タンデムで見た海   作:印旛沼まで徒歩五分

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湯治②

 

 

サンダルを脱ぎ足を踏み出すと、隙間なく敷き詰められた絨毯の感触が足の裏から反発してくる。この感触もようやく楽しみ慣れてきた。

 

ここに泊まり始めて早4日。初日から温泉に長く浸かり、上がれば時間をかけてゆっくりと全身をストレッチ。一度トレセン学園に戻ったトレーナーがどっさりと持ってきた授業の提出課題に悪態をつきながら、午後には足首に負担を掛けないように体幹と上半身を鍛えるメニューをこなして、再び湯に浸かる。そんなループを繰り返していた。

 

トレーナーも暇なのかオレがトレーニングメニューをこなす間、アブローラーでずっと立ちコロしていたりスクワットしていたりと、暇なら提出課題を手伝ってほしい。マジで泣きたくなるほど量が多い。そういった事を投げかけるとするりと躱してパソコンでカタカタやりだす。

ところでトレーニング中にちらりと見えちゃったんだが腹にでっけぇ痣があった…。アレがカワカミ先輩に轢かれた痕だったりするのだろうか。

 

 

 

「ところでよぉ」

「あん?」

「いつまでここに居るつもりなんだ?」

「そうだなぁ…病院の診察があるから明後日までか。それで足の状態を見てトレセンに戻る」

 

 

——全治2週間。

それがオレの挫跖に下された診断だった。この1週間はジョギングレベルのものですら走ることを制限され、そろそろ走りてぇ欲望がぐるぐると渦巻いてきた。今頃トレセンでスカーレットやマヤノ、マーベラスたちは走り回っているんだろうか。

 

温泉の効果か、足はずいぶんと軽くなった。まだ、固くテーピングしているから歩き辛いが、ケガ当日よりも動かしやすくなってきて回復を感じることができる。

早く足を動かしたいが医者の許可が出るまでは、トレーナーは絶対首を縦に振らない。フラストレーション溜まりまくりだぜ…。

 

 

「ココまで登ってくる途中の山道を流してぇぐらいだぜ…」

「やめてくれョ…。お前さんじゃ流すなんてレベルじゃ我慢できねえだろって」

「…………そんなことない、ぜ」

「間が空きすぎなんだよなぁ…」

 

 

だって考えてくれよ。オレはもう一週間近く風を切ってないんだぜ!?

 

 

「ウマ娘に走るなって言う方が無理だろ。拷問だぜ拷問」

「もうちょっとの辛抱だから」

「オレは今が耐えられねぇんだよぉ!」

 

 

頭を抱えてのたうつオレを苦笑いしながら見守るトレーナー。やめろぉ!そんなグズるチビ共を見るような目を向けるんじゃねぇ!

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

温泉ループなこの生活も最終日。

明日、URA提携のウマ娘科のある病院でウオッカの診察を受け、ケガの具合を確認してトレセンへ帰せる手はずだ。

この1週間懸命に彼女が走りたい欲を耐えてくれたおかげで、トレーナー目から見てもケガの程度は回復したように思える。この分ならギブスやテーピングは取れるだろうが、残念ながら知識はあっても専門家ではないため正式な見解が必要である。

 

明日帰れることへの安心感からか、それとも走りたい欲が天元突破しているのか、今日は彼女の尻尾が揺れっぱなし。耳もピンと立ったと思えば左右に倒れたり、少しでも衣擦れの音がすればくりんっとこちらに向く。

彼女の耳は他のウマ娘と比べて大きめなので反応すれば分かりやすい。

 

 

「ウオッカ、俺に何か言いたいことがあるのか?」

「えっ!?あー、いや何にもないぜ?」

「そうかい」

 

 

パソコンの画面に視線を落とす。今はエリザベス女王杯の出走メンバーの映像から走り方や位置取りの組み立てをしていたのだが、どうも彼女の方に落ち着きがない。

もう夕餉も終わり、また長めに湯へ浸かってきた彼女は顔に赤みが出るほど上気している。ぱさぱさと尻尾が忙しない。

 

 

「な、なぁトレーナー」

「ん」

「そ、そそのさ…。尻尾を梳いてくれねーか?」

「尻尾を?」

 

 

つい視線が忙しなく動く彼女の尻尾に向く。左へぱたり、右へぱたり。視線に気付いたのがウオッカが尻尾を捕まえて胡坐をかいている腿の上に持ってくる。あ、尻尾が逃げた。

 

 

「どういうことなん…」

「いやぁ!はは…いつもはさ!風呂上りにスカーレットがどうしても尻尾を梳いてくれるって言うから仕方なくやらせてやってんだけどさ!その…どうしてもって言うならトレーナーにもやらせてやらないこともないぜ!?」

 

 

目線をあっちこっちに反復横跳びさせ、そっぽを向きながらめちゃくちゃな早口で裏返りながら捲し立てるウオッカ。ははぁん、さては尻尾梳くの苦手だなオメー。それで見かねたダイワスカーレットが呆れながら「やってあげるから貸しなさいよ」とジトついた目を向けるんだろうな。

 

左へぱたり、右へぱたり。ウマ娘の尻尾は毛を含めるとひざ下まで長いのがほとんど。それを梳かすのは手前へもってきて腰を捩じりながらやらねばならないから、想像してみてもやりづらそうだ。

 

 

「ほれ、櫛貸してみ?」

「…おう」

 

 

櫛を受け取り彼女の後ろに回ると、座布団にボフリと腰を下ろし尻尾を手に取る。ピクンと跳ねて強張ってしまった。マズったな。一言掛けるべきだったか…。

 

 

「触るぞ」

「…もう触ってんだろ」

「すまん」

 

 

付け根に櫛を通してゆっくりと先端に滑らせていく。俺に頼むぐらいなのだから絡まっているのかと思えば、櫛は付け根から先端まで全く引っ掛からないで滑る。え?コレ梳る必要ある?

1度2度と梳かし、今度は通す箇所を変えてゆっくりと流してみる。滞ることなく先端まで滑り落ちる櫛。ここ1週間近くひたすら温泉に浸かっていたからか、毛の艶もずいぶんとよく見える。感触に慣れてきたようで、最初は強張っていた尻尾も梳っていくたびにふにゃりとしてきた。付け根付近に櫛を入れるとピクリとするのは相変わらずだが。

 

 

……たぶん、梳る意味なんかないのだろう。そもそもケアなんぞを万年ライダージャケット姿の俺に任せるわけがないし、彼女らの方が尻尾を任せる意味をよっぽど分かっているはずだ。

女にとって髪は命。ウマ娘にとって、尻尾は髪の毛と同じくらいの価値があると何かの雑誌で読んだような気がするし、耳と尻尾はウマ娘の体の中でも特に感情が現れやすい。故にウマ娘が尻尾を任せるのは信頼の証というのをマヤノトップガンとマーベラスサンデーに熱説されたことがある。

 

それにしても後ろから見てみると、彼女の背中は俺よりもずっと小さく肩幅も狭く薄い。こんな華奢な体のどこにあんな吹き飛ぶような速度で走る力があるのか疑問に思う。

 

 

「なぁ」

 

尻尾を梳く手を止める。後ろに座っているから、俺にはどんな表情なのか分からない。少しトーンの上がった声、所在なさげに揺れる耳。

 

 

「その…ありがとな」

「言いっこなしだ。礼ならここを紹介してくれたキングヘイローに言うんだな」

「いや、まぁそれもそうなんだけどよぉ…そうじゃねぇんだよぉ……」

 

 

もごもごと口ごもるウオッカ。最後の方は声量が小さくよく聞き取れなかった。

なんだかこの空気に背筋がむず痒くなってきてしまった。気づけばもうかなりの時間彼女の尻尾をブラッシングしているし、なんだか部屋の空気が生温く感じてしまって据わりが悪い。

 

 

「ちょっとタバコ吸ってくるな」

「あ…おう」

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

上着を羽織って旅館を出ると熱くなった体が途端に冷やされていく。木橋を渡って駐車場の脇に設置された灰皿のそばの壁に寄りかかった。

七つ星を咥え、手を風よけにしてライターのホイールを回す。先端を燻ぶらせ空気を吸い込めば、冷たい空気と未練が流れ込んできて頭を冷たくさせた。俺は彼女に礼など言われる立場じゃない。

 

トレーナーとしては京都駅であのことがあった時点で秋華賞を諦めさせるべきだった。その選択をしていればここで燻ぶることもなかっただろうが、それでアイツは納得するだろうか。

レースもそうだが、何よりも彼女は紅い女王との対決に執着しているきらいがある。

過ぎたことを振り返ったとしてどうにかなるわけじゃない。

 

この吐き出す煙と共に悩みもなにかも溶けて消えていけば良いんだがな。そんなことを堂々巡りさせていると一人の男が喫煙所に近づいてきた。

 

その男も同じように壁に寄りかかると煙草を咥えるが、あたふたと身を漁り溜息をついた。着の身の服にライターを入れっぱなしにしてしまったんだろう。ライターが行方不明になってしまうのはよくあることだ。

 

 

「すみません。火をお借りしたいんですが」

 

 

低く、それでいて響くような声。男は俺よりも背が高くがっしりとした腕をしていた。煙草を持つ指も節くれ立って、苦労した日々の年輪を感じさせる。

 

 

「…どうぞ」

「ありがとうございます…。お前、サカキか!?」

「あ?」

 

 

知らねえ野郎にお前呼ばわりされる筋合いはないし呼び捨てとはいい度胸してるな。殴り合うつもりもないが向こうから言ってきたんだから二言ぐらいは返させろ。そう思い男に向くと必死に手を振って弁明してきた

 

 

「ちょ…待ってくれ!岡谷だ!忘れたのか!?」

 

 

記憶の中を漁って思い出されたモノは在りし日の過去。俺がハマサキのレーシングチームで活動していた時に、チーフディレクターをやっていたのがこの岡谷という男だ。

日本人と外国人の比率が3:7という多国籍チームを纏め上げ、メカニックやサプライヤーにライダーの細かな要望を通してマシンにも携わり、あの年のハマサキを優勝争いまで持って行った優秀な手腕を持つ。

 

 

「居たなぁ。そんな奴も」

「おいおい、ご挨拶じゃねーか」

 

 

その偉丈夫は白い歯を見せてニカリと笑い過去と変わらぬ笑顔を見せる。少し向こうの方が年上ではあるが、その垣根を越えて話せる雰囲気は相変わらずで、かくいう俺もずいぶんと世話になったし、マシンやレースの事でお互いの意見が合わず衝突してしまったこともある。

レースから、二輪の業界から離れた今となってはもう会うこともないだろうと思っていたが、世間というものは広いようで狭い。

 

 

「サカキにしちゃずいぶんと雰囲気が柔らかくなったな」

「そっちこそ。その焼けた肌は相変わらずだな」

「ははは!白い俺なんざ俺じゃねえ!」

 

 

変わらず息災なようで何よりだ。顔を背け、天に向かってほぅと煙を吐き出すと一塊の煙がだんだんと溶けては中空へ消えていく。

昔と変わらぬ笑顔を作っているが、その表情には色濃い疲労が見て取れた。

 

 

「ずいぶんと、上手くいってないようだナ」

「分かっちまうか…つくづく誤魔化しの効かない男だテメーは」

 

 

冬という時期には季節外れの蛍が舞う。その命を燃やしてだんだんと身を灰にしていく。その身を弾いて灰を落とすこと数度。岡谷の方から口を開いた。

 

 

「今はなんか仕事やってるのか?」

「………ウマ娘のトレーナーだ」

「ぶっ!はははははは!!あのサカキがか!!!ウマ娘のトレーナーとはな!」

「おい…笑い過ぎだろ」

 

 

抱腹絶倒といった姿勢で肩を震わせる岡谷。横目でじろりとにらむと、まだ収まらないと居た様子でひいひいと身を震わせる。

 

 

「わりいわりぃ!イメージとだいぶ違っててな!そう睨むなよ」

「イメージと違うのは自分でも思うがな」

「どっちなんだよ?中央か地方か?」

「中央だョ」

「ほおー!凄えじゃねえか!キツい国家資格並みの倍率だろ?あれ」

「たまたま受かっちまってな」

「たまたまで通れるもんじゃねえだろう。凄ぇよ」

 

 

結局俺は“走り”というものに魅せられて、自分の夢が折れた後も“走り”というものを諦めきれなかった優柔不断な性分を引き摺っていた。

 

鈴香のアクシデントであの世界から身を引いた俺は、くすんだ日々を過ごしていた。煙草で自分をごまかして、この国の色んなところを逃げるように旅した。前の相棒XRZと放浪したと言った方が正しいかもしれない。

そんな俺を見かねたサクが東京レース場に引っ張っていって、雰囲気に呑まれた。

歓声を上げて自分の夢をウマ娘たちに託し、その夢を小さな体一身に背負い緑のコースを疾走する彼女たちに、初めて見たウマ娘のレースに、日本ダービーに。

 

そこからだろうか。ウマ娘のトレーナーを考え始めたのは。

 

 

「そうか…。残念だ。もしまだフリーだってんならもう一度テメーをサーキットに戻したかったんだがな」

「冗談だろ?」

「冗談なもんかよ。お前以上にハマサキを乗りこなすヤツは未だに出てこない。あの鈴香から厳しくなったレギュレーションに対応できなったウチは成績低迷、サプライヤーから来年の供給を大幅に少なくするとお達しが出ちまった…。」

「それは…厳しいな」

「なんとかレースで戦えそうな分は確保できたが、それでも余裕はないし来年の成績次第ではハマサキ本体がWRCCから撤退する。そうなりゃもうチームの解散だわな」

 

 

スザキのGXS-Rには直線で置いて行かれ、新モデルを投入したヘカティのパガーニレにはまるでクラス違いのように歯が立たず、ホンマのGBR1000RRにはコーナーで突き放される。VMWやウマハに対しても同じように手も足も出ない。メーカーワークスチームとしては由々しき事態だろう。

 

それが何年も続けば、まずスポンサーたちが降りて行ってしまうし、ライダーたちの他メーカーへの移籍にも繋がる。ライダー達だってその道で食っているんだから、勝てないメーカーのバイクにいつまでも乗り続けていられない。それで“勝ってないライダー”というイメージがつき纏えば自分たちの沽券に関わる。

 

 

「ままならねえな…」

「ようやく改良型が来年には入れてもらえるが、それがどう転ぶかは分からん」

「まぁ…俺にできることがあれば昔のよしみで協力はしてやるよ」

「ありがてえ話だが、そっちもそんな余裕はねえだろってな。じゃあな、生きてたらまたどこかで会うだろうよ」

「あぁ。またどこかで」

 

 

深く吸い込んだ煙をゆっくりと虚空へ吐き出す。かき消えていく煙に無情な気分を乗せて吐き出せればどんなに良かったことか。

 

…解散。

 

………解散か。

 

大観山で“ハマサキ潰し”から聞いた情報は間違いじゃなかったってことだ。ハマサキのここ近年の成績は下から数えた方が早い。劇的な優勝でもすればまた話は別なんだろうが…。

 

さてずいぶんと長いこと話し込んでしまった。一服と言いながらもう3本目もその身を全て灰にしようとしている。最後の灯火を見ることなく、灰皿に押しつぶしてすっかり冷えてしまった体を再び温泉に沈めようかと考えるが、頭の奥底から岡谷の話が出ていかない。

 

 

頭を悩ます事柄ばかりが増えていく。目先の事は、アイツを病院に連れていくことだ。

待合室で大人しくしてくれるといいんだがな…。

 

 

 

 

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