「それはできねぇ相談だナ」
「そこを何とか……お願いしますよ」
府中駅前の居酒屋。客の注文や店員の声が飛び交う喧騒の中、男たちは顔を突き合わせていた。むさ苦しさを無理やりアルコールで蒸発させて焼き鳥で押し込む。
旨いと思わない麦酒も、頭と肉体を散々酷使した仕事の後はなぜこんなに染み渡るのだろうか。
「まあ担当のスランプを何とかしてやりてぇって気持ちは分かる。が、俺がそれに手を出したら敵に塩を送ることになっちまうだろうが。俺ァチームのアイツらで手いっぱいだ」
「そこを何とか愛弟子の担当のためにも」
「うるせーバカ弟子!第一そこを何とかするのがトレーナーだろうよ!」
「それで行き詰ってるからなんか意見欲しいんスよ」
ここ最近ウオッカには様々なウマ娘と併走してもらった。
ダイワスカーレットに、いつもつるんでいるマヤノトップガンとマーベラスサンデー、チームスピカに頭を下げトウカイテイオーとメジロマックイーンにははちみー1杯で併走、フジキセキに頼んだらリギルからなんとメイシンハドソンとナリタブライアンを連れてきた。
併走すればするほど、ほかのウマ娘たちから得るものがあるんじゃないかと考えての事だったが、それはウオッカにとって戸惑いを産む結果になってしまった。
良いとこ取りとはよく言ったもので、悪く言えばオリジナリティの無いコピーのモザイクロール。ナリタブライアンが「つまらん」と一言だけ言い放ち、立ち去ってしまったのも今となっては頷ける。
やいのやいの言いながら唐揚げとニラチヂミを追加で注文。喜んで!と返事した店員さんが厨房の奥へ消えていく。
「そもそもよぉウチの奴らはウオッカにやられてんだぞ?イクサトゥルースにロールスシーチャンも。まだ無名でとかなら分からなくもないがGⅠの、それもダービーウマ娘。何を意見しろってんだ」
ごもっともな言葉が我が師であるアオバトレーナーから向けられる。誤魔化す様にジョッキを呷り精一杯困っているような声で懇願するほかなかった。
ウオッカ不調の原因までは特定できた。対策として立てた道筋が走行フォームの改善なのだが、おいそれといいアイデアが降ってきたら苦労はしない。
「まったく……。お前から飲みに誘ってくるなんて雪の降りそうなことするもんだからなんだと思えば。まあ原因特定できたのと着眼点はいい。そこまでやれてるのなら上々よ」
枝豆を口に放り込みながら杯を呷るアオバトレーナー。口の中の物を完全に飲み下しながらゆっくりと目をこちらに向けた。
「ウオッカのストライドはなまじ完成されちまってたからな…長い時間をかけて探すしかあるまい。無意識にやってた事を改善するには相当長い反復練習がいるだろう。お前だってそうだったろう?新しいバイクは慣れるまで無理しない。それと一緒だ。走りが変われば負担の来る場所も違う」
リスクとリターンは表裏一体。失うものがあれば必ず得るものがある。それがシニア期の今になってぶち当たることになるとは、自分のリスク管理の甘さに溜息を吐くほかない。
ウオッカには何かを捨てて、何かを得てもらわねばならない。それが今までの走り方との決別なわけだが、俺にはその先の走りが想像できない。
「それか……ウマ娘に協力してもらうかだな」
「ウマ娘に…?」
「いくら歩み寄ったところで、ヒトではウマ娘のようにターフの上を駆けることはできないからな。トレーナーという職業は何処まで行っても想像でこなすしかない。妄想と言ってもいいか…。だからこそ、ウマ娘同士の方がアドバイスできることは多いと思うんだよな。チームにはチームの利点があるわけだが」
あれ?これ暗にチーム持てよって言われてる……?
「そうだな……脚質からしてもローレルなんかが適任だと思うんだが」
「あの娘はもう競走の世界を離れてるんですよ?」
「練習メニュー相談しといて今更かよ?……逆に言う。アイツレベルじゃなければウオッカの相手は務まらん。担当のために恥を捨てるのもトレーナーの務めだぞ」
ニラチヂミを口の中に収めながらこちらに一瞥をくれるわが師。使えるものは何でも使えと…そういう事ですか?師匠…。
ここまでやってきた事が無駄になることが怖かった。
だが、このまま俺がフォームを矯正したらウオッカはリスクを冒さない錆びれた走りに落とし込まれてしまう。それはあいつの言う“かっこいい”からはかけ離れてしまうだろうから。
無力感、そして罪悪感。酒に逃げるのは、いつも決まってこいつらが付き纏う時だ。
*****
神奈川県南部・西湘地域に跨る、大磯海岸。
広大な太平洋を臨む浜辺は冬特有の白波が立ち、打ち寄せては帰っていく。薄暗かった空も段々と白み始めてきて朱に染まり切るのも間もなく。
突き刺すような寒さに包まれ、白い息は潮風に攫われていく。こんな時間から浜辺に居るのは物好きか人生について考えている者ぐらいだろうか。
入念に膝を伸ばすウオッカを観察しながら意識を背中に傾けた。
「ホントにウマ使いが荒いんだから」
さらさらとした足音と共に掛けられる、少し眠気が混じったような力の抜ける飄々とした声。砂浜に続く階段に腰掛けた俺の隣にその声も座り込んだ。
「悪いな。ローレル」
「はーい、愛しのローレルさんですよ」
相変わらず何を見ているのか測れない深い糸目。薄い弧を描く唇。その視線がウオッカに注がれた。
「おはようございます!えっと…」
「ツインテールっ娘ちゃんとは会ったけどキミは初めましてだね?アタシはサクラローレル。トレーニング考案者として名前は聞いてるかな?」
「サクラローレル先輩……」
「なんでちょっと嫌そうなのさ」
「いや、ジャパンカップ前のあのトレーニングを煮込んだ人だと思うと……」
「まぁ確かに。2週間でこなす内容じゃなかったからね」
「あっその辺は自覚アリなんですね。スカーレットみたいに鬼トレーニングホリックじゃなくてちょっと安心したッス」
「ないない。おねーさん静かに暮らしたいもの」
なんだかんだ会わせたのは初めてなはずが、ウマが合うのか打ち解けるのは早そうだ。
「それで?なんたってこんな早朝からアタシは呼ばれたの?」
「それはまあ…見てもらった方が早いか。ウオッカ、1本走ってくれ。あそこの柱からここまででいい」
「……おう」
少しずつ加速していく。ストライドを少しずつ広げてウオッカが砂浜を駆け抜ける。土煙を吹き上げながら1ハロン程度を通過したがその勢いは乗っているように見えて、全く乗れていない。
横で見ていたローレルの眉が歪んでいく。
「うーん…入り乱れちゃってるね。もしかしてアタシに走り方を何とかしてほしいってこと?」
「……そうだ。ウマ娘とヒトでは同じ土俵に立つことはできないからな。頼めないか」
「それ何とかするのがトレーナーだと思うんだけど」
「重々分かっている」
「しょーがないなー?高くつくよ。元チームメイト価格ね」
「恩にきる」
顔を覗き込んでくるローレルの口元がニヤリと吊り上がっていく。
————それはかつて彼女がGⅠを制した時に見たような笑み。
今のウオッカの走りは、いうなれば社外品を片っ端から入れていって、ぐちゃぐちゃになってしまった車やバイクのよう。見栄えを良くするために色々なモノを取り入れすぎてバランスが全く取れていない。
「うーん…走りづらくない?それ」
戻ってきたウオッカに向けてローレルが尋ねる。自分の走りがどんな状況にあるかは彼女も分かっているのだろう、少し顔を歪ませる。
「…遠慮なく言ってくれ。今はお前が気持ちよく走るためのセッティングをしているんだ。ああしたいこうしたいっていうのをフィードバックするために少しでも意見が欲しい」
「その…トレーナーが色んなウマ娘と併走を組んでくれんのは、良い所を取り込んで自分のモノにしろってことで良いんだよな?」
「そうだ。仕掛けどころ、足さばき、コーナーの入り方。いろんな奴がいただろう」
「それで真似っこしてたら自分の走りが分からなくなっちゃったってとこかな」
「そうッスね…その、右足の意識をしながらスカーレットの踏み込み方とかをやってみてるんだけど…」
「やめよっか。それ」
強い海風が耳の中をかき混ぜていく。
ローレルの放った一言が突き刺さり、頭の中がスッと冷たくなっていくような感覚。驚いたようにウオッカが目を剥く。
「それはトレセン入りたての新入生がやることであって、キミは確固たる自分を見失っちゃだめだよ。ウマ娘の走り方は千差万別。決して同じ走り方なんて無いし、それはキミの走りを殺すことになる」
「ッ……」
「それを含めてもう一回。————キミの全開を見せてよ」
顔つきが変わった。下がっていた眉根は強く意志を感じさせ何か吹っ切れたように見える。
先ほどと同じようにウオッカが1ハロンほど向こうのポールで構えた。
波音と共にウオッカがスタート
————速いッ
ストライドを広げて、踏み込んだ足から伝わってくる衝動に突き動かされ、自然と前のめりに低くなっていく姿勢。腕の振りは鋭く、足をより速くたたむ様に跳ね上げる。
「…いいねェ」
たった一言。ローレルの一言で一陣の風と化したウオッカが目の前を通過した。満足げなその表情はしばらく見ていなかった、走りを楽しんでいるような笑み。あぁ、眩しくて仕方がない。
「それでいいよ。アタシから言えるのはスパートの時は上半身をもう一段階倒す。右足のトモを重点的にちょっと鍛えてバランスを整えることかな。重心を低くすることで得られるメリットは分かるよね?」
「コーナーリングの安定化…?」
「それもあるけど、相手の視界から消えることができるんだよ。足音はするのに姿は見えない。すごく……怖いと思わない?」
見えないライン。自分の意識しない場所から突如這い出てくる差しウマ。なるほど前を走るウマ娘には相当な心理的揺さぶりになる。
「ただし、姿勢を低くすることで足首に相当な負担がかかるから、ストレッチは念入りにね?2000m以上を走るにはちょっと厳しいから」
アタシがそうだったようにね。と付け加えるローレル。そのローレル自身が屈腱断裂という事をやらかしているだけあってその言葉はとても重く響いた。
「さて、トレーナーさんには今度オゴってもらおうかな」
「お手柔らかにな…」