タンデムで見た海   作:印旛沼まで徒歩五分

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目覚め前

『4コーナー回って後は直線! 先頭はダイワスカーレット! しかし外からディープスカイ! ウオッカはまだ囲まれたまま! 厳しい! これはあまりにも厳しいマーク! 残り300m! 坂を上がる!』

 

 

スタートからずっとマークされて外目を回らされ、4コーナーが緩やかになるにつれてようやく広がっていく包囲網。残すところは直線のみ。息も絶え体の全体が酸素を求め悲鳴を上げている。それ以上に思考はもっとダメだ。

 

霞む視界。遠くなる周りの音。

 

汗が目に入る刺すような痛みだけが、意識を繋ぐ生命線。

 

姿勢を徐々に低くして最適なラインを探す……。内は駄目かッ……!? 外にもいる!! アイツが、アイツが逃げちまう!!! 

 

「———空かねぇ……! 退け……退け!!!」

 

 

隣のウマ娘と数度ぶつかりながら、ようやく空いた隙間に体を捩じ込んで加速する! 

 

霞む視界の中にあっても彩やかに映る蒼を目指して、周りの奴らを置き去りにしてアイツをぶち抜くために加速するッ!! 

 

悲鳴を上げる身体に鞭打って、これ以上の領域はマズいと抑えつける理性を引きちぎって加速する————ッ

 

あと少し、あと少し、あと少し!! 

 

並ぶ!! 並んだ!! 抜いッ————

 

 

「……“その程度”なの? がっかりしたわ」

 

 

……は? 

 

まるでオレが相手にならないと、そうでも言いたげな失望の色を含む視線。

軽い表情で、感情のまるで籠っていない声で、限界を迎えたオレをあっさり引き千切って加速していくアイツ。

 

どこが違うッ!? 何が違うッ!? やれることならなんだって……!! 

 

 

ダイワスカーレットが差し返す!! ダイワスカーレットが差し返した!! そのまま! 突き放してゴールイン!! 圧巻の走り!! 天皇賞制したのは————』

 

見ている景色が輪郭を失って、色彩を失って、何もかもが無くなって、そこにあったターフが、足場が崩れ落下していくような意識。暗闇に呑み込まれたアイツが遠くなっていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ッあぁぁ!!」

 

 

酸素を欲す体を無理やり落ち着けるように、わざとゆっくり呼吸を繰り返す。

静かすぎる部屋は耳が疼き、頭を押さえても中で耳鳴りが響く。まるで頭の中に音叉を打ち込まれたかのような不快な波紋。

服は寝汗を吸ってじっとりと湿り不快なことこの上ない。

暑い、次いで感じたのは寒気。そこで先ほどまでの歪んだ光景が夢だったと気づいた。

 

「夢……だったのか……クソ……」

 

思考はまるで回らず、体の節々が重く怠い。昨日のトレーニングは軽かったのに何てザマだ。

もしかしたら、トレーナーはオレの動きが悪いことを見越してわざと軽いトレーニングにしたのかもしれない。

 

軋む体を伸ばして震えるウマホを手繰り寄せると、画面に表示されている名前はやっぱりトレーナーだった。少しの安堵と罪悪感。

 

 

「……おう」

『まだ夢の中だったら枕元にでも立ってやろうと思ったんだが、トレーニングはやめた方が良さそうだナ』

「いや、やるぜ」

 

通話口の向こうからは少し長い溜息が聞こえ、かすかに聞こえるタイピングの音が止んだ。

 

『あのな……。勘弁してくれョ。朝からそんなハスキーボイスを聞かされたんじゃ仕事に集中できなくなっちまう』

「………………。たぶん熱発してる」

『そうかい……。今日はオフにしよう。ウマ娘寮じゃ手が出せないから誰かに頼むが、鍵は開けられそうか?』

「頼んだ……」

『いい子だ。少し待っててくれ』

 

 

覚えているのは、ちょっとだけ交わした通話だけ。安堵感の満たされてベッドに倒れ込むと意識は再び闇の中に呑まれていった。

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

「えぇ!? ウオッカちゃんが熱発……!?」

「昨日のトレーニングの動きが怪しかったから軽くしたんだが、案の定だったのョ」

「看病とか、しに行かなくていいん? そういうのやっとかないと嫁とかにグチグチ言われちゃうじゃん?」

「お前と違って嫁なんて居ねぇっつうの……。ウマ娘寮はトレーナー立ち入り禁止なんだよ。俺には差し入れで色々買っていくぐらいしかできん」

 

 

ウオッカがダウンしてしまいトレーニングも無ければ、まだ冬休み期間中のためURAやトレセンから回される書類も少ない。午前中にタスクをクリアしZR-10Xのメンテも兼ねてサクの店を訪れていた。

相変わらずの交通量である甲州街道は、平日ならば事業車やら工事関係のバンやら原付すり抜け戦争状態が常なのだが、冬休み期間もあってスポーツタイプの車やバイクがよく通り過ぎていく。回転ずしを先頭に200mほど詰まっているのも休日を感じる光景である。

 

 

「そういや今度、筑西サーキットで走行会あるけど来る?」

「そんな暇は無いのョ。ウオッカの次のレースも決めきゃならんし」

「ん、了解」

 

 

男2人がかりでカウルを外し、燃料タンクを下ろしマシンをバラしてゆく。

引っこ抜いた吸気口のフィルターは多少汚れており交換、あまり全開に回して走れていないせいかエンジンの消耗部品はまだ使えそうだが新品に交換。

フルカウルバイクのこういうところは少し面倒で、整備性はどうしてもネイキッドに軍配が上がる。しかし駄弁りながらバイクの面倒を見るのもまた心地よい時間だと思える。

 

ウオッカに喋ればどうして連れてきてくれなかったんだと2時間ほどむくれそうであるが、君はお熱出してお休みだから大人しくしておいてくれ。

 

 

「そういや、ハマサキがZR-10Xの新型、出すらしいじゃん」

「……へぇ」

「まだ正式なもんは回ってないけど、カモフラージュマシンがテストしてるとか」

「いい加減、この成績じゃマズいと思っているんだろうな」

 

 

オイルが抜けるのを待ちながら、雑誌を読んでしばし缶コーヒーに口をつける。昨年のWRCCの特集が組まれておりメーカー順の成績表も載っているモノであった。ホンマのシリーズタイトルが決定した時の写真が1面の見開き、対してハマサキは一度の表彰台もなく下位集団。

ところどころウマハやスザキも勝利は上げているが、コンスタントに表彰台に上がるホンマがダントツでポイントトップ、圧倒的ともいえる2年連続シリーズタイトルを手にした。ホンマはかつて成し遂げた3連覇を再び、今度は完全な形で成そうとしている。

ホンマGBRに跨りそれを叶えようとするかの男は、かつて3連覇の懸かった最終戦で鈴香に散った悲劇の英雄の弟。

 

なんと感動的なドラマであろうか。注目されるのも納得できる話だ。

 

 

思い出したのは少し前にウオッカの湯治の途中、偶然会った岡谷との会話。未だハマサキに関わるあの男の話では、改良型モデルのWRCC投入という話であったがどうやら新型モデル開発に踏み切ったようだ。

 

……そこまでしなければ他メーカーに勝てないのだろう。

 

『———来年の成績次第ではハマサキ本体がWRCCから撤退する。そうなりゃもうチーム解散だわな』

 

岡谷の言葉が頭を過った。別のカテゴリーにチームで移動するのではなく解散とは潔い話である。かつて世話になっていた古巣が無くなるのは侘しいが、あの世界から離れた俺にできることは何もない。

 

 

ばらしたパーツを一つ一つ拭き上げ、綺麗にしてから組み直していく。消耗品は新品に、こういう時でもなければ掃除できない箇所も手を入れ、表から見えない所も確実に。

別に何があるわけでもないが、疎かにしていいわけじゃない。命を乗せて走るのだからこそ、こういったところもやっておきたいのだ。

 

 

再び組みあがった全てを飲み込む深い海色のZR-10X。鍵を捻り、エンジンを起こす前にインジェクションの作動を確認する。問題なく動いたことに少しだけ安堵してセルスイッチを押し込んだ。

 

腹の奥底に響く低音。規則正しく鼓動を刻むエンジン。今にも勝手に走りだしていきそうな雰囲気が漂う獣がそこにいる。少しだけスロットルを煽れば即座に反応して吼える応答性。バカげたものだと思うがこれで型落ちモデルであり、新型が他メーカーに勝てないのだから辛いものがある。

 

 

「じゃあまた、頼むわ」

「おうよ、何だったら何台か買って行っていいんだぜ?」

「人間が一人しかいねぇのに何台もあっても仕方ないだろ……」

 

 

ヘルメットのバイザーを下げ、シフトを1速へ落とすと体に伝わる振動。ゆっくりと発進させて甲州街道に出た。慣らすために少しだけ引っ張り気味に走ってみるとどこまでも加速していきそうなレスポンスを返してくる。

 

 

「少しだけ回り道していこうか……」

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

この大都市東京を縦横無尽に張り巡らされた首都高速にもパーキングエリアはいくつか存在し、昼間は営業車やトラック運転手の貴重な休憩処として、夜は眠れぬ迷い子達の憩いの場として親しまれている。

休日の夜になるとスピードという麻薬に取りつかれた者達を締め出すために閉鎖されてしまう場所もあるが、太陽の覗く時間は平和なもの。

 

橋を渡った直後の分かりづらい入口に加え片方の方面からしか進入できないこのパーキングエリアはまるで隠れ家のように存在し、ここだけが世間から切り離されたかのような感覚になる。

 

 

 

東京という砂漠の片隅でコーヒー片手に煙草を吹かす。調布からここまで流した相棒の出来にも満足し、やれ飯はどうしようかなんて考えていると一台のバイクがパーキングエリアへ入ってきた。

 

ハマサキの特徴的なカウル形状に四角目の一灯。かつて映画の主人公が操っていたこともあり一世を風靡したバイク〈GEz-900R〉

重い金属音を含んだ年代を感じるアイドリング。登場した時点では世界最速をマークした性能を持つだけにその鼓動にはかなりの存在感がある。

 

俺の経験上跨っているのはナイスミドルなおじ様が多いのだが、降りてきた男はなかなかに身長の高い偉丈夫。そして喫煙所に向かってくるその姿には見覚えがあった。

 

 

「……サカキじゃねぇか」

「岡谷……こんなところで会うとはな。世間は狭ぇや」

「ホントだな。……ジャパンカップと有見たぜ。惜しかったな、お前の担当ウマ娘」

「トレーナーの力不足を痛感しているところだョ」

「……奇遇だな。俺もちょっと困った事態にハマっててよ」

 

 

岡谷が煙草を咥えライターで火をつけた。少し吸い込んでから空に向かって煙を吐き出していく。

 

 

「XRZはどうしたんだよ? まさかあのZR-10Xがお前のバイクだっていうんじゃないだろうな」

「そのまさかだよ。XRZは潰しちまったから、今はあのZR-10X乗ってるってワケ」

「お前が2輪を潰すなんてな……」

「おいおい。俺だってコケたことの1回2回あるさ」

 

 

コーヒーを置いて新しい煙草を咥えて銀の蓋をはね上げる。火がついたことを確認して胸の脇にしまい込んだ。車やトラックがすぐ上を駆け抜けていく喧騒の中、やはりここだけが隔絶されている。

 

 

「サカキ、一つ頼まれちゃくれねーか」

「内容によるな」

「明日、国内4社合同で今年WRCCに投入するマシンのテストを富士でやる。そこでウチのマシンに乗ってほしい。そのデータをフィードバックしたい」

「部外者に……素人に頼むような事じゃねーだろ」

「どの口が言ってんだ。その素人の忌憚無い意見が欲しーんだよ」

 

フッと片頬だけを吊り上げて横目でこちらを見てくる岡谷。かつてチームだった時代もつるんで煙草を吹かしていたなぁと懐かしさが湧き上がってきた。

 

「スザキの藤堂ってヤツがなぁ。富士の走行会でZR-10Xにぶち抜かれたらしーんだわ。そいつは最新のGXS-R、ぶち抜いた方は型落ちの10X。非公式と言えどレコードに近いペースで走っていた藤堂を、だ」

「走行会なんだから混走してて当然だろ。クラス違いかなにかに引っ掛かったんじゃねぇの? それかよっぽど弄ってあるかだナ」

「勘弁してくれや。弄ってあると言えど型落ちでWRCCライダーを差せる奴なんざ早々いて堪るかよ……。あんまシラ切るなよ?」

「……」

「お前なんだろ。あのZR-10X、やべえ雰囲気ビンビンだもんな」

「チッ……。何に乗りゃあいいんだよ」

「ZR-10Xは次でまるっきり変わる。180度作り方を変えるかのようなレベルでな。J型とでも言っておくか……。あまりにも変わるもんだから、ウチのライダー以外の意見も欲しい。上げられる改善点は多いほどいいからな」

「俺の名前を一切表に出さないって条件を付けてくれるならやってやるよ」

「じゃあ決まりだ。2、3枠だけ走って気になる所上げてくれりゃいい」

 

煙草をもみ消して立ち上がった岡谷は、缶コーヒーの残りを一気に納めるとGEzを駆りパーキングエリアを出て行った。サクといい岡谷といい、もっと頼れる奴は他に居るだろう。なぜ俺なのか……その疑問に答えてくれる奴は、誰も居ない。

 

 

 

 

 

 

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