タンデムで見た海   作:印旛沼まで徒歩五分

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陽炎②

 

 

海の見える港。車が辿り着いたのは潮騒を感じる町だった。

 

そんなに大きくなく、のんびりと時間が過ぎていくかのような、少し開いた窓から入り込む風が頬を撫でては消えていった、そんな町。風にはほんの少し、磯の香りが入り混じっていた。

 

車の中に会話は無い。

 

エンジンの音と、タイヤのノイズと、互いの息遣いだけが聞こえる。いつもよりもずっと言葉数少ないトレーナーの腕はぎこちなく、クラッチの繋ぎ方もちょっと雑だ。

 

過ぎていく街並みは無情にも進んでいく。傾き始めた陽の光に照らされて、波だけがきらきらと輝いていた。眩しさに目を細める、そんな少しの光る風。

 

なんとなく、なんとなくだがウオッカは悟った。

そういう事かと。なら、一言だけ「不幸があった」と言ってくれれば済んだ話だ。

 

それすらも言わなかったのは……。

 

いや、言えなかったのは……トレーナーもきっと、認めたくないんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

少しして、車は小さな駐車場へと入る。何台か止まっていたスペースの一番端に車を止めたトレーナーは、後部座席からジャケットを拾い黒いネクタイを巻く。さっきから道に立てかけてある黒い看板と、その家の騒々しい雰囲気。たぶん、予想通りのものだろう。

 

「すぐに済ませるから少し待っててくれ」

「ゆっくりで良いんだぜ?」

「いや、元々長居するつもりは無いんだ……合わせる顔もないしナ」

 

いつもポーカーフェイスの体現みたいなトレーナーの表情が少しだけ歪み───ウオッカも外の空気を吸いたくなった。

 

家の表札には岡谷(おかや)と表記があったからだ。そう呼ばれてた人を覚えている。チリリとした頭の奥の痛み。

 

いつかのサーキットでも見た事のある背の大きい浅黒い人。確かハマサキのチーフだって言っていた人のはずだ。トレーナーがかつて所属していたとも言っていたし、おそらく、トレーナーをレースの世界へ誘ったのも……その人なのだろう。

 

「……あまり見るなョ。お前さんが気にする事じゃないんだ」

「あら、そんな気を回せるようになったのね」

 

じゃり、という足音と共に妙齢の女性がこちらへ歩いてきていた。意志の強そうな瞳と、ちゃんと纏めた髪。フォーマルな格好にも関わらず凛とした雰囲気を感じる。女性はトレーナーより幾分か年上だろうか、相応の時の流れが顔に現れていた。

 

「………久しぶりだナ、黒姫……いや、岡谷か」

「どっちでも良いわよ。どっちでも私だもの」

 

ちらっとこちらを見ると、少しだけ微笑んで会釈をする。こちらも慌てて会釈を返した。

 

「ずいぶん若い子引っ掛けたじゃないの。しかもウマ娘だなんて」

「なにかとんでもない誤解をしてやがるな?俺ァ今中央トレセンでトレーナーやってんの。こやつは受け持ちなだけだ」

「ウオッカっす」

「ふぅん……あの『俺よりも速い奴しか興味ねぇ』って吹っ掛けてた坊やがねぇ……。ウオッカさん、もう少しいい人は居なかったの?」

「昔の話はよしてくれョ」

 

軽妙なレスポンスでなされるやり取りは親しい人達特有の雰囲気を纏う。しかし女性は疲れもあるようで、目の下にはメイクでも誤魔化しきれない隈が浮いていた。

 

「悪かったな。もう少し早く来るつもりだったんだが」

「来てくれただけで喜ぶわよ……そうそうウオッカちゃん、うちの娘が戻って来ないのよ。ちょっと呼んできて貰えないかしら?」

「えっと、どこに行けば……?」

「この先に、展望台へ上がる坂があるの。そうすればあそこにある灯台の下に行けるわ……いつものコースなのよ。ウマ娘なら20分ぐらいかしらね」

 

そう言って彼女が指した先、海岸線の丘の向こうには特徴的な形の白亜の塔が聳えていた。

傾いた陽に照らされて茜色に染まる、波間をゆく船の道標となる灯台。こんなセンチメンタルな気分じゃなければ、風光明媚な観光名所としてのんびり巡れたのかもしれない。

 

「鹿毛のウマ娘よ」

「分かりました。連れてくればいいんですか?」

「そうよ、お願いね?」

「俺からも頼む」

 

頷くとウオッカは駆け出した。去っていく一陣の風に目を細めた黒姫はフッと息を吐くとこちらに顔を向ける。

 

「お別れに来てくれたはいいけど……()()()()()()()ってやつなのよ」

「……そうか」

 

言葉が出なかった。思い浮かばなかった。これ程まで自分の口の下手さを思い知ることもない。

 

「娘は……そろそろ高校生だったか」

「そうよ、もう行きたいところがあるみたい。けど下の子がね、来年から中学生になるんだけど……」

「下?」

「あぁ、あなたが居なくなった後に生まれた子よ」

 

彼女の声のトーンが申し訳なさそうに少し下がる。

俺が知ってるのはまだチームに在籍していた頃の話だ。その時はまだ一人娘だったがどうやら姉妹ができていたらしい。

 

なんの因果かレースに関わっていた彼らの子供もまた、走る者(ウマ娘)として生まれてきた。どうやら2人目もそうなのだろう。

 

「……上はともかく、下はお父さんっ子だったからちょっと堪えてるみたい」

 

そう語る黒姫の横顔は、ウオッカの前とうってかわってひどく憔悴して見えた。

 

「下の子はトレセン学園に行きたがったの。旦那はしばらく反対してたんだけど()()()()()()()()()()()()()からそいつに頼んでみるって話でね。その矢先にこうなっちゃって」

「……」

「あなたに頼むつもりだったのかもね」

 

今と昔。思い浮かぶ戦友(とも)の顔。

 

そうか、そうか。本当にあいつは風になりやがったのか。この歳になれば一度や二度は経験してきたが、慣れることはない。

急激に湧いた実感が、喪失感にも似た痛みが、不意に俺を突き刺す。

 

───最後まで足掻いていたあの男。

あの鈴香の後、チームに降り掛かる逆風にただ一人立ち向かい、ライダーを、クルーを信頼し守ろうと奮戦していた。

何度も俺に声をかけ『またお前の走りを見たい』と誘い折れなかった。あの時はそれも理解していなくて俺は早々に逃げ出したんだ。

 

何度も何度も逃げては別の道に行って、それでも俺の走りを見たいと声をかけて来た男が認めてくれていたのか。

 

なら、俺は?

 

俺は彼に、何をした?何を返せた?

 

 

 

「…………クソったれが」

 

 

誰にも届かない独り言を海の風に混じらせて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

海岸線に沿った道を進んでしばらく、『灯台に向かうなら右折しろ』と青看板が指さした。このまま海岸線に沿うか、丘へと登っていくかふたつに道は分かれ坂道へとなっていく。「展望台へ上がる坂道」とは正しくこれだろう。

 

「······よし」

 

足に力を込めて躍動。上り始めてすぐ道は右へと折れていく。高度を上げたらすぐ左へ“つづら折り”となり始める。道はちょっとした峠のようになっており、車なら忙しそうだがウマ娘にとってはちょうど良いワインディングと思えた。

 

「これがいつものコースなんて、贅沢じゃんかよ」

 

ガードレールの向こう、眼下に広がる大海原。頬を撫でる潮風が暑さを緩和して走っていると気持ちがいい。気付かぬうちに随分と高度も上がったようで、街並みはだいぶ下に見える。

 

流すぐらいの一定のリズム。聞こえる足音は規則的に反響する。そのペースを保っていると展望台の案内が見えてきた。灯台まではあと数キロあるらしいが······。

 

───さて目的のウマ娘は居るだろうか。

 

 

 

展望台のベンチには1人のウマ娘が座っていた。長い鹿毛の髪が顔を覆い隠し表情を伺う事はできないが、スポーツウェアであることから走りに来たのだろう。

 

まだ身体は本格化していないのかあどけない雰囲気すら漂っていた。だが、鍛えられた褐色肌の脚は見事なものだ。普段からトレセン学園で競走ウマ娘を見慣れているウオッカでさえそう思う。

 

そして、近づいてみて気付く。彼女から立ち昇る陽炎で、背後の景色が揺らいでいることを。

 

いくらこの辺りが涼しいと言えど、今は汗ばむ夏の季節なのだ。その、夏の暑さを歪める程の熱量なんて·······。

 

「今の道を一、二本走ったところでならねーぞ······」

 

 

······一体どのくらい走ってんだ?

 

 

「あー、悪い。岡谷サン家のウマ娘か?」

 

ぴくりと彼女のウマ耳がこちらを向いた。彼女が顔を上げると髪の合間から覗く、昏く深い色合いの瞳。その目元には多少の隈も見える。

 

「何?邪魔しないで」

「いや、お前のかーちゃんに頼まれたんだ。連れてきてくれって」

 

臆することなくウオッカは言葉を掛けた。

 

しかし頷く様子はなく彼女は立ち上がる。

ヤッてはなさそうだが、かなり疲労を溜めていると思しき足取りは重そうだ。

ケガの可能性だってある。だと言うのに迸る雰囲気が言っている。

 

 

───走る、と

 

 

「おい、それ以上は止めとけ!ケガしちまうぞ!」

「止めないで。これしか無いの」

 

追い詰められている。妄執に近い何かを抱き、駆け出した彼女は目を見張るような加速で展望台から道へと出ていく。

 

「くそっ!」

 

連れ戻してくれと言われている以上、追いかけなければ······!

 

 

 

 

 

 

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