「かぁ~目いてえ!!契約書類ってこんなにあるのかよぉ!!」
うがぁと頭を上に向け、手で髪をガシガシと掻くウオッカ。書類にサインして必要事項を記入していくループを3、4回続けたところでついに決壊した。
どうやら事務仕事は向いてないらしい。
今日はトレーナー室の確認と、URAに提出する書類やトレセンに提出する申請書などの作成があり放課後のトレーニングは休みにした。先日の選抜レースの疲労抜きも兼ねている。
「俺もめんどくせえと思うんだが、こればっかりは出さないと競走バ登録されないからな」
「第一トレーナ室もなんでこんな端っこなんだよ?もっと広いところあんじゃん」
「新人がそんなところもらえるかよ…そういうところはな、チーム持ってるトレーナーに優先的に割り当てられんの」
「それでももうちょっと広かったと思うんだが…」
残念ながら我がトレーナー室は、トレーナー棟の入り口から一番奥の物置のような部屋を改装され割り当てられたらしく、他の部屋より幾分狭い。ソファやデスクは置いてあるが、もうワンルームのような感じである。日当たりが良いのと、冷暖房がすぐ利くことがメリットであるぐらいか。
「うぅ…じゃあ何か楽しい話しながらやろうぜ!こんなんじゃ気が滅入っちまうよ…」
「楽しい話なぁ…」
コイツとぱっと思いつく話といえばバイクの話ぐらいしかない。女子学生相手にその話題はどうなのよ?って感じだけど。
「お前さんはなんか乗りたいバイクとかあんの?」
「乗りたいバイクか?そりゃいっぱいあるぜ。最近だとウマハのYZL-R1とかZX750かな。あのクロスプレーンの音がたまんないよな!」
リッターSSと来たか…。スピードを追い求めるウマ娘としてはやはりああいったスピードの出るデカいのにあこがれるんだろうか。
「ウマハ党なのかい?」
「父ちゃんが乗ってたのがウマハの250だったんだよ。それでかな」
「なるほどねぇ」
「トレーナーはあのXRZの他に何か乗ってたのか?」
「んー。ネイキッドばっかりだナ。免許取って初めては親戚からホンマのVT250スペードもらってな。そのあとに自分でホーネスタ250買ったんョ」
「おぉ!クォーターマルチじゃん!」
「まあ、ホーネスタの方は峠で散っちまったがな…SR忠夫のフルエキ入れたばっかでさ」
「マジ?もったいねぇ…」
「マフラー変えて音がたまんなくてね。調子乗ったんだよ。俺はガードレールに引っ掛かったけどバイクは谷底にサヨナラ」
いかん…また話が暗い方向に脱線してしまった。散ったお恥ずかし話なんて自慢にもならん。ライダー同士で話すと、散った自慢大会が始まってしまうからナチュラルにやってしまった。はいはい閉会閉会!!
「警察にも良く生きてたね(笑)、なんて笑われちまってサ。お前さんもバイクに乗りたいんだったらプロテクターはしっかり装備しなよ?最低でもOHMINEのプロテクターと、ヘルメットはAroiかSHUEIどっちにしとけョ。ハイこの話終わり」
「おう…なんか実体験の話は凄味があるな…。っし、書類できたぜ?」
「ん。チェックするわ」
書類はあらかた終わったので今後の方針を話し合っておく。どのレースを目指すのか適正距離との相談になるので大事なものだ。
「ウオッカは何か取りたいレースはあるのか?クラシックとかティアラとか」
「オレ、ダービーを獲りてぇ!父ちゃんと見に行って競走バを目指したんだぜ」
日本ダービー東京優駿。東京競バ場で開催されるクラシック三冠の一角にして2400mの中距離レース。一生に一度のクラシック級でしか出走できない。ダービーを獲れればやめてもいいという子もいるぐらい、注目度のある格式高いレース。
そうと決まれば、自ずとやることも決まってくる。
「おーし、今日は解散。明日までにメニューは考えてくるから蹄鉄とかの準備しといてくれ」
「おーす。また明日な」
ウオッカがトレーナー室を後にする。
これからまた忙しい日々が始まっていく予感に、ため息をついてしまう。まさか俺があんな力を秘めたウマ娘を見ることになるとはな。気づかぬうちに頬が吊り上がってしまっていた。
「ダービーか…」
*****
トレーニングプランの組み立てを行っていたら、ずいぶんな時間が経過してしまっていた。もう陽も暮れているどころか、夜もとっぷりと更けており寮の門限時間を過ぎている。
まぁ俺は寮住みじゃないんだがな。そもそもトレーナー寮については門限が無いので、トレーナー棟でそのまま泊まり込むワーカホリックなトレーナーも居たりする。
帰る支度をして駐車場に置いた愛機を前に煙草を吹かしていると、こそこそと警備の目を盗み裏門を抜け出していくツインテールが目に入ってしまった。何してんだあいつは…。
この時間で人目に付きにくい場所であれば神社だろうか?あの長い石段ならずいぶんいいトレーニングにはなるはずだ。しかも彼女が抜け出していく姿を見るのはこれが初めてではない。
それを連日続ければダメージは計り知れないものになる。トレーニングに授業もやって夜も休んでないんじゃ、そのうち怪我をしてもおかしくない。
見なかったことにしてもいいのだが、いつからそうしているのだろうか。あの思いつめる掛かりやすい性格なだろう彼女の事だし、おそらく止めが入らなければ壊れて取り返しのつかないところまで続ける予感がする。
「困ったもんだな…」
「どうすればいいですかね…?」
「うおわぁ!?」
いつの間にか背後に一人の男が立っていた。すっきりとした優し気な顔立ちにすらっとした身長に体格。同じバッヂをつけてはいるが向こうの方が輝いて見える。はぁいけ好かんわ…。
「っと、すみません。私は宮下と申します。えっと」
「坂城ですョ」
「坂城さんですね?私、今年ようやく正式にトレーナーになれた新人でして…」
「それに関してはオレも同じようなもので、大した経験もないから聞いても無駄ですョ」
「これは手厳しい。あまり怖い顔しないでくださいよ」
「この目つきはどうしようもないもんでしてね…」
煙が相手に掛からないように下に向けて息を吐き、煙草をもみ消して向き直る。俺が猫背だからかもしれないが見上げなきゃいけない身長差だ。
「——で、ダイワスカーレットの事ですよね?」
「えぇ、選抜レースの時に彼女の走りに惹かれまして。スカウトはしてみたんですがフラれてしまいましてね。」
「…そこから観察していたんですが、近ごろかなり疲労した顔つきになり、体もふらついていて危険な状態です。すぐに止めたいと思ってるんですが」
「おそらく、アレは僕らトレーナーが出張って止めろといったところで続けると思いますよ」
「あのタイプは比較される事を嫌うんじゃないかと思います。君“にも”勝てる力があるとか、アイツ“のように”とか、そういう言い方は逆鱗に触れちゃうんじゃないですかね」
「…。」
「覚えがありそうな顔してますね」
「お恥ずかしい限りで…。ですが彼女をスカウトしたいのは確かなんです。彼女には1番になってほしい。1番であってほしい。そのためなら私は協力を惜しみません」
「それを他のウマ娘もってるトレーナーの前で言いますかね…。そのまま伝えればいいと思うんですが…」
ジャケットに袖を通しチャックを上げる。もう話すことはない。鍵を回し愛機に火を入れ、彼の目を見て向き直る
「ダイワスカーレットはおそらく神社でしょうよ。あの性格であればウオッカに負けた選抜レースを引き摺って、自主トレを続けてるんでしょうがこのままだったら間違いなく彼女は潰れます。」
携帯を取り出して、メッセージウィンドウを開く。いつの間に入っていたのか分からないが、栗東の寮長を通して、女帝に一言だけメッセージを送っておいた。
『ダイワスカーレットが寮を抜け出してんぞ』
その画面を目の前の宮下に見せる。
「俺は彼女が潰れるのを見るくらいならこうします」
「悪い人ですね…」
「もちろん…悪い人間って必要だと思うんですよ。こういうことに関しては。宮下サン、あなたはどうします?」
*****
トレーナー室のこの狭さに慣れたようで、彼女がぶー垂れることもなくなってきた。俺は結構好きな広さなんだが。
トレーニングメニューをウオッカに伝えていく。
「来年のクラシックの日本ダービーを目標にして、今年はデビュー戦から阪神ジュベナイルフィリーズを目指していこうと思う。とにかくレースに慣れてもらうのと、レースでの体の使い方を吸収していってほしいから、模擬レースとオープン戦は随時計画していくョ」
「オッケー…。レースに関しては文句はないぜ、ウッドチップに坂路に…ただコースの走り込みで右回り左回りの周回数まで指定されてるのはなんでなんだ?追加で走っても10周までって…」
「それに関しては、いくつか理由があるんだがな。まあ納得してもらうために説明しておくか」
ウオッカがこちらに向き直る。ホワイトボードを使って書き込みながら説明を行っていく。
「一つ、右回り左回りどちらのレースでも走れるように慣れてほしい。二つ、スパートで踏み込んでいくポイントが右と左で異なるからそれを探っていってくれ」
「うん」
「で、これが一番の理由な。足の負担を均等化したい」
「足の負担を均等化…?」
「そうだ。遠心力、体重、足の踏み込み、速度、そういったものがコーナーで曲がるときにはアウト側で踏ん張る足に一気にのしかかる」
———車のレースを想像してほしい。サーキットには左、右コーナーとあるが、全開速度でコーナーを曲がる時は、アウト側のタイヤに大きく負担がかかる。そしてコースレイアウトによっては、片側のタイヤがより激しく削れていることが如実に分かるほど消耗するのだ。よってレースでは右タイヤ2本、左タイヤ2本と変則的なタイヤ交換を行うレーシングチームすらある。
これは車のレースの短期的な話になる。
これがウマ娘ならどうなるだろうか。速度や重量の違いで、車ほど消耗するわけではないがコーナーアウト側で踏ん張る足にはかなりの負担がかかる。この負担が片側だけに蓄積すればどうなるだろうか?
「というわけだ。長期的に見て故障をさせないためのメニューさ。だからここはオーバーしたらちょっとうるさく言うぞ。それにお前さんは足のサイズが左24.5で右24.0になってる。無意識的に左を軸足にしてることからそっちに負担が集中しやすい。そこを矯正というか、どっちの足でもイケるようにしたい」
「そういう事か…でも、もうちょっとやりたいとかそういう時はどうすりゃ…」
「もちろん相談してくれれば、足の負担の少ないメニューを考えるさ。水泳とか上半身の筋トレとか基礎トレとかな」
「——そうだトレーナー。トレーニングには関係ないんだけどさ…」
「おう、どうした?」
「最近、スカーレットが夜に寮抜け出してんだ…。たぶん走り込みしてんだろうけどアイツはまだトレーナーも居ないし、オレが言っても止めないからどうしたらいいかと思って…」
耳をへにょりと折り曲げ悩むウオッカ。尻尾も垂れていてよほど心配しているんだろう。そういえば寮では同室だったな。
「それに関しては、たぶんすぐに解決する」
「え?どういうことだよ」
「裏門から抜け出していくところ見たからフジキセキにチクった」
「うわ…他力本願じゃねーか……」
「っせーな。そもそもぽっと出のトレーナーが言ったって聞きやしないだろアイツ。あのタイプは憧れの人に注意された方がよっぽど聞くもんだ。副会長様とかな」
その辺に関しては俺が悪役になってしまったわけだが、夜に寮を忍び出て勝手に徘徊する悪い子には効果的なお仕置になるだろう。それにもう一つの方も近々解決するはずだしな。頼むぜ優男。
「それよりもお前さんは自分のレースに向けて詰めてくぞ。京都競バ場でデビュー戦だからな。」
「おいっ!?それを先に言ってくれよ!!!」
バイク用語解説
クオーターマルチ
クオーター+マルチ。排気量1000㏄でリッター、クオーターは1/4という意味で250㏄を指す。750㏄はナナハン、250㏄はニーハンという言い方もします。
マルチ=4気筒エンジンの事、単気筒でシングル、2気筒でツインといいます。ひと時こぞってバイク各社が250㏄4気筒のバイクを作っていたため現在でも人気のある車種が多いです。