ウオッカ、エリザベス女王杯回避か!?
秋華賞でダイワスカーレット、更にはレイニーワルツに先着を許したウオッカ(クラシック級2年目・栗東寮所属)がレース中に挫跖していたことがトレーナーより発表された。※挫跖:ヒトでいう捻挫
先日開催された京都レース場第11レース、秋華賞(GⅠ)にて、ハナを進むダイワスカーレットを捉えようと最終コーナー手前から外に持ち出し直線に入ったところで荒れていたターフの段差に右足を踏み込んでしまい挫跖したという。ウオッカは三着でゴール。直後にトレーナーに抱えられ医務室へと運び込まれた。この後ウオッカはウイニングライブを欠席し、ファンへは同期であるダイワスカーレットより説明がなされた。
トレーナーの発表によれば、今後ウオッカのレース出走はエリザベス女王杯を予定していたが回復を待って判断するとのことである。
———日刊クジ新聞
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———普段より上がってくる速度が鈍い
そう感じた時にはもう体が動き出していた。
俺の表情で何か察したらしい宮下に後を任せる。顔も良くて察しもいいとかなんなんだお前?今度コーヒーでも奢ってやるからな覚悟しとけよ?
係員に事情を話して地下バ道までウオッカを引っ張て来てもらうと、道行くスタッフやウマ娘の視線にも構わず横向きに抱え上げそのまま医務室に直行。何故だか顔を赤くしてぎゃあぎゃあ喚くウオッカにアイシングの氷を押し付けた。
…鼻じゃねーよ!足を冷やせ足を!!
「挫跖…」
「はい。骨や屈腱には影響ありませんが少々の内出血が見られます。レース中に芝の段差に足を取られたという事ですが…それ以外に何かありませんか?1回でこのダメージは考えづらいのですが…」
「…階段を踏み外したダメージがあったと思います」
「ではそれですね。1つのダメージは大きくないですが、重なってしまった結果でしょう」
病院に来てみてこれである。
不幸中の幸いだ。競走能力に関わる怪我ではなく一安心といったところであるが…レース中のトラブルという懸念していたことが起こってしまった。
「その…怪我はどのくらいで治りそうなんスか?」
「1週間は安静にしてください。2週目から様子を見てトレーニングなどは足に負担を掛けない程度にといったところでしょうか」
「つまりマトモに走れるようになるとしたら3週間ほど見た方がいいと…」
「そうですね。とにかくこの1週間はジョギングなどの軽いものでも控えてください」
3週…今日が10月の2週、14日だ。
症状の次第にもよるがまともに走れるようになるとしたら11月1週前後ということになる。そこから勘を戻したりトレーニングを再開したとして11月11日に予定されているエリザベス女王杯には…。
ダメだ…とても万全の状態でぶつかれそうにない。
走れるには走れるが、このままじゃダイワスカーレットどころか他のウマ娘にもぶっちぎられて終わりだろう。
「その…1か月後のエリザベス女王杯は大丈夫なんすか!?」
「医術的見解では可能と思いますが…そこはトレーナーさんの領分になってくるのではないですか?」
医者に食い下がったところで状態が好転するわけではない。今の状態を信じたくないのは分かるが…仕方なく、ゆっくりと彼女に言い聞かせるように口を開く。彼女には慰めや同情といった言葉はかえって逆効果で、淡々と事実を分からせてやる方がいいと思う。
「……ウオッカ。率直に言うと厳しい」
「うっ……」
「ケガが治ったとして勘を戻すのに1週、右足首に何らかのトラブルを抱えてないかチェックする期間が欲しいから、秋華賞の状態に持ってくるとしたらもう2週は欲しい。」
「1か月じゃ足りないってか…」
「出られたとして最下位争いなんてことにもなりかねないぞ」
「…」
怪我を負うということは治ってすぐ終わりとはならない。
…ヒトの体というものは3日も安静にしていれば筋肉が衰えだし、1週間経てば固まりだしてしまう。太い筋肉は顕著で膝や踵などは痛みを伴い動かすことに難儀するほどになる。
それはヒトと似た体を持つウマ娘にも当てはまるし、筋力の落ち方でいえばウマ娘の方がガタ落ちしやすい。
彼女の耳が力なく萎れ、尻尾も落胆を隠さずに垂れる。
「だがそれは怪我の治り具合によるな。お前さんがちゃんと大人しくして早目に治れば望みはある。そこから判断しても遅くはないんじゃないか?」
「わかったよ…」
宮下に現状を連絡しながら、ウイニングライブを頼むとぶん投げた。あとはダイワスカーレットの事だから上手くやってくれるに違いない。
…俯くウオッカに何がしてやれるだろうか。できることならケガを変わってやりたいが、こればかりはどうしてやることもできない。
「お前のせいじゃねえよ」
そっとウオッカの髪をかき混ぜると、彼女の固く握られた拳が目に入る。白くなるまでに握られたそれに悔しさが滲んでいるのがよく分かった。
———果たしてそれは怪我に向けられたものか、負けた自分に向けられたものなのか
*****
京都からトレセン学園に戻った俺はウオッカを栗東寮に送り届け、フジキセキに後を頼んだ。フジキセキの後ろにはマヤノトップガンとマーベラスサンデーの姿も見える。
テーピングでガチガチにした右足を引き摺り、歩き辛そうにしたウオッカにしてやれることもなく、心配で迎えに来ていたマヤノトップガンとマーベラスサンデーにも軽く事情を話して、目を掛けてやってほしいと言えば彼女たちは二つ返事で協力してくれた。
普段はノリとおバカが掛け合わさって暴走特急になってしまう彼女たちだが、こういう時はとても頼りがいのあるウマ娘となってくれる。
……普段からそのぐらいでいてほしい。
同室であるダイワスカーレットは、京都に宿泊し明日戻るとの事だ。ウオッカがウイニングライブをフケた事情については宮下経由でダイワスカーレットがファンに説明してくれている。ありがたい限りだ。いったい今日だけでいくつ宮下に借りを作ってしまったのか考えたくもない…。
「どうしたもんかなぁ…」
すっかり夜も更け満月が顔を出す。月光が街を照らし街灯もいらないぐらいの明るい夜。明日には秋華賞の報告書が必要になるため、朝一で仕上げてしまおう。
それよりも挫跖を少しでも早く治す方法がないものか…。少しでも柔軟をしてもらって大人しくするぐらいしかないのか…?
思わず深くため息を吐いた。考え事をしながら原付を停めてある裏門の駐輪場に向かう。ちょうど曲がり角に差し掛かったところでそれは起きた。
「あっ!!ちょおっ!?おどきになってぇぇぇえぇええええぇぇえぇぇぇえええ!!!??!?」
は?
「は?」
思考と口から出た疑問がシンクロすると同時に、凄まじい勢いで物体が突っ込んできた。
日本における交通事故発生件数の約半数は交差点である。それはこのトレセン学園の敷地でも例外ではないようで、よくある出会い頭の衝突事故というヤツだ。
女の子の体重はりんご3個分なんて話もよく聞くが、りんごが70km/hで飛んできていたとしたらそれはもうデッドボールである。
「えげぇッ!!!!」
一瞬だけ感じた柔らかな感触と、えらく腰の入ったタックル。突っ込んできた質量+運動エネルギーはとても人間である俺一人では受け止めきれないもので、人間こんな吹き飛び方もするんだなと妙に冷静な頭で考えながら物体を抱き留める。もしウマ娘だとしたらケガをさせるわけにはいかないからね。
数瞬のスローモーションののち、ボーリングのピンよろしく倒れ伏した。
「ちょっとカワカミさん!いくら門限が近いからってコース外で全力疾走は…カワカミさん!!?!?!?」
「あぅ…いたた…あれキングさん?」
「……」
「……」
「……」
大の字にノビる俺。ちょうど腰の上に跨るような姿勢で起き上がる物体X。状況が飲み込めない鹿毛。
なんか言ってくれ。俺?人間強い衝撃を受けるとちょっと喋れなくなるんすよ。マジでマジで。
「みぎゃぁぁああああ!!!!!どどどどどどうしましょう!?!?!??ぶちかましてしまいましたわ!?????!?」
「ちょっとあなた!しっかりなさい!!意識はある!??」
「寝てはいけませんわ!!!!目を開けてくださいまし!!?!?!?」
胸倉を掴み上げられ上下左右に激しく揺さぶられる。やめてよしてなかみでちゃう。ちなみに強い衝撃を受けた人間を揺さぶるのはNG。脳挫傷の可能性があるよ。肩を軽く叩いて反応するか確認してね。
「この人ウオッカさんのトレーナーよね…。とりあえず保健室…はもうやってる時間じゃないわね…!ああもう一旦寮長室に運びましょう!」
「わ!分かりましたわ!」
だからと言って米俵担ぎはないと思うんだ。ゆっくりと薄れる意識の中で突っ込みどころ満載な状況についてモノ申さざるを得ない。…いや突っ込まれたのは俺なんだけども。
うっすら目を開けると淡い照明が目に入ってくる。知らない天井だ…。
「目覚めたかな?」
「ここは誰?俺は何処?」
「ふざける余裕があるなら大丈夫そうだね?トレーナーさん?」
サラサラな黒髪と一房の流星。青く澄んだ瞳。にっこりと微笑む口元に対して、目が全く笑ってない。栗東寮の長ことフジキセキが顔を覗き込んでいた。少し見回してみるとウマ娘寮の白い壁紙が目に入った。もしかしてトレーナー禁制のウマ娘寮にお邪魔しちゃってる?
「……目覚めたらフジの顔が目の前にある生活も悪くないかもな」
「おや?どうやら頭を打ったらしいね。救急車を呼んだ方が良さそうだ」
「勘弁してくれ…二度と乗りたくねえよ」
「全くね」
ベッドから起き上がると、部屋の隅で正座させられているウマ娘が二人。耳がかわいそうなぐらい萎れているカワカミプリンセスと、なぜ私まで…と不満顔のキングヘイローである。
「さて、被害者君。どこまで現状を把握しているのかな?」
「とんでもなく腰の入ったタックルを食らってバウンドして生垣にエンタイトルツーベースした辺りまでか」
「ちっ!違うんですの!これには」
「今、君に、発言は許可してないよ?」
ヒエッ…フジキセキさんマジでキテるじゃないですか…。押し黙って涙目のまま再び下を向くカワカミプリンセス。深くため息を吐いたキングヘイローに同情を禁じ得ない。
「うん…記憶の飛びもないようだし…。カワカミのタックルを貰ったところが痣になるぐらいかな…」
「あー、寮通りのT字路でぶつかっちまったんだっけか…。ちなみに俺はどのくらいトんでたんだ?」
「5分程度だよ。もう少し様子をみて目覚めないようなら救急車を呼んでいた所さ」
「俺だからいいけど次からは即呼べよ。普通に事故だかんな」
うん。どうやらカワカミプリンセスとキングヘイローによって栗東の寮長室に運び込まれたらしい。委細の事情はこの分だとカワカミプリンセスからフジキセキに伝わっているのだろうが、ウマ娘と人間の衝突はマジで洒落にならん。
「んで、お前さんはなんで突っ込んじゃったわけ?」
「そ、そのキングさんにトレーニングを同伴していただきまして、気合いが入りすぎて寮の門限を過ぎてしまいそうだったので…これはマズいと急いでいたのですが…」
「全力で走るものだから危ないし止めたのよ…」
「それで後ろを振り返っていたらT字路にいるトレーナーさんに気づくのが遅れまして…急ブレーキを掛けたのですが……逆に躓いてブチかます姿勢になってしまったのでして………」
うーんビックリピタゴラスイッチ。
「まあ、処遇はトレーナーさんに任せるよ?私からも後でよく言っておくけど」
「ヒィ…!」
よく言っておくけど、というところでどす黒いオーラを纏ったフジキセキ。さっきからずっと笑顔なんだけど怖いよ。普段から多少の事は笑ってジト目を向けて流してくれるフジキセキだが怒るときこうなるのか…。
一気に青い顔になり正座しながらも頭を抱えこの世の終わりのようにガタガタ震えているカワカミプリンセス。なるほど、寮長かくあるべしという事ね。
「まあ、俺は今後気を付けてくれればいいんだが」
「ももももちろんでございます事よ…!このカワカミプリンセス決して今後はこのような事はないと肝に銘じて誓います…!」
「そういってこの前も校舎の壁に穴をあけてエアグルーヴに連れていかれたね?」
「……あっ!?あれにも深い深ぁいわけが!!」
遂に八方塞がりになったカワカミプリンセス。仕方ない、ちょっとした罰を与えるために気づかれぬうちに背後に回る。ずっと正座してるっぽいし、そろそろ頃合いだろう。フジキセキは俺に気づいてるだろうに黙ってる辺りたちが悪い。
彼女の足の裏をペンでつつく。
「んにゃあっ!!!!」
ピーンと耳と尻尾が跳ね上がり反射で前に飛び上がった。そう、ずっと正座でしびれた足に対するお仕置。ペンでつつくである。
「あっ…!ちょ!なにをっ…んっ!!ふぁ!!お、お止めになって!!?!」
「いやこれお仕置だから」
「や、やめてくださいましっ!??あんっ!!!あっ動け、な…ああ!!」
ビクビクと身を震わせるカワカミプリンセスの足の裏をひたすらつっつきお仕置終了である。うっすらと涙を浮かべ身悶えるウマ娘の姿は新たな扉を開いてしまいそうになるのでもう終わりにしよう。後のことはフジキセキに任せるとして、いつまでもトレーナー禁制のウマ娘寮にいるわけにもいかない。今回は事故だから。石投げないでね。
「キングヘイローも足崩していいぞ」
「キングの足を何だと思ってるの…!?これぐらいの正座なんてワケないわよ!」
強がるキングヘイローは正座のままキッとこちらを睨みつける。うん。今回は完全に巻き込まれた不憫なお嬢様に幸有らんことを。
「と…ところで何でこんな時間にトレーナーさんは栗東寮に来ましたの……?」
「あー、贖罪ってわけじゃないが君たちにも協力してほしい。実はウオッカのヤツが今日の秋華賞で挫跖しちまってね」
「挫跖!?なんてことですの…」
「そう…」
ここで話さなかったところで、いずれテーピングで足をガチガチにしているウオッカに気づくだろうし、ちょっと気にかけてくれと言っておいた方が何かあった時に助けてくれるかもしれない。そんな打算的な考えだが、無いよりもあった方がいいだろう。
「ということで、まあちょっとしたサポートをお願いしたい。なにも四六時中一緒に居ろってわけじゃないから」
「…協力できることがあればこのキングがするわよ」
ありがたい申し出だった。寮の中まではトレーナーも手出しできないだけに、協力者は居れば居るだけ良い。そう思っているとおもむろにキングヘイローが目を合わせて話し出した。
「ところで何か治療に当てがあるのかしら?」
「いや、安静にするほかないと思ってるんだが…。」
「…なら今回のお詫びっていうわけではないけれど、いい場所を教えてあげるわ」
「いい場所?」
「湯治よ。もともと家で懇意にしてる宿があるの。少し遠いし湯治となればちょっと準備もいるけれど」
…湯治。日本古来より行われる一般的な療法で、各地に点在する。入浴したり飲泉したりするなど現代でもなじみ深い。安静にしているほかないと思っていただけに、試してみる価値もあるだろう。少し、光明が見えた気がした。