「ちょっと……?あのー……?ここって入ったらまずい場所なんじゃ……?」
おずおずと辺りを見回しながらディープスカイはついてくる。俺も普段はスタンドで観戦するため、資格はあれどこの先にはあまり馴染み無い。
ごった返したフロアを抜けいくつかゲートをくぐると途端に人がまばらになる。スタンドや出店エリアには通過に苦労するほど人が出ているのに、ここだけが切り取られているような奇妙な空間。
「すみませんが、ここから先は関係者以外立ち入り禁止です」
「これでいいですか?」
あまり見せたくは無いがトレーナバッジを警備員に提示する。
……そう、ここは関係者に用意された観覧室だ。
トレーナーが観戦する分には、なにもここでなくもっとターフに近いスタンドでいいし、俺も実際に何か起こった時に駆け付けられるように最前列で観るようにしている。
だがGⅠを勝つようなウマ娘を何人も輩出しているトレーナーや、何万とファンの居るスターウマ娘たちが、ファンでごった返している場にのこのこと出ていけばどうなるだろうか?と言えば、あっという間に囲まれてレース観戦どころではなくなってしまう可能性が高い。特にスター集団リギルのような有名チームのメンバーともなれば、凄まじいネームバリューを誇ることから存在するだけで混乱を招いてしまう。
今日はメインレースがGⅠであり観客動員数も多いから、そういった因子が揃ってしまっていた。そんなわけで観覧室を利用しているトレーナーもいらっしゃるだろうが、隅で静かにしてるから気にしないでほしい。
「えぇ!??貴方トレーナーだったんですか!?」
「一応な」
……前言撤回。静かにできないかもしれない。
観覧室の静かで荘厳な雰囲気に、少し押されるような気がした。
気に留めない者、意図的に無視する者、耳がこちらを向いた者と十人十色な反応を返す。
まず目が合ったのはナリタブライアン、次いで微笑みながらこちらに手を振るのはフジキセキ。マルゼンスキー・グラスワンダーとは面識が薄い為会釈で済ます。そして眼鏡の奥に知性を感じる鋭い視線で東条トレーナーがこちらを射抜いてきた。相変わらず苦手なんだよな……この人。
「あら、珍しいじゃない。アナタがこっちで観戦だなんて」
「俺としたことが場所取りを忘れましてね」
「今日は人が多いもの。仕方ないわ。注目のカードだものね?ダイワスカーレットVSウオッカの同期対決」
「確かメイシンハドソンっていう強いウマ娘も出ている筈なんですが」
「ええ。もちろん仕上げてきたわ」
「……お手柔らかにお願いしますョ」
理解を示しつつもこちらに向けられる視線は暖かいものでは無い。明らかに敵意の籠った……そう、馴れ合うつもりはないとでも言うような視線。まだサブトレーナーだった時のナリタブライアンとサクラローレル然り何かと当たることが多いからか?
ここに宮下も居ればまだ違ったのだろうが、残念ながらヤツはターフの近くで観戦しているらしく此処に姿は見えない。
「……おや?ディープスカイじゃないか」
「あっ…こんにちは、寮長」
まるで借りてきた猫のように縮こまる彼女は正直見ていて面白い。
確かに学校が同じだけで、チームも違うし学年も違う先輩と関わりがあるかと言えば微妙と言えるだろう。中央トレセンに限ってもウマ娘で2000人を超えるのだから、得てして生徒間は関わりもないまま終わることが殆どだ。片方が名を馳せるスターウマ娘なら尚更。
……だからといって他人行儀が過ぎるだろディープスカイ。
「……珍しい組み合わせだね?」
「諸事情で保護してな。そのまま帰したんじゃまた迷子になるだろうからレース後にチームメンバーと合流させるよ」
「迷子じゃないですぅー!ちょっと自分探ししてただけですぅー!」
「喧しい」
「アッすみません……」
ナリタブライアンに一喝されディープスカイが即座に
ターフの上での準備運動である返しウマも終わり、選手たちは各々コンディションを整える。
スターターが台に上がり旗を振ると、響き渡るファンファーレ。観客は思い思いに手拍子で合わせたり、推しウマ娘に声援を送ったり。そのファンからの期待を一身に背負い、ウマ娘達はゲートへ収まっていく。
1枠 1 ダイナムアロウ
2枠 2 ジーク
3枠 3 サンセットミックス
4枠 4 コリカンチャ
5枠 5 フライトウィロー
6 カラクサカエサル
6枠 7 メイシンハドソン
8 テーシンレピティ
7枠 9 ダイワスカーレット
10 アラバスタサイン
8枠 11 ユメノパスポート
12 ウオッカ
『花が爽やかに咲き始めた阪神レース場、さぁ、この季節を待ち焦がれた人達も多いでしょう。レース場内は7分咲きから8分咲きと言った所、クラシック級に先駆けてひと足早くシニア級の季節は訪れます!昨年クラシック級で火花を散らした同期のウマ娘2人が満を持して阪神で激突!』
『注目のGⅠ3勝、ここまで連対率100パーセントのミスパーフェクト・ダイワスカーレット!』
『昨年ダービー以降勝ちに恵まれませんでしたが、前戦京都記念はなんと衝撃の残り50mからの逆転劇!復活した常識破りの女帝ウオッカ!』
『秋の盾を戴き、より熟成されたレース運びはこの2人をどう料理するのか?シニア級を戦い抜く手腕は伊達じゃない!メイシンハドソン!』
実況アナウンサーの巧みな前口上が読み上げられ始める。よくもまあ噛まずにスラスラと読み上げられるものだ。俺だったら『花が爽やかに咲き始めた阪神レース場』で3回噛んでる。なんなら噛みすぎて口内炎覚悟するレベル。
メイシンハドソンはずいぶん気合いが乗っているようだ。少し入れ込んでいる様子すらある。昨年の皐月賞ウマ娘ジークもシニア級に上がって初GⅠという事もあり少し緊張した面持ちだ。
対称にダイワスカーレットは落ち着いた様子で歩を進めゲート入りを待つ。緊張とも、リラックスとも違う、されど
そしてウオッカ。吹き抜ける風に身をさらして天を仰ぐ彼女は、表す言葉を探せないほどターフに
……あぁ、ダイワスカーレット。――――スカーレット。
お前は強ぇよなぁ……。見ればわかる、理解らされる。身体から発する
ジークは強い、カラクサカエサルの大逃げだって怖い。ユメノパスポートもメイシンハドソンもそう簡単にはいかないだろう。だが、それでも、その時に
2番、4番、6番とゲートに収まっていく。係員に促され、オレもゲートに収まると共に後ろの鉄扉がゆっくりと閉められた。
「――待たなくていい……すぐに行くぜ?スカーレット」
眼前が開けるほんの少し前、耳に届いたほんの少しの音を頼りに全身のバネを使って弾かれたように飛び出すと同時。花薫る風が散らした向こう側、杯を飲み干せるのは唯一人!
『最後に大外12番のウオッカが収まって態勢完了、天皇賞へ向けて、宝塚記念に向けていざ――――スタートしましたッ』
少し出遅れた3番のサンセットミックスは行き場がなく、後ろに追いやられることになった。ジークが前に行き場所のないダイナムアロウも下がらざるをえない。
カラクサカエサル、テーシンレピティ、ダイワスカーレットの逃げ作戦と思しき3人は芝を抉り飛ばす猛烈な加速で1コーナーへ突っ込んでいく。やはり、カラクサカエサルを抑えペースを落とすのならば自分がハナを行く他なく、やはりダイワスカーレットは逃げで来た。
その後ろに内側のジークが付き、次いでメイシンハドソン、そして図らずもマークするような形でウオッカが追走していく。
「……いい度胸ね」
「さすがスカーレット先輩!」
部屋のあっちとこっちで温度差が凄い。静かに分析して事を見守るリギルメンバーと、尊敬しているらしいダイワスカーレットがハナに立ちウッキウキのディープスカイ。
……東条トレーナーの「いい度胸ね」は俺がウオッカにメイシンハドソンのマークを指示したと思われてるっぽい。俺は全く関与していない事を申し上げておく。
『さぁ何が行きますか先行争いは、内の方でちょっとサンセットミックスは下がりました!内の方から上がってきたのは2番皐月賞ウマ娘ジーク、外からやや加速しながらテーシンレピティが出て参ります!その外からアラバスタサインそれからカラクサカエサル、メイシンハドソンは5番手、そしてウオッカ!今日は前目につけてメイシンハドソンに合わせるように加速していきます。そして第一コーナーここでダイワスカーレットが行った!ここで一気にハナを奪いましたダイワスカーレットであります!』
『1コーナーから2コーナーへ、先頭は今日も蒼くたなびく勝負服ダイワスカーレット2バ身のリード、二番手でありますが外を行きますカラクサカエサル菊花賞ウマ娘、内々テーシンレピティ三番手、黒い帽子にピンクの外套ジーク、その外に二冠ウマ娘メイシンハドソン五番手であります、その後ろ今日は前目についたダービーウマ娘ウオッカ』
『六番手ここに居るフライトウィロー、内にサンセットミックス外にアラバスタサイン、ユメノパスポート、コリカンチャが後団、そして殿からダイナムアロウの展開で1000m通過は1:01ぐらいであります!』
「…? スカーレット先輩ちょっと抑え気味?」
ハナを取ったダイワスカーレットがペースを落とし、1000m通過は1分1秒と来た。困ったな。ダイワスカーレットは明らかにペースを抑えている。この展開のまま進めば逃げがスタミナを残したまま前残ることになる。
「さっそく仕掛けてきたか…宮下……」
カラクサカエサルというウマ娘は先行逃げ型の、どちらかと言えばステイヤー気質なウマ娘である。
ミドルディスタンスで逃げるのはそれをできるだけのスタミナがあるからで、加速は少し苦手なものの、内にテーシンレピティが挟まったからと外目を回ったところで問題のないスタミナが備わっていた。
「やっぱり加速勝負じゃ届かないか……!なら!」
スタートは決まったものの1コーナーでダイワスカーレットにハナを取られてしまい2バ身ほどのリードをつけられてしまったが、2コーナーで距離を詰め1バ身まで迫る。
(……まだ早いか)
そのまま詰まるダイワスカーレットとの距離に少しだけ速度を緩め巡航する。まだ半マイル、いくらスタミナ自慢と言えど仕掛けるには早すぎる。
しかしまだ近づいてくるダイワスカーレットの背に、己のペースを疑った。
(まだ少し速い……?テーシンレピティも落としてるし、もうちょっと落としても大丈夫なはず)
ここで異変に気付いたのはその後ろを追走するメイシンハドソン。不自然に近づいてきたカラクサカエサルとテーシンレピティを、彼女は己の体内時計を信じてハメられてると断じた。
(ッ……!このままいけば1000m通過は61秒ちょっと……!スローペースに持ち込まれている……!)
懸念事項は潰しておかなければならない。カラクサカエサルとテーシンレピティに迫り、逃げ焦りを掛ける。さらに前の二人へわざと聞こえるように呟く。
「明らかにスローペース…このままじゃダイワスカーレットが逃げ切るわ……」
後ろから聞こえた「明らかにスローペース」という声に、焦ったテーシンレピティはそうはさせじとダイワスカーレットに迫っていく。カラクサカエサルも少しペースを上げてダイワスカーレットに迫ると彼女はブロックラインを使って前には出させない。
(やっぱり少し控えてるんだ……!!)
ダイワスカーレットに並びかけるようにして迫る内側のテーシンレピティと外側から捲ろうとするカラクサカエサル。
それを見たメイシンハドソンは無理に仕掛けようとはせず控えることに徹した。一時的に先頭集団は近づいたり離れたりするが、ここで無駄にスタミナを消耗するわけにはいかない。
……先頭が怖いのは確かだ。しかし後ろに脅威があるのもまた確かなのだ。その脅威は不気味に息をひそめ自分を風よけにして控えていた。
トレーナーから見せられた京都記念の上がり3ハロンの動画。
抜け出したアラバスタサーガを更に差し切った豪脚。悔しいことに自分にはあそこまでの加速はできない。場所を見極めろ。その時は来る。
『さあ第3コーナーの桜は7分咲き!去年の桜を思い出しているのでしょうか?先頭ダイワスカーレットは1バ身のリードをキープして半マイルを通過、テーシンレピティとカラクサカエサルはそれぞれ内と外から前を伺う体勢!』
向こう正面から3コーナーに入りカラクサカエサルがダイワスカーレットに並びかけ始めた。
内を詰めたダイワスカーレットは巧みに内ラチとの間を抜けられない程度の隙間に保つと、コーナーで少し減速した。これによってスパート体勢に入り始めた後続集団との距離が無くなり、スローペースだったことも相まって一気に先頭集団は密集した。
(……やはりやってきたか!ダイワスカーレット!)
『3コーナーから4コーナーへ、先頭変わらずダイワスカーレット!、外に並んでカラクサカエサル!メイシンハドソンがテーシンレピティの外へ合わせていく!その後ろにフライトウィロー、ユメノパスポート、ジークと広がって並ぶ!』
テーシンレピティは絶妙に塞がれた内ラチ沿いを抜けることができず、これによって内に進路を取ったユメノパスポートやフライトウィローたちは詰まって仕掛けることができない!これに気付いたメイシンハドソンはカラクサカエサルのさらに外目へ体を持ち出そうとする。
――――後ろに居た筈の気配が消えた。
「ッ!!?」
その瞬間、前のダイワスカーレットがとてつもない足音を響かせて加速していく。……あぁ、私は間に合わなかったんだな。
「こうして上から見ていれば、何ともない物なんだがな」
「そうだね……。ただ外目に持ち出してスパートを掛けてるって所かな」
「実際に走っていると、
「……」
「ククッ」
犬歯が見えるほどに頬を吊り上げてナリタブライアンは笑う。求めていたものが見つかったように、そしてそれを壊すのが堪らないといった愉悦を含むような、笑み。
『あと直線の攻防は300mを切った!!カラクサカエサルがダイワスカーレットに並び――――ッ加速!ダイワスカーレット加速!!後続を千切りにかかる!!』
『後ろからメイシンハドソン、ジーク、ユメノパスポートも来ているが!!しかしダイワスカーレット!!リードを広げ……いや…!居た!一人居た!!メイシンハドソンの更に外からウオッカが飛んできた!!どこから来たんだウオッカぁ!!』
上手くいった!見事に途中で掛かったカラクサカエサルとテーシンレピティが釣れ、4コーナーで後続の蓋にすることに成功した!!メイシンハドソンは外目を回らされ、テーシンレピティに詰まった後続は内から来ない!
4コーナー抜けて最終直線。ここまで上手くいったのに、本能が加速しろと伝えてくる。
――――このままじゃ間に合わないと伝えてくるッ!!
スローペースに持ち込んでスタミナは十分に残した。後ろは塞いだ。加速で勝るカラクサカエサルを千切り、ゴールまでもう100mもない。一気に心臓が空気を欲し、足は疲労を伝えてくる。ペースを抑えた2000mと言えども身体には確実に負担が来ていた。
なのにアタシは全開で加速する!最高速を超えろ!
「――――よォ!!待たせたなスカーレットォ……!!」
「ハッ…遅すぎて沈んだかと思ったわよ!!」
ほんの少し後ろから、アイツの声がした。耳に、腹に響く炸裂音はどんどん真横に来た!
しかし譲る気はない!アタシが……アタシが1番なのよ!!
「はぁぁあああああああああ!!!」
「うおおおおおぉおおおおお!!!」