ウオッカのトレーニングを開始してから数日。トレーナー室で練習器具の準備をしていたところ扉をノックされた。
来客予定はなかったはずだが、ていうかこんなトレーナー棟の隅の極みのようなところに来客など常にないが、あるとすればたづなさんだろうか?ウオッカと顔を見合わせてから彼女に扉を開けてもらうと宮下が立っていた。
扉を開けたウオッカが頭に?を浮かべてこちらを見る。そんな友達居たの?みたいな眼を向けるんじゃない
「トレーナー知り合いか?」
「あぁ、スカーレットのトレーナーさん」
「えぇっ!?あいつトレーナーいたの!??」
ですよね?と優男を見てみれば苦笑いして頷いた。どうやらダイワスカーレットがスカウトの話を飲んでくれたのだろう。
彼をトレーナー室に招き入れソファを勧めた。優男は一礼して腰掛けると話を切り出してくる。
「今日、ようやく話を受けてくれたんですが、流れで泣かせてしまって…気が抜けたのか早めに休むと寮に帰りましたよ」
「そりゃよかった。最近頑張りすぎてたから心配だったんですョ」
「それでちょっとご相談があるんですが」
「オレ、先にトレーニング始めてようか?」
「いやウオッカ君。君にもお願いしたい事なんだ」
「オレにも?」
「そうです。スカーレット君と模擬レースを行ってもらいたい」
選抜で負けてからというもの、調子が乱高下しているダイワスカーレットに自信を取り戻させたいのだろう。こちらとしてもウオッカの詳しい状態を把握しておきたい。そんなわけでも好都合だ。
「俺としては受けたいが、返事はウオッカに任せるョ」
「やるに決まってんだろ?スカーレットとやるのに理由なんていらないんだよ」
ずいぶんとやる気のようだ。同室でライバルで常に彼女と過ごしていて、最近の落ち込みようを一番目の当たりにしているのはウオッカなのだから、俺が気づく前からとっくに思っていた筈である。
「ありがとうございます!では芝コースの開いている3日後でいかかでしょうか?調整はこちらでやらせていただきます」
「分かりました。では3日後よろしくお願いしますョ」
「あぁ、それと今後トレーニングの時間が合うようなら、スカーレット君とやらせていただきたいと思ってるんですがいかがでしょう」
「もちろんですョ。効率を考えても一緒にやらせていただければと思います」
「決まりですね。では改めてよろしくお願いします」
ふわりと微笑むと軽く一礼して、トレーナー室を後にする宮下。ジャージのくせして何から何まで様になっているのでほんと得なやつである。
*****
3日後、ミーティングを終えて芝コースに移動し、スカーレットとウオッカが並んでストレッチをしている。宮下に指定された時刻は芝コースで一番遅い時間の枠だった。他の枠はチームの利用でみっちり埋まっていて仕方なかったというところである。
ギャラリーはほとんどなく、風は無風、天気と芝共に良で好条件だ。今の状態と実力がはっきり出やすい。
スタンド最前列の柵に肘を置きながら缶コーヒーをあおる。どうやらダイワスカーレットも調子を持ち直して、今日は何か企んでるような感じがする。
「急遽の申し出でしたのに受けてくださってありがとうございます」
「ダイワスカーレットがキャンキャン言ってなきゃウオッカも気が抜けちゃうみたいですし、ケンカするほど仲がいいんじゃないですか?」
「あはは…私としてはもう少し仲良くやってくれてもいいんじゃないかと思うんですが…」
「失礼。観戦させていただきたいのだが」
そういって声をかけてきたのは生徒会副会長を務めるエアグルーヴだ。後ろにはヒラヒラと手を振るフジキセキとトウカイテイオーも居る。
「どうぞ。見て面白いものかは分からんけど」
「面白いかどうかはこっちが決めるものだよ?少なくとも私は面白いものだと思ってる」
わざと揶揄うような口調で言ってから、フジキセキが俺と同じように柵に手をつき二人を眺める。どこか微笑ましいものを見る優しい目つきをしていた。
「ここ最近、彼女たちは食堂でも顔を合わせずにいてね?普段から賑やかすぎるくらいだったんだけど、とても食事という空気ではなかったのさ。今日からまた花が咲きそうだね」
「咲き誇りすぎるのもどうかと思うが」
「お通夜を幾日も続けるよりいいさ」
寮内でも冷戦を続けていたようで、フジキセキもずいぶん心配していたらしい。そりゃ普段からぎゃあぎゃあやってる奴らが一言も喋らないんじゃ誰でも異変に気付くだろう。
「坂城トレーナー。先日は情報をいただいてありがとうございました。おかげでスカーレットにも厳しい制裁をせずに済みました。」
「厳重注意ってところかな?いい子ちゃんにはいいお灸になったんじゃないか?」
「えぇ~…もしかしてトレーナーなのに生徒会を頼ったの~…?」
ものすごく呆れた声を出してジト目を向けてくるトウカイテイオー。ムカついたので頭をもみくちゃにしてやると、うぎゃあと声を上げてエアグルーヴの後ろに逃げた
「俺はウオッカのトレーナーなの。余計なことには首突っ込まない主義でね。その辺は宮下サンが何とかしてくれたョ。ねえ?」
「ここで私に投げますか?」
「さあ時間も有限なんだしそろそろ始めてもらおうか」
「あー逃げた」
「うるっせ。あのまま俺が声かけたところであのツインテールは聞かなかったよ。だからエアグルーヴから注意してもらった方が良かったの」
さて、コースの使用時間は限られているし、いつまた仲良し二人の口撃戦が始まるとも分からないのでストップウォッチと記録表を用意してコース脇に入る。
「そろそろ始めるぞ。準備はいいか二人とも」
*****
念入りに体をほぐして体を温める。トレーナーとは踏み込み方を調整して速度のギアを何段階かに分ける練習をしてきた。足を溜めておいて、適切な場所でスパートをかけていく練習のためだとか。差しを更に幅広い場所から仕掛けていけるようにする訓練なんだろう。
なんとなく掴めそうな感じではあるのだが、まだ明確にこれだという感覚はぼやけている。
「リベンジマッチだな。かかって来いよスカーレット」
「アンタこそ私に負けてから、うだうだ言うんじゃないわよ?」
「わりーけどさらさら負ける気はないぜ?」
前回の選抜レースのように、他が居ないからより相手の動きは観察しやすい。前回のレースのスカーレットは、逃げウマに掛かって最後にスタミナを切らして失速した。だからこそ今回は仕掛けるポイントを遅らせて、最後までスタミナをもたせるような作戦をとってくるはず。
「そろそろ始めるぞ。準備はいいか二人とも」
二人でスタート地点に並ぶ。今回オレは外側、スカーレットが内側だ。いつの間にかフジキセキ先輩とエアグルーヴ先輩、テイオーが見に来ている。
トレーナーからは特に戦略的な話はしないから、自分の好きなスタイルで走ってくれという指示を受けた。
視線を前に戻して構えをとる。スカーレットも同じく構えた。
「じゃあ模擬レース、芝1600mな………スタート!」
トレーナーが旗を振り下ろす。瞬間足に力を込めて芝を蹴り体を風に乗せていく。スタートはなかなか決まったんじゃないかと思う。
しかし内側にスカーレットも並んでおり互角といった感じだ。
そのままコーナーにさしかかり、インをスカーレットに譲った。
背後について相手のスリップストリームを使って足を溜めていく。足を意識して、3までギアを上げた。
スカーレットの走り方が違う。トレーナーがついてからフォームを見直したのだろうか?前回よりもかなり走りやすそうだ。
「仕掛けてくるポイントは前回より遅いはず…そこで一気にトップギアに入れれば加速力はこっちが上だぜ」
そうすればこっちは楽に抜けるはずだ。ギアを1つ上げ、独り言ちながら前を走る背中を少しづつ追い詰めていく。
前を走るスカーレットの表情は伺い知れないが、少し息苦しくなってきた。仕掛けてくるポイントはもう少しだ。そろそろ体勢を作ろうとした時…
「ここっ!」
「なッー!」
前回の模擬レースでスカーレットが仕掛けてきたポイントより、遥かに早いタイミングでスパートを掛け始めた
「嘘だろッ!?早すぎやしねーか!??」
1ハロンも手前からスパートを仕掛け始めたスカーレット、その想定外の動きに体の反応がワンテンポ遅れてしまった。
「くそっ!!離されるとマズい!」
こちらも足に力を入れてギアをトップに、一気に加速する。あっという間に差が詰まるはずだ。最高速なら負けねーぜ!
コーナーを回って直線に入る
呼吸が一気に苦しくなり、肺が、体が酸素を欲している。頭もぼやけて視界も狭くなってきた。
なのに
なのに———
「なんでッ差がッ縮まんねーんだッ!!!」
ダイワスカーレットの背中が一向に近づいてこない。自分は出しうる限りの最高速で走っているはずなのに——
*****
「うぇぇ~!?あんな場所から仕掛けるの!?選抜レースでもギリギリだったのにあれじゃスタミナ足りないよ!」
「いや…そうとは限らんぞ」
ダイワスカーレットは前回の選抜レースの時より、1ハロンほど手前からスパートを仕掛け始めた。表情は苦しそうだが大きく失速はしていない。
対するウオッカはまさかあの距離から仕掛けるとは思っていなかったのだろう。完全に対応が遅れてしまっている。ダイワスカーレットが3バ身程離れたところで速度を上げ始めたが、リズムが崩れ完全にスピードに乗り切れておらず差は縮まっていかない。
「前回よりも手前で仕掛けてくるとは…これはヤラれたな」
「加速力勝負じゃ分が悪いですから。彼女には逃げに近い先行をやってもらいました。上手くハマってくれましたね」
前回勝ったからと、どこかで油断していたのかもしれない。
「ゴール!」
フジキセキが旗を振り上げレースの終わりを告げる。結局スカーレットが1バ身差程で逃げ、粘り勝ちしてしまった。
これからスカーレットとは多くのレースで当たる相手になるだろう。驚異的な相手になってくるに違いない。さらなる対策が必要になってくる。困ったものだ…。
「ハァッ…ハァツ…だぁぁ!!負けた!クッソぉ…次はこうはなんねーからな!」
「フフッ…いくらでも相手になってあげるわよ!!」
*****
「今日のトレーニング内容は終わりだよ。ハイハイ、柔軟やってな」
模擬レースの後、芝コースの使用時間いっぱいまでスカーレットとウオッカで併せ走りをやったり、時間を区切ってインターバル走をやったりと、かなり足を使わせたのできっちりとクールダウンをやってもらう。
「なぁ…?」
「ん」
珍しく耳をヘナらせ、すこし冷えたような眼差しをしたウオッカがおそるおそるといった感じで聞いてきた。思いつくことといえば模擬レースの結果の事だろうか。
「模擬レースの結果の事か?」
「おぉ、話が早いじゃん…。ぶっちゃけ予想してたか?こうなること」
「レースの事なんてその時になってみなきゃ判らねーよ。それこそ走りの事ならな」
宮下とスカーレットたちとは離れた場所でそれぞれ分かれて、ウオッカとのミーティングを兼ねてストレッチに付き合っていた。いくら耳のいいウマ娘でもこの距離なら聞こえないだろう。思考を巡らせて少し反省点を洗い出してみる。
「そうだなぁ…。レース前の時点で、何か企んでるだろうことは分かったョ。ただそれが仕掛けに関することだとしても言うつもりはなかった」
「なんで?」
「お前さんたちには小細工なしでぶつかり合ってほしーのよ。アイツとはそういう先入観とか考えなしにやり合いたいだろ?」
「そっか…そうだよな!」
彼女の表情が明るくなってきて、ぱぁっと笑顔になってくれた。しっぽもゆらりと動いているのでどうやら彼女も持ち直してくれたらしい。すまんなフジキセキ。栗東の静かな夕飯タイムもおそらく哀れ今日までだろう。むしろ先日までの反動でハジけるかもしれん
「まあ反省点は結構あるんだがな」
「うげっ…!?」
「油断しただろ」
「ハイ」
「自分の想像してた仕掛けるポイントと違ったから焦ってスパート掛けただろ」
「…ハイ」
「あれでペースを乱して踏み込みが甘くなったんだョ…。だからスピードに乗るのが遅れて追いかけてもスカーレットとの差が縮まらなかった」
「うっ…」
「いい反省点になっただろ」
これ以上やると尻尾がクルクル巻きになってしまうのでやめておこう。こっちから言わなくても走っていた彼女の方が今回の反省すべき点はより見えているはずだ。それに気づくヒントくらいはいくらでも出してやろう
「なんであれ、次は京都でデビュー戦だからな。トレーニングで追い込んでいくぞ」
「おう!」
「まぁそれに勝てたらバイク屋でも連れて行ってやるよ」
「マジで!??オイ約束だからな!!言質取ったからな!!!!」
何気なく言った一言にすっげえ掛かり始めたんだけど…本番大丈夫なのかコレ…。
そのまま踊りだしそうなほどテンション爆上げになった彼女はスカーレットに絡みに行ってしまった。
これは少しウマ込み訓練してもらった方がいいのかもしれない。そんなことを考えながらデビュー戦に向けてのトレーニングを組み直していくのだった。