タンデムで見た海   作:印旛沼まで徒歩五分

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湯治①

 

 

 

 

荷物を持ってもらって固定された足を引き摺りながら、なんとか自室まで辿り着いたオレはベッドに身を放り出した。

 

1週間はレースどころかトレーニングで走ることもできねぇ。一応固定しているギプスとテーピングは外せるので入浴は可能だけど、日常生活は不便が続くだろうし同じ寮のメンツには迷惑を掛けちまう。皆それぞれのレースがあるし世話になり続けるわけにもいかない。

 

 

「つまんねぇ…」

 

 

今まで一週間も走らせてもらえなかったことなど無く、これからの日々を考えて、色にするとしたら灰色だろうと益体もない考えが浮かぶ。もし…もし万全の状態ならばどうなっていただろうか。

 

 

何やら寮の入口が騒がしいが、確認するような気力もない。おおかた門限ギリギリ間に合わなかった自主トレ組がフジ先輩に拝み倒してるんだろうし。

 

 

思考の海に溺れると今日のレースを思い出す。

 

 

———コンディションは良かった。

なのに最終直線で感じた失速感。ケガが原因とはいえあの感覚はしばらく忘れられそうにない。加速しようと足を回すのに速度が乗らずに追いつかない。近づいていかない。アイツの背中が離れていく…。

 

あのまま加速していたら、自分の足はどうなっていただろうか?今回は軽度の捻転で済んだが、無理をして腱断裂を引き起こしていたら走ることすらできなくなっていた可能性もある。

 

やり直しだ。全部。さっさとこんなケガ治してエリザベス女王杯でアイツとぶつかる。そんで勝つ。そのためには…

 

 

「大人しくしてるしかねぇんだよな…」

 

 

結局帰ってくることになる結論の堂々巡り。いや結論って時点で話は終わってるんだけど。これを何ていうかって?そりゃ現実逃避だろうよ。

 

寝返りを打っても部屋の中にはだーれも居ない。アイツはウイニングライブで夜遅くなってしまうからと京都で一泊の予定で、自分が動かなければ物音ひとつしない部屋はガランとしている感じがする。

 

いつもならアイツの、何かしてる音がするのにな———

アイツが居たら「いつまでウジウジしてるのよ」と一発引っぱたかれていただろう。

 

 

「んぁ?」

 

 

枕元に放り投げたウマホが軽快なメロディーで騒ぎ立てる。光る画面に目をやれば、ほんの十数分前に別れたばかりのトレーナーが表示されていた。忘れものでもしたか?

通知ボタンをタップして耳にウマホを近づける。

 

 

「…ぁい」

『もしもし?ウオッカさんで間違いないかしら?』

「は?え?」

 

 

頭の上に三連クエスチョンマーク。

 

トレーナーだと思って電話に出たら綺麗な女性の声。思わず画面を確認するがトレーナーからの電話で間違いない。え…トレーナーまさか彼女とか居たの?

 

 

『ちょっと!もしもし?』

「あ、あぁ聞こえてます?トレーナーの彼女さんかなんかスか?」

『はぁ?違うわよ!こんな煙草の臭いのする男性はごめんだわ。このキングを愚弄する気?』

「キング…?キングヘイロー先輩!?なんでキング先輩がトレーナーのスマホから!?」

『それには色々事情があるの。世の中知らないことが幸せなこともあるのよ?』

「…」

 

 

いったい何だってんだ…。

トレーナーから電話が来たと思ったらキングヘイロー先輩が出た。何を言ってるのか分かんねぇだろうが、オレも何言ってるのか分からねぇ…。

 

 

『おほん!ところで今日のレースで挫跖してしまったそうね?』

「…はい。情けねぇ話ですけど」

『アクシデントは誰にでもあることよ?あまり気に病まない事ね』

「はぁ…ありがとうございます」

『…ところでアナタ、挫跖を早く治せるかもしれないって言ったら行く気はあるかしら?』

「えっ!??もちろんです!!」

 

 

ベッドの上に跳ね起きた。渡りに船だ。え、でも行く?行くってどこに?もしかしてなんかめちゃくちゃ痛ぇマッサージとかされんのか…?

いや!これもレースのためだ!

 

 

「痛いこととかは正直勘弁っスけど…これを早く治す為なら何でもやります!」

『痛いこと?しないわよそんなこと』

「え…?なら何を……?」

『湯治よ。アナタも聞いたことぐらいあるでしょう?私の家が懇意にしているところをアナタのトレーナーに伝えておくわね。泊りがけの準備はしておいてちょうだい』

 

 

そういって通話が切れた。少しでも可能性があるなら賭けたい。こんなギブスなんかとはさっさとおさらばして、オレは風を切りてえんだ。

 

そして頭が落ち着くと、疑問が浮かび上がる。

 

 

「いやトレーナーとキング先輩はなんで一緒に居たんだ…?」

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

ふと目が覚める。昨日はレースの疲れやなんやかんやあって、そのまま眠ってしまったようで、張り付くTシャツに少しだけ気分が悪い。

窓の外はまだまだ宵が明けず、星が瞬いていた。だが月はもう沈みそうな位置に居て、もうすぐ空も白みだすだろう。時間を見てみれば5時を回って少ししたぐらいだ。

 

ひとまず歯を磨こうと立ち上がろうとすると、ギシリと足首が動かない。ギプスとテーピングで固められていたことをすっかり忘れてた。

 

 

「あぐっ…くそ」

 

 

足の可動域が狭められるだけで感じる凄まじいストレス。普段何気なく歩いたり走ったりしているが、それができるのはなんと幸せなことなのだろうか。耳も垂れれば尻尾もやるせなく下がる。

 

ウマホが着信を告げる。画面を見るとトレーナーが表示されていて昨日のこともあってちょっと身構えた。

 

「はい」

『お、起きてたか。降りてこられるか?』

「なんで?」

『なんでって湯治行くからだよ。きのうキングヘイローから電話行ったろ?』

「え?今からかよ?」

『おう、昨日のうちに諸々やっといたからな。あとはお前さんが来るだけだ。あ、ヘルメはいらないからな?』

「分かったからちょっと待ってくれよ…」

 

 

早すぎんだろ!?急いで歯磨きを済ませて着替えと諸々をカバンに突っ込んで…あー!昨日から着替えてねーじゃんかよ!いやでも洗濯物放置してたらスカーレットがキレるし…しょうがねえ…上に着こんで向こうでこっそり洗おう…。

 

 

 

*****

 

 

 

寮のエントランスで荷物をひったくり、サンダルを履かせたウオッカを抱え上げわちゃわちゃと騒いでしまったが、裏門に停めた車に運んでくるころにはすっかり静かになった。

 

…いや鼻血だして大人しくしてるだけだったわ。

 

彼女を助手席に突っ込み、荷物これまたトランクに突っ込む。そして彼女の鼻にティッシュを突っ込む。

車に乗り込んでシートベルトを填めると、ナビを準備して車を発進させた。1速に入れてゆっくりとクラッチを戻離しスピードが乗ってくると、2速へ。するとウオッカがジトリとした目を向けていることに気が付いた。

 

 

「なあトレーナー?」

「なんぞ」

「この車どうしたんだよ」

「え?買った。いい加減新幹線と電車移動が嫌になってョ。車なら文句ないだろ」

「バイクはどうしたんだよ?」

「あー、あるぞ。ただな、これから行くところはもうこの時期もう雪降るかもしれんからな。二輪じゃあぶねーんだわ」

「え?バイク新しいヤツ納車したの?」

「おうZR-10Xな。言ってなかったっけか?」

「はぁ!?言ってねえし!言えし!」

 

 

まだ早朝の流れの早い甲州街道を下っていき、八王子から国道16号へ入る。そのまま道なりに走れば、奥多摩へ向かう時にも通った新滝山街道を走り、大きな川を越えるとすぐにあきる野インターチェンジが現れた。今回はここから圏央道に入る。

圏央道を鶴ヶ島方面に車を進め、本線と合流するとゆっくりと加速させていく。ここからしばらくは高速だから退屈な道のりだ。

 

 

「昨日、なんでトレーナーの電話なのにキング先輩が出たんだよ」

「あーそれな。昨日お前さんを寮に送った後にカワカミプリンセスに轢かれてな」

「カワカミ先輩に轢かれた????」

「寮通りで出会い頭にごっつんってな。まあそれで一緒に居たキングヘイローがお詫びにって今回の宿を紹介してくれるって話になってな」

「わけわかんねぇ…」

「俺も分かんねぇ」

 

 

昨日の話は…うん。不幸な事故だったね…。

 

少しすれば話すことも品切れになり、タイヤが運ぶノイズと時たま車が跨ぐ道路の継ぎ目の音、一定の回転数で回るエンジンの低い排気音が車内を満たす。

少し感じる彼女の匂いと、身じろぎする衣擦れの音。まだ目覚める前の街。すこし明るくなり始めた空。

 

 

「少し早かったしな。まだかかるから寝てていいぞ」

「あいにくたっぷり寝て目が冴えてんだ」

「そうかい」

 

 

鶴ヶ島ジャンクションから関越道を新潟方面へ。まばらな車の流れに乗り、ゆっくりと加速させていく。

今回向かうところは、11月の後半でも上空の機嫌次第で雪が降るためスタッドレスタイヤを履かせてきた。雪道では強いスタッドレスも、普通の路面は並以下なので無理をしてはいけない。凍結路面はスタッドレスでも滑るからチェーンを用意しような。

 

 

「車もマニュアルなんだな」

「どうしても手を動かしたくてな。乗り心地悪いけど勘弁してくれよ」

「いや?上手いと思うぜ」

「そらどーも」

 

 

しばらく走ると背後の空が陽に染まってきた。田んぼばかりの平坦な景色にもだんだんと山が見えるようになってきて、埼玉県から群馬県に入った。

ぽつぽつと取り留めのない話を続ける。段々と街並みがまばらになり車線が一つ減ると、ここ最近の冷え込みで化粧をした山々が目の前に来るまでになった。

 

渋川伊香保インターチェンジで関越道に別れを告げて一般道に降りる。ゴロゴロとした岩が目立つ荒涼な河原沿いを走り線路をくぐって分岐を左へ。先ほどよりも細い川に沿って、山へ向けて走り出した。

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

道に沿って走っている吾妻線の、一駅過ぎるごとに山深くなっていく景観。川原湯温泉を過ぎるころには道端にも雪が見え始めたと思えば、気づけば辺り一面が白く白く染まっていく。木々も川も、自分以外が色を失くしたかのような水墨画の世界。

 

 

「もう11月でこんなになるのか…」

「山道の冬季閉鎖がだいたい11月~5月だがこれを見ると納得するよな」

「雪道大丈夫なのか?」

「任せとけ!この車は4駆だぞ!」

「それダメな奴だから!オレの名前取られたらウオとかになっちゃうだろ!」

 

 

 

線路から離れ、山道を登った先に街並みが見えてきた。少し鼻を突く硫黄の匂い。標高約1200mの高地に広がる街並み。由緒ある草津温泉のその一角にある荘厳なつくりの旅館。

 

キングヘイローからは紹介制と聞いているだけあって止まっている車もお高いものばかり。

この車じゃ少し場違いな感じもするが、住所はあっている筈なので間違いない…はず。たぶん、きっと、メイビー。

 

 

「…なぁトレーナー。ここ入って大丈夫なのか?」

「俺もちょっと不安になってきた」

 

「お待ちしておりました」

 

 

ゆったりとした声を掛けられ振り返ると、これまた高そうな和服に身を包み、柔和な笑みを浮かべて腰を折る女将。まるでこことは違う世界に迷い込んだような感覚に呆けているとウオッカにペシリと尻尾で叩かれた。

いや庶民出の俺には敷居高いよ…

 

 

 

 

 

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