冬休みで帰省していたウマ娘も大体が帰寮し、選抜レースが終了して学園中がにわかに活気づき始めた。ある程度のスカウト合戦も落ち着いて、早ければトレーナーの決まったジュニア級ウマ娘たちはトレーニングを始めるだろう。クラシック・シニア級のウマ娘は共に春のGⅠシーズンへの踏み込み時期の真っ只中、この一息つく時期。
ウマ娘たち、というよりも乙女たちには迫っているモノがあった。
“バレンタインデー”
マヤノは激怒した。必ずかの
その点目の前にいるこのウオッカとかいうウマ娘、無自覚なくせしてあのバイク狂とのお出かけをツーリングと称し、まだまだ宮下トレーナーに日和っているダイワスカーレットがかわいく見えるレベルの
そんなウオッカがトレーナーに対してチョコを作る気はないというのである。
初心者乙女からプロ級乙女までが等しく、好いた人間の好みに頭を悩ませ、自分のもてる力を注ぎこんだ特製
くつ箱やロッカーに入れておく逃げ、朝のうちに仕掛ける先行、昼休みに捲り始める差し、放課後に賭ける追込。脚質によって仕掛けも様々。女子高であるトレセン学園のウマ娘は一番近い異性であるトレーナーに向かうベクトルが大きい。
───私のチョコ!受け取ってください! と
元気が取り柄のあの子も、普段気だるげなあの子も、素直になれないツンデレっ子も、ゆるふわお嬢様も、顔の良すぎるオレ様も、おすまし顔の生徒会長も、ぶっきらぼうな副会長も、エンターテイナーの寮長だってみんなみんな
「なんでその思いを理解できないのぉー!」
噴火した栗毛。マヤノトップガン。
「んなこと言われたってなぁ…」
普段は自炊勢しか使わない寮の閑散としたキッチンも、この時期ばかりは大盛況で美浦・栗東共にフル稼働。使用率は160%を超えガヤガヤと悲鳴にも似た奇声が響き、チョコを焦がしたウマ娘がまた一人が崩れ落ちた。
この混雑具合は朝ラッシュ満員の準特急かと突っ込みたくなる。
「オグリ…自分何しょんか分かっとんのやろな?トレーナーにチョコ食らわすんやろ?」
「あぁ……だがこれだけあったら少しだけ試食しても問題ないと思う」
「ちいとで済まんやろオドレはぁ!!そんで何枚シバいとんねや!!」
「あらあら、よだれ垂れてますよ~?」
「んぁ…すまない」
隣の卓ではオグリキャップ、タマモクロスがチョコを刻んで溶かす工程に入っていた。花より団子、色気より食い気なオグリキャップはチョコを混ぜている手元と積んである板チョコに何度も目線が移ろってしまっている。それを宥めながら、いつオグリキャップの手が在庫のチョコに伸びないか気が気じゃないタマモクロス。
その隣で見事なハートマークチョコを型どっているのがスーパークリーク。そのチョコは愛情が溢れに溢れ、中身がトロトロの生チョコという技術の粋が集められたものとなっていた。
「せっかく場所もとれたんだからそいつは放っといて始めましょ?後ろもまだ詰まっていることだし」
「よーし☆チョコランマ作っちゃうよっ!」
「トレーナーが糖尿病になっちまうぞ?」
「トレーナーちゃんもきっと本望だよっ!!」
恐ろしいことを言い出した。哀れマーベラスのチームのトレーナー、膵臓を大切にな?
エプロンをして髪を一房に纏めたダイワスカーレットが慣れた手つきで道具を用意していく。普段のツインテールがポニーテールになっただけなのに煽情的に感じるのは何なのだろうか。
普段あまり料理をしないというマヤノとマーベラスも準備はばっちり。マヤノは自身のトレーナちゃんが絡むイベントだとふざけることはないため、こっちはスカーレットに任せておけば(マーベラスがどうなるか別として)問題ないだろう。
「ウオッカ~!ヒマしてるなら手伝ってよぉ~!!」
「あ~?面倒だなぁ……」
へっぴり声でヘルプを出したのはチームカノープスメンバーとチョコづくりをしていたはずのトウカイテイオーであった。包丁の握り方がかなり危なっかしく見ていて手をやらないか冷や冷やものだ。
ナイスネイチャやイクノディクタスら料理のできるメンツが暴走車ツインターボにかかりきりなために、一人で進める他なく手探り状態でとても見ていられない。マチカネタンホイザは壁際で鼻を冷やしていた。
「おいおい包丁の持ち方怖えーぞ!そんなんじゃ手切っちまうって!」
「えー!?でもこうじゃないと包丁が曲がっちゃうヨー!」
「違う違う!ネコの手にしろ!」
「にゃ?」
「にゃ!」
板チョコは幸い大量に業者発注して積んであるので失敗してもやり直せる。まだおぼつかない手つきのテイオーの横でウオッカは素早くチョコを刻み始めた。お湯を出して包丁を少し温めてから、握った手を板チョコに添え小気味よく切り刻んでいく。こうすることで早く溶けやすくなるためだ。カレー粉のブロックも刻んだ方が早く溶ける。
とんとんとん、と規則正しい音が鳴り響き、あっという間に板チョコは細切れにされていく。目を皿のようにして見ていたテイオーが驚きに満ちた声を上げる。
「凄いね!ウオッカは料理できるんだ?」
「あー…。母ちゃんができるようになっとけってうるさくてな。下のチビの面倒を見なきゃいけない時はオレがメシ作ったりもしたし」
「へー?」
だからと言ってお菓子作りができるのはまた別なんじゃないの?と内心思うテイオーであるが、ここは素直に指示に従っておく。
「そんで?テイオーは何が作りたいんだ?」
「ガナッシュ!ハートの形にして一口サイズにすれば食べやすいと思うんだよね!」
「ガナッシュか…」
生クリームとチョコレートを練って混ぜ込みクリーム状にしたもので、生チョコレートに似た口どけと深い甘みが口の中に広がるのが特徴。ケーキの飾りつけなどに使われることが主だが、このクリーム自体を冷やし固めて生チョコチックなスイーツにするのも全然アリだ。
鍋で沸騰させた生クリームに刻んだチョコレートを入れ火を止め、泡だて器で混ぜ合わせていく役目をテイオーに譲り、溶かして行ってもらう。
「これ、色違くない?」
「いや、ベリーピューレとオレンジリキュールを混ぜるから問題ないぜ?」
後ろから感じた視線で後ろに振り向くと、涙目になったマチカネタンホイザがこちらを見上げていた。何かのCMで見たことのあるような光景が絶賛デジャヴュっている。
「ウ、ウオッカさん…!な、なにとぞこのタンホイザをお救い下されぇ……!」
「ちょっ!?土下座は止めてくれよ!」
タンホイザは頭上で手を擦り合わせながら地面にひれ伏していた。
彼女がなぜ壁際に座らせられていたのかと言えば、混ぜ終わったボールを置き次の材料を準備しようとした際に、泡だて器に袖を引っ掛け材料ごとひっくり返し、キャッチしようとしたツインターボが手を滑らせ、吹き飛んだボールがタンホイザの顔面に直撃し鼻出血したためである。
なんというピタゴラスイッチだろうか。ゴールがだいたいタンホイザの鼻なのがご愁傷様なのだが。
「協力するから頭上げてくれよ!」
「あ~りがとうご~ざい~ます!!」
独特なイントネーションと共に立ち上がったタンホイザは聞けばブラウニーを作りたいのだそう。時間はかかるが定番のチョコ菓子だけにハズレは無いだろう。
「じゃあバターと砂糖と塩を混ぜてくれよな」
「あいあいさー!」
テイオーと違ってタンホイザは手つきに不安がない。なぜか彼女の使用する木べらが折れたり、泡だて器の持ち手が外れたり、塩の容器の蓋が砕けたりしたがそれを前提に動いておけば何とか反応することができた。というかなぜ彼女の使おうとするものはことごとく何かあるのだろうか。
「じゃあテイオーは氷水にあてながら混ぜてくれ」
「りょーかい!」
こちらは何事もなくクリームが形になってきた。天才肌のテイオーは切っ掛けさえつかめてしまえば何か口出しせずとも勝手に手順が進んでいく。ぶっちゃけ不安だったのは包丁の持ち方ぐらいなもの。
「あれだけのワザマエがありながらなぜ……」
「マヤノ、気にしちゃだめよ?アイツはチョコをあげるのは硬派じゃないってちっぽけなプライドがあるの」
「渡す度胸がないんだね☆」
わりかしオブラートに包んでなかったスカーレットだが、マーベラスがオブラートを全て引っ剥がした。共通認識が3人を包みながらチョコ製作は続いていく。
こちらの卓はつつがなくチョコづくりが進んでおりマーベラスがトンデモクッキングをしている以外は滞りない。
マヤノはハート型のオーソドックスなチョコカップケーキ。そしてマーベラスの前には山の形をしたチョコ塊。雪をかぶったようにホワイトチョコソースが掛かっていて“チョコランマ”と命名されていた。形はチョモランマというよりモンブランである。
あれだけ混雑していたキッチンルームもウマ娘が入れ代わり立ち代わりチョコを作り終えていく。あとは冷蔵庫で固まるのを待つだけとなった組は後ろに譲り、少しずつ混雑も収まり始めた。
「できたー!」
テイオーが歓喜の声を上げる。
オーブンペーパーの上に綺麗に並んだハートマークになっているガナッシュ。あとは冷やして固めココアパウダーを振るだけだ。今でも食べられそうだが、もう少し口当たりを良くするために冷蔵庫で冷却する時間を挟む。
「こっちもいい匂いがしてきましたよぉ~!お~ぶんぶん♪」
なんとか薄力粉を混ぜ終え、型に入れた元種をようやくオーブンに入れることができたタンホイザのブラウニーも焼け始めオーブンから香ばしい匂いが立ち上り始めた。
「じゃあチョコクリームも作っちゃおうぜ」
「お~!じゃあ氷水ッんあ!」
「あ、おい!」
誰が置いたか薄力粉の袋にタンホイザが躓いて氷水をぶちまけた。ぶちまけた先はなぜか自分自身、帽子の上にボールまで被っている。
「ひぃう…ちべたいぃ……!」
「風邪ひいちまうから着替えて来いよ。まだ焼けるまで時間あるし」
「そうするぅ…ごめんねぇ」
「ちょっと大丈夫!?」
「なんかすごい音したよー?」
スカーレットとマヤノが派手な物音に反応してこちらの卓へやってきた。どうやらマヤノ達の方もチョコづくりがひと段落してまったりしていたのだろう。
「マチタンが氷水ひっくり返しちゃったんだよ~!」
テイオーがタンホイザを引っ張り起こし、マヤノが持ってきたタオルでわしゃわしゃと髪を拭いていた。その横でスカーレットは未だに補助に徹しているウオッカに問いかける。
「アンタは良いの?」
「何がだよ」
「チョコよ。作らなくていいの?」
少し眉根を下げて困ったように、意地を張る子供をあやす様に向かい合う。逆に少し眉を吊り上げたのはウオッカだ。こうなると意地を張って折れないだろうと察したスカーレットは素直に矛を収めた。
「いいんだよ…そもそも、いっつもあんな練乳爆盛りのクソ甘コーヒー飲んでるトレーナーが満足するチョコなんて思い浮かばねーよ」
「べつにわざわざ甘さに合わせなくたっていいじゃない」
「……食ってもらうなら、満足してもらいてーじゃんか…」
へにょっと耳を曲げて目を伏せるウオッカ。
とどのつまりウオッカは自分の作ったチョコであの腐り目トレーナーが満足してくれるのかどうかを不安に思っているから渡せないのか。
そこぉ~~~?……え?渡さなかったら土俵にすら立てないじゃない。アンタ普段の思い切りの良さは何処に行ったの?バイク関連ならそんなの気にせずぶっこみに行くくせになんでチョコ渡すのは及び腰なのよ……。
「じゃあ、アタシが渡しちゃおうかしら」
「はぁ!!!???」
「曲がりなりにもお世話になってるから義理よ義理」
「なんだよぉ……」
めちゃくちゃホッとした顔するじゃないコイツ
「クソ甘コーヒーってこれかな?かな?」
マーベラスが持っているのは黄色と黒の警戒色のパッケージ、あのトレーナーが千葉のソウルドリンクとかのたまっていた練乳コーヒー。
「そうそれ。やべえぐらい甘いんだよ」
「おいしいよね☆マーベラスもたまに飲むよ?」
「ウソでしょ……」
「ウソ…だろ……」
あのトレーナー以外に美味しいといったヤツを初めて見た。
「これ好きっていうなら混ぜ込んでみたらいいんじゃないの?」
何気なく放たれたテイオーの一言に顔を見あわせるウオッカとスカーレット。二人ともその発想はなかっただけに、ピンと耳が立ち上がった。確かに風味としてはコーヒーの味がするので隠し味にはもってこいかもしれない。……隠れるか分からないが。
「それ、いい考えなんじゃない?」
「とんでもねえ甘さの爆弾ができそうだな」
コーヒー+チョコ+練 乳という甘さ²の破壊兵器。破壊されるのは舌と内臓だろうか。あのトレーナーの事だしコレでもムシャムシャ食べそうな気がする。
「作るだけ作ってみたら?」
「いや…まあ……」
「あと少しチョコも余ってるし使い切ってくれってフジキセキ先輩からも言われてるのよ」
「うぁあ!分かった!作る!作るよ!」
頭を抱えるウオッカをよそにハイタッチを交わすマヤノとマーベラス。ここまでお膳立てしないとやる気を出さないウオッカに呆れ返るスカーレット。だいたい察していたテイオーも今後ははっちゃけコンビに混ざって面白がる事を決めた。
「早く作り始めないとキッチン利用時間終わっちゃうわよ?」
「ゲッ!もうそんな時間かよ!」
キッチン使用制限時刻まであと1時間。そこからのウオッカの鬼気迫る手さばきは見るものを圧倒させるような流麗さを携えていた。大体の者が言葉にしないものの、同じことを考えていた。
(気合入ってるな……)
*****
「よし、ここまでにするか」
「かぁ~!さすがにプールをこれだけ往復すると堪えるぜ……」
京都記念まであと少し。最近はターフの予約が激戦区なだけあってプールトレーニングの比率が多くなっていた。
選抜レースも終わって新しく契約したトレーナーとウマ娘達が、実力を図るためにターフやダートを多く使いたがる。
学園側も大切な時期だと分かっているため、なるべく優先させて欲しいと徳政令が発せられるのだ。こうしてシニア級のウマ娘は筋トレ、プールトレーニングメインとなってしまうのは仕方のない事である。
「何?これだけでヘバったわけ?」
「あぁ?途中ついてこられなかったヤツが何言ってんだ?」
「あら、もう10本ぐらいイケそうじゃない」
「やってやろうじゃねえか!…うひゃあ!」
売り言葉に買い言葉。延長戦に突入しようとしたウオッカは尻尾を握って止められた。
「なっ、なな!何すんだよ!尻尾はやめろよ!」
「オーバーワークだ。スカーレットも、これ以上は宮下に怒られちまうから終わりな」
「…分かったわよ」
2人のこなしたメニュー、本数、タイムを記録していく。
相変わらずゴールしたのは2人同時だが、平均して速いのはダイワスカーレットの方、対して中盤から加速して速度を上げたのはウオッカで脚質適性の違いはこんな所にも現れるのかと感心していた。
「今日のトレーニングはお終い。着替えて上がってくれ。」
「トレーナーは?」
「俺ァこの後会議があるんだよ」
会議という名の報告会、何を議論するのか。全くもって役にも立たないモノだが、出席しないとそれはそれで後が怖い為出なければならない。
「あぁ~……その~……後で時間…取れねぇか?」
鼻血が吹き出そうなのを我慢して勇気を出してみる。顔があっつい。尻尾が勝手にばさばさ揺れる。
「悪いな、もう時間が無いから行くわ。おそらく寮の門限過ぎる時間になるからトレーナー室は閉めておいてくれ。後で
「あっ!おい!」
そんなのアリかよ…。
声をかける間もなくプールから立ち去ってしまったトレーナー。水着のままじゃ追いかけることもできず……伸ばした手から力が抜けた。
「アンタ…まだ渡してなかったわけ……?」
「しょーがねーだろ!朝渡そうとしたら鼻血出ちまったし!昼はどこに居るのかすら分からねーし!トレーニング終わりなら渡せると…思ったんだけど……。ッそういうスカーレットはどうなんだよ!」
「朝イチで渡したに決まってるじゃない」
はあ!?掛かりすぎじゃねーか!?
「なによその顔。言っとくけどアタシのトレーナー講義もやってるからこの後渡したらもう飽きるほど貰ってるのよ」
「あぁ…なるほどな……」
チーム入りするウマ娘は、選抜レース前から話題になっていて内々定しているのがほとんど。
リギルのようにチーム独自の選抜レースで勝てば内定というスタンスの所もあるが、選抜レースで力を示す事でトレーナーにアピールしスカウトを経て契約と言う流れがメインでありオーソドックスなものだ。
そうならなかったウマ娘はどうなのか?
それはもうターフ以外でグイグイ行くしか無いのである。形振り等構っていられない必死の捨て身アタックはもちろん、顔を覚えてもらうための手段は厭わない。
ダイワスカーレットのトレーナーである宮下は教員免許があり、そういった層と接する機会が多い。顔が良く、ダイワスカーレットというGⅠウマ娘の実績もある。チームを立ち上げるとの噂もあるからアタックに来ないワケがない。
それはもう山だ。
宮下トレーナーの貰うチョコの量は。これぞチョコランマと呼べるんじゃないだろうか?肩に茶色い山が宿ってるッ!
「渡すなら1番に食べてもらいたいじゃない?」
強すぎる…ッ!何だよコイツ……!?
照れくさそうに微笑んだダイワスカーレットがあまりに強すぎる。どうチョコを渡したものか悩みながら、今回ばかりは明確に負けを認めざるをえなかった。
*****
「──以上にて終了です。お疲れ様でした」
進行係の一言によって会議も終了し、関節を伸ばせば至る所からぱきぽきと小気味よい音が鳴り響く。外は陽が落ちてからしばらく、もう街灯が照らす様な時間となってしまっていた。
幾人かのトレーナーが会議室を出ていって、俺も配布されたレジュメを纏めて撤収する事にする。終わったあとにいつまでも残っているとろくな事にならない。
そうしてトレーナー棟に戻る途中で、山のような紙袋を両手に引っ提げプルプル震える宮下と出くわしてしまった。
なんだその大量の引き出物は……。
「すみません…。大変申し訳ないのですがお手伝いを……!」
「片方持つョ」
「すみません…!」
色とりどりの装飾が施された箱や袋が大量。片手で持つのも難儀する重量に達したそれは、限界を突破し遂に持ち手が裂けてしまった。
「うおっ!お前さん何をこんなに貰ったんだ!」
「あはは…バレンタインチョコですよ。これ全部」
「全部!?」
生まれてこの方貰ったことなど無いもんだから、てっきりバレンタインチョコって都市伝説じゃないかと思っていたんだが……。
マジであるもんなんだな。
「食べるのも大変だな」
「えぇ。しばらくは見たくなくなります…。ところでサカキさんは誰かから貰ったりしてないんですか?」
「いや?1つも」
「え?ウオッカ君からも?」
「貰ってないが?」
「……え?」
「え?」
「スカーレット君がウオッカ君たちと一緒にチョコ作りをしたと話していたんですが…」
驚いたようにこちらを見る宮下。そんなに信じられないか?ホントに無いものはな……
『あぁ~……その~……後で時間…取れねぇか?』
「あれか…… 」
目を覆って天を仰ぐ。プールトレーニング後に言いかけていたことはまさか…。
ウオッカにしてはやけに歯切れが悪いと思ったらまさか渡そうとしてたって事か?朝になぜだか鼻血を吹いて逃げ出し、昼はグッズメーカーとの打ち合わせでトレセン学園から離れていたため会えずじまいだった。
そう考えるとウオッカには悪い事をしてしまった感がある。だがもうウマ娘寮は門限を過ぎてしまっているし、どうしようもない。
「心当たりがおありで?」
「あぁ…。今日トレーニング終わりに時間を取れるか聞かれたんだが会議で切り上げちまった…」
「…それですね。乙女の純情を踏み躙ると後が怖いですよ?」
「ウマ娘には蹴られたくねぇナ…」
トレーナー室の戸締りも終え、後は帰るだけとなる。
駐輪場に置いてあるバイクのハンドルに、小柄な紙袋が掛かっていた。白く飾りっ気のないパッケージに、中にはビニールに包まれた黒いマドレーヌ。おそらくチョコを練り込んであるだろうそれはキメ細かな貝殻型。
スマホの機内モードを解除してUMAINEを開いてみるとウオッカから一言だけメッセージが飛んで来ていた。
『義理だからな』
義理…ね。近頃は随分と気合いの入った義理が売ってるモンなんだな。
小腹が減っていることも手伝って1つ、包みを破いてみた。
ほんのりと薫るチョコの焼けた香り。それと、飲み慣れたコーヒーの香りが鼻腔を擽る。
コーヒーの苦味の一切を彼方に消し飛ばした練乳のまろやかさ。チョコがその甘味をより深みへ誘い単純な甘さだけではない濃さがある 。それでいてしつこ過ぎない塩梅は流石の一言だ。
なんとも手の込んだ一品は、会議で疲れた脳内に存分な量の糖をブチ込んでくれた。しばらくチョコ…と言うより甘味類は遠慮した方がいいかもしれない。
他に見る者のいない等しく欠けた上弦の月。
────そっと人差し指を立て掛けた。自然と煙草に伸びた手を今日は黙っていて欲しい。
「そういえば、昨日ウオッカがマドレーヌ作ってたけどなんで?」
クッキングタイムの翌朝。冷蔵庫で冷やした勝負菓子を取りにキッチンルームに訪れたダイワスカーレットは、マヤノトップガンと鉢合わせた。朝が弱いはずの彼女も、今日ばかりはコンセントレーションからのシューティングスターで先行抜け出しを図るようだ。
「お菓子言葉って知ってる?」
「お菓子言葉?マカロンとかは『あなたを愛しています』って意味があるあれだよね!」
「そうよ」
花言葉と同じように、お菓子言葉というものがある。お菓子を作る国によって意味は様々であるがフランスなどヨーロッパ諸国の意味合いが強い。
クッキーはサクサクと割れることから『割り切った関係』マシュマロはすぐに溶けてしまうために『消えて欲しい薄い関係』、逆にキャンディは口の中に残る事から『長く続く関係を』バームクーヘンは年輪に例え『永遠の愛』など、うっかりしているとそんなつもりがなくともマイナスイメージを与えてしまう事がある。
「まぁアイツが知ってるかどうかは分からないけど……。マドレーヌのお菓子言葉は『あなたをもっと知りたい』よ」
「ひゃわわわ!」
……そもそもウオッカがその意味を込めたとして、トレーナーの方が朴念仁なのだからアイツは苦労するだろう。
同室にしてライバルの親友が上手くいくことを祈りながら、自身もトレーナー室に向かうのだった。