルンの名は……。貴様を倒すまで終われない。

 

 

 

 


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