───彼の第一印象を聞かれれば“今にも消えてしまいそうな
何かを諦めたかのような深い双眸に仏頂面。手入れも疎かなのだろうボサボサで長めの黒髪を後ろで一つ結び。
新人らしいフレッシュさなんて微塵も感じられなくて、チームメイト達とどう接して行こうか迷ったものね。
他のチームの新人サブトレーナーは皆チームも関係なく明るい笑顔で挨拶してくる中で、彼だけは霧がかったような、頭に直接入ってくる低い声で話す。
話し掛けてもレスポンスは「……ああ」とか「……いいんじゃないか?」とか一言で終わってしまうばかり。会話のボールをキャッチしては投げ返して来ないし、これでは弾むハズの会話も沈むばかり。一体トレーナーは何だってこんな
それでもウチのチームには構いたがり世話焼きたがりが多かったからか、絡みに行くウマ娘は多かったように思う。たぶん、そういうタイプの性格には刺さるんだろうね。ダメンズ特攻ってやつ?
そこからチーフトレーナーの提案で、ウマ娘たちに混じって彼も同じようにトレーニングをする事に決まったんだ。
「ああ、これはもう辞めさせる為に仕組んだんだな」と思ったよ。ウマ娘のトレーニングにヒトがついてこられるはずがない、心を折るためのモノだって。
でも、彼は文句のひとつも言わずに、私たちの補助から先輩達の追い切りまで何でも一緒にやってたんだ。ウエイトとかどうしようも無いこともあったけど、みんな意外に思ってたし私もビックリしたよ。あの雰囲気からして絶対耐えられないと思ってたからね。
その姿を見て、ちょっとずつでも会話してみようと思って話し掛けてみるとやっぱりレスポンスは悪いけど、彼は私たちを無視することはしなかった。
助言を求めてみたりすると最初は渋い顔で「チーフトレーナーに聞け」なんて言うけど何だかんだ答えてくれて、彼のアドバイス通りに走ってみれば、初めての重賞で3着に入着できて、自分の走りに少し自信が持てるようになったかな。
それから少しして、何となく彼とも打ち解けてきたかなと思った頃、チーフトレーナーから「彼にキミ含む数名のプランを受け持ってもらう!!!」と伝えられた。より実戦形式に近づけて、少しでも早く独立してもらいたいのだろう。
もちろんチーム内での事だから移籍するということではないし、不満があるようならチーフや先輩にすぐ相談するというバックアップ体制もあって、私、タロットダンサー、ノールブライトの3人が彼の管理下になり、レース出走やトレーニングメニューは彼が作成したものを
「新人に3人もつけるとかどうかしてるだろ……」と文句を垂れる彼に私たちじゃ不満なの?と3人で迫った事もあったっけ……。そのせいで彼が理事長に呼び出されちゃった時は、3人大慌てで誤解を解きに行ったけど。はは、若気の至りだね。
彼と接していく上で、段々と慣れてきて、会話をして、人となりが分かってきた。どうやら
分かって、知って、少しずつ私の中を埋める彼のもの。なんでだろうね、他の人より彼を知ってると、少しだけ嬉しく感じちゃうんだ。……なんでだろうね?
楽しそう?……そうだね!すごく楽しかったよ。私にとってかけがえのない日々だったなって今でもそう思うよ。え?もっとトレーナーの事を聞きたい?ちょっと~この欲しがりさんめ!彼はあまり良く思わないだろうからちょっとだけよ?……これは私の思い出なの。
……すっごく甘党なこと。
トレーニングの様子や改善点などをまとめて、チーフトレーナーに報告するレポートを作成していた彼とチームルームで二人になった時。
私も勉強に一段落ついて、休憩するからコーヒーでも飲む?と提案すると「頼む」って言うから、ブラック珈琲を淹れて渡したんだ。眠気が覚めるし、何より私はブラック派だったからそのままね。
ひと口含むと彼は仏頂面を歪め、思いっきり渋い顔をしてミルクとシュガーとシロップを求めてきた。もう笑っちゃったよね。
「よくこんな苦いもの飲めるな」なんてそう
一体どれ程入れるつもりなのかと疑問に思いながらもそれぞれ瓶ごと渡したら、味が分からなくなるレベルでドボドボと注ぎ、慌てて止める私に疑問の声を向ける。いやいや、それはもう別物だし体に悪いよと窘めると彼はいつもこの量だと。体に悪すぎる。
さすがに私も看過できなかったから、カフェオレを淹れてあげれば「飲める」と答えるのでこれで我慢すること!と言いつけた。その時から二人で休憩する時はカフェオレを、不満や抗議の意がある時はブラックを渡すようになった。
彼もそれを察しているのか、ブラックを渡した時はそれとなくこちらを窺って、小さくなりながらコーヒーをちびちび飲む。やっぱり渋い顔をするもんだから、笑えちゃって大概それで許しちゃうんだけどね。
……体内時計が異常なレベルで正確なこと。
先輩たちの追い切りの手伝いでハロン毎のタイムを紙に記録していく作業をしていたが、彼は計測器を使用しなかった。
ストップウオッチすら使わずデタラメな数値を記録されたんじゃ、此方も堪らないから抗議して計測器と見比べてみると10分の1秒もズレていない。
「いつの間にチェックしたんだろうね」とチームメイトと首を傾げ合い、次の先輩を記録する姿を見ていたらやっぱり彼は計測器を使ってない。どういう事か問い
そんな眉唾な話あってたまるかと、先輩も交えて計測器と彼の書き込んだタイムを比べてみると100分の1秒まで誤差がなく、むしろストップウオッチによる計測遅れを指摘してきた。
ラップタイムだけでなく、あと何mでこのペースならタイムはこのぐらいになるとか、そういうのも正確で誤差がほとんど無かったよ。いったいどんな生活をすればここまでの域に達するのかな?ってちょっと怖かったよ。
……レース技術が他のトレーナーとケタ違いなこと。
ウマ娘のレースではフィジカルはもちろん大事だけど、レース中に使える
よって指導教官の講義やトレーナーのレース技術講義では抽象的な表現になってしまい、ウマ娘側との
先輩に聞こうにもプロキオンには感覚派の人が多く「ギュッと溜めて間をバッと抜けてズバーン!!」なんて説明されてしまっては、ありがとうございましたとお礼だけお伝えするしかなく、他チームの先輩に尋ねたところで生返事だろうから困り果てていた。
彼にレースの技術を尋ねてみると、まず空力の話から始まり、速度によるコーナーでのGの掛かり方などの理論的な話から、脚や蹄鉄の消耗の話、防げない抜き方とか気配の消し方なんて実戦的なことまで、まるで
どれも、相当な経験値。しかもそれを日常的に使いこなしていなきゃ説明できないような身に付き方。私たち
……バイクが好きなこと。
広大な敷地を誇るトレセン学園はウマ娘寮の美浦・栗東の他に、トレーナー寮と職員寮がある。
諸問題のためか正門と裏門という、敷地の正反対に建てられてはいるがこの付近の家賃に比べれば格安で入寮でき、室内も立派なものらしい。立ち入ったことは無いから分からないが、家族寮としても困らない設備だそうだ。
しかし彼は寮から出ていくところを見かけず、オフの日にルームメイトやチームメイト達とお出かけしても鉢合わせる事が全くない。
出不精過ぎじゃないだろうかと思ったし、まあそうかとも思った。その時の私は、完全に彼の雰囲気だけで決めつけていたが、ちょっと良くない事だったと反省しているよ。
正門は校舎に合わせた時間しか開いていないから、河川敷を走ったりお出かけしてて開門時間を過ぎたウマ娘達は
華やかで西洋風なウマ娘寮に比べ、トレーナー寮や職員寮は普通のマンションみたいな外観をしている。駐車場もあって高めな国産車や外国車など色んな車がまばらに止まっていた。
嫌な事を言うと、こういう所にもトレーナーとしての格が出てしまう。トレーナーの給料というのはトレセン学園から支払われる給料と別に、URAから担当ウマ娘のレースの着順による報酬が入るのだ。つまり高級車は、それを買えるトレーナーはそれだけウマ娘を勝たせることが出来るという証明のようなもの。
好きな車にずっと乗っているウチの筋肉トレーナーのような人も居るが、大体の人がお高そうな車を買う。駐車場を観察して高い車に乗っているトレーナーに逆アプローチかける、なんて打算的な娘も居るんだって。
ロードワークを終えて裏門から敷地内に戻る。
まだ街が起き始めるには早い時間で、私もいつもより目覚めが早かったものだからルームメイトを起こさないように忍び出てきた。
春眠暁を覚えず。今がいちばん気持ちいい時期だ。早く起きたらロードワークしよ!?なんて言ってきた彼女の目覚まし時計が叩き潰されてしまったのも仕方の無い事だろうか。
ゆっくりと歩いて呼吸を整えて、汗をかいたからシャワーを浴びようかな、なんて考えてたら耳慣れない音が裏門から入ってきた。
低く唸って、お腹の奥に響く重低音。まるで鼓動のように一定のリズムを刻む金属のノイズを奏でる1台のバイク。ウマ娘にはちょっと……いや、煩いかも。だいぶ。
原付に乗ってる職員さんは居たけどあんな大っきいバイクに乗ってる人なんて居ただろうか?警備さんが通したんだから関係者なんだろうけど。
ヘルメットで顔は見えないが、どんな人が乗っているのかと興味半分、あとの半分はうるさいと文句でも言おうかと近づいた。
ヘルメットを脱いだ人はとても見覚えがある顔。というかサブトレーナーだった。ウチのチームの。
彼は寮ではなく一人暮らししていて、バイクで通勤していたようだ。そりゃあ、トレーナー寮から出てくる所なんて見ないわけだね。彼から漂う独特の、油のにおいというか鉄臭いにおいはこれのせいだったのかな。
でもね、バイクの事を聞いてみたら「好きだな」って言う割には彼は全く嬉しそうな顔をしないんだ。
そう、義務?というか強制?はちょっと違うかな。彼は「習慣」なんて言ったけど……上手く言えないな。離れたくても離れられない、そんな感じ。
そう……
……ウマ娘はそんなモノに乗らなくても立派な足がある。その辺を走る車なら余裕で抜かせるし、私は長距離を走るスタミナもあった方だ。
行きたいところがあればこの足で行けるから、私はバイクという物に全く明るくなかったし微塵も興味なんて無かったから、間近で見る機会も当然無かった。
だが調べてみれば、故障して走れなくなってしまったウマ娘や、引退してセカンドライフを送るウマ娘がバイクを買って旅をしたりと一定数需要があるようで、まだ知らない世界があるんだってちょっと感心した。
結局、私も
「車なんてどうしちゃったの?」
「まぁ……色々あってな。馬運車にできたし遠征用ョ」
遠征用ならもっと乗り心地の良い車を買えばいいのに。なんて、私はお金を出したわけじゃないからその人のものにケチをつける権利はないけど、ウオッカちゃん凄いなぁ。
良いところに連れて行ってくれるって言うから、今日は調布駅で待ち合わせたわけだが、相変わらず電車移動は好きじゃないらしい。
大きな国道を少し走って道沿い、住宅街に入る道の角っこに、こじんまりとしたバイク屋さんがあった。そこを曲がって裏手の駐車場に車を止めると彼は「到着」なんて言う。
「もしかしてバイク屋さん……?」
「そうだ。昔から付き合いがある店なんだョ。俺も整備を任せてるし、気軽に相談できる」
「へぇー」
お店の前には細身のバイクから大柄なバイク、イスの低い長いバイクと色々なモデルが並んでいた。あまり広くない店内にも綺麗に陳列されたバイクたちがこちらを覗いていて、独特の鉄と油のにおいが香ってくる。
「よっす」
「あれーサカキじゃん!どうしたの?ウオッカちゃんも久し……あれ!?違うじゃん!!!??」
「こんにちは~」
ふーん。あの子、連れてきたことあるんだ。店内をよく見ると棚にパカぷちが飾ってあって……え?種類すご!あ、サインもある。
「ちょちょい!どうしたのサカキがウオッカちゃんじゃないウマ娘ちゃん連れてくるなんて」
「落ち着けよ!前に話したバイク欲しがってる奴ってのがコイツなの!」
「あ、そういう」
彼の信頼しているバイク屋だって言うから、お店の人も職人気質の話し辛い感じなのかと思ってたら全然そんなことはない軽い感じの人だった。ツナギを着て頭にタオルを巻いてるそのまんまな外見だけど、人好きのする笑顔を受かべている。
「サクラローレルです」
「おーローレルちゃんね………?んっ!?グランプリウマ娘じゃん!?とりあえずサイン貰っていいっスか!?」
「あー、はいどうぞ」
「おほ~っ!?あざっす!!飾るべ飾るべ~!」
どうやらこの人は、そこそこウマ娘を知っているよう。
「あの芸能人テレビ出てたよね~!」なんて言われても、え?誰?となる事があるように、顔と名前を一致させて覚えてる人なんてひと握り。
いくらGⅠレースを勝ってたとしても世間に覚えられているかと言えばそんなことはない。少し時が経った今、名前を言えば「あーそんなウマ娘居たな」で済んでしまう話なのだ。私は大学生してるからメディア露出の機会も無いし。
「何だかんだサカキの周りってやべぇウマ娘ばっかじゃんね?まさかダービーに連れて行ってからこうなるとは思わなかったじゃん」
「サク!いいだろそれは」
「へえ~?今度詳しく聞きたいです」
「いいよイイよいくらでも!コイツ全然自分の話しないからね!」
これは色々収穫がありそうだ。
「ところでローレルちゃんは狙ってるバイクとかあるの?新車取り寄せとかもできるけど」
「免許取ったばかりであまり詳しくないんです……。通学とたまに旅行とかしたいな~ってぐらいで」
「んーなら400ccまでか。」
「150ccとか250ccぐらいでいいんじゃないかと思ってな」
「まあほら、そこはフィーリングっしょ。相棒と一緒に走るんだから好きなもん乗るのが1番じゃん?」
素敵な考え方だと思う。長所も短所もまとめてそのマシンの良い所って事だろうか。あれこれと議論する彼らを余所に、なんとなく店内を見て回る。
厳つくて速そうなバイク、大っきいタイヤのバイク、背の高いでこぼこしたタイヤのバイク。色々あってよく分からない。あっこれ教習車と同じやつだ。
「ん~……」
おめめがふたつのユニークな顔のバイク、のんびり屋さんのようなバイク、大っきいカバンのついた旅するバイク。最近の流行りは蜂のような頭をしたバイクらしいけど…ちょっと私には合わない。
───列の端っこにいたバイク。
シルバー。四角いおめ目でちょっと大柄、ちょこんとしたカバーが着いてる。タンクにHAMASAKIと角張ったロゴがあって少し年代が古そうだ。けど400ccらしく私の免許でも乗れる。
なんかイイなって思った。
「気に入ったか?」
「うん。なんか見覚えあって」
そうだ……。懐かしさ。どこかで見た事あるような感じ。
「これ、トレーナーが乗ってたやつ?」
「そうだ。……排気量は違うが同じモデルだな」
「ふーん……ねいきっどって言うんだっけ?」
「それはバイクの形の話だな……名前はXRZだ。重いし古いからオススメはしないんだが……」
「XRZかぁ、イイじゃん!整備はバッチ任せてよ!」
ニヤニヤとした、いやらしい顔でトレーナーをわざとらしくチラチラ見るバイク屋さん。トレーナーはため息を吐いたけど口を出す気は無いらしい。フィーリングで決めるってこういう事なんだろうか。
なんかちょっと高揚してる。
「決めた……この子にします」
「店長ー!納車終わったッス!……おっと、いらっしゃいませッス!」
「あれ?
「えべっ!?ローレルさん!?」
「おーミサお疲れ……知り合いなん?」
「大学の同じゼミなんッスよ!え?どうしてここに??あれ??オニーサンも居るじゃないッスか!」
「世間狭すぎんだろ……」