タンデムで見た海   作:印旛沼まで徒歩五分

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焦燥

 

 

向正面から3コーナーを回って4コーナーへ差し掛かる。

体をバンクさせ、容赦なく襲い来る旋回Gをやり過ごして内ラチ沿いに張り付いた。理想的なライン取りをなぞってゆっくりと加速していく。

 

風を信じて、大地と呼吸を合わせ、誰もいない最終直線へと突入。私を見ているのは、タイマー役のウマホと月明かりだけ。

 

芝に足を突き刺して、足首から抉るように体を前へ突き出す。振り抜いた腕の勢いで跳躍するようにまた一歩。しかしできる限り上半身はブラさずに巡航速度からトップスピードへ───。

 

 

…まだ……まだ足りない!もっと、もっと!もっと!!

 

……あの人たちはもっと速い!

 

 

今の自分に足りないのはスピード。速さだ。僅かずつ遅れていくラップ。少しずつズレていく感覚。

あの、後ろから猛烈な速さを振りかざして切り裂いてくるあの人達。同じ差しとして、全てが最高の教本となり得る境遇に身を置いたのに、自分には身につかない圧倒的な速さ。

 

肺が、体が、脳が酸素を欲す。心臓はとうに早鐘を刻む。これ以上は危険だと体が警鐘を打ち鳴らした。

明滅する視界の中で通り過ぎたゴール板。出せる自分の最高速からゆっくりと力を抜いていき、速度を落としていく。

 

「ハッ……ハァ……!くっ!」

 

自己タイムは少しずつ良くなってるのは事実。しかし自分の納得できる走りかと問われれば否と答える。それだけ、同級生の彼女とは開きのある走りだった。

 

心の中にあるのは……同級生に、ましてや友人に向けるべきではない羨望と黒く濁った感情。

 

…………たぶん、()()

 

 

中途半端な時期に本格化し始めた自分の体は、やはり中途半端に本格化をやり残した。

 

入学当初よりも急激に身長が伸び、手足が長くなった。……女性的な部分はまだまだ成長の余地があるハズだがそれはいい。

チームプロキオンに所属して先輩たちと共に行った基礎トレ、アオバトレーナーから渡された個人トレーニングプランの成果として柔肌の下に載る筋肉は確かなものが積み重なっていく。

 

しかし問題は脚に出た。急激に伸びた身長、その皺寄せは関節に行ってしまった。

具体的に言えば膝が脆く、負荷をかければすぐに浮腫(むく)み、熱を持って腫れることもしばしば。

これでは負荷の高いトレーニングは当然行えない。トレーナーにも無理できないと言われ、どうしてもリミットを設けなければいけなくなった。

 

その間にも、同級生はどんどんレース経験を積んでいく。

 

阿修羅の如き先輩たち二人に叩き上げられるようになってから、目に見えてコーナーリングは上手くなったと思う。だが、当然彼女もレベルアップしていくんだ。彼女だけじゃない。周りのウマ娘たちも皆そうだ。

 

ようやくサポーターありきだが、ターフの上を駆けることができるようになった。

しかし、私が立ち止まっている間に空いた溝は深く大きい。NHKマイルを制し、世代の頂点と言われる日本ダービーに挑むディープスカイ(同級生)には勝つビジョンが全く思い浮かばない。

 

 

 

 

膝のせいもあって遅いデビューとなってしまい、自分の失敗もあって未だ届かぬ勝利の二文字。

下級生でも早ければメイクデビューを突破した者もいるだろう。

 

「…私は、ダービーも……」

 

ウマ娘の一生に一度の大舞台、クラシックレース。それに出られればどれだけの栄誉か。それを勝利したらどれだけの栄光か。

既に幾度もその機会は逃してしまった。もとい、その舞台に挑戦する権利すら手にできなかった。

 

 

もしや……このまま、未勝利のまま学園を去ることになるのだろうか。

 

「そんな、こと……ない……!!」

 

頬を叩いて気合いを投入。まだ荒く整わぬ息、酸素を欲する体。

しかし未勝利で燻ったウマ娘は、その分経験を積むしかない。経験を積むためには走るしかない。なら、立ち止まっていられない。

 

さあ、もう一本─────

 

 

「そこまでだ」

 

 

不意にかけられた低い声にびくりと肩を震わせた。振り向けばこちらを刺し貫く鋭い目。その目は、普段纏う気怠い雰囲気が消え失せ、こちらを押え付ける威圧感を携えていた。

強い息苦しさに、爪先から冷えていく感覚がする。

 

「スタミナが豊富なのも考えものだナ……。トレーニングはとっくに終わってるはずだが、何故ここにいる?」

「…………走って、ました…」

「そりゃジャージでターフに居るんだから当然だよな。そうじゃないぞオウケンブルースリ」

 

寄りかかっていたラチをひと息に飛び越えた黒ジャケさんが近づいてくる。

ぐるぐると頭の中を回る言い訳。きっとディープスカイなら上手いこと言い丸めるのだろうが、あいにく自分は喋る事が得意でない。考えた事を纏められず、いつも発言のタイミングを逃してしまう。

だが彼は待っている。私が話をするのを。

 

「トレーニング、の……後から、自主トレを……してた……」

「強度をギリギリまで高めているから自主トレはセーブしろと言ったよな?」

「……はい」

 

冷たい感覚が全身を這う。言葉尻は優しげだが、目の前の男から明確に()()を感じたからだ。

ふう、と。溜息を吐いて黒ジャケさんは空を仰ぐ。同時に弛緩した雰囲気に張り詰めた緊張が瓦解して、自主トレの疲労もあってか、かくりと膝から力が抜けてしまった。

 

「おい!大丈夫か!?」

「……大丈、夫」

 

少し感じる煙草のにおい。ちょっとの静寂の後、膝と背中に手が回されてフワリと浮き上がった自分の体。抵抗するように少しだけ身動(みじろ)ぎしてみたが「大人しくしていろ」と押さえられてしまう。

どっと疲労が手足を包み、気力すら湧いてこない。そのまま、なされるがままに私はトレーナー室へ運ばれてしまった。

 

 

 

 

「ソレを膝に当ててろ」

 

ぶっきらぼうな言い方で渡された氷嚢をバンドを使って膝に当てると、火照った身体には心地よく、ぶるりと身震いした。

 

「……どうして…分かった、んですか…………?」

「ここ最近門限を守らない悪い子が居るってな。フジキセキから連絡があったんだ」

「……」

「ディープスカイは頑なに喋らなかったが、大方フジキセキが飯か風呂の時にタイミングを合わせて玄関を開けてたんだろ?それまでお前さんは走り続けてな」

 

図星。帰寮したと見せかけて、隠した制服とシューズもバレてる。

 

「なあ、何か不満があるか?改善するから言ってくれ」

「ん……」

 

首を横に振る。

トレーニングは変なのもあるけど、皆が楽しく飽きないようにゲーム性を持たせたり、それでいてディープスカイやウオッカ先輩ですら膝が笑うぐらいのトレーニングを課せられる。

ただメニューを渡してはい終わり、ではなく私たちの限界をしっかり見極めている事がよく分かるモノだ。

 

そして執拗なまでのアイシングとマッサージ。

やり過ぎじゃないかと思うぐらいに、黒ジャケさんはここを大事にする。ちょっとくすぐったいけど気持ちいい。

 

「……焦ってた」

「そうか」

「……私は、デビューが遅かった……。頑張ったけど、メイクデビューは勝てなくて……、次の未勝利戦は……私のミスで負けた…」

 

やり場のない感情を指先で遊ばせた。両の手のひらを向かい合わせたり、互いに背を向けさせてみたりした。

 

「この、まま……私は、勝てないのかな……って…」

 

少し考え込む様子の黒ジャケさん。たぶん次に私に掛けられる言葉は「そんなことない」や「君なら勝てる」だろうか。

嫌悪感を覚える。そういった言葉を掛けてほしい自分に。

 

 

 

「そうだな……あいにく、次なら勝てるという言葉を掛けられるほど人間できていないんでな」

 

 

 

「……え」

 

どういう……事?トレーナーがウマ娘に対して、勝利の約束はできないというの……?

震える指先を握って抑えつけるので精一杯だ。だってこれは、期待していた言葉と正反対過ぎる刃物だ。

 

「あー、勘違いしないでほしいが……決してお前さんがこのまま勝てないって訳じゃないんだ。秘めているポテンシャルは次の未勝利戦で問題ないレベルだ」

 

───お前さんにゃ短すぎるんだ。

メイクデビューに2500m戦でもあればな、と肩をすくめる黒ジャケさんは黒い服装も相まってまるでそこに居ないように見えた。

 

「ただ、ウマ娘が負けたらそれはトレーナーの責任さ。お前さんたちは思いっきり文句を言っていいんだ」

 

どういう事なの……!?ふつふつと湧き上がる怒りに耳を後ろに絞ってしまう。自分がここまでヒートするウマ娘だとは思っていなかった。

 

「……矛盾してるよ!!矛盾してる!!それなら……!!」

 

「走り出してしまったらもう、そこは走っている奴らだけのステージなんだョ。走りもしない奴がどうこうって言うのは無責任じゃないか?って意味だ。レースの結果には責任を持つが、ウマ娘の走りには責任を持てない」

 

「結果には責任を持つけど、過程には責任を持たないってこと……?」

 

頷く黒ジャケさん。……なんだ、なんなんだこのトレーナーは。

師匠であるプロキオンのアオバトレーナーとは真逆で、レースに対する姿勢が非常にシビアだ。まるで()()()()()()を見てきたかのように。

 

「レースで、走った事もないのに……!」

「信じてくれても信じなくてもいい。俺はそんな世界で2年間勝てなかった。だから勝てないウマ娘の気持ちも理解(わか)ってやれるつもりだ。だから何だって言われればそれまでなんだがな」

 

私を貫く鋭く細められた視線が、酷く哀しさを含んでいるような。その視線に何も言えなくなってしまう。何も返す言葉が出てこないから。

 

「夢は叶えるもんだ。目標は達成するもんだ。それに向かって努力することも大事ではある。だがな、上手くやらないと努力は裏切るぞ。無理に追い込んだ先に待つのは屈腱炎に繋靭帯炎、果ては骨折だ。お前も知らないわけじゃないだろう?無理なトレーニングをしたウマ娘がどういう結末を辿ったのかを」

 

()()()()()()。そんな事、考えた事も無かった。積み上げただけ、応えてくれるものだと思っていた。それが崩れていく。

 

「お前さんは、何の為に走る?」

「何の……為に……?」

 

 

 

 

腕を組んで待ち構えるフジキセキ先輩が、玄関の柱に背を預けていた。隣に居る黒ジャケさんの「げっ」という声とともにゆっくりと向かってくる。

 

「随分遅かったね?ポニーちゃん。確か外出申請は出されていないはずだったんだけどな?」

「……」

「あー、それはだな。もう少しでレースだから追い込みたいと思って俺が連れ出してたんだ」

「ふぅん……?そういう事にしておこうか。じゃあトレーナーさん正座」

「え"っ」

「え、じゃないよ。大切な栗東の生徒を連れ回していかがわしいことしてたんだからお説教さ!ブルースリ、なにかいやらしいことされなかったかい?」

「……足を、いっぱい……触られました」

「……」

「……」

「……ヒシアマを連れてくるね」

「待て!誤解だ!!」

 

疲れているだろうからと、先にフジキセキ先輩に釈放され玄関をあがる。ガラス越しに説教をされている黒ジャケさんへ舌を出してやった。私の中をぐちゃぐちゃにしてくれたお返しだ!

 

───菊花賞。

クラシック級、最後の冠。間に合わせてみせる。あの同級生と戦う日のために。

 

 

 

 

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