タンデムで見た海   作:印旛沼まで徒歩五分

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決意

 

 

受け取った鍵を手慰みに数回なぞる。スティールな感覚と冷たい感触が指先を通して伝わってきた。

いつだか買ったキーホルダーがちゃらちゃらと音を立て、それをくるりと回して鉄の首元に突き刺した。右に捻るとパチパチとキーシリンダーが進む。

 

ZR-10Xのタコメーターが反応し、インジェクション独特の起動音と共に一回転。針が戻ってくるのを待って、クラッチを握りセルスイッチを押し込んだ。

たかだか1週間だと言うのに、久方ぶりに聞いたようなその重い咆哮。紺の獣は規則正しい間隔で鼓動を刻み始める。

 

「助かったョ。コイツがいないと始まらねぇーんだ」

 

少しスロットルを煽れば鋭い反応(レスポンス)を返す。こちらを値踏みするような視線は相変わらずだ。

 

───お前にもう一度乗せてくれ。あの夜のような不甲斐ない走りはもうしない。

 

「これっきりにしてくれよ?あんな姿で来られたら心臓がもたないじゃんよ……」

「悪かった。今度飯でも奢るから許してくれよナ」

「いや~!これはウオッカちゃんの限定グッズでも頂きたいところですなぁ~」

 

サクのゲンナリしていた顔がすぐにひょうきんな顔に切り替わり、今度は現金なことを言い出した。

 

「非売品流したらなんて言われるか分かんねーからダメ。つーかトレーナー規則違反だし」

「チィッ!」

 

本当に「チィッ」と声に出す舌打ちする奴が居るか。どこぞの赤い彗星かっつうの。

鉄と油の臭いしかしないバイク屋であるこいつの店に、何故か着々と増えていくウマ娘グッズやぱかプチに軽く戦慄を覚える。これの力で新規客層が増えつつあるというのだからビックリ。

 

 

「それはそうと、6月のレース出るよ」

「えっ!?いいんか!?」

 

自分から誘っておいてなんで驚くんだよお前。

 

「そのレースで……最後にするョ。国内ライセンスも返納する。三才山(みさやま)クンにもよろしく言っといてくれ」

 

 

こうしておけばよかったんだ。いつまでも、手に入らない最速の座に魘されるのはもうやめだ。最後に全力を出し切って、いかなる結果であろうともそれを飲む。

 

思えばサクにもずいぶん迷惑を掛けた。ガキの頃からバイクを弄ってもらって、俺の我儘を何度も形にしてもらった。イメージピッタリに仕上がってくるマシン。最高のレスポンスを返してくるマシンはどんなに乗り換えてもお前の手を入れたマシンしかなかった。

 

だからこそ惜しくも思う。

 

降りるべきだ。

 

もっと乗っていたい。

 

しかし物事は白か黒か、表か裏か。どちらか選択を迫られる時が来る。それが今だ。

 

 

 

───俺は走りから降りる。

 

 

 

 

 

 

 

朝練前に駐輪場へ寄ってみる。いつもの端っこの目立たない所。裏門に続く道からは少し見えづらくなっている場所にいつものVTが止まっていた。赤い車体にところどころの劣化を感じるがトレーナー曰くまだまだ走るらしいから驚きだ。

 

ふと薫ってきた紫煙の匂い。誰かがいつも纏っている嗅ぎ慣れたそれは、何だか安心感をもたらした。

スカーレットやスカイならば〝タバコ吸っている時点で無し〟なのだろうがオレは別に……何とも思ってないぞ。

 

生徒から覆い隠すように、このトレーナー寮の裏手にある門の駐輪場横とトレーナー棟屋上にだけ喫煙所がある。

人の何倍も嗅覚の鋭いウマ娘達に、煙草の臭いは凄く嫌がられるのが普通。更にその呼吸器系を攻撃する有害さはアスリートに等しいオレらには毒以外の何物でもない。

 

でもバイクと煙草っていうのは大体セットだ。愛車と自分だけしかいない世界。山でもいい。海でもいい。そういう所で吸う煙草っていうのはきっと()()()()()()()()ようなものなんだろう。

 

「今日は時間通りだな」

「……喫煙所はお前さん達によくないんだ。離れな」

 

トレーナー達は喫煙率がものすごく低い職業だ。トレーナー志望だからと元々吸っていない人が殆どで、トレーナー就任を機にタバコをやめたという人を含めて9割を超えるんじゃなかろうか。

実際にトレセン学園へ就職する際の面接では、トレーナー志望でなくとも喫煙するか否かも問われると聞く。

 

オレが隣に屈むと煙がかからないように風下へ移動する。そういう気の回し方はデキるくせに……。いろいろ言いたいことが無いわけではないが、朝から言い合うのも不毛に思える。

 

「んだよ。人が心配してきてやったのにさ」

「それについては感謝しているし埋め合わせもするから」

 

ぷかぷかと、七つ星から煙が上がっては空気へ(ほど)けていく。

 

「なぁトレーナー、煙草って美味いのか?」

「やらんぞ」

「いらねぇよ」

 

最後まで七つ星を吸い込むとオレのいない方向へゆっくりと煙を吐き出し、灰皿へ殻を押し付けた。ぼろぼろと崩れた灰を落とさないように掬って入れると、トレーナーは一つ大きく息を吐いた。

 

「美味いかどうかで聞かれたら、美味くねえよこんな煙なんか」

「……じゃあどうして、煙草を吸うんだ?」

 

前髪のかかる伏せられた細い目と視線が重なる。仕方のないような、何かを諦めたようなそんな表情。

 

「───そうだなぁ……。手向けってとこか。願わくば、お前がそんな理由で煙草を吸わなけりゃいいがナ」

 

そんな顔で、そっと口許だけが優しく吊り上がった。

 

 

 

 

黒ジャケさんは結局どうするんです?

「何が?」

 

トレーニングも終わってウオッカとオウケンブルースリがシャワーを浴びに行ったタイミングで、一人残ったディープスカイは手持ち無沙汰で暇だからか話をブッ込んできた。

 

何が?じゃないですよ!ブルースリの未勝利戦が6/8に中京レース場開催じゃないですか

「そうだな」

 

ブルースリが挑戦できる未勝利戦で一番距離の長いものが2000mなのだが、申し込みをしたところ中京レース場の開催に割り当てられてしまった。この時期は東京や京都・阪神開催の大きなレースが多いため福島、新潟、中京が受け皿となりやすい。

 

ウオッカ先輩の安田記念は?

「6/8」

丸被りじゃないですかァ~~~!!?!?

 

オーバーなリアクションで頭を抱えるスカイ。確かにちょっと困った事態になっていた。

ウオッカの挑むGⅠ安田記念は東京レース場開催となる。開催日時が見事に被ってしまった。一日違いであればどうにでもなるのだが同日の開催

 

あの筋肉さんは?

「地方から戻ってこられないってさ」

くぅぅ~!!肝心な時に!!

 

ホントそれな。今こそそのマッスルパワーで空でも飛んできて欲しい。

 

「スカイはブルースリに付いて行ってくれるか?」

まあ……そのつもりでしたけど……そうですか、トレーナーはブルースリよりウオッカ先輩を取るんですね……?

 

言い方よ。本人たちが聞いてたらどうすんだ。

 

「……。ウオッカ先輩はGⅠレースなんだから……普通だよ…スカイ。黒ジャケさん……未勝利戦はこっちで、上手くやります……」

 

いつの間にか戻ってきていたブルースリに、後ろから言葉を投げかけられる。どーすんだよバッチシ聞かれちゃったよ。だが、間違いは正しておかなければならない。

 

「俺が行かないとは言ってないだろ?」

 

スカイが目を丸くする。ブルースリですらまん丸に目をかっ開いていた。そんなにおかしいだろうか?トレーナーが担当してるウマ娘のレースを見に行くの。

 

え……?ちょちょちょっ!トレーナーさん中京の場所がどこか分かってますよね!?

「え?愛知県だが」

 

中京レース場が位置するのは愛知県豊明市。愛知の中心街とも言える名古屋からすると南東に位置する。近くの私鉄に中京レース場前という駅もあり比較的アクセスしやすい方だろうか。そして伊勢湾岸道の豊明インターチェンジからもほど近くある。

 

???じゃあ……ウオッカ先輩は誰かにお任せして私たちの方に来るって事ですか????

「いや?安田記念にも行くぞ」

「????」

 

頭の中も表情もクエスチョンマークでいっぱいという感じのスカイ。ブルースリも珍しく困惑の表情。二人揃って混乱していた。

え?愛知と東京でしょ?たかだか2県跨いでるだけじゃん。静岡がエンドレスなだけで。東北道の岩手、北陸・日東道の新潟、東名の静岡は時が止まってるのかと思うほど長い。

 

 

「うっす」

あー!ウオッカ先輩聞いてくださいよ!!黒ジャケさんが訳の分からない供述をしてるんですよ!!

「?」

6/8のブルースリの未勝利戦とウオッカ先輩の安田記念どっちでも後方トレーナー面するって言うんですよ!?

「いやトレーナーなんだが」

うっさいですね!容疑者に発言権は無いんですよ!!

 

横暴すぎんだろ……。

 

「トレーナー、安田記念は15:40発走だよな?ブルースリの未勝利戦は?」

「12:10」

「3時間半……か。あんま無茶すんなよ」

 

さすがウオッカはもう俺のせんとしている事を察しているらしい。だてに2年半バディを組んでいない。チラッとこちらを見ると、気にする様子もなくとトレーニングシューズのメンテを始めてしまった。

 

取り残された後輩二人は困惑顔のまま口を開く。

 

「あの……ウオッカ先輩…?」

「あぁ、トレーナーはブルースリのレースを見たら即トンボ帰りするんだよ。だろ?」

「ええ!?3時間ちょっとしかないんですよ!?ブルースリ、ウマホ取って!」

 

後輩二人は顔を突き合わせて猛烈な勢いでウマホを相談し始めた。百面相するスカイと全く表情の変わらないブルースリだが、後ろから見ていると尻尾が跳ね上がったり耳がピンと立ったりずいぶん感情が荒ぶってらっしゃる。

 

「えっだってこれ新幹線乗っても間に合わないよ……!?」

「……豊橋から、ひかりは…?」

「いやちょうどいい時間の無いし!飛行機も無理だよ……!あっ車!?」

「…尚更、無理だよ……」

 

わちゃわちゃと二人は相談し続けるが答えは出ないだろう。

ブルースリの未勝利戦は12:10で、そこから2000mを走って2分とちょっとだ。ゴールを見届けて中京レース場を12:20には出発できる。

良い道路ができたもんだよなぁ。120km/hが速度上限だなんてさ。

 

「まあ、そこはいいだろお二人さん。ブルースリ、悪いが当日ウイニングライブまでは見てやれん。だが、レースはきっちり観させてもらうョ」

「……!」

「しっかりとお前さんが頑張ってきた結果を見せてくれ」

「……あなた、黒ジャケさんの、偽物!」

 

えっ、ちょウマ娘パワーで揺さぶるのはナシだって!

 

 

 

 

 

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