タンデムで見た海   作:印旛沼まで徒歩五分

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朝の霞

 

 

 

固定していた釘を釘節刀(ちょうせっとう)で浮き上がらせ剪鉗(せんかん)で抜いていく。少しの抵抗を指先に感じて、角度を変えて引くとするりと釘は存外呆気なく抜けた。

 

釘が固定していた物を押さえながら、先端を留めていた最後の釘を引き抜くと、手のひらへ金属のしっかりとした重みと感触が下りてくる。

表面の無数に延びる線傷。数多の踏み込みに(こた)えその身を削り続けた献身、蹄鉄が彼女の脚を護ってくれた証。

 

このシューズも、もう寿命(終わり)だ。擦り切れた靴底に新しい蹄鉄を受け止める元気はなく、靴紐を通す穴も歪みがあった。

これ以上使用すれば穴が開いたり、落鉄したりと要らぬ事故を引き起こす可能性がある。

 

できる限り鉄部品と革、布部を取り分けて廃棄箱へ投げ込む。少し勿体なく感じてしまうのは生まれ持った貧乏性故か。

いやいや、彼らは立派に役目を果たした。ここで葬るのも使った者の役目。ここは遠慮する場面ではない。

 

 

箱を開けて臙脂(エンジ)と白に染められた真新しいシューズを取り出した。

ひと回りしてエラーが無いか確認、靴紐を(ゆる)めに穴へ通し足に合わせて調整しやすいようにしておく。

 

シューズを裏面へ向け蹄鉄を仮合わせする。いくら規格を統一して製造されるシューズと蹄鉄といえど、細やかなズレはどうしても起きるし、ウマ娘の鋭敏な感覚はズレを違和感として感じ取る。

その違和感を気にしてパフォーマンスに影響するなんて話珍しくもない。

 

だからこの作業は慎重に、丁寧に。

 

僅かなズレを考慮して位置を決め、ハンマーを打ち下ろした。対称になる穴へ釘を打ち込んでいき、8本で本固定する。

 

正直なところ、ここまではトレーナーとして作業の範疇ではない。いちいち手間暇をかけてやるぐらいだったら、専門部署に依頼した方がずっと早いのは理解している。しかし、だからと言ってそれではイメージしているものができないのだ。

高度に発達した人間の言葉でも、感じ取り方は千差万別。イメージを伝えたところで必ず齟齬が出る。

 

ウオッカの蹄鉄は低い姿勢から足を芝へ突き刺すように走ることから、先端付近から先に削れていく。だから爪先の方へ厚みを持たせたい。

 

ディープスカイは踏み込む力が強く、蹄鉄の釘穴がある中央部が割れやすい。だからこそ釘が暴れないよう短めに打ち込む必要がある。

 

オウケンブルースリは足裏を擦るように力を入れるから、釘が歪み落鉄しやすい。よって釘に加え接着剤を使用して少しでも落鉄を抑える工夫が必要だった。

 

現在預かっている3人分でさえこれだ。このイメージをアウトプットして他人に伝えられるほど、残念ながら俺の口は上手くない。

なら自分でやった方が早いじゃないかと、そういう結論に至ったのだ。短絡的?そうかもしれないな。

 

これはサブトレーナーだった頃から続けている習慣で、独り立ちした後も続けているものだ。

蹄鉄は彼女らの踏み込みや脚の状態を診る上で非常に大事なファクターとなりえた。バイクや車のタイヤを見ればドライバーがどんな運転をするのか分かるように、蹄鉄ひとつでウマ娘がどんな走りのクセを持つのか見抜くこともできる。それぐらい情報量が詰まっていると言っても過言じゃない。

 

 

 

早朝、未だ街が微睡む中で(つち)を振るう。

トレーナー棟の裏にある砂利敷きのちょっとしたスペースは、べンチが置かれていて外で作業する場合にうってつけだった。

 

タンッタンッという小気味いい音は思いのほか反響する。もしかしたらもう夢から覚めてしまった哀れなポニーちゃんがいるかもしれないが、ただトレーナーがシューズのメンテナンスをしているだけだ。(やま)しいことは何もない。

 

「……何か用かい?ポニーちゃん」

「うげっ…なんでバレたんだ……?」

 

どうやらポニーちゃんは思ったより近いヤツだったようだ。

ちらりと背後に視線を向けると、耳をぴんと立てたウオッカがいた。上がジャージに下がブルマという、いつものトレーニング姿。

おおかたロードワークへ行くため寮を出たら、裏門の駐輪場に止まってる俺のバイクを見つけここへ来たのだろう。

 

忍び足で接近してきたようだが、砂利敷きのじゃくじゃくという足音までは隠せていなかったぞ。残念。

 

「隣、いいか?」

「ご自由に」

 

ベンチがきしりと音を立て、少しスペースを空けて座ったウオッカの重みで少しだけたわんだ感触がする。自分が夢を見ていない事が証明されて少しだけ微笑んだ。

ん……このシューズはほんの少し水平じゃない。こうなったら(やすり)で削らなきゃいけないから面倒だな。

 

「早起きだな」

「目が覚めちまってよ。どこかのキツツキが朝からカンカンうるせーから」

「悪いことをしたな。それを言われたのは初めてだ」

 

ウマ娘寮だいぶ離れているんだが……。しかもトレーナー棟を挟むから、わざわざこちらに来なければ聞こえないはずだよな……まあ、指摘するだけ野暮というものだ。

 

「お嬢さん。私めの打った蹄鉄をお試し頂けますか?」

「背中が痒くなるから止めろよソレ……」

「……分かった。紐の調整がしたいから脱がせよう。足を上げてくれ」

「そ、そんぐらい自分でやるっつーの!!」

 

慌てて彼女はくるぶしの隙間に指を突っ込み、少し乱雑にランニングシューズを脱いだ。ソックスに包まれた指先が恥ずかしそうに丸まったり伸びをしたりと忙しなく動く。

散々マッサージもされているのに何を今更と思うが、こういうところがデリカシーの欠如と言われるのだろうか。

 

「スカーレットなら足が飛んできてるからな?マジで、気をつけろよなトレーナー」

「お前さんにしか言わんよ」

「これで何も意識してねぇんだもんな……」

 

なお悪いと表情を歪めるウオッカ。

彼女の前に膝をつき脹ら脛(ふくらはぎ)を手に取って、そっと持ち上げる。ほっそりとした脹ら脛に少しだけ沈み、その下に筋張った感触が伝わってきた。

鍛えられた筋肉の感触は弾力に富んでおり触っていて飽きないが、そのままだと通報案件になってしまうため彼女の足を自らの太腿の上に置く。

 

トレーニングシューズを準備し、足を再び持ち上げシューズを先端から通していった。抵抗もなくすんなりと納まったことに少し安心感を覚えつつも、これで終わりではない。ウオッカの表情を観察しながら言葉を投げ掛ける。

 

「違和感がある所は無いか?」

「いや、特にないぜ。相変わらずすげーなトレーナー、これで食っていけるんじゃねーか?」

「トレーナークビになったら考えるョ。そもそもこの業界に居られなくなるだろうがな」

 

確かに、自分にはコミュニケーションをとる仕事よりも、こういった作業系の方が向いている自覚はある。学科もからっきしだったし。……トレーナー試験、よく受かったな。

下から靴紐を締めていく。緩くても、締め過ぎてもダメだ。彼女の足に沿うように紐を通し適切なテンションを掛けた。

 

「緩くないか?」

「バッチリ」

「んじゃこの後走るか」

「頼むぜ」

 

 

さて、残されたのは桐箱と黒いブーツ。

言わずもがな隣に座る彼女の勝負服、その脚元だ。この蹄鉄もかなり擦り切れてその踏み込みの凄まじさを物語っていた。たった数回のレースでこうなるのだから出力の違いというものを思い知る。

 

両足でブーツを挟み固定し、釘節刀(ちょうせっとう)を蹄鉄と靴底の境に添えハンマーで打ち込み浮かせる。

浮き上がった蹄鉄を引き抜いて、釘が散らないように一纏めに。

 

横で、彼女は足を遊ばせながらも、こちらの作業を見つめ視線を外さない。桐箱を開き虹蹄鉄(チタン)を取り出すと、ウオッカの視線も蹄鉄に移る。

 

「気になるかい?」

「おう……やっぱ初めて使うもんだからな。ワクワクするだろ」

 

──確かに。

初めてバイクのマフラーを変えた時のようなあの高揚感が、彼女を包んでいるのだろうか。

あれ、何とも言い難いんだよなァ……。そういう時だいたい人間は語彙力が無くなって「最高」とかしか言えないんだよ。

彼女の尻尾とつま先が落ち着きを無くしていく。隠せない興奮が彼女から俺にも伝わってきた。

 

“フルチタン”という言葉は、特にクルマやバイクに傾倒する者達にとって特別な響きに聞こえる一種のステータスだ。

仲間内の集まりで「マフラー変えたんだぜ!フルチタンなんだぜ!」と一言喋ればわらわらと集まりだして試聴会、その後はノンストップマフラー談義3時間開催だ。終わってからまた別の話題が始まり、コレを5ループほどして解散、と思いきや2ループほど続いてようやく解散というのがよくある流れ。

ほんと話題尽きないの何なんだろうね。

 

 

位置を合わせ、浮く箇所を少し削ってまた位置を合わせ。さすが日本製は修正が少なくて済む。海外製だと精度がチリガバ(合わな)過ぎるなんてよくある話だ。車のパーツでもバイクのパーツでもそう。この辺りは日本人ならではの細やかさがありがたい。

 

そんな益もない事を考えながら釘を打ち込み、蹄鉄がズレなくフィットしたことを確認して本固定。朝日の陽光で煌めく蹄鉄。タン、タン、と響く鎚音。

息をするのさえ忘れてその横顔を見やる。

 

勝負鉄、とはよく言ったものだ。バイクにスリックタイヤを履かせるようなものか。

これから走るのだと。アイツと言葉ではないやり取りをするのだと。否応なく高まるボルテージ。興奮が眼光へ。高揚は口元へ。そして、覇気は全身へ───

 

「トレーナー」

「あん?」

「勝つ方法、教えてくれ。アイツに……!」

 

上り始めた陽光の白は輪郭を霞ませる。

煌めく彼女の鹿毛が力強く靡いて、その目は固い意志を湛えていた。

 

彼女のテンションは最高潮だ。ヴィクトリアマイルへ向けてモチベーションはかなりいい状態と言えるだろう。

 

なら、勝つ為のピースはあと一つ。

 

 

 

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