一日のトレーニングを終えて栗東寮に戻ってきてみたら、丁度帰ってきたらしいウオッカと鉢合わせた。尻尾を揺らしてご機嫌そうに、ホクホク顔した顔をしてテイオーみたいなステップを踏み出しそうだ。
「ずいぶんご機嫌じゃない」
「おぅスカーレットじゃん、トレーニング終わりか?」
「そうよ。アタシもデビュー戦が決まったから追い込みなの」
「おお、マジ?いつなんだよ」
「11月19日よ。京都のメイクデビュー5R目ね」
「京都か。オレも京都だったし、負けんじゃねーぞ」
「失礼ね。アンタでも勝ってるんだから負けないわよ」
二人連れだって廊下を歩きながらとりとめのない話を続ける。自分の今後のレース日程やトレーニングとかの内容の話だがスカーレットが気になっているのはそこではなかった。
「ところでその荷物は何よ?」
「お?これか!聞いてくれよ!今日トレーナーとバイクで二人乗りしてさ」
「二人乗り」
「バイク屋連れて行ってくれてさ!これヘルメットなんだけどバイク屋さんが売れないからってくれたんだよ!!あとこのグローブはデビュー記念ってことで買ってくれてさ!」
「デビュー記念」
え?アタシがおかしいのかしら?二人乗りして、買い物行って、バイク屋行ってあまつさえプレゼント買ってもらってるのよね?
え???それってデートなんじゃない???
「それってデ」
「デ?」
急いで自分の口を塞ぐ。ダメよ。コイツにその関係の話をしてしまったらアタシが鼻血の海を掃除しなければならなくなってしまう。
以前、マヤノトップガンやマーベラスサンデー、ナイスネイチャと映画観賞会をしたときに、キスシーンで鼻血を吹きクッションに沈んだので、自分がしたことがデートしたと自覚してしまった日には気絶するんじゃなかろうか。
「デスタムーアもそのグローブイカしてるって言うと思うわ」
「だろ!?」
なによデスタムーアって。大魔王がイイネ!なんてしてくるわけないじゃない。ウマスタもビックリよ。あまりに苦し紛れが過ぎる。
でもコイツ無自覚すぎない?なんだかんだもっと地雷を埋めていきそう。いつかマヤノとかに指摘されて誘爆しそうね…
*****
なんだかスカーレットからの視線がめちゃくちゃ生暖かい。
今日ウオッカには基礎トレをやらせるつもりだったので、下半身の強化目的で激重蹄鉄を装備させ反復横跳びをしてもらっている。
スカーレットのトレーナーである宮下は講習会に参加しているため練習を一緒に見ている。
「なぁ…」
「なにかしら」
「俺の顔になんかついてるか?」
「別に?そんなんじゃないわよ」
なんだか居心地の悪さを感じて、スカーレットに理由を訪ねようとしたとき向こうから話しかけてきた。
「その…アイツにプレゼント買ってあげたって本当?」
「プレゼント?…あー革手袋のことか。俺がバイク乗るときに使ってたやつがボロボロだったから新しいの買いに行ってね。その時にデビュー記念祝いも兼ねて買ったのョ。素手でバイクはあぶねーからな」
他意はない。何の意図による質問かは分からないが、スカーレットがため息を吐いた。
「そういう事ね。部屋で眺めてはニヤニヤしてるから怪しいのよ」
「新しいのもらってウキウキしてるだけだろ」
「そういう事にしとくわ」
どうやら納得したらしいがどういうこっちゃ。反復横跳びを終えてへばっているウオッカにアイシングを指示してスカーレットの補助に回ってもらった。
*****
黄菊賞当日を迎え、2度目の京都に来ていた。現在控室で待機しており作戦会議を行っている。
「今日はスタートしたら下がって、差していくスタイルでやってもらいたい」
「お。いいねぇオレのスタイルの本領発揮ってやつだな」
「目立った戦績のウマ娘はいないが、GⅡ経験のあるマルハグングニルとグロリアプリンセスが注意だ。そのぶんレースにも慣れてるはずだからな」
今回は1番人気が先行タイプのマルハグングニル、2番人気にウオッカときて3番人気が同じく差しタイプのグロリアプリンセスだ。8人立てと人数が少ない中で7枠7番と外枠。
ウオッカならコーナーで外から捲っていける足があるからこの枠番でも特には懸念していない。
スタンドに来てみるとOP戦ということでまだまだ空席が目立つ。千葉のソウルコーヒーを忘れてしまったので仕方なく赤と白のパッケージのコーヒーを購入した。
『京都競バ場第8R黄菊賞です。芝1800m8人混合戦、特別指定交流競走として笠松から一人参戦しています。最後のウマ娘がゲートに収まりました。』
『———スタートしました!さあ先行争いに入りますマルハグングニルがジワッと、間からネイリスソアラと2人が前へ先団固まっています』
スタートからの立ち上がりは少し遅めだが、後団のつき方としては上々だ。あとは坂を処理して3コーナーから体を外目に出して上がっていければ、先頭に届くだろう。警戒すべきは先行位置にいる1番人気のマルハグングニルか…。
ネイリスソアラが逃げでペースを握っているが最終まで持つかは分からない。しかし先団が縺れられると厄介かもしれない。
『2番人気ウオッカと3番人気のグロリアプリンセスが後方固まっております。各バが2コーナーまで出てきました。ペースを握ったのはネイリスソアラ、1番人気マルハグングニルは3頭目、2番人気ウオッカは後方から2番手、グロリアプリンセスが最後方でしんがりとなっております』
『先頭から最後方までは4バ身ぐらいにギューっと詰まって各バが第3コーナーを目指していきます』
3コーナーはまだ後ろに控えたままだ。しかし体を外目に出し始めたので800m看板から上がっていくか。
『まだ先頭はネイリスソアラ。残り800通過。坂の下り相変わらず最後方はグロリアプリンセスですが、まだ先頭からしんがりまで5から6バ身と詰まったままです。まだバ群が詰まっています3・4コーナー中間残り600通過』
『ネイリスソアラのペース、ネイリスソアラのペース!マルハグングニルが2番手に上がって前に接近してまいりました!そして外目からウオッカが捲るように3番手、3番手から2番手一気に先頭に接近する勢いです。更に内から1人ならんで直線コースに入りましてあと400m!』
×××
スタートから後ろで足を溜めて3コーナーにさしかかる。前までは6バ身ないくらい詰まっておりオレの足ならいつでも射程圏内だ。
このペースなら先頭の逃げウマも最後まで持ちそうだが問題ない。勝負は800m看板から仕掛けていくぜ
3コーナーの上り坂をこなして800m看板を過ぎる。ここがオレの仕掛けポイントだ。体を外目に出し加速を開始した。
「無理ィ~!」
「ここからっ!?」
中団を捲って外から加速する。1人め!2人め!…3人め!あと2人!
3コーナーを回って直線コースに入る。ここを過ぎればあと400mほどだ。
「よっしぶっちぎるぜ!」
———その時だった。加速態勢をとり大きく踏み込もうとしたところで内側のマルハグングニルが一瞬こちらにヨレた
「ッ!当たる!?」
加速の踏み込みに一瞬の躊躇いが生じた。持ち直したマルハグングニルと接触はなかったがリズムを崩されてしまった。
「クソっ!」
一瞬、ほんの一瞬。されど一瞬———
×××
『先頭はネイリスソアラ!ネイリスソアラ!まだ半バ身程度ありますが外からウオッカ接近!ウオッカ接近!マルハグングニルが単独3番手、2番が続きます!』
『さあ前の争いですがネイリスソアラ先頭だ!ネイリスソアラが先頭だ!ウオッカ迫る!ウオッカ迫るが届かない!』
『———ネイリスソアラ先頭でゴールイン!ウオッカ2着!マルハグングニル3番手!ペースを握ったネイリスソアラが逃げてそのまま押し切りました!』
3コーナー出口か…。加速姿勢を取り抜け出そうとしたウオッカに少しヨレたマルハグングニルが接近、接触するかもしれないと怯んだウオッカが踏み込むのを躊躇い、直線で加速したものの差し切れなかった…。
*****
ちょっとした軽食を買い込み新幹線に乗り込む。ウオッカを窓際に押し込み通路側に並んで座る。
彼女は窓枠に頬杖をつき外を眺めていた。
負けた——。その事実に傷心しているのだろう。
「はぁ…だっせぇよな…」
「そう落ち込むなョ、とは本人じゃないから言えないが勝つときもあれば負ける時もある。しょうがないことだ」
「でもよぉ!今日は絶対勝てるはずのレースだったんだぜ!?」
「レースには絶対なんてねーんだよ」
「だけどよぉ!」
「ほら」
「モガッ!?」
うだうだと続きそうだったので彼女の口にチョコレートを突っ込んだ。
「今回はヨレたヤツに怯んで加速をためらったのが敗因だろ?そのためのトレーニングを考えてある」
「モグモグ…ん“っ。なんつーか、トレーナーはあんまり響いてないよな」
「悔しいは悔しいが走ったのは俺じゃないし、本人の方が悔しさは大きいはずだ。その先頑張れるかはお前さん次第で、そこを支えるのがトレーナーだと思ってる」
結局トレーナーは練習や補助をすれど、レースに出走することはできないしアレコレいうのは間違ってると俺は思う。
そこから改善点を洗い出して潰していく。一定まで強くなることはできる、だがその上の領域に至るためには本当にちょっとずつしか進まないのだ。
楽しんでいけるといいよな。そのちょっとを———。
*****
追いつける
追い抜ける
追いついたはずの背中が目の前で一瞬にして霧散する
怒号、罵声、落胆、自分に向けられる負の感情
あと一歩
あと一歩
届かない
腕を伸ばす
届かない
あの日、壊れてしまった時計は動かない
自分という存在が、壊してしまったから