鳴り響いたファンファーレを耳にして、大観衆を前にして、身にぶつかる大歓声に包まれて。スタンドにみっちりと詰められたファンたち。その誰もが自分の応援するウマ娘に声援を送っていた。
───まるで静かな草原のように、緊張は凪いでいた。
萌ゆるターフの上、誘導員に支持されて粛々と進むゲート入り。5枠9番、オレの誘導もすぐだ。一人、また一人と収まったゲートが係員によって閉められていく。否が応でもスタートの時間は近づいてくる。
───まるで静かな海のように、心が凪いでいた。
不思議と怒りはこみ上げて来ていない。トレーナーはネットメディアの記事に関して話題にすることはなかった。出走前のオレに気を使ったんだと思う。
───まるで山の中に居る様に、思考が凪いでいた。
隣に並ぶ足音がした。いつも聞いているターフを踏みしめる音。
「……思ったより
「いちいち気にしてちゃしゃーねーだろ?ダービーの前にも散々っぱら言われたからな。でもよ、そんなんでオレたちの走りは邪魔できねーよ。な?」
「アンタが一番ボロクソに書かれてんのよ?」
「同情して負けてくれるわけじゃねーだろ?そんなもん頼んでねーよ。特にお前にはな」
何よりも、誰よりも。俺よりもネットメディアの記事にぶちギレていたのは同室のスカーレットだった。額に青筋を浮かべ握りしめられたウマホが悲鳴を上げるそのブッチブチっぷりに、逆に冷静になっちまったのは内緒だが……。
「ウオッカさん、ゲート入りを」
「……ウッス」
嘘をついた。
ムカついているなんてものじゃない。全てを叩き潰してやりたい衝動。それを何とか飲み込んで足元を確かめる。
芝にしっかりと食いつく蹄鉄。トレーナーがしっかりと打って、仕上げてくれたそれはきっちりと仕事を熟しそうだ。
「何か言われてガキみたいに癇癪起こして、喚き散らすなんてカッコ悪いじゃねーか」
自分でも知らないうちに、無自覚に鞘から引き抜かれた真剣。
───まるで嵐の前のように、風が凪いでいた。
「……だけど、まぁ、ムカついてない訳じゃないんだぜ?」
その一言をアタシに投げると、ウオッカは踵を返してゲートに向かっていく。一歩踏み込み、二歩、三歩。
先にゲート入りしたウマ娘は、突然後ろで吹き出した威圧感に驚いて後ろを見やる。こちらを押し潰すように圧し掛かる重い覇気とは裏腹に、首筋に剣を突き付けられたが如し
ゆっくりとその冷たさを纏う何かがゲートへ入ってきた。
……途端に背を伝う汗。
ごくりと生唾を呑み込んだのは自分か、それとも他の誰かか。
ゆっくりと踏み出してゲートに入っていく、黒い衣装を纏う常識破りの女帝。その堂々たる歩みに少し呆けた係員がハッとしたようにゲートを閉めた。
その様子を見ていたダイワスカーレットも、ふと我に返る。
気づけば自分の中にあったウオッカに対する不満のような
……初めてだ。
初めて、今
どこ吹く風のように飄々としていて、全く悔しそうな素振りを見せずに、アタシを宥めるような態度にも腹が立っていた。本当はアンタが一番怒ってなきゃおかしいじゃない……。
なんて応えてないような顔をしているのか、なんて
とんでもない!アイツは
「───そうじゃなきゃ、面白くないわ」
「お?ちゃんと時間までに来ましたね?」
「そりゃあもちろん。なんも無きゃ俺ァ間に合わせる男なんだョ」
「デキる男は違いますねぇ?……それで?ウオッカ先輩はどうなんですか?」
「観てのお楽しみだな。ただ、退屈はさせないさ」
「へえ……」
お供の缶コーヒーを片手にスタンドで陣取っていたディープスカイとオウケンブルースリに合流した。
1600mのスタートは向こう正面の入口付近だから、メインストレートのここからゲート入りの詳しい様子は分からない。だがどのウマ娘も抵抗する様子なくゲートへ収まっていく。
「スカーレットせんぱぁ~い!
「……が、がんばれ~!ウオッカ先輩……!」
スカイがとても流暢な英語で声援を飛ばす。ブルースリは精一杯の声を張り上げる。それでも遥かにスカイの声の方が大きいが。
喉痛めないようにね。
『……最後に18番レイニーワルツがゲートに収まって態勢完了!自分を信じ抜く府中1600mの戦い!自分の描いた憧れには負けたくない!だからこそ18人は風になる!ヴィクトリアマイル……スタートしました!』
ゲートの開く金属音と共に、一斉にウマ娘たちは飛び出した。
『先行争いはやはりダイワスカーレット!ソラニンラタトイユ、絡んでモンクロメオが上がっていくが並んで……あっ!ウオッカ!?ウオッカがダイワスカーレットと並ぶように加速していく!!ソラニンラタトイユとモンクロメオを抑えて二人並びながら加速していく!!?』
歓声というよりも
そりゃそうだ。後ろからレースを進めるハズのやつが前を押さえようとしてるんだから。梯を外されたウマ娘達が困惑の色を浮かべ必死に追う。だが同じようにハナを行く蒼い勝負服のウマ娘だけは歯を剥き出しにして口角を吊り上げていた。
「持つんですか?」
「おいおい……。アイツは2400勝ってるんだぜ?なめてもらっちゃ困る」
「……それもそうですね」
『速い!抜け出したダイワスカーレットとウオッカ二人が後続を突き放す!!2…いや3馬身!少し開いてソラニンラタトイユ、モンクロメオが上がっていく!』
『イトシノメリー五番手!その外レイニーワルツとベリーオンス、外からスーッと上がっていくのがエッザモデナ、エリシオンウイングが中団!』
『パーカーカルスト去年のオークスウマ娘、その外ベルナルドアカシア、その後ろにフレーメンガラッド、タキノハイセレア、サイキマロニエーヌ、タイカイエドガー、グレートジョリィ、テンシエイメイ、最後方にライネセンナ!だが先頭二人以外はほぼ差が無い!』
ダイワスカーレットが離れたと思えばウオッカが差を詰め、並びかけるとダイワスカーレットがまた加速する。そのデッドヒートに後続のウマ娘達も置いて行かれまいとペースを上げた。
……だが、入り込めない!割込むどころかこのままのペースでは……ついて行くのが精一杯だ……!
『抜け出た前二人以外はご覧のように塊になっています!ほぼ差がない!これはどういうことだヴィクトリアマイル!?』
先頭を争う二人のウマ娘は、互いに頬を吊り上げ歯を剥き出しにして笑う。熱心なトゥインクルシリーズファンならば、過去のメジロパーマーとダイタクヘリオスの爆逃げおバカコンビを脳裏に思い浮かべているに違いない。だが、違うのは二人とも同じディスタンスを戦うウマ娘であり、火花がバチバチに飛んでいることだろうか。
「なめんじゃないわよォ!!」
咆哮、一閃。
遂に向正面中盤でダイワスカーレットがウオッカを押さえつけハナを奪うことに成功した。反対にウオッカはペースを多少抑え、前に出られては仕方ないとダイワスカーレットの背後にピッタリと身を寄せスリップストリームの範疇に潜り込む。それこそが狙いとばかりに。
このままのペースではいくら1600mと言えども持たない!
少しずつペースを減速させるスカーレットだが、後ろの足音が真後ろから横へと瞬時に移動した。ぞわりと背筋に走る感覚が行けと言っている!
「ッ!?」
「オラァッ!!もうへばったのかァ!?」
ウオッカが前に出ようと競りかけてきた!
「渡さない……!渡すもんですか!!上等!!そっちがその気ならやってやるわよ!」
緩めた速度を再び加速させ、ウオッカからハナを奪い返した。
すると再びウオッカはピッタリと背後に付きスリップストリームの効果範囲に収まる。外から再び行こうとするから半身だけ被せるようにブロックすれば、今度は内ラチ沿いにスイッチして突っつき回してくる!
ジリ貧の攻防、このままでは
スプリントかつミドルディスタンスでもある、1600mは確実にダイワスカーレットのスタミナを削り取る。
『ダイワスカーレットがようやくウオッカを後ろへ押さえつけて大欅を通過!3コーナーへ差し掛かります!後続との差は3馬身!しかし後ろのウマ娘達もペースを上げて少しずつ詰めていきます!』
大欅から3コーナーへ差し掛かり、コーナーに入って後続との距離を見ながら減速する。斜行と取られないように、しかし絶妙に1人でも通れないような間隔を内ラチ側に空け、ダイワスカーレットは後続を誘い込む。
幾度となく行ってきた反復練習によって脳からの指令が鈍くなっても自然と体はそうライン取りしていた。
酸素を欲しがる体へ、空気を取り込んだ肺から心臓が必死に送り込む。まるで耳に心臓があるかのように鼓動が響いて煩いほどだ。
ここまでようやく1000m。ウオッカに追い散らされ、ほぼほぼスプリントのような無呼吸で走り続け、先頭で向かい風を浴びた向正面。そのペースは確実にスカーレットの思考力を奪っていった。
白む視界の隅を吹き飛んでいく600m看板。あと600、
そして後ろには足音が張り付く。居る、確実に!後ろを見る余裕なんて無いが確実に居る!
『まもなく迎える600m近い直線!先頭は依然ダイワスカーレットが進むも表情が苦しい!その後ろにピッタリと貼り付いたままのウオッカ!さあ後続も追いついてきたモンクロメオとイトシノメリー!ソラニンラタトイユも前を狙う!』
滴ってくる汗が目に入り、激しく染みる痛みで白んでいた意識が引き戻された。自分の想像以上に下がっていたペースで後続が一気に差を詰めてきたらしい。内ラチ沿いを開けない自分に他は諦めて外目のコースに持ち出したんだろう足音が聞こえる。
ごうごうと耳を削る風切り音。
抑えなきゃ……。内は大丈夫……!少し外目に持ち出して……!?
――――居ないッ!?後ろにアイツが居ない!!!?
3コーナー進入から緩やかな弧を描いていたコーナーが、きつく角度を変える東京レース場の4コーナー。あまりのハイペースで飛ばして酸欠になり掛け、漫然とした意識に陥っていたダイワスカーレットは知らず知らずのうちにオーバースピードでコーナーに突っ込んでいた。
「死ぬ気でつっこめぇえええええええ!!!!」
左コーナー。自身のその左、内ラチ沿いを低く黒いものが突き抜けた。一人分が通れる隙間を、ほんの少し、ダイワスカーレットは空けてしまった――――ッ
『ダイワスカーレットの内からウオッカが躱す!!加速!!加速した!?あのペースを作ってきたウオッカが加速!!外から後続集団も追いついてきた!!ダイワスカーレットは失速!!呑まれるか!?』
直線に向いた。前を行くウオッカが抉り飛ばした芝の塊を避けるのも忘れ、魅入ってしまった。
体中から力が抜けていく。
「………スカーレットッ!!!君はまだ終わってない!!」
……どうして。アタシは諦めようとしていた……?ふざけるな!!
芝の塊が直撃した右目を無理やりに拭い、力を振り絞る。
『ウオッカが突き抜けるが!!追いすがるモンクロメオ!!外からイトシノメリーさらにエッザモデナ!!ソラニンラタトイユも粘る!!レイニーワルツ!!真ん中からエリシオンウイング!フレーメンガラッド!!……ダイワスカーレットが息を吹き返したッ!!すさまじい加速で突っ込んできた!!しかしこれは距離が足りないか!!』
『これはウオッカだッ!大阪杯の雪辱を果たす久しぶりのGⅠ勝利ィ――――ッ!!見ているか!?これが全てを突き放した常識破りの女帝!!』
東 京 11 R
確 定
① 9
> 2
② 10
>3/4
③ 6
>ハ ナ
④ 2
>アタマ
⑤ 12
芝
良 タイム 1.31.9
ダート
良 3F 33.4