タンデムで見た海   作:印旛沼まで徒歩五分

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哀愁②

 

 

 

いつものルーティーン。

他人には理解されずとも大事にしている流れというのは、意外とバカに出来ないものである。

 

チェーンの伸び代は?

緩んでいるボルトナットは無いか?

ガソリンの残量は?

カウルに割れは無いか?

ブレーキパッドの残量は?

タイヤの空気圧は充分か?

 

全てチェックしたとて10分もしない事だが、やらない奴はやらない。

儀式めいているとも思うし、それで何かある訳でもない。ただ自分がやらないと気が済まないもの。大事にしているもの。

 

「さて、あと1時間気張りますか──」

 

気合を入れるためではなく、むしろ気を引き締めるために行っている事。これから行くところは何かあれば死ぬ(200km/h超えの)世界。

スピードという麻薬にやられた者こそキッチリとやる責務が有る。

 

サーキットとは()()()()()だ───

 

 

ピットロードにて次枠のスタートを待つ。

先程の枠よりも多少台数が多い。そして、俺の後ろには初心者ビブスを着たライダーが並んだ。

……サーキットには、たまにどうしようもない金持ちが居たりするが、新しく出たばかりのZR-10X(後継機)を持ち込むとはなんと道楽の過ぎたる事だろうか。

そんな道楽者の中には数百万するマシンを「イメージと違った」と言って数回乗っただけで売り飛ばすような者もいる。

いやはや俺には真似できん経済の回し方だな。

 

それとも、どこかのショップがレースで使うために買ったマシンを早速(おろ)したか。

()()ポテンシャルを秘めていて、WRCCから更にフィードアップして改良されたマシンなのだから、そのまま耐久レースに持ち込んでも戦えるだけの力がある。

これから色んなショップがこぞって弄り出すに違いない。だがそれをビブス(初心者)に任せるとは随分信頼しているんだナ───。

 

前者か、後者か。後ろの彼がそうかは分からないが、俺はただ時間いっぱい走れればいい。そのうちペースに焦れてさっさと抜いていくはずだ。

 

───お互い、好きにやろうョ

 

 

 

 

ピットロード出口のシグナルがレッドからグリーンに変わった。

ドキドキと高鳴る心臓を押さえつけて、ふわふわとした握力だった右手に力を込める。

自分が自分でないような地に足つかない感覚も、前のバイクが発進していくエキゾーストでハッと我に返った。

 

「初めてのマシンで、初めてのコースでどうしろってんスか店長……!」

 

無茶振りが過ぎる!!割と店長は自由人ッスけど、理不尽なことや無茶苦茶な事は言わないって思ってたのに“あの紺のZR-10X追え!!アイツなら引っ張ってくれる!!”って……!

 

名前も知らないライダーさんにぴったり貼り付いて煽ってると思われても堪らない。こちとらビブス着用(初心者)なのだ。バイクの扱いに多少覚えはあるものの、それも250ccでの話。

それが今、跨っているマシンは1000cc。単純に考えても出力4倍。カタログと年式も加味すれば45psと200psで4倍所の話ではない。

 

前を行く紺のZR-10Xが2回咆哮を上げゆっくりと走り出した。

ここまで来たら店長を信じて行くしかないッス!!

 

「同じハマサキのマシン同士、優しくしてくださいよォ!」

 

いくら走行性能を突き詰めたところで、陸地面積の7割を山が占める日本ではそんな性能まず持て余す。

軽自動車なら約60ps、普通車ですら150psもない車が大半。それがこいつらは1000ccで約200ps。重たい金属の車体なんて無い。直接エンジンに跨ってスロットル一捻りで100km/hオーバー(向こう側)の世界。

こういったモンスターマシーン達が自分の力を解き放てる場所は数少ない。

 

……息を止めて、壁を越えて。

 

走り出してしまったら、そこはもう一人の世界。

どんなに仲間に声援を貰おうが、どれだけ観客が居ようが、待つ人が居ようが、もう後は一人で走り続けるしかないんだ。

 

ゆっくりと加速する紺のZR-10Xについていく。

 

共にこの場を走る仲間。しかし決して分かり合えることはない。“走り”で示すしかないんだ。

 

 

 

 

 

走り出していくバイクたちを見送ってピットレーンには束の間の静寂が訪れていた。

遠くに聞こえるバイクの音にやる気を感じながらコースモニターを見守る。

大型のバイクがそこそこのペースで走ればおおよそ2分そこらでこのホームストレートを通過していくはず。ピットアウトの周ということを考えればタイヤに熱を入れるため多少ゆっくりだろうがそれでもたったの2分。

 

「店長さん」

「ん?」

 

ローレルはバイクの事など全く知らず、今日サーキットに初めて訪れた身である。それでも同級生が初心者どころか今日初めてここを走る事を無茶だと思った。サーキットの走行にライセンスが必要で、今日ライセンス講習を受けたのだからそういう事だろう。

好き勝手にターフを走って、止まって確かめられるウマ娘とはわけが違うのだ。

 

「いくら何でも三才山クン、初めてなのにあんな速そうなバイクを追わせるのは無茶だったんじゃないですか?」

「ん~……。それに関しては信じてくれと言うしかないんよね」

 

たはは……と眉根を下げて頬を掻く店長さんは幾分か真面目な顔つきになるとポツリと話し出した。

 

「これでも、俺もね。昔は峠を走ってたんよ。今でこそ、そういう奴らは少なくなったけどもっとゴロゴロいて俺もその一人だったじゃんよ」

 

まるで走りの才能は無かったけどね。と苦笑いを付け加えた。

目の前のホームストレートを、凄い音をまき散らしながら通過していくバイクたちとそれに少し遅れて紺色のバイクと三才山クンのバイクが通過していく。前の集団とは距離を置き余裕をもって走り去っていった。傍から見れば仲良く走っているように見える。

 

「んで、ある時走りに行った峠ですげー綺麗な走り方をするバイクが居たんよ。必要以上に力を使わずに右に左にコーナーをするりと舞うように抜けて行ってサ……。思わず見とれちゃったんよね。もっと近くで見たいと必死になって追いかけて、危うく事故りそうにもなったけど、そのバイクは下手くそな俺のペースに合わせてくれて……そうね、気持ちよかったんよ」

 

名前も知らない誰かと一緒になって峠を走って、いい感じのペースで走って、バイクの楽しみ方には攻める以外にもあるって教えてもらったような感じで。絡みに行ったら歳も同じぐらいの奴でさ。何であんな走り方ができるんだって、今考えればスゲーウザ絡みだったろうけどね……。

 

店長さんの独白。

バイクが走ってきたら、どこからという事もなく話を切ってあの二台が通過したらまた話を再開する。全てがバイク中心に回っていく輪廻のような独白。

……会話の内容に反して店長さんの顔は明るくない。おそらくは私の考えていることが違っていますように。

 

「そのスゲー走りをする奴と仲良くなってさ。俺っちは走るのやめて弄る方に回ったわけョ。あー才能ないなって、あんな綺麗な走り方はいつまでたっても俺はできないなって。それでどうしたらバイクは速くなるのかどう組み合わせたらパワーを得られるのかってメチャクチャ調べて試行錯誤して、できたマシンをそいつに乗ってもらったら“スゲーいいな”ってさ」

 

――――嬉しかったよ。

その言葉はホームストレートを通過していったバイクの音でかき消されてしまったが、そういう口の動きをしていた。きっとそうだ。

その目が追うのは二台のバイク。……おそらくは前を行く紺色のバイクに跨った人物。

 

「それで、レースに出てみようって話になったんよ。昔はもっとレースに出られる基準も緩くて、俺もそいつも未成年だったから親父を巻き込んでエントリーして走ってさ。けっこういい線行ったんだ。そこで当時めちゃっ速だったアイデルン・ラグナって外国人にはコテンパンにやられたけどね」

 

壁に乗せられた手のひらが強く握られた。度重なるバイクの整備やチューンで汚れてしまった指先。店長さんの、その積み重ねは一週間そこらの話ではない重みを纏っていた。

 

「レースでいい線行ったことでとあるメーカーのチームから目を掛けられてね。アマチュアもいい所だった俺らだったけど、ライダーもメカニックもウチに来ないかって。ワークスチームでレースに出られるなんて願ってもない事だったんよ。確かにあんまり勝っては無いメーカーだったけどそれはどうでもよかった。そいつが乗って操るマシンならばどこでも勝てると思ったから。けれども俺たちはまだまだガキだったしそんなんで勝てるほど世界の壁っていうのは薄っぺらいわけがない。2年は負け続きだったし、勝てるはずだったレースをマシントラブルでオトしたこともあった。すげー喧嘩もしたよ、そいつと」

 

甲高い音のバイクが目の前を通過していく。スカイブルーの車体が眩しくきらめいて一瞬で遠ざかっていった。続くように一台、二台。

そして紺のバイクと三才山クンのバイク。距離を開けることなく追走する二台は先ほどよりもペースが早い。

 

“声”がした。

 

「3年目にね。ようやくマシンの熟成と改良が進んで、そいつの走りと噛み合ってレースに勝てるようになったんよ。あまりに速いってんで途中でレギュレーションをいじられたりしたけどさ。それでも最速男のアイデルン・ラグナを追い詰めて……あとは俺っちの口からは話せることじゃない。そいつはレースから離れちまった。その結果だけさ」

 

その色は、店長さんの顔色はやるせない表情に染まっていた。また一台、二台とバイクが目の前を通過していく。

 

“声”がした。

 

獣が上げる、風を突き破る様な咆哮。これまでの周回とは明らかに違う力の迸る“声”それは店長さんの独白に呼応するように叫ばれた。

 

「はは……探したよ。お前が居なくなった次の年を戦うために、お前の為だけに用意されていた専用機。一緒に辞めたスタッフの一人が買い取って、保管してくれていたんだ。頭を下げて譲ってもらって、それを公道で走れるように保安部品を揃えて、走れるように作って渡したんだ。お前にもう一度、走ってほしくて。俺達の作ったマシンに乗ってほしくて」

 

その独白だけは、私に聞かせるためのものじゃなく、目の間を切り裂いていく紺の獣に、その(ひと)に向けられたものだと気づく。

 

“声”がした。

 

――――俺にとってそのマシンは()()。お前がまた、サーキットを走ってくれることを願って。

 

 

 

 

これまでゆっくりと走ってくれていたペースがなんだったのかと思うほど、前を行くマシンは凄まじいエキゾーストをこちらにぶつけてきた。

 

ワンチャンこの人のペース大したことないのかと思ってたのが、その思考がちゃんちゃらおかしいものだったと気づいたのは前のマシンが1コーナーのブレーキングをありえない()()まで待つこと。こちらよりも50mは()()()()からブレーキを掛け始めコーナーをクリアしていく。その姿勢はとんでもなく綺麗でスムーズに立ち上がると、気を抜けば離されるぐらいにまでペースが上がっていることに気付かされる。

 

その走りを真似して、吸収することでみるみる内に速さを会得していく。三才山はそういった走りができるライダーだった。少しずつ上がり続けるペースにも食いつき続け、遂には周回ペースが2分を切っても離されることなくついていった。

 

「本気出してきたっスね……」

 

思ったよりも違和感なく操れるZR-10Xに鞭打って膝を擦るまでに倒し込む。

反面スロットルワークは繊細に、一気にスロットルを捻ればパワーがタイヤのキャパシティを超えてあっという間にハイサイドする。良くて地面との濃密なハグと気づいたら知らない天井が待っている。

 

前を行くマシンは後ろの事など気にせずに、長い右コーナを抜けてすぐさま左のヘアピンコーナーにスイッチすると前の男は()()()()()

 

「なんて角度まで倒してるんスか………!!?」

 

そこまでやるっスか!?そこまでできるのか!?

戦える場所が違う。ここは我慢で、ヘアピンを抜けた先の高速コーナーで全開で行く――!

 

前輪が浮きそうになるほどの加速で一気に距離を詰める。だがあと一歩で及ばず次のコーナーが来てしまった。

 

「グッ……!うぅ!!」

 

ジャックナイフしてしまいそうなほどのきついブレーキ。峠ではここまでブレーキを長い時間かけることはほぼ無い。サーキットと峠のステージの違いが精神的な負担を掛けてくる。

そして鋭い右コーナー。前のマシンはまるで舞うように右をクリアすると、あっという間に左コーナーにアプローチしてS字を直線的に抜けていく。まるで流れる水のように一切の無駄がないようなコーナリングに見入ってしまっていた。

 

「ヤバい!離され……ッ!?」

 

スロットルに力を込めて捻ったところでずるりと後輪が滑る。パワーがタイヤのキャパシティを超えアスファルトの上を空回りしてスライドした。腰を浮かせてバランスを取りすんでのところでスロットルを緩め鋭い右コーナーで速度が出ていなかったことも、このサーキット特有の広い道幅も幸いし転倒には至らなかったが、もう紺のマシンは2つ先のコーナーをクリアしていくところだった。

……急速に冷えていくテンション。もう、追いつけない。

 

「千切られたっス……それにあのコーナーの傾け方……」

 

この周で終わりにしよう……。

これ以上はモチベーションが続かないし、無理して前のマシンを追った代償はタイヤがタレるという結果をもたらした。同じだけのペースで走っていた前のマシンも無事とは思えないが、まだ底知れぬ速さを秘めるマシン。それに素人が操って追いつけるマシンも店長が弄ればもっと速くなりそうだ。

そしてあのマシンの操り方には覚えがある。前を走っているのに後ろからジワジワと追われているようなプレッシャーは、記憶に埋もれるほど昔じゃない時に身をもって味わった。

あの人……オニーサン、とんだ食わせもんっスよ!

 

「もっと、あの人を本気にさせてみてぇっスね……!」

 

 

 

 

 

 

「速えっスよ!!あの人!!店長ハメたっスね!!?」

 

戻ってきた三才山クンは店長サンに食って掛かりながらも、その頬は笑顔を刻んでいた。帰ってきた黄緑色のバイクは何かが掠ったように外装へ黒い筋が何本もひかれていて、タイヤすらもささくれ立ってその凄まじさが分かる。

私たちのレースでも蹄鉄の削れや歪みなんてことが起こるが、その何倍ものスピードの世界で走るバイクにもこういったことが起こるのか。

 

「どうだったよ?」

「ぜんぜん追い抜けるビジョンが浮かばなかったっス!あの人全然本気出して走って無いっスよ……!」

「ついて行ってるだけでも大したもんじゃんよ!俺だったら1周目でブッチよブッチ!」

 

まるで追いつけていなかったという割には三才山クンの表情は暗くなく、むしろ晴れやかな挑戦者然としたものだ。

 

「まだまだ速ぇ人がいる!!滾るじゃないっスか!そうっスよねローレルさんも!!」

「う~ん……私は火傷しちゃうかな」

 

バイクのレースは全く経験がない私には分からない話だ。しかし私たちウマ娘の知らないレースがある。

私たちのレースでは長くとも3000m、さらに長い距離もあるがそれでも精々3分台、こんな全開で何周も戦い続けるレースというのは経験がないし今日がそうじゃないとしても少し気圧されていた。

 

一台のバイクがピットの前に付ける。紺色の鈍く輝く車体に唸るようなバイクからの音。それを眠らせてヘルメットを外すと、思いがけない(ひと)の顔が露わになった。

 

「Bコーナーで姿勢崩してたけど大丈夫だっ……は?ローレル、何でここに?」

「トレーナーさんこそ……」

 

頭の中でピースがハマっていく感覚。私たちの指導をする際に、なんでトレーナーさんがあんなレース技術に詳しかったのかようやく合点がいった。そしてあの店長さんの独白が向けられた相手にも……。

 

「やっぱオニーサンだったっスか」

「言ったろ?アイツなら大丈夫だって」

「やけにマークしてくると思ったらお前らだったのかよ……納得したわ」

 

げんなりした顔のトレーナーさんと店長サンたちの表情は対照的に映った。スーツの前チャックを開けてグローブを脱ぎながらトレーナーさんは頭を掻き上げる。そこまで熱くない気温なのにかなり汗だくになっていてものすごい熱に晒されるんだって。

トレーナーの乗っていたバイクもタイヤの溝が分からなくなるぐらいにささくれ立って、見た目以上に凄い走りをしてるんだと感じられた。

 

「んで、ミサはどーよ?」

「ビブス着てて2分切るペースについてくるんだから大したもんだよ。きっちり訓練すればかなりいい所で戦えるんじゃないか?どうせあのZR-10Xも弄るんだろ?」

「もちろん!」

 

「ローレル」

「なに?」

 

トレーナーさんは人差し指を唇に当てるジェスチャーをした。これは黙ってろてことかな?

もちろんこんな事喋らないよ。ウオッカちゃんも知らない事だろうしね。

 

 

 

 

 

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