速度が3ケタに達した辺りから徐々にペダルを戻し巡行に入る。新東名の広い道幅は120km/hを許容してくれていたが、そもそもそこまでの速度で巡行すると逆に燃費が悪い。ただでさえ
岡崎サービスエリアを出て再度下り線へ。この先は道なりに進み伊勢湾岸、新名神を経て
そう、なぜ車で京都に向かってるかと言えば……ようやくURAから車両許可証が届いたのだ。
個人の車両(トレーナー等が所有している4輪以上の車両に限る)をトレセン学園に申請して経理部が認定すれば、晴れて形式上馬運車となり許可証とマグネットステッカーが発行される。
馬運車として走行する際はマグネットステッカーで周囲への喚起が必要になるが、許可証があればレース場でも関係者駐車場に停められるし、レースに関わる移動であれば通行料と燃料代を申請することで経費扱いにすることもできる。
確かに小倉や函館・札幌は飛行機移動がベストだろう。しかし中には飛行機が苦手で体調を崩してしまうウマ娘も居ることから、仕方なく地上を移動するというトレーナーもおりそういった層を考慮した制度だ。
その他にも重賞を勝ちファン数が一定を超えるような、エンターテイメント性を兼ね備えているウマ娘は言ってしまえば
かくいう俺も不特定多数の人間と空間を共にする飛行機や電車移動なんかは好きじゃない。自分のペースで移動でき、運転も苦に感じないためパーソナルスペースを保てる車やバイクを使いたかったのだが、如何せん車種が車種だったので経理部が渋ってたのである。
車高を少しだけ落としてホイールでツラ出ししただけだったのだが、純正ででっかいウイングがついてるためにヤンチャしそうに見えたのだろうか……?
「案外淡々と走るんだな」
「そんなもんだ。200km/hクルーズができるならまだしも、多少の速度差は5分の休憩で相殺。長距離運転するには途中で煙草休憩を挟めるぐらいの余裕がちょうどいいのョ」
いつものような街乗りで少しの距離を転がすだけじゃ車も錆びついてしまうから、たまにはロングスティントも走ってもらわなきゃならない。車を健康に保つためには多少なりとも走ることが一番いい。
「車で行くとか言い出したからマジかよって思ったけど、こうして好きな音楽聞けて他人を気にしなくていいのは楽だよな」
「そう、それなのよ。だから俺は車やバイクが大好きなわけ」
「新幹線もずっと渋い顔して乗ってたもんな!ありゃ傑作だぜ!」
けらけらと笑顔を見せるウオッカは、ぴるぴると耳を動かしミルクティーを啜っていた。ウオッカをこの車に乗せるのは湯治をするために草津温泉まで移動したとき以来だが、リラックスしてくれているようで何よりだ。
「初めはリクライニングもできねぇし乗り降りしづらいしなんなんだよって思ったけどな」
「それはまぁ……悪いと思ってるよ」
「いやぁ?慣れるといいもんだぜ。このすっぽり包まれるシートも疲れないからいいよな」
車の進路はひたすら西へ。二人だけの空間はまるでこれからレースに向かうのかと思えないようなゆるい雰囲気だが俺と彼女はいつもこう。何かから目をそらしたくて取り留めのない話をつづけながら、俺は適当に相槌をうつ。
「さて、擦り合わせをしておこうか。京都記念は京都レース場外回りコースの2200m、曇りだが雨は降らないだろうから良バ場になる。8枠16番っていうのがちょっと悩みものだが、逃げ!っていうタイプがいないからペースは落ち着くだろうョ。こういう場合の注意点は?」
「みんな垂れないからスパート時横に広がって壁になりやすい」
「そう。そしてユメノパスポート、アラバスタサーガ、アサイチタイオーは過去レースで当たってる。こちら側の手の内も分かっているから、対策もしてくるし掛からせるようなこともしてくるぞ」
京都レース場の控室。
もう間もなくパドックの招集がかかる時間。GⅡレースの指定である体操服とゼッケンを用意し、蹄鉄の点検をしながら彼女とミーティングを交わしていた。
「で、だ。ローダウンストライドを使っていいのは最終コーナーの抜け出しだけだ。直線に入ったらスパートする時のストライドに戻せ」
「えぇっ!?なんでだよ!??」
トレーニング時もローダウンストライドを意識した走り方に矯正し、ただでさえ低く鋭くなったウオッカのストライド走法はまだ安定したとは言い難い。プールトレーニングなどでスタミナを追い込んできたと言えど、レース時のペースがどう走り方に影響を及ぼしてくるかも分からない。
レーシングカーやスーパースポーツバイクが新しいパーツやユニットを使うことになった場合、当然開発段階でかなりの回数の試験を繰り返す。このパーツを組み込むことで得られるメリットは?デメリットは?バックラッシュが発生した場合、負担の集中する箇所は?何十何百の試験項目から実戦に投入に値するのかどうか厳しい精査が重ねられここまで来てようやく実戦となる。
────そしてどんなに試験を重ねて実戦投入したとして、初期段階は必ずトラブルが発生するものだ。
それが軽く修正できるものならまだいい。それをデータとして生かして改善を重ねモノになる。怖いのは致命的なエラーが起きた時だ。
2200mという
当然ローダウンストライドはトレーニングで何回も試したし、ストレッチやケアの時間はより長くやるようになった。逐一彼女の足はむず痒がられるほど状態を看ている。
「──怖い、怖いんだョ。それでも」
「……」
長く、長く考え込んだ末に口から漏れ出た言葉。
レース前の彼女に差し向ける言の葉じゃないのは重々分かっている。そんなことを言っていられない程、彼女を勝たせることができていないのも分かっている。
「……それでもオレは、オレ達は走るんだ」
「ウオッカ……」
「トレーナーは知ってるだろ?風を切る快感を。オレはもうそれを知っちまってる。前に進むしかねぇんだよ」
不敵な笑みを浮かべるウオッカに、錆びついていたのは俺自身だと思い知る。勝ちに行くんじゃなかったか?直前になって意味を求めて、背中を押すこともできないのか?違うだろ……。違うだろ!
「悪かったよ。お前さんがどんだけ速くなっちまったのかビビってんだ」
「ハッ!焦らなくていいぜ?これからいくらでも刻み付けてやるからよ!」
拳を差し出した。彼女の拳が打ち合わされる。俺のものより幾分か華奢で細い手。それが確かな力を持って離れた気がした。
*****
「なあ、今日誰に人気投票入れよってん?」
「ウチはアラバスタサーガかなぁ。パドックで見よーた時もかなり気合いが乗りよってんな」
「あーのトモの張り見よったやろ!ムッチムチやったぞ!」
「あんさんそこしか見ぃひんやん!」
「もう腕ひしぎ十字固めでもされたいわ!」
「ウマ娘にあんなんされたら逝ってまうわ!」
「んなもん本望やろ!」
隣に座る男たちがやいのやいの言い合っている。ウマ娘に押さえ込みされたらまず勝てないから命の無事を祈るといい。
「しっかし」
「んお?」
「ウオッカよ!ウオッカ!あんウマ娘は有馬よりトモが細なったかと思えば、シャープに筋肉が乗っとんよ!ありゃなんか仕込んどるで」
コーヒーを呷りながら聞き耳を立てていたが軽く戦慄した。この男のトモ愛はホンモノだ……!筋肉の付き方でそこまで見抜くとは、トレーナーレベルに近い
ゆっくりとターフの感触を確かめていた所で、短めの髪をしたウマ娘が近づいてきた。ゼッケンは10番……アラバスタサーガ。
「ウオッカ」
「おう。ターフの上じゃ久しぶりだな?すげートモの調子良さそうじゃん」
アラバスタサーガは日本ダービーでしのぎを削った内の一人で、中団からの鋭い末脚で差すというスタイル。他にもユメノパスポート、アサイチタイオーとは過去のレースでやり合っているからこちらのやり方も分かっているはずだ。
「今日は、勝つよ」
「俺がか?」
……一瞬だけ歪んだ彼女の眉根を見逃すほどオレは愚鈍じゃないつもりだ。
「私が。ウオッカが、この中で一番速い」
「上級生も、ユメノもアサイチも居るだろ」
「んん、だから倒す」
見るからに強化されているトモ。本人は少し舌足らずな喋り方をするが、その身から発するプレッシャーはまるで可愛くない。
どいつもこいつも耳だけは器用にこちらを向いているし、秘めたる思いが身を焦がしてターフが抉れそうなほど足を踏み込んでいた。コイツ火に油だけ注いで逃げやがったな……。
困るよなぁホントに。そこまでされちゃあさ……!
「リベンジ。アナタもせいぜい頑張って」
「抜かれて泣くんじゃねーぞ」
勝手に頬が吊り上がっていく。
GⅡだからとか、関係ない。ここにいる時点でみんな勝利の味を知っているウマ娘なのだから。相手にとって不足なし!!
『京都レース場。本日の11レースは京都記念GⅡ芝の2200m、スタンド前のゲートインは非常にスムーズです。特に嫌がる様子もなく奇数番のウマ娘がゲートインしていきます!』
1枠 1 エムティーボス
2 サイキマロニエーヌ
2枠 3 ハンダレンティン
4 セイショウナイト
3枠 5 ユメノパスポート
6 ハンカク
4枠 7 ヴィータロゼリア
8 リネントーマス
5枠 9 アサイチタイオー
10 アラバスタサーガ
6枠 11 ケイラッパー
12 タイカイキャリア
7枠 13 クロメッセンジャー
14 アラバスタヘッジ
8枠 15 タイカイソリッド
16 ウオッカ
ここまで上がってきたからにはもうゲートで慌てるやつも居ない。この学年になってまでゲートで暴れるなら相当なゲート難だろう。
『16番ゲート最後にウオッカが収まって態勢完了!』
係員が離れて行って訪れた静寂。息遣い、風がターフを撫でる音。一瞬だけの合図を頼りに視界が緑で溢れ返る。
『───スタートしました!ハンダレンティンが僅かに出遅れか!?他の各ウマ娘はキレイに揃いました!』
加速していく先頭集団を横目にこちらは多少ゆっくりと構える。ちらりと後ろをチェックしながら内ラチに貼り付いて最小距離を行くために、まずは良い滑り出しか。
『スタンド前先頭争いはジワッとリネントーマス、圧してハンカクが上がっていきました!更にケイラッパーが早めに行ってタイカイキャリア、アラバスタヘッジ、タイカイソリッド外目に広がってヴィータロゼリア、セイショウナイト、サイキマロニエーヌ先団ひとかたまり、直後ユメノパスポート、エムティーボスそしてアラバスタサーガ、アサイチタイオー、クロメッセンジャーおしまいから二番手にウオッカです!』
スタートからちょっかいを掛けることなく、ウオッカはゆっくりと加速して出て行った。出遅れたハンダレンティンを除けば有馬のように最後尾から事を進ませることになるが……他のスタミナも考えればちょっと後ろ過ぎる感もある。
────何か、狙ってやがるのか?
『今1・2コーナー中間を通過していきました!ハナを奪ったリネントーマスが行きましたリードを2バ身程築いて、そしてケイラッパー単独の二番手になっています!また2バ身ほど空いてハンカクがインコース側三番手、アウト側タイカイキャリア四番手、続くタイカイソリッド五番手につけていきました向こう正面!その後1バ身差アラバスタヘッジ、間からセイショウナイト首を覗かせて、その内サイキマロニエール、すぐ後ろにヴィータロゼリアとユメノパスポート、そしてここに今日は気合いの乗っているアラバスタサーガここまで10バ身程度あります』
場所取り争いも落ち着き、居場所が決まったウマ娘たちが少しペースを流し始めた。この先、向こう正面の終わり際に待ち構える高さ4mの淀の坂。幾多のウマ娘たちをターフに沈めてきた心臓破りの坂に挑むために直線で息を入れるのが
──────だからこそ
ここで位置を押し上げて中団の、アラバスタサーガの隣辺りまで進出。少し距離が長くなっちまうが…売られたケンカは勝ってやるぜ!なぁ!?
『後ろに控えていたウオッカが向こう正面で仕掛ける!?頭を出してスルスルと上がっていきますウオッカ!!』
「!?なんっ……!」
「ここで加速っ!??何考えてんの!!」
ウオッカが上がってきた驚きで、息を入れられなかったアラバスタサーガ。ペースを崩した差しウマ娘と、ペースが落ちすぎていたのかと
逃げて築いた3バ身の差は無情にもほぼ詰まる形となった。リネントーマスはそれを嫌って早すぎるタイミングで加速を開始する。
冷静なるように努めながら、頭の中で解に行きついたアラバスタサーガは歯軋りした。だがこの状況、周りを掛からせるために息を入れるはずの向こう正面で上がってきたウオッカが一番つらい筈……!
なのに、どうして、………アナタはそこで笑ってるの!?
「あれだけケンカ吹っ掛けられて…黙っていられるわけねぇだろ!」
「……!」
そうだ、そうだ。そうなるように仕向けたのは自分。
体も仕上げてきた。淀の坂を越えるために坂路もたくさんやってきた。あの加速に、スピードに、やられた自分はそれを超えるためにやってきた。昨日でもなく、明日でもなく、今日。超える…。ウオッカを超える……!!
その為の宣戦布告。
「ぶっちぎる…!」
『1000m通過タイムは1:01という時計になりました。3コーナー頂上に向かって軽快に走っていきます各ウマ娘達!必死に逃げるリネントーマスは5バ身ほどリードを広げてまもなく頂上!800を切って坂の下り!その後ですが単独二番手はハンカクでケイラッパー三番手、そして少し詰めてきたタイカイキャリア、サイキマロニエーヌ、セイショウナイト、タイカイソリッド、アラバスタヘッジが続いて今600を切っていきました!』
淀の坂を乗り越え下った先の4コーナー、想像以上に粘るリネントーマスに業を煮やした先団が一斉に詰めだした。
このままだと間に合わない…!
そんな焦燥が先行脚質のウマ娘たちを包み始めた。向こう正面でいっぱい食わされたせいでここからスパートをし続けるスタミナは怪しいが、それでも行かなければ逃げ切られる……!
横に広がって風の抵抗に体を晒すと一気にスタミナが削れ飛ぶ。各々懸命に歯を食いしばりながらスパート体勢に入り始めた!
それでも後は平坦な最終直線を残すのみ、中山ほどではないにしろこの京都も直線は328mと短く悠長にしていては逃げウマを捕まえられず終わってしまう。
『逃げるリネントーマス!だが先団のウマ娘が詰めてくる!4バ身!3バ身!だが粘る粘るリネントーマス!400を通過!!それを追うアラバスタヘッジ、セイショウナイト!───—外からアラバスタサーガ!!アラバスタサーガが一気に前へと上がってきた!?すごい勢いだアラバスタサーガ!!』
後ろへ流れていく600m看板を見て先に動いたのはアラバスタサーガだった。内ラチ沿いは先団が垂れて詰まりに詰まっており、躱す為には外目を追うしかない。
────まだ仕掛けないのか、ならばそこを退け!
ウオッカよりも前に出てスパート体勢を取る。息をつけなかったのは厳しいが、足はまだ残ってる!ユメノパスポートを抜かし、ハンカクを抜かし、リネントーマスを……捉えた!!残り200!ごうごうと風切り音がうるさい!自分の心臓がうるさい!
煩い煩い!
『後…らウオッカ───!?低い!?低い!!どこから来た!?なんだこの加速は!??』
風を切る音が耳を押しつぶし、歓声も何もかもが聞こえない。前には誰も居ない!勝った!勝ったんだ!
ふと左側を黒い何かが吹き抜けていった。地を這うようなあまりにも低いモノ。カラスか何かが横切ったと思ったアラバスタサーガが、それをウオッカだと認識した時にはもうすべてが手遅れだった。残り20mもない自分とゴール板との間にそれが割って入る。
大きく息を吸って、暴れまわる心臓を必死に押さえ付ける。なんだ?何が起こった?拾ったはずの勝利が指の間をすり抜けて、更に強大な力にかすめ取られた。
『ウオッカ!!ウオッカだ!!昨年のダービーから長らく遠ざかっていた勝利を!強引に手元へ引き寄せた!!すさまじい末脚で抜け出したアラバスタサーガをも差し切って!京都記念をもぎ取りました──────ッ』
「お疲れさん。いい走りだったぜ」
ワタシもウオッカも汗が止まらない。体温の上がりすぎた体躯からオーラのように湯気が立ち上り体に纏わりつく。彼女は手を差し出して健闘を称えるように握手を求めてきた。
「なにを…したの……?」
「なにも…?ただスパートで追い込んだだけだぜ」
「それだけ…?」
辛うじて握手に応えることはできた。
……桁が違う。
追いついたと思っていた。勝てると思っていた。埋めたと思った溝はただ引っ掛かっていただけで、足を乗せた瞬間に何もかもを呑み込んでいった。
からからと笑いながら観客へ手を振る彼女に対して感じたのは──────。