タンデムで見た海   作:印旛沼まで徒歩五分

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本音

 

 

追うべき背中は、超えたい男は、すぐ前を走っている───。

 

 

 

追いつける

 

右手のスロットルは絞り切る。体を蹴飛ばされたように加速していく。跳ね上がっていくタコメーターの針と同調していく体の芯に響くエキゾースト。体に叩きつけられる空気の壁。マシンが発する一つ一つのメッセージ。

 

追い抜ける

 

行ける。行ける行ける行けるッ!

じわりじわりと近づき始めた男の背中に焦燥感が湧き上がる。早く!速く!早くっ!だからどっちが速いんだ────ッ

 

追いついたはずの背中が目の前で一瞬にして霧散した

 

気づけば周りには誰も居なくなっていた。

まるで暗闇の中、霧の白い闇。夜の帷の降りた峠道のように、誰も、誰も周りにいない。チームの皆も、前を走っていた男もみんなみんな消えちまった。

あぁ、また……。またこの現実()か。

 

 

あと一歩

 

あと一歩

 

何があと一歩なんだ。俺は何も超えられなかった。

ただ1人、夜の峠道を走り続ける。左へ、左ヘアピンを抜けて右へ、少しの直線を抜け、また右へ。だんだんと高度を上げている筈だが、終わりの見えない峠道。

 

届かない

 

腕を伸ばす

 

届かない

 

あの男は風になっちまった。いっその事俺も風になってしまいたかった。そうなるべきだったんだ。あの日、あの時、鈴香のR130。フォーカスを飾った最期。

なぜ、なぜ俺を生かした、アイデルン?そのまま、お前が最終コーナーを抜けていれば良かったんだ。コントロールラインはすぐそこだったんだ。

 

スロットルを捻る右手がから回った。夢の終わり。何度目か分からない無限回廊(フラッシュバック)

 

また1人で暗闇に沈む。何度スロットルを煽ろうがエンジンは返事をくれない。

 

…………1人だ。

 

 

 

もうこのまま走るしかないと思った時、そっと右手に何かが添えられる。

 

スロットルをから回る掌に、薄汚れ節くれだった俺の手に触れる、随分と柔らかく仄かな温もりをもった白魚のような指。

ゆっくりと両の手のひらが俺の右手を包んだ。少し小さくとも存在を伝えてくるように包み込んでくれる。もう、いいんだとでも言うように掌に力が抜けていく。

 

その温もりが欲しくて、離したくなくて無造作に指を絡め握った。手に引かれて全身が白い闇へ包まれると、急激に意識が輪郭を持ち始めた。

同時に体は酷いほどの倦怠感を訴えてくる。横になっているはずなのに頭の中が揺れるようで目を開けるのにも苦労した。

 

だがこのままという訳にはいかない。

今日だってアイツらのトレーニングを見なければならない。ブルースリもウオッカももうレースが近いから、トレーナーが穴を開ける訳には行くものか。

 

力の入らない体に鞭打って起き上がろうとしたが、何かに押さえつけられた。

 

「……起きたかよ。酷い熱なんだから寝てろって」

 

……いや。

は?

 

なんでお前がいる?

俺はトレーナー室でぶっ潰れたのか?

 

記憶の間違いを証明するために、回らない頭で周囲に視線を散らすと目に入るのは見慣れたチープな壁。間違いなく自宅だった。

 

「あー、夢でも見てんのか……?」

「時計見てみろよ」

 

壁に掛けた時計は既に朝を通り越して、とっくに昼へ至ろうとしていた。

 

つまり、なんだ。朝練すら通り過ぎ、出勤すらしていない。学生ならもう昼休みだ。

俺は無断欠勤したってことか。

 

「……頭が回らねぇから最初から説明頼めるか」

「朝練の時間になってもトレーナーが来ないから連絡しても音沙汰なし。他の誰も連絡が来てないっていうから直接確認に来たってところだな」

 

枕元のスマートフォンを確認してみれば、トレセン学園からのメッセージと着信が数件。

業務用端末はウオッカやディープスカイ、オウケンブルースリからそれぞれメッセージ。文面から読むに心配はしてくれているらしい。

 

「アイツらは?」

「宮下さんに頼んである」

「じゃあ心配ねぇ……か」

 

熱出してぶっ倒れるなんて何年ぶりだろうか。いい大人になってまで情けねぇ。

トレセン学園に生存報告し、今日は休む旨を返信しておくとしよう。それもだがもうひとつ解決しなければいけない問題がある。

 

「なんでお前さんはここにいんだよ。トレセン学園は個人情報厳重管理なはずなんだが」

「たづなさんはダメだったからサクさんに聞いたんだよ。どこかで事故ったんじゃないかとか家でぶっ倒れててそのまま……なんて困るじゃねーか」

 

抗議の視線を送ってみるものの、返ってきたのはこちらを心配する眼差し。わざわざ来てくれたコイツに何か言うのもお門違い……か。それは仕方ないとして、来ちゃったかぁ……。

 

「オレが強引に頼んだからさ…怒らないでやってくれよ………!」

「どうこう言うつもりはねーよ。ただ個人情報管理をどうしてんのか問うだけだ」

 

頭に貼られた冷却剤。どうやら拭われて着替えさせたらしいシャツ。血を冷やすために腋と太ももに挟まれた水の入ったペットボトル。俺は買った覚えのない、ということはウオッカが用意したものだろう。

 

「ありがとうな」

「んぁ?」

「コンビニもスーパーもないだろ?この辺り」

「ホントだよ!どうやって生活してんのか不思議だぜ……。ここも家って言うか倉庫じゃねーか」

「車とバイクが入れられれば上出来だョ」

「いや……まあ本人が良いならいいけどよ……」

 

世間一般からすればウオッカの反応が普通だろう。自分がおかしい自覚はある。だが、俺はこれ以外を知らないしこれがいいと思ってしまっている。

 

「ところで、さ……そろそろ、手…離して…くれねーか?」

「手?」

 

ぼーっとして仕方ない頭を起こしてみると、不思議な事に投げ出された右手はウオッカの左手指を絡めとっていた。思ったより小さいんだなとか、肌がきめ細かいんだなとか、健康的な白さだなとかどうしようもない事ばかり思い浮かんで動きが遅れてしまった。

 

マズい。これで何か言われたら完全に事案だと言い逃れできない。ゆっくりと指を解いて降参のポーズをとる。

 

「あー……すまん。ワザとじゃないんだ。無意識下の過失だから許してほしい」

「…別に怒ってねーよ……」

 

指先を擦りながらそっぽを向いたウオッカの頬はどことなく赤い。どうやら怒りではなさそうだが、俺も迂闊な行動だったと反省しなければならない。

 

 

「……その、(うな)されてたぜ」

 

会話もなく流れる間。その空気に少し落ち着いたウオッカが、言い迷いながらも口にした。

 

「何か口走ってたか?」

「なぜ俺を生かした……って」

 

そこが口に出てるなら、それ以外にも夢現のうちに聞かせてしまっているかもしれない状況。

 

「昔のことを思い出したのさ……。もうかつての事だが忘れられねえんだ」

 

今もこうして、魘されるほど夢に見る。縛り付けた鎖は太くどんなに刻んでも切れなかった。

 

忘れようとして二輪のレースから降りた。それでも離れることは出来なくてバイクに乗り続けた。

 

ウダウダし続ける俺を見かねたサクに東京レース場へ連れて行かれ、深い衝撃を受けた。あの時の日本ダービー、その小さな身に声援を全て背負い飛翔したウマ娘。

 

俺も()()()()()と思いたかった。だからトレーナーを目指したんだ。

 

「分からなくなるんだ。……分からなくなったんだ。このままトレーナーを続けてウマ娘を導けるのか。俺にその資格があるのか」

 

ふと、口から漏れだした言葉。心の内。その先を遮るようにウオッカが手を翳した。

 

「オレは、トレーナーの事を信じてるし今まで組んでやってきた。アンタ以外だったらここまで来ていないし、もっと沈んでたかもしれない。だから感謝してんだぜ?それはローレル先輩だって、それこそエスタ先輩もそうだと思う」

 

……そう、思ってくれるか。

澱みなく紡がれる言葉にふっと安堵の息が漏れた。そう思ってくれるか。人間が弱ると普段抑えていたような言葉がぼろぼろと出てきかねない。

 

「トレーナーは立派にやってるさ。なんたってダービーウマ娘のダービートレーナーなんだぜ?スカイだって所属はプロキオンだけどトレーナーは2年連続ダービートレーナーだぞ」

「……それは」

「スカイの力もある。もともとのアオバさんの力もあるけど、何よりオレたちウマ娘はトレーナーと二人三脚なんだよ」

 

「だからさ、信じてくれ!オレが信じるアンタを!否定しないでくれ!自分自身を!」

 

静かに、だが、強く発せられたその言葉は肯定。枯れた心の内に一滴の雫が落ちる。

 

「この先どんな選択をしたとしても、オレは受け入れるよ。トレーナーの事を」

 

人間体調がよくない時は何故こんなにも脆くなるのだろうか。流れる清水を止めることは能わず。

再び右手に感じた温もりを、手に取って離さない。暫くはこの温もりを感じていたい。

 

 

 

 

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