タンデムで見た海   作:印旛沼まで徒歩五分

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何故、何故彼は居ないのか───。

あの走りは、彼のものだった。

彼だと明言された訳じゃない。ハマサキは沈黙を貫いているが、しかしあの合同テストでマシンを駆り立てていたのは、今年から加入したような降って湧いた若造じゃない。
3枠目からは明らかにタイヤを傷める激しい乗り方だった。アレじゃあマシンは応えてくれないし勝てない。

後悔している。あの場に居られなかったことを。あの舞うような走りを見られなかったことを。

だが、だからこそ、彼はこの世界に戻ってきてくれたんじゃないかと。淡く期待してしまった。

しかしどうだ?初戦オーストラリアGPのエントリーリストを何度見返しても彼の名は無かったんだ。

何処にも

何処にも────


そりゃああんまりだよ。……あんまりだ。


灯っていく紅いライトを見つめながら、ボンヤリとそんな事を考えていた。


(ラグナ)が果たせなかった三連覇を、もうすぐ(リゲル)が手に入れる。

それでいいのか、君は───?


風は吹き(すさ)ぶ。何もかもを蹂躙する様に。



対抗意識

積み上げたエナジードリンクの残骸が音を立てて雪崩落ちた。

 

帰り際「いい加減処分しなさいよっ!」と人差し指をズビシッと刺されながらぷりぷり怒る彼女に詰め寄られたばかり。エナジードリンクが乾いた後特有の臭いが充満したトレーナー室はそろそろ菌糸類が生えてしまいそうなほど鬱屈とし始めていた。

 

「いけません……これじゃあまた朝までやってしまいますね………」

 

せめてもの償いとして、エナジードリンクをビニール袋へ纏めておく。明日の朝忘れずにゴミへ出さなければ。

 

寝に帰っていただけの自分の部屋も、主人が帰らず3日も経てばそろそろ寂しがっているはずだ。ポストもたらふく郵便物をご馳走されすぎてえづいてる頃合だろう。たづなさんに摘発される前に施錠して帰宅する事にした。

 

 

担当ウマ娘(ダイワスカーレット)の次走は大阪杯を予定しているが、ここに来て息を吹き返した宿敵(ウオッカ)が最大の障壁として立ち塞がりそうなのだ。ライバルの復活と言えば聞こえは良いが、まさか必殺技まで引っ提げて登場とは誰が想像出来ただろうか。

対策を練ってはみたが、良くないイメージばかりが脳裏に焦げ付いて一向にいい案は浮かんでこない。そもそもSNSやパトロールビデオなどの数少ない資料を頼りにする他なく、そのどれもが絶妙な箇所で見切れてしまっているのだ。決定的に欲しい場面が見当たらない。

 

──誰もが彼女(ウオッカ)を見限っていた。

 

2200mの成れの果て。ハナ先を前のウマ娘に塞がれ、残り400mでなお後団に沈み()()()()()()。皆、先に外をぶん回してきたウマ娘の勝ちを予感していただろう。

 

今度の大阪杯はそれよりも200mも短いのだ。あの末脚は決して見逃せる戦力じゃない。ダイワスカーレットは確実に喉元へ刃を突きつけられる。

リギルからメイシンハドソンは出てくるし、前年菊花賞ウマ娘のカラクサカエサル、ユメノパスポートなど実力のあるウマ娘が参戦予定だが、1番怖いウマ娘が覚醒するなど悪い夢だと思いたい。

 

「どうするのが最善か……どう仕掛けるべきか……」

 

スカーレットの事だ。抑えることが苦手な彼女を無理やりに控えさせれば、いらぬフラストレーションを溜めさせることになる。もう少し我慢することを覚えてくれれば不満など消え失せるのにな、と苦笑いが漏れる。

それでも走り切れるように、スタミナトレーニングをふんだんに積ませてきたが余計酷くなるのだからその点はウオッカを少しは見習って欲しい。

 

こんな月明かりの無い夜に歩いている人間など居ないはずだ。ウマ娘寮もとっくに門限を過ぎている。もう動かす思考を放棄して無意識に足をトレーナー寮に向け歩き続ける。

 

 

トレーナー寮の正面玄関は施錠されていて、裏口に回るしかない。建物を回るように駐輪場へ差し掛かると煙草の臭いが漂ってきた。

 

「まさかこんな時間にご帰宅ですかぃ?」

 

トレーナー寮裏手にあるこの学園で唯一の喫煙所。そこには少し長い烏のような髪を揺らして1人の男が壁に背を預けていた。

 

「ええ。どうも。今度の杯を手に入れるにはどうしたらいいか考えていたらこんな時間でして……」

「足りないよナ……24時間じゃ」

「ホントです。最近特大の悩みの種が撃ち込まれましてね」

「クククッ そりゃー大変だ」

「ウオッカ君に何をしたんですか?」

 

乾いた風が吹き抜けて少し思順する間。自分は何をバカ正直に問うたのか。答えてくれるはずもない。

 

「走行フォームの改善」

「それだけ……ですか?」

「それだけ」

 

頭を抱える。

確かに走り方は大事だ。特にメイクデビュー前の我流が染み付いた新入生なんかは少し整えただけで化ける事もある。だが、もう既に完成の域までかかっているシニア級でそれをやるかこの人は…!?納品前日に仕様変更を伝えられるようなものだぞ!!そんな事したら……!()()()()()()()()()んだぞ!

 

「そんなリスクを冒してまで走りを取るんですか……ッ!」

「そうしなきゃウオッカは勝てなかった。分かってる。勝たせてやりたかった」

「……!」

 

トレーナーにとって難しい選択だろう。担当トレーナーとしてウマ娘を無事に終わらせるのか、それを覚悟で走らせるのか…。

 

 

ふと、ざりっと砂利を掻く音がした。私たち二人の足音ではなく新たな者の訪れ。

 

「貴様は煙臭くてかなわん……」

 

寮も門限はとっくに過ぎているためいる筈ないウマ娘。鼻頭に貼られた白いシャドーロールテープ。駐輪場の薄暗い光に照らされたのは長くつややかな黒鹿毛。腕を組みその表情は非常に不満げに見える。もっとも彼女の表情はそれが常に近いところもありコロコロ表情の変わる担当達とは違うクールなタイプなだけに判断がつき辛い。

 

ナリタブライアン(生徒会副会長)がこの時間に外にいる方がどうかと思うがな」

「フン……見回りだ」

「そういう事にしておこうか。話なら聞くぞ?聞くだけだがな」

「無責任な男め」

 

まさかウマ娘を前にして煙草を吹かすわけにはいかないのだろう、サカキトレーナーは灰皿へ煙草を押しつけ揉み消した。視線でずっと相手を突き刺し続けていた二人の内で息が詰まる。ふっと息を吐いたのは自分かそれともナリタブライアンか。

腕を組んで目を閉じ、ストレートな物言いをする彼女にしては珍しく何を話すべきか思案しているようだ。

 

「なぜ、貴様の担当がアイツの走り方をする?」

 

ギシリと、まるで空間ごと歪んだような威圧感がナリタブライアン放たれた。鉛が積まれたように体が重くなり、呼吸すらも出来ているか怪しい。レース中のようにギラついた双眸が向けられる。

 

「あんまり凄むなョ。怒った顔も可愛いがな」

 

この人はこの人で何を言っているんだろうか。わざと軽薄そうに振舞って、やれやれとでも言いたげに肩を竦めてみせる。今にも飛びついてどうにかしてしまいそうなナリタブライアンはそれで気が抜けたのか目を伏せて溜息をつく。

 

「……ふざけるなよ?土をつけられた相手の走り方を忘れられるものか」

「担当が伸び悩んでたから、交流のあったウマ娘にアドバイスをもらった。それだけの話さ」

「……ふゥん?つまりアイツが貴様の近くにいると言うことか」

「アイツっていうのが誰のことか分からないんだが」

「また時間を作る。担当と併走させろ」

「…仰せのままに」

 

言うだけ言ってナリタブライアンは来た時と同じように消えていってしまった。

 

おそらく、リギルでもウオッカの走り方が変わったことを捉えたのだろう。

次の大阪杯はメイシンハドソンも出走予定だ。映像研究ぐらいするはずで、ナリタブライアンはこれが件の()()()の走りだと気づいた。そのアイツと言うのが誰かは分からないが、ナリタブライアンが土をつけられた相手という事でかなり絞られる。

割とこの人、ウマ娘を誑かしてないか?

 

「困ったもんだね」

 

貴方も大概ですが……。

あのナリタブライアンとの併走を取り付けてしまったのだから。まだ新人上がりの自分にとってそういった他チームやウマ娘との交流が少ないのは手痛い所だ。ダイワスカーレットの顔で何とかしているのが現状であるから相手も限られてしまうというのに。

 

「もちろん、併走する時はダイワスカーレットも呼ぶよ」

「お願いします。またと無い機会ですから」

 

どんな僅かなものでも拾ってやる。そう決意を新たにして挑む大阪杯はひどく荒れそうだ。

仄暗い駐輪場の電灯は色濃く影を作り出して、余計にこの人の輪郭を分からなくさせた。一体、どこを見ているのだろうか。

 

 

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