タンデムで見た海   作:印旛沼まで徒歩五分

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落胆

 

 

 

 

「……」

「……」

 

 

新幹線の中、280km/hランデブーの最中だが会話もなく、ウオッカはただ窓枠に肘をつき夜の帳が下りた街灯の流れ星を眺めるのみ。耳は力なく垂れこちらとは目も合わせない。俺は反省材料を探すために今日のレース映像を漁る。

 

冷房とは違うキンキンな雰囲気に、通路を挟んで座ったおっさんサラリーマンたちもただ黙々と缶ビールを傾けるだけ。多少申し訳なく思うので肉まんテロを起こしやがったことについては不問にする。運が良かったな。

 

 

 

 

 

———宝塚記念

ファン投票によって選ばれ、魍魎跋扈するシニア級のウマ娘がこぞってぶつかり合う春のグランプリレース。

正直なところ、この時期のクラシック級ではまだ身体的な完成度でもレース経験値でも難しいレースと考えていたが、ウオッカの「壁が高けぇほど燃えるってもんだぜ!」という意志に沿ってエントリーした次第である。

 

 

…しかし壁は厚かった。シニア級を抑え1番人気に推されたもののバ群に捕らえられ、パワーとスタミナの喰われる稍重バ場もあり最終直線で失速。掲示板にすら入ることができず8着という結果に終わった。ウイニングライブを終えて大阪市内に宿泊する予定であったが、ウオッカの希望で最終の新幹線を取り直し今に至っている。

 

…おそらく負け越した地に留まりたくなかったのだろう。

 

 

 

「昨日もあんまり寝れてなかったのか?」

「…あぁ」

「着いたら起こしてやるから寝とけ」

「トレーナーはなんともないのかよ…その、ちょっと肩とか痛そうにしてるじゃんか。やっぱ何かあったんじゃないのか?」

 

 

努めて悟られないように行動していたはずなのだが、ウオッカは気付いていたらしい。どうしても体を動かす際にダメージを負った箇所に痛みが走るから不自然になってしまったのか…。そっちから心配されるとはな…。はは、あまりに情けなくて涙が出てきそうだ。

 

結局“ハマサキ潰し”とやり合ったこと、その果てにどうなったのかはウオッカに話していない。

…いや話していないんじゃない、どう話を切り出していいのかも分からずレース前のコイツの負担になるんじゃないかとそう思って話せていなかった。

 

 

———話してどうなる?俺の咎を、過去を、話してどうするそんなもん。

 

 

 

「サクにどこまで聞いたんだ」

「いや…トレセンから出て行った後の事はなにも」

「そうか…。XRZはオシャカになっちまった」

「はぁ!?」

 

失言だったらしく、大きく目を見開いてがばっとこちらに振り向くウオッカがこちらに掴みかかった。耳は後ろに絞られてかなりお冠なよう。何度かコイツも後ろに乗ってるし思い入れを持ってくれていたみたいだ。

 

 

「オシャカになったってどういうことだよ!?」

「落ち着けって。新幹線の中だぞ」

「なんで、なんで話してくれないんだよ!?オレは、オレには力になれないってのか!!?」

「宝塚記念に集中してほしかったからだ。それにこれは俺の問題であってそれを担当のお前にまで持ち込むのは間違ってる」

「……!」

 

 

ウマ娘は本能的な情動がヒトよりも強い。

個体差は有れど、多かれ少なかれそれだけメンタル面が調子に影響を及ぼすし、思考にも干渉を引き起こす。成長に伴い高等部にもなれば精神的な熟達もするが、俺たちが相手をするのはまだ中等部で不安定な年齢のウマ娘。彼女には些か重すぎる。

 

 

「そうかよ…」

「そうだ…だから忘れてくれ。お前が気に病む必要はないんだ」

 

 

晴れない気持ちを抱えたまま、気持ちを暈して見えなくした。こればかりは時間が解決してくれるだろう。———それしか、俺には思いつく手段がなかった。

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

蝉時雨降りしきる茹だるような暑さの7月、世間の学生たちはまだ待ちに待っているであろう夏休みがやってきた。

このトレセン学園でも前期課程が終了し、ウマ娘たちが浮足立っている。

 

URAの開催するレースに日程を合わせ1月中旬~6月終わり、9月中旬~年末までといった変則的な学期を導入しているトレセン学園は春休みが存在しないため、夏休みは一般校よりもちょっと長い。しかし全寮制ゆえ、長休みといえども普段のクラスメイト達と顔を合わせることになるが。

この学期を簡単に分ければ新春レースから宝塚記念まで、初秋から有馬記念までといったものに合わせているということが分かるだろう。そして夏という時期は主なレースもしばらく無く、シーズンは落ち着くちょっとした小休止のようなものだ。

 

多くのウマ娘にとって夏はメインシーズンである秋に向けたビルドアップの時期であり、毎年この時期はチームやトレーナーとの身体強化を目的とした夏合宿を行う者、スプリンター路線のウマ娘たちはGⅢのレースが多くあるため武者修行をする者、残念ながら試験結果が振るわなかった者には補習という名のボーナスステージが待っている。

 

 

例に漏れず俺と担当であるウオッカは秋シーズンに向けてさらなる成長をすべく夏合宿に赴くことに決まっていたのだが…

 

しかしあの掲示板を外した宝塚記念から、ウオッカの調子は下降の一途であり、調子の良い時よりもラップタイムで1~2秒遅くなってしまっているなど少し目の当てられない事態に陥ってしまっていた。

 

 

 

「はい!受理しました。申請書類に不備もないのでこれで結構ですよ」

「ありがとうございます」

 

 

夏合宿に必要な書類を提出し終えて、準備も終わったので軽く一礼をして部屋を出ようとすると書類を抱えたたづなさんに話しかけられた。

 

「その…宝塚記念は惜しかったですね」

「そうっスね…。実力が発揮できるように整えてやれなかったのもトレーナーの責任ですョ…」

 

軽く肩を動かしておどけて見せる。眉根を下げていたたづなさんは溜息をついて立ち上がると、少し目を細くしながらゆっくりと近づいてくる幽鬼のような圧力に慄き壁まで押し遣られてしまった。

 

ズビシッといった感じで人差し指を鼻先に突き付けられた。どうやらこの緑の人の琴線に触れてしまったらしくそのエメラルド色の双眸が揺らめくように光る。

 

 

「何があったのかは聞きませんけど、そうやってため込むのはサカキさんの良くないところですよ?」

「俺自身の問題にウマ娘を巻き込むわけにいかないでしょうよ」

「そういうところですよ。いいですか?ウマ娘の感情の揺らぎがヒトよりもずっと大きいことはトレーナーのあなたなら分かっているはずですよね?」

「ええ、存じてます」

「トレセン学園に居るウマ娘にとって、このクラシック級は一生に一度しかないんです!いわば家族ともいえるぐらいにトレーナーさんとは一心同体になるんですよ?そのトレーナーさんが悩んで苦しんでるのに何もできないなんて……ウマ娘にしてみれば心を抉られるように痛いんです!」

「…そうですか」

「近頃ウオッカさんは朝の挨拶でもまるで生気がありません…。こちらとしても辛いですし…怪我にもつながり兼ねませんよ?」

 

 

分かってるんだ…そんなことは……。

このまま現状を打破できなければダービーで燃え尽きたなんて言われたっておかしくないし、現に彼女には見せていないが宝塚の結果を『期待外れ』なんて書きたてやがるマスコミまであるぐらいで、気にするなとは言っているが耳を塞いだってすり抜けて入ってくる。

 

そんなんじゃない。…アイツはそんなもんじゃない!

 

 

「あなたがウオッカさんを思っての事なのは分かります。でも、もうちょっと歩み寄ってあげてもいいんじゃないですか?」

 

 

結局、一人目の担当ウマ娘を潰してしまった時から成長していなかったのは俺か…。

 

「…いつもたづなさんには尻を叩かれてばかりですね」

「そういうのはお酒の席でお願いしますね?」

「いえ、助かりました。時間に任せるしかないかと思っていましたし」

「悪手ですよ?女の子相手に時間が解決する問題なんて無いんです。それは蓋をしただけでもっと拗れます」

「身に染みています」

「分かればよろしい!愚痴でもなんでも相談は受け付けますから」

「お代は酒の奢りでもいいですか?」

「はい♪お待ちしていますから」

 

 

 

 

 

トレーナー棟屋上の扉を開いて外に出る。

外の空気を吸いたくなったのと一服したくなったためだ。道すがら自動販売機の前を通りかかると千葉のソウルコーヒーがメニューに追加されていた。マジで入ってるよコレ。感激で連打してしまった。

 

立っているだけで汗だるま一直線のいい天気だ。空の向こうの入道雲はまるで絵の具のごとく白い。

俺このまま溶けてなくなるんじゃないか?

 

 

 

———もう少し歩み寄ってあげてもいいんじゃないですか?

 

 

正直に言えば、そう…怖いんだ。

いわば自分のトラウマを日の目に晒すことになるのだから。忘れたいと思ったし、無かったことにもしたかった。

 

 

「まだまだ、俺もガキだってことか…」

 

 

誰も聞いていない独白が熱さで蒸発していく。この心のわだかまりも蒸発して消えてくれればいい。

新幹線の中で掴みかかってきた彼女の銅色の瞳を思い出す。強い意志を宿したあの瞳を、曇らせてしまったのは他ならぬ俺なのだ。ならば晴らす責任だって俺にあるはずだ。

 

グッと缶コーヒーを飲み干して、握りつぶす。夏の間にケリをつけて秋にアイツを万全な状態まで持っていく。そう決意を固めて、独り占めしていた屋上を明け渡した。

 

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