タンデムで見た海   作:印旛沼まで徒歩五分

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安田記念─explosion

 

 

 

アジアマイルチャレンジ最終戦、安田記念。

 

───6枠11番 レガシーホーネット

 

編み込んで、二つに分けて結った艶やかな鹿毛。速筋が発達した肉付きのしなやかな脚。

自身の名前の由来ともなった戦闘機になぞらえて、ライトグレーを主色とした生地にネイビーブルーとアクセントのイエローを織り交ぜた勝負服に身を包み、溌剌とした表情を浮かべる彼女は今日の堂々一番人気。

 

そんな彼女は本格化が早く、中等部1年からトゥインクルシリーズに飛び込んだ。

朝日杯フューチュリティステークス2着に入った後、皐月賞・日本ダービーを経験したのち短距離マイル路線へ転向。

GⅡスワンステークスや複数のOP戦を勝利するなど、実力のあるウマ娘だった。

 

前走のGⅡ京王杯スプリングカップをも制し、波に乗ったまま、最高のコンディションで安田記念へと駒を進めてきたレガシーホーネット。

 

 

シニア級二年目となった彼女は未だGⅠタイトル獲得へ至ってない。しかしその力は充分に届きうるもののはず。

彼女自身もトレーナーもその自負を胸に、ここまで仕上げてきた。

 

「今日こそ彼女(レガシー)にタイトルを……!」

 

────彼女とコンビを組んでもう5年。

 

朝日杯FSの他にもマイルチャンピオンシップ2着など悔しい思いをした。彼女の涙を見て唇を噛んだのも1度2度じゃあない。

あと一歩の所で及ばない彼女に何としても栄誉を獲らせてやりたい……!そのためにどうしたらいい……!?

 

その為に整えてきた今日。贔屓目抜きにしても彼女の状態が1番いい。少なくともパドックを見た自分の目にはそう映った。

 

やはり壁となるのは3枠5番ウオッカ。……レガシーに立ちはだかるのは彼女の他にない。ここにダイワスカーレットが出てこなかったことがまだ救いと言えるか。

距離もバリバリの適正、場所も向こうの得意コースとなる東京レース場。まるで鬼に金棒を持たせるかのようなもので、相手をするこちら側としては頭を抱えたくなる。

 

そのウオッカは、表情は悪くないし、体のでき方もさすがの仕上がりと言えるもの。しかし今日のパドックはどうも気も(そぞ)ろであるように見えた。

 

───レガシーホーネットのトレーナーにとって、ウオッカは攻略対象として何百回とレース映像やパドックを見返した相手である。

 

何かを探すようにぐるりと視線を巡らせ、耳の動きも平常時より多い。

一般人には分からないだろうが、集中しきれていない様子が伺えた。ウマ娘マニアなら違和感を感じるレベル、それはトレーナー達にとっては明確に判断できる材料。

 

受付時にウオッカ自身のトレーナーではなく、ダイワスカーレットのトレーナーである宮下が補助していたこと。つまりあの黒い人が不在ということだ。

 

あの人全然絡みがないから、どういう人となりなのかぶっちゃけ分からないんだよなぁ……。

タバコを吸うようだし、サブトレーナー時代にウマ娘を3人侍らせて修羅場ったなんて噂もある人だ。そんな人がダービートレーナーなのだから世の中理不尽を通り越してるよ。

 

それは置いておくとして、ウオッカが集中できない状態ならこちらには好都合だ。

前走のヴィクトリアマイルはダイワスカーレットもいたから、あのような走り(徹底マーク)をしたのだろうが今日は不在。なら本来の走り方である差しで来るはず……。

 

 

 

「行ってこい!レガシー!」

「はい!今日こそ勝ってみせますよ!」

 

仕掛けは最終コーナー途中の600mから。外に持ち出して末脚を使う。レガシーの足ならば届くはずだ。

地下道からレガシーを送り出す。手を振り、緑の海へ出撃して行った彼女の武運を祈って。

 

さあスタンドへ行こうと、振り返ると壁を背に()が寄りかかっていた。長い髪を1つ結びにした適当な髪に、黒い革のジャケット。今は6月だぞと言いたくなるような配色だ。

間違いない。不在だったはずのウオッカのトレーナーである彼だ。

 

「どうも……。担当ウマ娘がGⅠに出るのに遅刻ですか?」

 

妙な正義感に駆られ、僕はそうやって彼に話し掛けた。その鋭い目だけが射抜くようにこちらを向く。

 

「……ええ、仰る通りで。予定ならもっと早く着いていたんですがね」

 

頭に直接語られるような低い声が発せられる。その声に感情はなく、まるで他人事のように語られたそれに噛み付く。

 

「GⅠレースを他のトレーナーに任せるなんて担当ウマ娘のことを考えてるんですか?」

 

この人はウオッカ専属契約のトレーナーだったはずだ。それがこんな適当な事をしていていいのか。

 

()()()()()()()()()()()からこうなったんですが……」

 

困ったように肩をすくめる彼は、僕には酷く軽薄に感じた。こんな男に担当されるなんてウマ娘が可哀想だ。

まるで熱を帯びていない声と態度は余計に僕を逆撫でた。

 

「今日はレガシーが勝ちます」

「そりゃ楽しみだ」

 

身を翻してスタンドに向かうと、当の本人(ウオッカ)とすれ違った。まるで求めていたモノを見つけたように駆け寄る彼女の目が輝く。

なぜ?なぜそんな目をあの男に向ける?

 

 

「見てろよ……。勝つぜ」

「───あぁ、行ってこい」

 

 

二言、三言だけ言い合うと、軽く、彼らは拳を打ち合わせた。

それだけで、たったそれだけでまるでパドックとは違うウマ娘がそこに居た。

体から滲み出る熱量は、それだけで周囲を圧倒するかのような存在感。そう、まるで()()()()()()()()()ような……。

 

撃墜(オト)させてもらいますョ。キッチリと───」

 

……呆気に取られた僕の鼓膜に響いた低い声。その声を発した()は頬を吊り上げていた。

 

 

 

 

広いターフの上の解放感。体に注ぐ歓声と声援。きっと、きっと今日のミッション(レース)は成功させる。

未だ届かぬGⅠの頂。得意な距離での勝ち。どんなに才能が有ろうともレースで勝てるのは一人だけなんだ。

 

分かっているつもりでも、納得できるかと言えばそうではない。レースの結果にも、自分の走りにも。

 

「負けない」

 

自分に暗示をかけるように呟く。ここで勝てなきゃもう勝てるレースなんて無いって。自分もいつまで足を使えるかは分からないんだから。

 

『お待たせいたしました。東京レース場第11Rは安田記念GⅠ、芝の1600m、18人のウマ娘で争われます』

 

各々、準備運動をしたり軽く足元を確かめたり。

香港からの挑戦者3人はバ場の印象なのかは分からないが、互いに意見を交換しているようだ。三番人気、香港からの挑戦者グレートディディはどうやら芝に違和感があるのかしきりに足元を気にする素振りをしている。

私もゆっくりと膝を伸ばして屈腱をよく伸ばしておく。その間にターゲットの確認を。

怖いのはテーシンオーバー、ヒビヤポイニクスは特に調子が良さそうに見える。そして超警戒対象のウオッカ。あの子はパドックで集中できてなかったから、レースに気が向いてないのかも───

 

「は、え───?」

 

どうやら私は何か思い違いをしていたらしい。首筋の裏にブワッと寒気が走る。勘違いだ。勘違いしていた。まるで別人。一切合切を斬り捨てるかのような鋭さを宿したウオッカの雰囲気に思わず自分の体を搔き抱く。

 

「何が起きちゃったの……!?」

 

嘘ッ……!私はどうすれば勝てる……?どうすれば()()に勝てる……!?

 

ダメだ。落ち着いて……。慌てるのが一番よくないってトレーナーさんもよく言うし、深呼吸深呼吸……。今日の私は一番人気、はいっ!行ける!

 

「あの」

「ふぅ……なんでしょう?」

 

当のウオッカが目の前にいる。努めて冷静に返事を返す。嘘。ちょっと声震えてるかも。

 

「今日、一番人気のレガシーホーネット先輩っスよね?」

「ええ、でも人気なんて飾りでしかないと思いますよ?レースに絶対なんて無いですから。どちらかと言えば私挑戦者な立場ですし……」

 

これは本当だ。GⅠを複数勝利しているウマ娘と一回も勝ってないウマ娘。だが、GⅠウマ娘だって無敵じゃない。私たちと同じ、体調で調子が上下するウマ娘なのだ。それなのに────

 

「さっきウチのトレーナーがそちらのトレーナーさんに()()()()()()みたいで」

「へ?」

 

なんの話かさっぱり分からない。

 

「きっちり()()()()()()、先輩?」

「ヒィッ」

 

笑うという行為は本来攻撃的なものであり獣が牙をむく行為が原点である、とは何の談だったか。そんな一文が頭の中を(よぎ)るぐらいウオッカは笑顔を浮かべていた。嘘、目が全く笑ってないよ……!

 

何?何しちゃったのトレーナーさーーーーーん!?

 

 

 

 

スターターが昇降台に上り赤い旗を振る。GⅠに許されたファンファーレが会場とターフのウマ娘たちを包み込んだ。6月の多分に湿気を含んだ熱をものともせずに、ウマ娘たちは指定のゲートへ収まっていく。今日の安田記念にクラシック級はおらず、スムーズにゲート入りは進む。

 

『アジアマイルチャレンジ最終戦安田記念は18人のウマ娘が彩ります!ハリアーゲーム、キスオンヘヴン、テーシンオーバー、イトシノメリー、ウオッカ、オーシャンケープス、グレートディディ、ジェリーオンス、ネクストタイム、ゴウリキアシュラ、レガシーホーネット、ドラコワイルズ、モンクロメオ、レアジェイディ、ブラッシュリック、エラルダ、ヒビヤポイニクスそしてドリームウォーカー以上の18人、香港から3人が参戦!春のベストマイラー決定戦!枠入りが順調に進んでいます』

 

どう動くか、頭の中で最終シミュレーションをする。トレーナーさんのプラン通り、中団に取りついて600から仕掛けるのは一緒。ただしウオッカが前に付けたなら抜け出して押し切られる可能性がある。これはさっき対面して感じた事だ。ならば自分にできる対策は、なんだ?

 

『18番ドリームウォーカーが誘導を受けてゲートに……収まります!態勢完了!』

 

重厚な金属音と共に、弾かれたように足に力を込める。考え込んでいても飛び出せるように訓練した賜物だ。まるで反射のように飛び出して速度を乗せていく。

 

『スタートしましたぁ!まずは先行争いに入ります。外のエラルダが好スタート!ゴウリキアシュラが間から押して出て参りました!ゴウリキアシュラ!さらにはウオッカ!』

 

ウオッカは前目……!ダイワスカーレットが居ないからてっきり差しで来ると思ったが、早くも目論見は外れた。ならば打てる対策は今のうちに打たねばならぬ。

 

『ゴウリキアシュラとウオッカが行きましたその外にエラルダ!三番手から二番手!四番手にジェリーオンス!五番手にネクストタイム、3バ身後ろでテーシンオーバー間からグレートディディ行っていて内からイトシノメリーその直後にレガシーホーネット中団です!』

 

少し押してこちらも普段より前めに位置を取る。幻惑ステップを挟み少し後方に対して牽制。下がると思ったのか後ろは位置を下げて少し空間が開いた。いざという時の避難経路はこれで良し。後は……!

 

『各ウマ娘が第3コーナーを回っていきます!結局先頭はゴウリキアシュラが逃げて3バ身のリードあと800を通過!二番手にはエラルダそれを追って三番手にはジェリーオンス!更にはネクストタイムが四番手!その内にウオッカ!ウオッカは五番手その後ろにグレートディディが追走します!ブラッシュリックとイトシノメリーが並んで第四コーナーをカーブ!その後ろにレガシーホーネット!』

 

……先頭のペースが早くない!このままだと前が確実に()()!まだ仕掛けポイントの600看板を過ぎてないけどそれじゃあ届かない!私にそれだけのスタミナがあるの!?先頭まで捲る為には外目を回らなきゃいけない!でもこのままじゃあ先団に巻き込まれる……!!

 

ダメだ!もう悩んでいる時間は無い!

 

50mほど想定より早いが外に持ち出して足に力を込める。内側から広がってきた子と軽く接触してしまったが姿勢を崩すほどじゃない。心の中でごめんと謝りながらも、先に加速態勢に入ったおかげで位置を押し上げることに成功した。

 

 

『直線を向いてゴウリキアシュラが先頭です!まだ三バ身のリードを保っている!それを追ってエラルダが迫ってきた!内からウオッカジェリーオンスとブラッシュリックが差を詰めてきた!』

 

 

エアダクトから空気を取り込むように深く息を吸い、止める!自分の体をトップスピードへ!飛ぶ!広がれ!───衝撃波(マッハコーン)!!

 

 

アフターバーナーを吹かすが如く、大外から抜け出たレガシーホーネットはソニックブームのような足音と共にみるみる内に先頭と差を詰める。これが私の領域(ゾーン)だと、こうでもしなければ勝てないと!

 

『その更に外からレアジェイディ!ヒビヤポイニクス!大外から吹っ飛んできたレガシーホーネット!!残り400!』

 

歯が折れそうなほどに食いしばり、酸素を欲す体に鞭打って足の回転数を保つ。歓声なんかとっくに聞こえなくなってキーンと頭に響く耳鳴りがする。ゴールまで保つかどうかは賭けだ。

 

 

 

「────撃墜(オト)す」

 

 

 

無情にも警告(アラート)が頭の中に響く。直後、ズンと脚が重しを乗せられたように動かなくなった……!

 

「なん、でッ……!?」

 

カヒュッと嫌な音を立てる自分の喉。領域が搔き消えて、失速していく────!

 

そうだ、()()。東京レース場は最終直線ゴール手前200mに2mの坂がある。想定より50mの早仕掛け、更に大外を回って30mの遠回り。()()()()()でも、最終直線で領域を保つだけのスタミナを残せなかった……!

 

『先頭変わったウオッカだ!ウオッカ先頭!あと200を通過!』

 

低く、まるで海面すれすれを飛ぶような姿勢でウオッカが加速していく。ダメだ……!もう……!

 

3バ身突き放した!突き放した!二番手エラルダが粘っている!大外レガシーホーネットは失速!中を割ってテーシンドーバーも突っ込んでくるがヒビヤポイニクスも三番手争い!?二番手はエラルダか!?先頭はウオッカ!ウオッカゴールイン!!

 

『ウオッカです!ウオッカです!……これがウオッカです!早め先頭から押し切りました!強いレースでしたウオッカ!二番手はエラルダ!三番手が広がっています!』

 

 


東 京  11 R 

        確 定

    5

       >3.1/2

   16

       >3/4

    3

       >アタマ

   14

       >アタマ

   11

                                                                

     芝

           タイム 1.32.7 

    ダート

            3F 34.0 


 

 

 

「ごめんなさい……トレーナーさん……」

「よくやったよレガシー。謝る事なんてないさ」

 

また、また栄冠を手にすることはできなかった。

それどころか掲示板にだってやっと入った程度。あとちょっとでも距離が長ければ更に順位が落ちていただろう。不甲斐なさで胸がいっぱいになり、泣きたくもないのに目じりに涙が溜まりだした。

 

そっと頭の上にトレーナーさんの手が乗せられる。普段スキンシップを避けるはずのトレーナーさんからの接触に胸の中が熱くなって、結局私は泣き出してしまった。

 

「次こそは勝とう。あのウオッカに」

「……はい。はい、絶対に!」

 

 

 

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