タンデムで見た海   作:印旛沼まで徒歩五分

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ジャパンカップ

 

 

磯の匂いを感じる風に体を馴染ませて、こちらに寄せては返す波。砂は酷く足に絡みついてここに磔にするように広大な先の見えないこの海に、このまま体を浸して浮かんで行けば楽になるのだろうか?溶けて溶けて、無くなって、ただ揺蕩うだけの小枝のように。

 

…否、絶対にならない。走り続ける限りオレが楽になれる時なんて無い。

 

……それはもうすべてが終わった時だ。この苦しみからは逃げちゃいけないようなそんな気がする。

 

 

「探し物は見つかったか?」

 

 

さくりと砂を踏む音がして、耳と顔を音のした方に向けるとトレーナーが近づいてきた。煙草を咥えて、風に向かって細められた目がオレの目を射抜く。

その目は俺を責めるわけでもなく、哀れのものを見るでもなく、まるで品定めをしているかのような目。

 

“本当に貴様は走れるのか”とでも言いたげに細められた猛禽類のような目を見つめ返す。

 

 

「まだ…まだ見つかってない。けど、見つけようとも思わない」

「…道のりは険しいぞ」

「上等。この二週間オレに何したのか忘れたとは言わせねーぜ?」

「悪かったとは思っているが、許してくれとは言わないョ」

「許してくれなんて言ってきたらニンジン畑に埋めてるところだぜ」

「スパイスを加えたのはローレルだからな」

「…ピリ辛すぎるだろローレル先輩」

 

 

この二週間…トレーナーがサクラローレル先輩のリハビリ強化メニューにアレンジを加えて強火で炒めたみたいなトレーニングは滅茶苦茶にキツかった。マスクをして坂路、重りをつけて二時間全力ソーラン節、椅子取りボックススクワットジャンプなど思い出すだけでも尻尾が逆立つ。

 

 

「そろそろ帰るぞ。これ以上は体が冷える」

「ウマ娘の体温は人より高けぇんだぜ」

「そうじゃねえ。大事なもんを控えてるんだからカゼでもひかれたら堪らん」

 

 

ジャケットを翻して煙草を灰皿で揉み消してヘルメットを被ると先に跨るトレーナー。ステップに足を掛けて此方も跨ると、少し薫る紫煙の薫りと混じったトレーナーの匂い。

 

その背に手を回してそっと温もりを享受する。セルと共に鼓動を吹き返すVTに足を任せてゆっくりと揺られていく。心地いい揺れを感じる回転数、だんだんと乗っていく速度。

 

 

思えば、ずいぶんと長いことレースで勝ちを拾えていない。でも、次は走りやすい東京レース場、ジャパンカップ。少し距離は長いが、今この体を巡る熱量なら負ける気はしない。絶対に、絶対に……。

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

勝負服への着替えも終わり、靴の蹄鉄もしっかりと点検して準備を終え、あとは彼女を送り出すだけとなった。

この控室の扉を出ていけば、ただ俺は見守るだけしかできない。できる限りの手を打った。時間が無さ過ぎて十分なトレーニングを積めたとは言えないが、かなりの水準まで持ってこられたと思う。

 

そっとウオッカが拳を差し出す。この願掛けも幾度目だろうか。拳と拳を突き合わせ、俺の力を全て渡すように目を合わせた。

 

 

「あんまりはしゃぎすぎんなよ」

「おう…。期待して待ってていいぜ?」

「そりゃあ頼もしい」

 

 

第9レースのウェルカムステークスも決着となり、この後はパドックのお披露目と出走ウマ娘の準備運動、返しウマを行い本番となる。今日の東京レース場のメインレースに近づくにつれてだんだん高まってくる緊張感を缶コーヒーで誤魔化して流しこむ。

 

控室を出たところで後ろから明るい声に呼び止められた。ポニーテールに括られた鹿毛の髪に勝気そうなツリ目。足の筋肉は長くスタミナを使うステイヤーとしての貫禄が滲み出ている。

 

———菊の冠を戴いている強者。それが昨年だとしても油断も何もできやしない。

 

 

「やっほ!ウオッカちゃん!サカキっちゃんも!」

「イクサトゥルース先輩!どもッス!」

「おう」

 

 

イクサトゥルースのなにやらメラメラと燃えているモノが背後に見える。プロキオンのあの熱血師匠の事だからトレーニングには手を抜くなんて事はしない。相当の鍛錬を積んできているに違いないし、長い距離になればなるほど彼女の適正距離なのだ。重賞最長距離のステイヤーズステークスも制している彼女にはジャパンカップの2400など短く感じて仕方ないだろう。

 

 

「ちょっとサカキっちゃん、シケた顔しないでくれる?もうパドックだっていうのに」

「緊張で胃が捻じれてんだよ」

「うははははははは!気合いが足りんぞ気合いが!トレーナーがそんなツラしててどうする!そんなんじゃ戦う前から決まっちまうわ!」

「うわ…出た……」

 

 

俺がサブトレーナーとして配属されたチームプロキオン。

それを率いる敏腕トレーナーであり我が師匠、アオバトレーナーの熱い高笑いが聞こえてきた。太陽の化身のごとき熱さと篤さ。暑さ。その存在すべてがぶ厚い。あと煩い。バシバシ背中シバくのはやめてください。

 

 

「えぇ!?ウチのチームで何を学んだんだ貴様!夕陽に向かってターフを掛けたあの日々忘れたわけじゃないだろう!?」

「はい…ウマ娘とトレーニングさせられて日々筋肉痛でしたよ……」

「んん…んぶっふ……!」

「おい笑ってんじゃねーぞそこのポニテ鹿毛」

 

 

耐えきれないといった風に吹きだしたイクサトゥルース。この勢いに付いてこられないウオッカはぽかんと各々の顔を見回すばかり。その間にも俺の背中をコンガを打ち鳴らすが如くバシバシするアオバトレーナー。

ちなみにコンガはキューバ発祥の打楽器で正式にはトゥンバドーラって言うよ。小さくなるほど高音が鳴る。残念ながら俺の背中はブッ叩いても軽快な音は奏でない。

 

 

「ほんと…よくチーフとサブ組んだよね。あのトレーナーたち」

「対照的っスね…」

「ね~。で?どう?力抜けたっしょ?」

「そりゃもう。どっか吹っ飛ばされちまったッスよ」

「…負けないからね?」

「手加減してくれなんて頼んだ覚えは無いっスね」

「へぇ…言うじゃん」

 

 

あちらはあちらでお互いに火をくべ合って、身を焦がさんばかりに熱くなっている。どっちを向いても熱い奴らばかりで嫌になりそうだ。否応なしにこちらもどんどん熱くなってしまって、息の入れどころが分からなくなってしまう。

 

 

「ほう…秋華賞でケガしたとは聞いていたが、短い期間でここまで持ってくるとはな。我が弟子ながら天晴だ!!!!」

「ローレルに手伝ってもらいましたからね。彼女のお墨付きトレーニングですよ」

「ほう…そういえばアイツがよく懐いていたのも貴様だったな」

「そりゃあトレーニング全部付き合わされましたから」

「うむ!なるほどな!貴様ウマ娘に蹴られて死なないようにしろよ!」

「えぇ…理不尽過ぎるでしょ…」

 

 

そんな風に軽口を叩き合いながら歩みを進めると、意外なほど呆気なく地下道に出てしまった。ここから先はもう彼女たちの世界。後はターフを走る者たちだけが通ることを許される境界。彼女に視線を向けると、いつもの勝気そうな表情を浮かべ楽しみで仕方ないというように歯を見せている。

 

 

「ここまでだ」

「じゃあ、行ってくるぜ」

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

遂に迎えたジャパンカップ。東京レース場に押し寄せた観客は20万人を超えるとも分からず、どっちを見ても観客の顔。期待が込められたざわめきといくつもの視線に貫かれる。なぜ俺ごときにこんなに注目が集まるのかと言われれば隣にモデルのようなウマ娘が居るからだろうか。

 

 

「いやーどっちを見ても人ばっかりだし酔っちゃうかと思ったよ」

「モーゼの如く人海を割って表れたヤツに言われたか無いね」

 

 

地下道までウオッカとイクサトゥルースを送り、チームメンバーと共に観戦するという師匠と別れ、パドックに居るはずのダイワスカーレットと宮下に合流しようと人垣を縫っていた所「あっ居たいた!」なんて声と共に人海が割れ、怪しげな雰囲気を纏いながら現れたこの糸目。この2週間ウオッカのブートキャンプに凄まじいスパイスを混ぜ込んだ張本人、サクラローレルその人である。

 

 

「いやぁトレーニングメニューを一緒に考えた後輩ちゃんが走るって言うなら見てみたくもなるのがウマ娘よね?」

「ハッ…そんなことしなくてもニュースで拝むことになるさ」

 

 

整ったその顔に、ニヤニヤと薄く三日月のような笑みを浮かべながら隣を歩くサクラローレル。こそこそと聞こえる話し声を気にも留めず、美しい立ち姿を惜しげもなく見せびらかしている。その隣にいる俺にも視線の集中砲火が激しい。相変わらず訳の分からん腰の位置をしている。

 

 

「ちょっと!アタシたちに場所取りさせといて遅いじゃな…い?」

「んふっ、こんにちは~」

 

 

ようやく合流できたダイワスカーレットと宮下のもとに辿り着くと、一言言ってやろうとしたダイワスカーレットが俺に指を突き付けたポーズをとったまま固まった。???とでも言いたげな顔に宮下は苦笑い。

ヒラヒラと手を振る糸目にわざとらしく溜息を吐くと、面白いものを見つけたかのようにニヤニヤと口元を歪め始めた。

 

 

「えっと…あの……失礼ですが…どちら様ですか…?」

「初めましてだね。今年のティアラ2冠ウマ娘さん?アタシはサクラローレル。しがないウマ娘だよ」

「お前が出涸らしなら他のウマ娘はどうなるんだよ…」

 

 

混乱しているダイワスカーレットを他所に、始まったお披露目パドックに目を向ける。番1枠のウマ娘から順に回り始めた。

 

 

「ん…この子一発あるかも」

「1枠2番ジョックロック…シニア級2年目。GⅠ勝利はできてないみたいだが」

「でも凄い気合入ってるみたい」

 

「2枠4番アラバスタゾーン…これが引退レースって言ってるけど凄いコンディションだね」

「宝塚記念でも負けてる相手だな。リベンジしてぇところだ」

 

「メイシンハドソン先輩も凄いわね…脚なんか完全に仕上がってるわ」

「皐月とダービーの2冠ウマ娘はやはり貫禄がありますね…」

 

 

やはりここまで上がってくるウマ娘たち。当然の如く余念がない仕上がりだ。

海外勢には慣れない環境に多少戸惑いが見えるが、対する日本のシニア級勢は勝手知ったる府中の芝。どのウマ娘でも強敵なことに変わりはない。

 

 

『6枠11番ウオッカ、クラシック級。秋華賞で3着、エリザベス女王杯は無念の出走取消でしたが、少しだけ間を開けてこのジャパンカップに挑みます。ダービーの時のように堂々とした歩みに期待が持てますね』

 

 

「———へぇ」

 

ゾクリとした感覚が一瞬背筋を撫でる。それはほんの一瞬ですぐに周りの熱気によって霧散したが、隣から発せられた低く底冷えする声に乗った覇気のせいだと気づいた。

ちらりと横目で見てみれば、サクラローレルの目が薄く開かれ、その暮桜色の瞳がウオッカを値踏みしており三日月形に歪む口元にはちらりと犬歯が見え隠れしている。

 

敏感なウマ娘は何かを感じ取ったようで、視線を向けないまでも、耳をこちらに向けて一瞬の覇気の出どころを警戒していた。ダイワスカーレットですらぴしりと耳が立っている。

 

 

「レース前にいらん事するなよナ…」

「なはは!ついワクワクしちゃってさ!それにしてもよくあそこまで持って行ったね」

「見上げた根性だろ?」

「すごいよ………熱くなってきちゃった」

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

『東京レース場第10競走、出走ウマ娘の入場です。今日のメインレース第10Rは国際招待競走ジャパンカップGⅠ。東京レース場芝コース2400m、18人のウマ娘で争われます』

 

『スターターがスタンドカーに向かいます。ジャパンカップまもなくの発走です!』

 

 

振り上げられた旗に呼応して、響き渡る軽快なファンファーレ。ようやく待ちに待った瞬間に湧き上がる観客たち。手拍子で迎え、応援の声を飛ばしてまるでスタジアム全体が揺れているかのような錯覚に包まれる。

 

 

「やっぱりすごいね、ジャパンカップ。ところでさっきは何を話してたの?」

「ちょっとした作戦をな」

「このタイミングで?」

「まぁ、アドバイスにもならんがな。“内を突け、直線に賭けろ”って言っただけだ」

「ふぅん…」

 

 

耳を折りたたんで歓声に耐えるサクラローレルとダイワスカーレット。人間の耳でも少し辛いが、人間よりもずっといいウマ娘の聴覚にはよっぽど辛そうだが、ターフの上で聞けばとてもいい起爆剤になるんだそうだ。

 

 

 

『今年はアメリカ、イギリス、ドイツから合計4人のウマ娘が参戦。18人で争われます!晩秋の東京レース場はこれ以上ない青空に恵まれました芝コース良バ場のコンディション!続々とウマ娘がゲートの中に納まります。イギリスのセブリングが少し枠入りを嫌がっているか?まだ入りません』

 

『イギリスからはセブリングとハルカナシス、アメリカからアーティストマジック、ドイツからパデックス合わせて四人の強者が日本のターフに挑みます!』

 

『ウオッカ、アラバスタゾーン、ゲートに入り嫌がっていたセブリングが収まりました!ハンチョウ、ジーク、メイシンハドソンも収まりました!…コリカンチャがゲートイン!最後に18番イクサトゥルース入りましてジャパンカップ…体勢整いました!』

 

 

数多くの期待を肩に乗せて構えたウマ娘達。

さざ波が引いていくかのように、静寂が東京レース場を一瞬だけ包む。息を呑み、呼吸を忘れ、いやに響いたゲートの音と共に18人のウマ娘がターフを蹴りつける。

さぁ、世界を迎え撃て。最強は私だと。最強の証明のために。このたった3分の刹那のために私たちは生きているのだと。

 

 

 

『スタートしました!ほぼそろったスタートになりました!先頭争いはどうか!?アサイチカンテラがいいスタートを切りました!コスモスバース様子を見ています!アラバスタゾーン、ジョックロック、間からハンチョウ!?ハンチョウが前に行きました!先団5人は意外な顔ぶれ!意外な顔ぶれで1コーナーにかかっていきます!』

 

 

『5番のハンチョウが先手を取りました!2バ身のリードを取ります!2番手に控えたコスモスバース、3番手内側ジョックロック外にアサイチカンテラ、5番手の位置にアラバスタゾーン、6番手にイクサトゥルース、アーティストマジックがこの位置、2コーナーから向こう正面に入ってかなり縦長の展開になっています!』

 

 

『中団グループは9番手にメイシンハドソン行きましてその直後にハルカナシス続いていきました!ジークは中断後ろに控えています!その後にかたまってローゼスクライシス、ユメノパスポート、外からパデックスが追走!そしてなんとウオッカ!最後方からのレース運びです!』

 

 

 

「これは…想定の内なのかな?」

「……さぁな」

「何やってんのよアイツ…!」

「控えて末脚に賭けるやり方でしょうか…」

 

 

…そうだ。それでいい。

 

今回のレースは極端に逃げといったペースメーカーとなるウマ娘がおらず、先行と差しを得意とするウマ娘が数多く居た。先行型のウマ娘がハナをとった場合、レースはスローペースになりやすい。

 

そうなれば勝負になるポイントは、最終コーナーで広がる群をいかに早く抜け出るか、ホームストレート525mに待ち受ける2mの高低差を持つ坂に対してどれだけスタミナを残せるかということになる。

 

……そして11番という比較的外目の枠番引き当ててしまったウオッカ、更にはメイシンハドソンとアサイチカンテラというスタートの出が速いウマ娘に挟まれてしまっては、どうしても集団から締め出されることが予想された。

 

締め出されることは仕方がない。ここから、いかに内に付けてスタミナを残せるか———ここが最重要。

 

 

ローレルが一発あるかもと言ったジョックロック、これが引退レースと言って的を絞って仕上げてきたアラバスタゾーン、この2人は先行内側に控え足を溜めている。一番余裕をもってレースを進められる位置取りに収まり虎視眈々と狙っている。

 

 

俺がウオッカにマークを指示したのは“アラバスタゾーン”

 

…最後に障壁となるのは、絶対にコイツだからだ。

内枠でスタートから有利に経済コースを取り、そのまま内を沿って最短距離で抜け出していけるのは、コイツの後ろだろうと…そう予想した。

だからこそウオッカには「内を突け」と、「お前の末脚に賭ける」と、そう言ったんだ。

 

 

————上がり3ハロンの速度は、絶対にお前さんが一番“速い”んだ。

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

目を閉じてその時を待つ。暗く狭い金属の檻。耳に入ってくるざわめきが波打つように収まっていき、音が無くなっていく。

 

代わりに聞こえ始めたのは荒い息遣い。左のヤツも右のヤツも体を巡る熱が溢れ出て、熱くて堪らないんだろう。気持ちはよくわかるぜ。

 

胸に手を当てると規則正しい鼓動を刻む心臓が打ち返してくる。——オレも熱くて仕方がない。

 

 

……ふと思い出したのはXRZの荒々しい4気筒のあの鼓動、スロットルを煽れば身体にビリビリと来るほどに、腹の奥底に響く咆哮のようなサウンド。アイツの後ろに乗せられて箱根ターンピークで見せつけられた獣の片鱗にひどく興奮したのを覚えている。

 

左足でギアを1に落とす。ガツンと感触が伝わってきて、クラッチを繋いで、走り出してしまえばあとはエンジンがご機嫌に回るだけ。

 

 

目を開いて構える…。————金属の檻は目の前から弾け飛んだ!行くぜ!さぁ!

 

 

 

 

スタートを決めると、左右から猛然と飛び出すメイシンハドソン、アサイチカンテラ。出足の早いこいつ等が詰めてくるのは分かり切ってるんだ!

 

少し加速を緩やかにして前に行かせると、進路を内に取ってラチに体を寄せ、せめぎ合う集団を見ながら後続集団のセブリングの背後にピッタリとついてこいつを風よけにする。

 

 

“内を突け、直線に賭けろ”

 

 

明確な逃げウマ娘がおらず、先行と差しがほぼ占めるこのレースは、スタートでリードを取られても、中盤がスローペースになる。そういうレースは往々にして最終コーナーで詰まり群が広がりやすい。

 

 

パドックですれ違い「ヤバい」と感じたウマ娘はアラバスタゾーン・ジョックロック・メイシンハドソンの三人。メイシンハドソンはスタートから集団に突っ込んでいったため外目を回らされている。

 

…残るはアラバスタゾーンとジョックロック。こいつらは内枠、足を伸ばしてスタートから前めの好位置を陣取っていた。

 

そしてトレーナーからマークの指示を受けたのはアラバスタゾーン。こいつをぶち抜け。こいつを抜かなきゃ勝ちはない。そう言いたいんだろ?

 

少しずつギアを上げて集団との距離を詰める。わりーがもう少し風よけにさせてもらうぜ!

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

『各ウマ娘が3コーナーカーブに向かっていきます!先頭は相変わらずハンチョウ!リードは1バ身ぐらい、2番手にコスモスバース、3番手にアサイチカンテラ、ジョックロックが続いて4番手、外目からイクサトゥルースがジワリと上がる!内はアラバスタゾーンかなりゆったりしたペースで3コーナーをカーブしてゆきます!1000m通過は60秒1!非常にゆったりしたペースです!』

 

 

「なによ…アタシならもっと引っ張って磨り潰してやるわ……」

「最終コーナーからの抜け出し、直線勝負になりますね。ラップタイムもスローなペースです」

 

 

眉間に皺を寄せるダイワスカーレットと、時計でラップタイムを計っている宮下が揃って難しい顔をしている。ラップタイムが書き込まれたメモ帳には12秒台が連続して羅列されていた。

 

 

「この展開狙ってたの?サカキっちゃん」

「まぁ、逃げ不在で明確にペースを作りそうなやつが居なかったからな。ハナにいったヤツは予想外だったが、展開としては変わらない」

 

 

このままアラバスタゾーンとジョックロックは横綱相撲を作っていくだろう。その綻び。最終直線に見え隠れする糸口、そこを突けるか?ウオッカ!?

 

 

『ホドクボローヤル、アーティストマジックが中団で、その後ろからメイシンハドソン、コリカンチャがメイシンハドソンの内に入っていきました!あとはジークとハルカナシス外目からローゼスクライシス、ユメノパスポート、パデックスそして依然として不気味に最後方ウオッカです!』

 

『さぁ3コーナー中間から4コーナーに入って先頭を握ったハンチョウ!コスモスバース2番手で変わりません!外から接近するアサイチカンテラ、オレンジの勝負服!先頭集団3人に外から迫るホドクボローヤル!そしてメイシンハドソンが!!外から前にならんでいく!!メイシンハドソン外目から!アサイチカンテラが間から!!ハンチョウも食い下がっている!!アーティストマジック!コリカンチャ!イクサトゥルースも上がってきた!』

 

 

スタンドからは一人二人と声を張り上げて、自分の夢を乗せたウマ娘を応援し始めた。すぐにそれは伝播して耳がおかしくなるほどの大声援がウマ娘たちに降り注ぐ。

 

ここまで先頭を引っ張ってきたハンチョウは息も絶え絶えで、ペースが落ち始めた。それを避けるように、飲み込むように後続集団が次外に広がり始めアサイチカンテラとメイシンハドソンは外側から差しに行く。

 

 

———そして、アラバスタゾーンの後ろにピッタリと貼り付いたウオッカ

 

 

 

……上出来だ。後はお前とアラバスタゾーンの我慢比べだ

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

スローペースで通過した3コーナーを終えて4コーナーに先頭が差し掛かり始める。足元がゆったりと上りに転じ、先頭を走っていたハンチョウのペースが落ち始めた。

 

600m看板を通過するとそれを呑み込むように集団が横へと広がり始める。中団に付けていたメイシンハドソンとアサイチカンテラが外へ持ち出すと、後続集団も続くように外目に広がりだす!

 

 

———そっちじゃねぇ!

 

 

逸る気持ちを抑えつけ4コーナーで外に行かず、内ラチに体をこすりつけるようにしてインをキープ。広がった群のインに潜り込んでアラバスタゾーンの後ろにピッタリとつけた。

 

外に広がる後続勢に呑まれるように、ゆっくりと下がってきたハンチョウのスリップを使ってアラバスタゾーンが加速すると、半身を持ち出して躱した。

ストライドを広げ加速態勢へ。強く踏み込んで、体を前傾に!より深くバンクさせて!追従して最大限アラバスタゾーンの背後に貼りつきスリップに使う!逃がさねぇ!!絶対に!!

 

 

「引退レースの先輩に花を持たしてやろうと思わねえのかよ!!」

 

 

玉のような汗を吹き飛ばしながら加速するアラバスタゾーンが叫び散らした!牙をむき出しにして後ろに貼りつくウオッカを鋭く睨みつける。その視線を鋭く打ち返してこちらも睨みつけてやる!牽制のつもりかよ!!そんなの意味ねぇ!!

 

 

「そんな生温い引退レースなんて望んで無いっスよね!!」

「上等だァ!ぶっ潰してやる!!」

「ぶち抜く!絶対に!!」

 

 

400m看板が目前に迫り、眼前には壁のように聳える2mの上り坂。思い出せ!あの強烈な箱根の上り坂をすっ飛んでいくXRZを!あの咆哮を!

 

 

「ぅ、おっ、らぁぁあああああ!!!」

 

 

坂を越えてあと300m!足はもう棒のような感触で、肺が空気を猛烈に欲している。吸い込んでも吸い込んでも酸素が足りない。風切り音で何も聞こえない。視界の隅にはこれまた阿修羅の形相で上がってくるジョックロック、メイシンハドソンがチラついた。だけど、俺の方が速ぇ!!

 

近づいている!アラバスタゾーンの背中が!こいつを抜けば!!

 

アラバスタゾーンのスリップから半身外してほんの僅か上回っている速度で並びかける。スリップが無くなった途端、猛烈に押し返してくる空気の壁。

 

ジワジワと横並びになったアラバスタゾーンは口元に血が滴るほど歯を食いしばってスパートを掛けていた!全身全霊!!之が全てとでも言うように!!

 

 

「ふっざっけんなぁぁあああ!!!!」

 

 

それは執念と言えようか、それとも意地と言えようか。

その叫びに一瞬だけ気圧されてしまった。炸裂音がしそうなほどの踏み込みを見せ、僅か前に出る。

 

 

横並びにゴールに突っ込んだように見えるだろう。

 

———だが、当事者同士は明確に勝敗を悟った。ほんの少しの差。だが埋めきれないその差。

 

 

 

 

*****

 

 

 

『ここまでペースを握ったハンチョウは厳しいか!外から追い込んできたのはメイシンハドソン!!間からアサイチカンテラ!ジョックロック!最内からアラバスタゾーンが抜けた!!そしてウオッカがアラバスタゾーンに貼りついている!?』

 

 

「ここまで読むとはね!やっぱりすごいよサカキっちゃん」

「まぐれだまぐれ。……後は根性勝負だ」

「顔上げなさいよ!!!負けんじゃないわよー!!!!」

「……」

 

 

ギラついた瞳を覗かせて興奮に身を浸すサクラローレルに、大声援をライバルに飛ばすダイワスカーレット。すべてを焼き付けるように目をかっ開く宮下。

 

 

『最内からアラバスタゾーンが抜けてくる!そしてアラバスタゾーンの後ろに居たウオッカが加速!!並びかける!!並ぶか!!間からジョックロック!外からメイシンハドソン上がってくる!!アラバスタゾーンが先頭に立つが!!ウオッカが並ぶ!抜くか!?ジョックロックが追い込んできた!!ジョックロックが急接近!!メイシンハドソンは少し開いてしまった!!』

 

 

地響きが地を揺らし、まるで東京レース場自体が胎動しているんじゃないかと錯覚する。内ラチ沿いに抜け出したアラバスタゾーン、それを抜きにかかったウオッカ、そして間から凄まじい末脚を爆発させたジョックロック。ウマ娘たちは必死の形相を浮かべてゴール板を駆け抜けた。3人がほぼ横並びで入着。

 

 

『アラバスタゾーンか!?ウオッカか!?並びかけたジョックロックか!?最後は3人並んだ入線でした!』

 

「勝った…わよね……?」

「……いや、どうだろうね」

「え…?」

 

 

少し震える声を上げたダイワスカーレットにぼそりと答えるサクラローレル。並んでゴールインしたウオッカとアラバスタゾーンは倒れ込み、ゴールしたウマ娘たちも一様に入着板を睨みつけていた。

 

ざわめきが広がる中で電光掲示板が点灯する。それと共に再び地を割らんばかりの歓声が巻き起こった。スタンドが脈動し、観客はそれぞれ思い思いに推しウマ娘へねぎらいの言葉を飛ばしていく。

 

  4

  -ハナ

 11

  -クビ

  2 

  -アタマ

 10

  -1

 18

 

『決まりました!接戦を制したのは4番アラバスタゾーン!!引退レースを有終の美で飾りました!!2着は最後方からの追い込みで惜しくもハナ差ウオッカ!3着に猛烈な末脚で抜け出してきたジョックロックが入りました!拳を掲げるアラバスタゾーンに惜しみない歓声が降り注ぎます!』

 

 

「すまん…。後を頼む」

「行ってらっしゃい。妹弟子を頼んだよ」

 

 

フリフリと片手を向けるサクラローレル。まだ眉根を寄せて唇をかむダイワスカーレット。ウオッカのためにそこまで悔しがってくれるとはアイツも幸せもんだ。

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

控室に戻ってきたウオッカはまさに満身創痍だった。前を走ったウマ娘の土や泥が跳ね、芝が蹄鉄に絡みシューズは外してオーバーホールした方がいいだろう。

 

…それ以上に本人だ。耳が垂れ、尻尾も力を失くしている。沈痛な表情のまま口を開いたのはウオッカだった。

 

 

「わりぃ…。勝てなかった」

「いや、よくやったよ。あのアラバスタゾーン相手にハナ差の2着。大健闘だぞ」

「最後、向こうが叫んだんだ。俺はそれに押されちまった…。そのまま…差がついて埋めらんなかった」

「……そうか。すまなかった」

「どうしてトレーナーが謝るんだよ!!」

 

 

彼女は俺のジャケットの胸元を両手でつかんで、耳を絞ってこちらに顔を向け何かを吐き出すように叫ぶ。

 

 

「オレが!!気合いで、根性で、負けたんだ!!」

「違う、それは違うぞウオッカ。お前の脚を十分に生かせるよう調整できなかったトレーナーの責任だ。今日のレースでお前さんの上がり3ハロンは最速だった。それを届くようにしてやれなかったのは俺の責任なんだよ」

「なんだよ…それ……」

 

 

時間が無かったなど、ターフの上に立てば何の言い訳にもならない。ウオッカは勝ったんだ。誰よりも速い上がり3ハロン。それを届くようなスタミナをつけさせなかった。

 

 

———それが誰の責任かなど言われるまでもない。

 

 

ウオッカが顔を伏せ、俺の胸板に額を擦りつけた。その手が小さく震えていることに気付かないくらい鈍くはないつもりだ…。

 

 

「少し…こう、させてく、れ……」

「分かった」

 

 

少しずつ湿っていく服に居心地の悪さを感じつつ、爪が食いむのも構わず手を握る。その痛みを感じるのはウオッカじゃなく俺のはずなんだ。

 

困ったことに、このシャツの冷たさは、しばらく忘れられそうにない。

 

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