そわそわと揺れる尻尾。あちこちに向くウマ耳。
それはウマ娘が不安や緊張を発するサインであり、しきりにウマホをタップするウオッカが何かを待っている証拠だった。
同じ空間にいるディープスカイとオウケンブルースリは理由を分かっているが、ダイワスカーレットがいたらソワソワと身を揺するウオッカに「落ち着きないわねぇ」と一言ぐらい零しているだろう。
「う~ん、既読つかねぇなぁ……」
とっくに朝練の開始時間は過ぎており、普段なら居るはずのトレーナーが未だ姿を見せていなかった。
ウオッカは数度通話を発信してみたものの繋がらず、送ったメッセージは未読のまま。トレーナーはスマホ自体を見ていないという事になる。もちろんバイクで向かっている最中ならスマホなど弄れないだろうが、寝坊とかなら一言ぐらいあってもいいんじゃないか?
「タバコ吸いにどこかへ行っているとかは?」
「それも考えたんだが、駐輪場にバイクが無かったから到着すらしてないんだよな」
何かとルーズなトレーナーだが、あの男はあれで意外と時間は守るのだ。そもそもタバコを吸いに行ったとてそう時間のかかるものではないし、なにより駐輪場にバイクがないとなるとトレセン自体に居ないということになる。
「ブルースリは何か聞いてるか?」
「………何も…」
ディープスカイもオウケンブルースリも首を横に振る。ウオッカに連絡が無く、彼女らが話を聞いている可能性は薄い。やはり空振りに終わった。
「しょうがねぇな……。ブルースリは昨日と同じメニューやっててくれるか?スカイは補助してやってくれ」
「了解で~す☆」
「……ウオッカ先輩、は?」
「オレは宮下サンにトレーニング見てくれないか頼んでくるよ。ついでに、たづなさんに連絡きてないか聞いてみるぜ」
先の日本ダービーで見事頂点に立ったディープスカイ。マスコミ対応やレース後の検査など忙しく動き回っていた彼女もようやく一段落し、疲労抜きも兼ねて軽めの調整メニューと相成っていた。
反対に未勝利戦を間近に控えたブルースリはここぞとばかりに追込み期間へ入っている。もう負けられない彼女は鬼気迫る勢いでトレーニングメニューを熟していて、こちらにも否応なしに気合いが伝わってくる。
「わかりました……。こちらは先に、始めて…ます……」
「おう、気をつけるんだぞ」
後輩たちのモチベーションも高いし、このまま良い波で自分の安田記念にも繋げていきたい。だからこそ一日を無駄にしたくないのだが、肝心要のトレーナーがいないのでは始まらない。
「ったく、どーしちまったんだよ」
未だ既読表示に変わらないメッセージアプリを再び確認して、一抹の不安を覚えた。
もし、通勤道中で何かあったのなら……。いや、決まったワケじゃないはずだ……。よからぬ想像を散らして静かに廊下を走る。なぜか腹の奥底から湧き上がる焦燥感はいくら振り払っても消えてくれなかった。
トレーナー棟の一角。
ダイワスカーレットと宮下のルームにお邪魔して理由を話すと、こちらもまた首を横に振るばかり。「トレーナー同士なら何か聞いているかも」という望みも徒労に終わった。
「こちらに連絡は何も……」
「まったくだらしないヤツね」
この分では宮下以外のトレーナーに聞いて回ったところで無駄足に終わりそうである。他に思いつくのはチームプロキオンのアオバトレーナーだが、こちらは数日前から地方に飛んでいてまず無いだろう。
「ふむ……。あの方、トレーナー寮ではなく外部から通勤されているので確認のしようがありませんね。たづなさんならご存知かもしれませんが」
以前、バイクが弄れないから寮には入らないと言っていた気がする。困ったことに、様子を見に行くとしても住所がかなり離れている可能性が出てきた。20km圏内程度であればウマ娘なら大して苦労しないが、住所が分からなければやはり詰みだ。
「ブルースリ君とスカイ君はこちらでトレーニングを見ておきます。スカーレット君も良いですか?」
「知らない相手じゃないだけマシね。良いわ、付き合ったげる」
「ありがとうございます!スカーレットも恩に着るぜ!」
落ち着きなく揺れっぱなしの尻尾と耳が彼女の状態を如実に表していた。
残念ながら協力できそうもない自分達はできる限りの刺激は避けようという目配せをし、スカーレットも宮下も言葉に出さずとも思惑を一致させた。
「サカキトレーナーさんですか?特にそういったご連絡は頂いてませんが……」
「そうッスか……」
最後の望みであったたづなさんも呆気なく空振り、いよいよ事が大きくなってきてしまった。
担当ウマ娘に連絡がなく、同僚トレーナーや管理元のトレセン及びたづなさんにすら何も無いとなれば、事故に巻き込まれたり、突然の疾病など非常に良くない事態である線が濃くなってくる。
そうと決まったわけではないが、二輪車の交通事故率が高いのは事実。
ネットニュースなんかを漁ればバイクの男性が事故、なんて記事はいくらでもあるわけで、ウオッカの感じた不安は急激に頭を
「…───ッカさん!ウオッカさん!!」
「……ッ!」
たづなの声で意識を呼び戻された。
深い思考の海で溺れかけたその顔は青く、耳はへにゃりと折れて力を失くす。ざわざわと煽り立てるように波紋を広げる心の内。
ダメだ……。クールだ、クールになれ。こんな時ほどトレーナーは動じないだろ?オレが慌ててどうする……!
「サカキトレーナーの件はこちらも承知しましたので連絡を
「あのッ住所とかって分からないんですか!?もう直接行っちまった方が早ぇ気がするんです!」
「申し訳ありませんが、それは守秘義務に反するので契約担当ウマ娘といえどもお教えできません……!」
「そこを何とか……!」
「すみませんがこれは法律なので……。お気持ちはよく分かりますけども……」
「分かり…ました……」
たづなさんは眉をハの字にして頭を下げた。
さすがにそこまで理由を出されてしまっては、引き下がらざるをえない。
それに人目のある総合トレーナー室で問答を打って注目されてしまうのも避けた方がいいだろう。仕方ないが、別の方法を考えなければ……。
総合トレーナー室を出てから、ウマホをフリックして何かないかと探していると1人トレーナーの家を知ってそうな人物が浮かんだ!
もうこれしかねぇ……!頼む!
『ぁ、はい。サク……』
「サクさん!!!!!」
『うぉい!?ウオッカちゃん!?』
「サクさん!トレーナーの住所教えてくれないスか!?」
『なになになに!どうしたんよ!?』
手早く事情を話すと、電話口の向こうで深く息を吐くサクさん。なにやら心当たりがあるようで、少し迷うような詰まり方。
『……分かったわ、座標送っとく。もしかしたらウオッカちゃんならイケるかもしれんしね』
その言葉は普段のサクさんからは考えられないような重さを纏っているような気がした。
トレセン学園のある府中市から1つ跨いで、車であれば30分程度の距離にある市。
ナビの案内に沿って走り続けると、程なくその街中から離れ、農耕地もちらほら覗くようになってきた。ウマ娘専用レーンをテンポよく踏みしめて車を追い越したり追い越されたりしながら中心駅から離れていく。
大通りから少し入れば車の喧騒も離れて聞こえ、鳥の囀りも耳に入るようになってくる。だんだんとコンビニも見なくなり、ついにはバス停も終点らしい。
「少ねぇな……」
朝に3本、夕方に2本。バスの転回場には姿がなく、その時間にならなければ現れないらしい。
だいたいは手前の団地で折り返してしまうのだろう。この宅地には数件の住居と築年数がかなりいってそうなアパートがまばらにあるばかりであまり人の姿がない。
ちょっとした住宅街から離れ、畑沿いの道を進んだ大きめの倉庫のような建物の前で足を止める。教えてもらった住所は確かにここで、地図アプリが指し示すピンも間違いない。
「え……マジで……?」
一軒家よりは大きいだろうが、屋根はコルゲートだし扉は簡素なもので、地面はコンクリートで固められている。フェンスで囲まれており住居と言うよりも農耕具の倉庫と言った方が正しいような風貌をしていた。周りに住居らしきものもない。表札もない。
だがポストも宅配ボックスらしきものもあり、人が生活していそうな雰囲気もあるにはあった。地面のコンクリートには無数のタイヤ痕があり、出入りが頻繁である事が伺える。
「マジでここ住んでんのか……?」
付近にスーパーらしきものも無ければ、見渡した範囲にコンビニすらない。街道沿いに出ればあるかもしれないが、ちょっとした買い物にも苦労しそうだ。
門を潜り、玄関らしき扉から建物の横あいにある犬走りへ視線を向けると雑多に置かれたホイールや工具箱などが目に入った。
『扉の横にある狭い通路の道具箱の中に鍵を隠してるから、場所変えてなければそれで入れるはず』とのことなので、後ろめたさを感じながらも道具箱を開けてみる。
中にはレンチやスパナ、パーツのようなものが押し込められており、手を差し込めばガチャガチャと金属の擦れる音がする。
「コレ……か?」
それらしい鍵束を見つけサルベージ。玄関の扉に鍵を合わせていくと3本目でカチャリと錠が開いた。
「お、お邪魔しま~す……」
恐る恐る中に入ってみると、鼻に感じる鉄と油の混じった匂い。
シャッターの前には馬運車登録しているという羽のついた車と、VTやカウルの下ろされたバイクなど数台が止めてあって、タイヤやパーツが積まれていた。
その奥のソファーと水場が集められたスペースにはホワイトボードがあり、中京レース場と東京レース場のコースマップが描かれていた。ホワイトボードが少し黒ずんでしまうほど幾重にも書き直され、何度か分からない程のコース取りシミュレーションを行った痕跡が見て取れる。
おそらく、中京2000mはブルースリの未勝利戦に関するもので、東京1600mはオレの安田記念のシミュレーション。
どちらも6/8開催で日程が被ってしまっているから……トレーナーはどちらへついていくのだろうか。ブルースリも後のない未勝利戦だから、もしかしたら向こうへ行くかもしれない。チクリと胸を過った感情が湧きだした。
「……オレの走りを見て欲しいな」
頭を振ってホワイトボードから意識を戻す。肝心のトレーナーが下には居ないため今度は階段を上って二階を捜索することにした。
鉄製の階段をたんたんと上がり灯りを点けてみると、服やジャケットの掛けられたラック類が並び、より生活感がある。トレーナーの匂いが濃いのは当たり前だがそれ以上にオイルなどのケミカルな臭いもする。住める環境かと聞かれれば……正直微妙。
「トレー…ナー!?」
――――ベッドの上に横たわったトレーナーが見えた。
急いで駆け寄り状態を看る。呼吸は有り、首元を触ると脈はある、が。呼吸は荒く脂汗で前髪は貼り付いていて顔も赤い。
「うおっ……!あつッ!」
指先からヒトの平熱を明らかに超えた体温が伝わってくる。尋常じゃない様子に、これは欠勤は無理もない。とりあえずどうしようか。熱を測ろうにも体温計らしきものも無ければ、熱救急シートも見当たらない。一先ず桶に水を張って綺麗なタオルを浸し、汗を拭いてやる。
「……緊急だからな、仕方ないもんな」
服を脱がせ、転がしながら汗を拭いていく。さすがに下は無理だが上半身だけでも変わるはず。手早く済ませ冷蔵庫に入っていた冷えた水をボトルに移し替え、脇と太ももに挟んで応急処置。
あとは水分補給しやすいようにスポドリが要るか?薬も欲しいし、まともな食事なんかもしてないだろうから食べやすい物が要る。近所の…といっても何分かかるか分からないがドラッグストアはあるらしい。買い出しに行こう。
「まったく……こうなる前に頼ってくれよ……」